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しおりんの厨房

〜 伝説の合宿所で 〜


4:
 俺は図書館の入口に、あたかも吸い込まれるようだった。が、不安そうに俺の肩を握る詩織の手があれば、それを多少遠慮しなければいけなかった。
「誰が鍵を開けたんだろう……?」
 誰かが人為的に開けたのだろうか、それとも。
「行ってみなくちゃ分からないわよ」
 行ってみたとて分かるとは限らない。行くのは嫌だが戻るのはもっと嫌、という意味だろうか。
「……!」
 詩織が息を呑む。その視線をたどると、何かがいた。それが何なのかこの暗がりでは判別しかねたが、書架のそばに人が立っているように思えた。
「誰!?」
 たまらず詩織が声を上げた。相手が人間かどうかは分からなかったが、詩織は相手が人間であることを望んでいるのだろう。それは俺も同じだ。
 近づく前に正体を知りたかったが、この暗がりでは無理だ。最初からこんな冒険をするつもりだったなら、懐中電灯のひとつも用意したものを……。
 影がゆっくりと動き、向きを変えると近づいてきたのだ。その書架は事典などが置かれた、比較的入口に近い場所だったが、俺たちとの間には閲覧用の大きな机が置かれていた。いざというときは盾にすることができる。
 が、その緊張は打ち破られた。
「……詩織ちゃん?」
 おもむろに影が声を発したのである。
「め、メグ!?」

 詩織はひとまず図書館の明かりを点けると、美樹原さんに向き直った。
「メグ、いったいどうしたの? あんなことがあったばかりなのに」
「あの、詩織ちゃん、こめんなさい……」
 詩織の態度は妹を心配する姉といった風だったが、小さくなった美樹原さんを見ると改まった。もともと体格の小さい美樹原さんは、縮こまると消えてしまいそうな印象さえあった。
 昼間の喧騒を思い出し、その時とのギャップを感じた俺は、思わず顔をそらせた。
「よかったら、話して」
 軽く机に伏した詩織は、小首を傾げて美樹原さんに顔を寄せる。
「……」
「ね?」
 詩織は美樹原さんを見上げる形になる。美樹原さんは徐々に落ち着きを取り戻した。
「あ、あの、詩織ちゃん。怒らないでね」
「怒らないよ。なに?」
「この図書館には、呪いに通じる本があるの……」
「んがっ!?」
 怒るかわりに、詩織はアゴを落とした。
「そんなことだろうと思ったよ」
 俺が不意にもらした一言に、詩織は抗議の視線を送った。
 その様子を知ってか知らずか、美樹原さんが続ける。
「これ……」
 えい、とばかりに机へ乗せられた本は、やけに豪華な装丁だった。俺は本の背を見たが、書名は『エンサイクロペディア・ブリタニカ』でなければ、『メガトン辞書』でもなく、ましてや『全米ジョーク全集』であるはずもなかった。
『私立きらめき高校 十年史』
 金箔の文字は不気味なばかりに輝いていた。図書館の照明を反射しているだけとは思えない。
「十年史? 三十年以上も前の本なんだ」
 詩織が確かめるように言う。確かめること自体が目的ではないのだろうけど。

「とにかく読んでみよう」
 言いながら俺は表紙をめくった。
 私立きらめき高校は昭和二十六年、戦後の混乱期に創立した。土地の有力者伊集院公爵――もとい、元公爵――の働きかけでつくられ、現在に至るも学校の理事会は伊集院家の統制下にある、というのが皆の知るところだ。もちろん今の人間が創立の詳しいいきさつを知っているわけではない。ただ、昭和三十六年に発行されたこの本の豪華さを見れば、伊集院家がいかに権力を持っていたかが知れよう。
 しかし、しかしだよ。この本に何が書かれていようと、それが合宿の腹痛とどのように関係しうるというのだ?
 本の内容は予想通り、きらめき高校の「輝ける歴史」を誇らしげに伝えるものばかりだった。
「あ、カラー写真。でも少し色合いが変ね」
「詩織、これは着色写真だよ。モノクロ写真に人の手で色を着けたんだ」
「ふうん」
 朝鮮特需の時代になっていたとはいえ、カメラマンがカラーフィルムを入手するのは困難だったのだろう。それでも色付きで本を刷ってしまう伊集院家の根性には恐れ入る。
 怪談じみた雰囲気はどこへやら。俺たち三人は、きらめき高校創成期の歴史を仲よく眺めていた。が。
「ちょっと待って!」
 ページをめくる俺の手を、詩織が制した。
「どうしたんだ?」
「見て……この、本の喉」
 言われるままに見ると、喉――開いたページとページの境目――に妙な隙間がある。まるで、誰かがページを引き破いたとでも言わんばかりに。
 ノンブルを見ると、70ページの次が73ページになっている。71ページと、その裏の72ページが失われていることになる。
「待てよ……」
 俺は立ち上がると書架へ走った。『私立きらめき高校 十年史』第二版。それを先ほどの初版と見比べてみよう。
「あぁ!?」
 こちらの本には71ページが存在した、ただし初版の73ページと同じ内容で。つまり初版の71ページと72ページは、きらめき高校の歴史から抹消されてしまったのだ。
「ど、どういうこと?」
 詩織は俺の手を握り締める。落ち着きを失った詩織の向こうで、美樹原さんの目が輝く。
 いや、しかし、とにかく……。
「とにかく、この本の71ページを読ませたくない奴がいるのは確かなようだ」
「そんな……」
 右手を詩織に貸している俺は、左手で本を閉じる。
「今日は遅いから帰って、明日になったら事情を知っていそうな奴に連絡を入れよう」
「じゃあ今夜は騒ぎの原因がわからないの?」
 詩織は少し興奮した様子で訴えた。そこで俺は言った。
「なんなら俺が添い寝してやろうか?」
 詩織はヒクリと動いた。反射的に美樹原さんを見たのだ。
 直後、詩織の平手が俺の頬を直撃していた。
 

(つづく)

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