【第九幕・涙が出るのは悲しみだけじゃなくて(前編)】
辺りはすでに闇の帳に包まれている。
きらめき町に戻ってきた拓也は、まっすぐ学校に向かった。警察へ直行する事も、考えなかったわけではない。しかし……。
彼は決着をつける前に、どうしても一度、訪れてみたかったのだ。全ての発端となった美術棟を、そして伝説の樹を。
(殺人事件の謎は、全て解けている。第一の殺人で使われたトリックも、大体想像がついている。動機は……動機については、僕にも同情する気持ちがあるのを否定しない。しかし、僕は奴を許すことはできない。詩織を巻き込み、苦しめ、利用したことを、僕は決して許しはしない)
校門脇の通用口は、既に閉ざされていた。宿直室から入って、校庭に一歩足を踏み入れた拓也は、ふと自分の目を疑った。美術棟に灯りがついている。
(芹沢の奴、まだいるのか?)
それなら好都合だ。そう思った拓也は足を速めた。
美術棟の入り口で、拓也は一つ深呼吸した。これから自分が何をしようとしているのか、もう一度確認する。相手の出方によっては、激しい口論になるかもしれない。詩織に対する悔恨の気持ちが奴に見えなければ、拓也は自分の気持ちを押さえられなくなるだろう。それによって、新たな悲劇が生じたとしても……僕は後悔しないか?
(迷うくらいなら警察に行った方が、話が早い。でも僕は、どうしても奴に一言、言ってやりたいんだ)
拓也は迷いを捨て去り、入り口のドアを押した。そして一歩室内に踏み込んだ時、そこに予想もしない人影を見つけ、愕然とした。
「見晴ちゃん」
二階に通じる階段の上に、彼女はいた。座り込み、両手で膝を抱え、その膝に顔を埋めて。「絶望」……と言う名の彫像があったらこうだろう、と思わせるような。
「……見晴ちゃん」
拓也の再度の呼びかけに、ようやく見晴は顔をあげた。涙のしずくが頬を濡らし、瞳は死んだように光を失っている。
「芹沢先生、いる?」
拓也の問いに、見晴はコックリ頷いた。しかしそれ以上は、一言も喋らない。拓也は彼女の脇をすり抜け、二階へと昇って行った。
……!!
美術実習室に足を踏み入れた途端、拓也は思わず息を呑んだ。床は血の海に溢れ、苦悶の表情を浮かべた男が、襤褸切れのように倒れている。不良じみた彼のなりから、拓也には彼が何物であるか、すぐに察しがついた。
(これが、順子さんが言っていた斎藤か)
だとすれば、知晴ちゃんを巡る復讐劇は、全て幕を閉じたわけだ。
拓也は、斎藤の死体を避け、研究室の前に向かう。そして、無言のまま、ドアをノックした。
―トントン。
返事がない。ドアのノブに手をかける。カチャ……と、何の抵抗も無く、扉が開いた。拓也は決意の色を瞳に滲ませ、室内へ進む。しかし……。
「うっ!」
中の様子を一目見て、拓也は悲痛な呻きを洩らした。そこにいたのは、確かに芹沢先生だった。
首を深々と刺し貫いたナイフ。
机の上に置かれた三通の白い封筒。
拓也の昂ぶりが急速に失せていく。疑うべくも無く、自らの身を自ら処断した、芹沢隆広の姿。拓也は言葉もなく、暫くの間、じっと立ち尽くしていた。
***
拓也は、ふらつく足取りで階下に降りてきた。手には芹沢隆広の遺書、彼の机の上に残されていた封筒が握られている。三通の手紙は、それぞれ宛先が違っていた。一通は警察へ。もう一通は学校へ。そして、残されたもう一通は……。
「見晴ちゃん」
見晴は、先程の姿勢のまま微動だにせず、階下に通ずる階段に蹲っていた。それを見て、拓也は自問する。
(彼女は知っているのだろうか? 芹沢の……彼女の兄の死を)
斉藤の死、それは多分知っているだろう。だが、ひょっとして彼女は、まだ芹沢先生の自殺までは……。
しかしその答えは、すぐに明らかになった。拓也が持ってきた見晴宛ての封筒。それをチラリと見て、見晴は、いきなりワッと泣き出したのだ。大声で……。心の内を全て吐き出す様に。
(そうだった。ミィちゃんはいつもこうだった。よく笑う子だったけど、泣く時は思いっきり泣いていた。悲しい時は、こっちまで悲しくなるくらいに、心の底から。
……昔のまんまだ。ちっとも変わっていない)
拓也は、見晴に寄りそうように並んで座った。自然に彼女の肩を抱いていた。見晴を、この愛しい少女の魂を労る様に。
(どんなに辛かったことか。実の兄が成そうとしている事……それを知りながら、何も出来ずに見ている自分。その全てを、この小さな胸に秘めて)
ひとしきり慟哭が続き、いくらか気持ちに落ち着きが見えたところで、拓也は見晴に、そっと囁いた。
「今日ね。君に内緒で、お母さんに会ってきたよ」
「……え」
「僕は、詩織を救わなけりゃならなかった。君には済まないけれど、全てを知る必要があったんだ」
「……」
「お蔭で謎は、ほとんど解けた。でも、幾つかまだ、君に聞かなきゃならない」
「……」
見晴は顔をあげた。顔は涙でくしゃくしゃだったが、瞳には、生気が戻りつつある。拓也は、そう感じた。
「知晴ちゃんが死んだ時のこと。何故、お母さんに言わなかったの?」
見晴は、再び俯いた。じっと虚空を見つめ、思案に耽った末に彼女はポツリと語り出す。
「チィちゃんとの約束だったから」
「約束……?」
一つ大きく頷く。そして拓也の方を向き直った。拓也は、ふと思い出す。
(いつかは聞いてもらいたい思います。あなたに……)
かつてJ組の教室で見晴が言った言葉。ついに、その「いつか」が来たのだと直感する。思えば見晴は、転校してきた当初から拓也の事を知っていた。勿論、詩織の事もである。彼女が館林見晴と名乗った時、しかし、拓也は彼女に気付けなかった。
(あの昼休みの時は、まだ三島の事件は起こっていなかった。もし、僕が見晴ちゃんの記憶の欠片でも覚えていたら。あの事件は、ひょっとして防げていたんじゃないだろうか。
見晴ちゃんも、夏休み直前のゴタゴタしていた時期に転校してきて、兄さんへの連絡が、一瞬遅れてしまった。まず、校内の事情を把握してから……。慎重な彼女は、そう考えたんだろうが……)
いずれも、言ってもせんないことだ。拓也は気持ちを切り替えて、見晴の告白を聞く姿勢をとる。
「私とチィちゃんは、三島さんに会うために東京へ向かいました。それまでの事情は……お母さんが説明したと思います。
東京に着くとすぐ、チィちゃんは以前に教えて貰っていた、三島さんの携帯番号にかけました。三島さんは非常に驚いてた様子でしたが、チィちゃんが自分の子を宿していると聞いたら、すぐに会ってくれる事になりました。
―一人できらめき高校に来て欲しい。そこに、二人だけで落ち着いて話せる場所があるから……―
それが、彼の返事だったそうです。チィちゃんは電話を切った後、私に言いました。
『孝祐さんの頼みだから、私は一人で行かなくちゃいけない。ミィちゃんは駅で待ってて』と。私に否応があるはずがありません。そのままチィちゃんを見送ったの」
見晴は、拓也の方を向いているものの、顔は伏せたままだ。彼女の後れ毛が、何となく哀れを誘う。
「だけど、駅で待っているうちに、私は不安になってきました。双子の直感……かな。胸騒ぎがしてたまらず、じっとしていられなくなって、私も、きらめき高校に向かったんです」
「……」
「チィちゃんと三島さんとの電話を脇で聞いていたので、チィちゃんが呼ばれたのが、『旧部室棟』という建物だという事は知ってました。きらめき高校に着いたら、辺りはもう、真っ暗になっていて。クラブ活動も全部終了したらしく、グラウンドには、人影一つ見えません。直接、電話を聞いていた訳ではない私には、『旧部室棟』というのがどこにあるのか、さっぱり判りませんでした。
あちこち探し回って、やっとその場所を見つけた時には、かなり時間が経ってしまっていたんです」
拓也は、姉の姿を求めて必死に校内を彷徨う見晴ちゃんを思い浮かべ、胸が締めつけられる気持ちだった。
「ようやく見つけたその建物からは、灯りが洩れていました。確かに誰かいる。私はホッとしました。―チィちゃん、三島さんと会えたんだ。―そう思った私は、扉の外から、そっと中を窺いました。邪魔しちゃ悪いから、と。
でも、中から聞こえてきたのは、二人の声ではありませんでした。三島さんの優しい声とは似ても似つかぬ男の声。それと……。今思い出しても、背筋が寒くなるような女の声……。
チィちゃんの声は、全く聞こえませんでした。でも私には感じたの。チィちゃんがそこにいるのが、ハッキリ分かったの」
その時の情景を思い出したのだろう。見晴ちゃんは、微かに身震いした。
「中の二人は、チィちゃんを声高に罵っていました。“この泥棒猫、三島さんがお前なんか相手にするもんか、ゆするつもりなら相手を選びな”。こんな汚い言葉が、絶え間なく浴びせられていました。私は出来るだけ我慢しましたが、その内、たまらなくなって、中へ飛びこもうとしたんです。そして扉をガラリと開けたら……」
そこまで言って、見晴ちゃんは絶句した。顔色は蒼白になり、身体は熱病にでも罹ったかの様に震えている。拓也は、彼女の心中を思いやり、肩を抱く手を強めた。
「それが、須藤真紀と言う名前の女だというのは、今度転校してきて、初めて知りました。でも、名前は知らなくても、私はあの女の顔を一生忘れないでしょう。
憎悪を剥き出しにしてチィちゃんを睨みつけた彼女は、押さえていた感情が爆発する様に激高し、チィちゃんの髪を引きずり倒して、床に倒れ伏したそのお腹を、足で、いきなり何度も……」
見晴ちゃんの目からは涙が溢れ出ている。歪んだ顔は、その時の光景が、まるで目の前に繰り広げられているような……恐怖と怒りに染まっていた。
「彼女の叫びは、今も耳を離れません。
『三島さんの子だって? アタシは認めないよ! ここかい? そいつはここにいるのかい……!』
そう叫ぶ間中、彼女はチィちゃんのお腹を蹴り続けていました。私は頭の中が真っ白になって部屋の中に飛び込み、必死になってチィちゃんの身体の上に覆い被さりました。
でもその時、もう既にチィちゃんは……」
低いすすり泣きが、辺りを支配する。拓也は、もういい……と言うように、見晴ちゃんの髪をなでた。しかし、彼女は憑かれた様に話し続ける。
「私が現れたことで、真紀という女は、ようやく我に返ったようです。しばらく私達のことを見下ろしていましたが、血の気が失せたチィちゃんの真っ白な顔、そして床に滴っている沢山の鮮血。それを見て、自分が今、何をしたのかハッキリ悟った様子で……部屋を出て行きました。もう一人の男も、慌ててその後を追って行きました。
二人っきりになっても、私はチィちゃんの身体を離しませんでした。だんだん冷え切って行くチィちゃんの身体を抱きしめて、必死に呼びかけたんです。何度も、何度も、『チィちゃん、チィちゃん』……て。……そしたらね」
涙でくしゃくしゃになった見晴の目が、拓也を捉えた。
「チィちゃんが、ほんの少し目を開けました。そして擦れた声で、こう言ったんです。『ミィちゃん、お願い。この事は誰にも言っちゃ駄目。だって、だって……。言ったら、孝祐さんに、絶対迷惑が掛かるから……』」
なんて救いの無い話だろう。拓也は余りのことに、ガックリと頭を垂れた。三島が、配下の二人を差し向けたのは、全て自分のため……。
他校の女子生徒を妊娠させた、と言うスキャンダルをもみ消す為に、知晴ちゃんを脅しつけようとしたのに他ならない。それなのに、ここまで踏付けにされて、しかもなお彼女は、三島の誠意を疑っていなかったのだ。
「私はチィちゃんの言葉に、ただ、頷くだけでした。それを見て、安心したのかもしれません。チィちゃんの身体から、急に力が抜けて……それっきり……」
永遠とも思われる時間が、二人の間に流れた。詩織を陥れた芹沢に、激しい憤りを覚えていた拓也だが、彼の妹の知晴にふるわれた、それを遥かに超える理不尽な男の暴力を知り、怒りが急速にしぼんで行くのを感じる。
(芹沢にとっては、三島に片思いした詩織もまた、男の本性を見抜けない“馬鹿な女の子”に過ぎなかったんだ。それを異性の立場で責めるのは、詩織に余りに酷なんだが……。
少なくとも今回の事件に関して、芹沢が詩織に同情しなければならない理由など、一つもなかった。いや、ひょっとしたら彼は、知晴ちゃんと詩織を、同一視していた可能性もある。
最後まで、三島の表ヅラに騙されたまま、逝ってしまった知晴ちゃん。彼は、そのやり場のない怒りを、つい詩織に向けてしまった。もしそうだとすると、余りに惨すぎる。人の善意だけを信じて生きた者同士が、何故こんな悲惨な……)
拓也は、ただひたすら瞑目した。見晴の肩を抱く手を離し、ジッと頭を抱え込む。
「……最後に一つ、お兄さんの事を聞かせてくれるかな?」
「……はい」
見晴は低い声で、しかしはっきりと答えた。小さい頃の甘えん坊だったミィちゃんの面影は、今の彼女には、ほとんどない。それだけ彼女は辛い日々を送ってきたのだ。
「ご存知かもしれませんが、私達と兄さんは、十歳も歳が離れてるんです。両親の事故の後、兄さんはアメリカに行きました。そして、そこの高校に入り、日本には滅多に帰ってきませんでした。
ただ、私とチィちゃんの事は、いつも気に掛けていてくれてたみたいで、よく手紙をくれました。外国の珍しい絵葉書を奪い合って、チィちゃんとケンカしたこともあります。
兄さんが日本に帰ってきたのは一度だけ……私達が、中学生だった時です。なんでも、学会の用事で来日したとの事で、本当はとても忙しかった様なんですけど、私達の為に、わざわざ常盤苑に迎えに来てくれました。
あの時、一緒にディズニーランドへ出かけて過ごした半日。本当に、楽しかったなあ……」
見晴ちゃんは微かに笑った。その笑顔は、拓也の心に最後まで残っていた、かたくなな部分を、ついに最後の一滴まで溶かし去った。拓也は静かに言う。
「芹沢先生は、本当にいい人だったよ。生徒のことを、いつも真剣に考えてくれていた。だから今度の一件では、余計に裏切られたような気がしてたんだけど……。
でも、今はもう何とも思っていない。先生も見晴ちゃん達と同じ時に、ご両親を亡くしたんだね」
「ええ。ひょっとしたら、私達よりその時のショックは大きかったかもしれません。肉親を喪う苦しみ……。思春期に別離を味わうと言うことがどう言うことか、私もチィちゃんで、やっと分かったの」
「うん……。見晴ちゃんは“別れ”を二度も経験したんだね。僕なんか、まだ一度も……。そんな僕に、誰も責める資格なんかないや」
拓也は、首を深くうなだれた。
芹沢隆広。美術研究家として将来を嘱望され、世界の舞台で、これから大きく羽ばたこうとしていた人物。その彼が全てを投げ打ち、無残にも殺された妹の仇を討とうと……。
その彼の本当の気持ちは、自分も掛け替えのない肉親を喪ってみて、初めて分かるのだろう。
―一人残される苦しみ。
それを味わったからこそ、彼は、この悲劇の幕を開けたのだ。生まれてこの方、ずっと幸せな時を過ごしていた自分や詩織が、彼の何を責められるというのか。
黙りこくってしまった拓也に代わり、見晴が独り語りで話し始める。その彼女の言葉に、ただ耳を傾ける拓也。
「……チィちゃんが死んだあと、私はどうしようもないくらい落ち込んでいました。誰にも話さないで……と言うチィちゃんの言葉に従って、お母さんにも打ち明けられない悩みを抱えて。
けれど結局、私一人の胸に納めておく事は出来ませんでした。或る日私は、兄さんへの手紙の中で、つい本当の事を……チィちゃんが死に到る、本当の理由を書いてしまったんです」
彼女の顔に、再び苦渋の色が広がった。
「兄さんが外国にいる事が、私にそうさせた原因だったかもしれません。どうせ三島さんとは顔を合わせる訳ないし、そう思っていたような気がします。それなのに……」
見晴ちゃんは、胸を抱くように膝を抱え、手の指のつめを噛み始める。彼女の内心の苛立ちが、そのまま伝わってくるようだ。
「それが、私の犯した最大の過ちであった事を、私は、つい最近まで知りませんでした。ある日、何気なく手に取った雑誌を見て、私はビックリしたんです。
『全国の天才少女たち』……と言う企画だったかな。その中に、きらめき高校の片桐さんの写真が載っていて、彼女の後ろに立っていたのが、兄さんだったんです」
それを聞いて拓也は一つ頷いた。
「芹沢先生がうちの高校へ来たのは、今年の春の新学期が始まった時だ。何でも、美術関係ではかなりの業績を挙げている人らしかったけど、教育の現場に携わってみたいと言う本人の強い希望で、しばらくの間、美術教師として赴任するとの事だったよ。僕らはまた、どうせ伊集院の奴が金に任せて引っ張って来たんだろうと噂してたけどね」
「……そうだったんですか。私、兄さんが日本に来ているなんて、それまで全然知らなくて。
しかもそれが、よりにもよって三島さんのきらめき高校だなんて。いきなり目の前が真っ暗になりました。私に連絡をくれなかったくらいですから、兄さんが何か危ない事を考えているのは明らかでしたし。
チィちゃんの復讐……
あの優しい兄さんが。学者としても成功の道を歩んでいる兄さんがそんな事をするなんて、今でも信じられない。でも……」
見晴ちゃんは、じっと前方を見つめ、口元から静かに爪を離した。
「私は焦りました。兄さんがやろうとしている事は、兄さんの身を必ず滅ぼすに違いない。チィちゃんを失って、今また兄さんを失うなんて、そんな事、私には耐えられない」
「それで、きらめき高校に転校して来たんだね? 兄さんを止めるために」
彼女はコックリ頷いた。
「転校などしなくても、兄さんにただ会いにいけばいいじゃないか、と、拓也さんは思われるかも知れない。でも兄さんと私とは歳が違いすぎて、言葉だけの説得では自信がありませんでした。
チィちゃんの遺言もあります。“三島さんの迷惑にならないように……”。それでいっそ、三島さん達が卒業するまでの半年間、私が傍にいて、なんとか兄さんを……と考えたの」
「……」
「でも、それが大きな間違いでした。お母さんへの説得や、転校の手続きなどで一週間かかり……私がきらめき高校に着いた時には、もう手遅れだったんです」
見晴ちゃんの話を聞きながら、拓也は、やりきれない思いだった。今度の殺人事件で最も重要なファクターは、実はトリックとかそう言うことではなく、日時だったのだ。
日時、すなわち美術棟の側で改装工事が始まった日―。
それによって、伝説の樹の周辺は完全な袋小路となり、芹沢が望む、全ての舞台が整ったのだ。殺人の隠密性……スケープ・ゴートとしての詩織の存在……。それら全ては、あの工事現場がなければ、望めなかったものなのだ。
ちなみにあの工事は、「本校舎」と「美術棟」を結ぶ接続工事らしい。今まで一旦外に出なければ行けなかった美術棟に、屋内から行けるようになるわけだ。
芹沢は、その工事の日程を事前に知り、その日を殺人の決行日に選んだに違いない。見晴ちゃんを責める訳では決してないが、あと数日早く来てくれていれば……。
「拓也さん」
見晴ちゃんの瞳が、拓也を捉えた。
「私、知りたい事があるんです」
「……?」
「今度の事件で最大の被害者は、実際に殺された三人を除けば詩織さんです。犯人扱いされたり、それを理由に殺されかけたり……。
何故、兄さんは、詩織さんをこんなひどい目に遭わせたんでしょう? 兄さんの復讐に、どうして関係のない詩織さんが関わってしまったんでしょう。私は……それを、どうしても知りたいんです」