【第六幕・シグナル】
現場の全ての状況が順調に進行しているのを確認し、小波警部は至極満足そうだった。傍らのA刑事を振りかえる。
「どうだ? 藤崎の様子は?」
A刑事は、ハッと直立不動の姿勢をとり、答える。
「意識は取り戻した様子です。しかし、腹部のダメージが相当ひどく、質問に答えられる状態ではありません」
「ふん」
警部は、ちょっと残念そうな顔をした。そこまで痛めつけられているとすれば、この件に関しては、正当防衛が適用される可能性があるな……。
(……が、まあいい)
警部の顔に、暗い笑みが浮かんだ。
(これで、一つの事実が証明された訳だし。藤崎詩織という女……取り澄ました顔をしているが、逆上した場合には、殺人すら辞さない危険な女だと言う事実、がな)
たとえ正当防衛とは言え、道義的には人殺しだ。三島殺しの容疑を補強する、有力な傍証になるに違いない。
その時、救急車が現場に到着したと報告が届く。A刑事が、警部の指示を待つ姿勢をとる。
「藤崎を救急車に乗せろ。行き先は警察病院だ」
「え……! そ、そんな?」
「奴を隔離する必要がある。証拠隠滅の恐れも多分にあるし、これ以上他の人間と接触させるわけにはいかん」
それ以上の問答を拒否する様に、警部は背を向けた。A刑事は仕方なく、救急隊に指示を与えるため、その場を立ち去った。警部はAの後姿をチラリとみやり、内ポケットから煙草を取り出す。百円ライターが安っぽい音をたてる。大きく一つ吸い込んで、空に向かって煙を吐き出した。
(問題は、証拠……だ。須藤真紀殺しについては問題ないが、肝心の三島孝祐殺しについては、状況証拠しか見つかっておらん)
須藤真紀の死体は、当直の教師によって体育倉庫の中で発見された。一方、藤崎は凶器と目される果物ナイフを握り締めつつ、真紀の傍らに倒れている。身体に加えられた暴行の跡から、須藤との何らかのトラブルの結果である事は明白であろう。
(三島の時に、もっと突っ込んだ捜査が出来ていれば……)
悔恨の思いが、脳裏を掠める。あの時の奴への尋問から、更に身体検査まで持ち込めれば、一発だったんだ。三島の死因は絞殺。あの華奢な藤崎が、三島を普通の状態で殺し得たとは考えにくい。三島の動きを封ずる、なんらかの用具を使用したはずだ。また凶器のロープにも、犯人の痕跡が一切付着しておらず、多分、滑り止めの付いた手袋を使用したのだろう、と鑑識が言っていた。それらの道具は、おそらく藤崎が制服の中に隠し持ち、後で処分したに違いない。
しかし、あの時点での彼女への疑いは、あくまで可能性の一つに過ぎず、身体検査を強行する事は出来なかった。
(三島と藤崎、そして須藤真紀。この三人……いや、本条を加えて四人か。彼らの関係も、今のところ全く分かっておらん)
これでは、裁判に持ち込むのは難しいな。何か明らかな証拠さえ出れば……。
小波警部が、そう考えていた時だった。A刑事が引き返してきて、彼に耳打ちする。
「……藤崎を救急車に乗せました。検視官の見たてでは、内臓破裂の一歩手前で、かなり深刻な状態だそうで。それと……」
A刑事は、躊躇するように一度言葉を切った。
「本条が来てます。警部に会わせてくれ、と言ってますが」
「本条が……? ふん。また奴は、殺人現場にノコノコやってきたのか。自分も疑われているとは知らずに。全く、怖いもの知らずだな」
小波警部は、ちょっと思案した。奴の言い分は大体想像がつく。本来なら否応無く追い返す所だが、藤崎を巡る人間関係について、少しでも情報が欲しい時だ。幼馴染で、同級生の奴なら何か知っているかもしれない。それに。
(奴が藤崎の共犯者なら、喋っている内に何かボロを出すかもしれない。それならば、なお好都合だ。こちらから、それとなく探りを入れてやるか)
「よし。会ってやる。ここへ連れて来い」
程なくA刑事に連れられて、本条拓也が姿を見せた。警部は、わざと、ざっくばらんに話しかける。
「なかなか鼻の効く男だな。もう、事件の事を知ったのかね?」
しかし拓也は、警部の調子に乗ってこなかった。始めから挑戦的な目をして警部を見つめている。
(……嫌な奴だ)
警部は、しらけた顔でソッポを向いた。拓也が口を開く。
「今の刑事さんに聞きましたけど、詩織は警察病院に運ばれるとか。本当ですか?」
「そんな事を、彼は君に話したのかね? ……いかんな。口が軽すぎる」
「詩織が何をしたというんです? 警察病院だなんて、これじゃまるで容疑者だ!」
拓也の詰問に、小波警部は、皮肉な笑みで軽く応じる。
「まるで、じゃなくて容疑者だよ。彼女は」
拓也の顔が一瞬にして、真っ青になった。それを見て、警部はニヤニヤしている。まるで、拓也をからかって楽しんでいるようだ。
「警部さん……」
しばしの沈黙の後、拓也は言葉を選ぶ様に話し出した。
「教えてくれませんか。ここで、体育倉庫で、何があったかを」
「もう、知ってるんじゃないかね。だから、君はここへ来たんだろう?」
揶揄するような警部の言い方に、拓也は必死に耐えた。
「須藤真紀が殺された、と言うのは聞きました。詩織が傍に倒れていた事も。でも、それ以上は知らないんです」
「ふむ」
どうしようか? 警部は考えた。
(どうせマスコミには、発表することだ。明日の朝刊に載る事なら、奴に今、話しても同じだろう)
警部は腹を決めた。
「わかった。話してやろう」
警部は手帳を取り出した。今までに知り得た全ての事が書いてある。その中で捜査上、洩らせない事を除いて、全部話してやろうと思った。
「事件が発覚したのは、本日十八時ごろ。当直の先生が、第一回目の見廻りの途中で発見した。今日は終業式で、すでに校内には生徒は一人もおらず、若干の先生が、残務整理のため残っていただけだったと言う事だ。
当直の教師の名は、安川登美雄。物理の教師だ。彼は、当直の配置につくと、まずセキュリティー・システムをオンにした。そしてモニターをチェックした所、体育倉庫の扉がロックされていない事に気づいた、と言うわけだ」
「扉が開いていたわけですね。カギは?」
「マスター・キーは、職員室で保管している。安川は、見回りの時にそれを持っていった。それとは別に、体育関連施設のカギのコピーが、体育教官室に置いてある。それがいつのまにか持ち出され、被害者の須藤真紀の制服の胸ポケットから発見された」
「……」
「体育倉庫の内部は真っ暗で、安川も、始めは異常に気付かなかったらしい。彼は、只の扉の締め忘れと思い、カギを締めて立ち去ろうとしたが、ふと何か生臭い匂いを感じて、中に入ってみた。そして電燈をつけてみると、女子生徒が二人、血まみれで倒れていた、というわけだ」
「……」
「直感的に、二人とも死んでいると思ったらしい。すぐさま職員室まで引き返し、警察に通報した。藤崎の方が生きている事が確認できたのは、我々が現着してからだ」
警部はそこまで話し、現場検証の模様をかいつまんで聞かせる。
「須藤真紀は、制服姿で仰向けに倒れていた。部屋の中央の、ほぼ電燈の真下辺りだ。腹部にナイフ様の物による刺し傷が一箇所、他には外傷はない。即死に近い状況だった事は、確認出来ている。
……一方」
そう言って、警部は拓也の顔をチラリと見た。
「藤崎詩織は、須藤真紀の死体から一メートルほど離れた所に倒れていた。真紀を中心にして、ちょうど入り口のドアの反対側だ。身体を丸める様にして、両手は腹の辺りに置かれていた。……血の付いた果物ナイフを、固く握り締めてな」
拓也は思わず目をつむった。血の海に倒れこんでいる詩織の姿が、鮮明な赤い映像となって拓也の脳裏に浮かぶ。警部は、内心ほくそえみながら、彼の様子を観察した。言葉を続ける。
「藤崎の握っていた果物ナイフが凶器かどうかは、今、鑑定中だ。しかし状況から見て、まず間違いあるまい。他に、須藤の方もジャック・ナイフを所持していたが、これは足元に放り出されていた。血糊も付いていないし、犯行には、とりあえず関係ないと思われる」
拓也は目を閉じたまま、じっと耳を傾けている。
「藤崎の方は、かなり傷めつけられた様だ。頬に打撲傷、咥内から流出したと思われる血液も、制服の胸の辺りに、かなりの量が付着していた。
最も深刻だったのは腹部への一撃で、これは一歩間違えば、藤崎の命を奪いかねないものだったようだ。現時点でも、かなり危険な状態だと報告が来ている」
詩織……。拓也は深く頭を垂れた。肩が小刻みに揺れている。
(詩織がそんな目に遭っている時に、僕は一体何をしていたんだ? 自分の身可愛さに、真紀に接触することをためらっていたのではなかったか? 僕は……僕は……)
拓也の目に涙が浮かんだ。それを見て、警部も少しだけ気が引けたようだ。今までとは違い、柔らかく語る。
「まあ、この件に関しては多分、正当防衛で処理されるだろう。藤崎も、これだけの傷を負わされたわけだし、殺された須藤真紀の普段の素行も悪すぎるしな」
しかし警部のその意は、拓也に通じなかったようだ。拓也は警部の言を聞き、顔をキッと睨みつける。
「正当防衛ですって……?」
あふれる涙を拭おうともせず、しかし、その瞳は強固な信念の輝きを放っている。
「じゃあ、警部さんはこれが詩織の仕業だと……そう、断定なさるんですか」
「当たり前じゃないか。どこに疑問な点があると言うんだ?」
拓也は、しばらく押し黙った。警部は突然何か後ろめたいような気持ちになった。
―馬鹿な。素人に気圧されてどうするんだ。―
そんな警部の気持ちを見透かす様に、拓也は、ゆっくりと口を開く。
「これは、明らかに殺人です。しかも、詩織以外の人間によるものに間違いありません」
「なんだって?」
小波警部は一瞬、あっけにとられた。
「……君ね。幼馴染として、彼女を庇いたい気持ちは分かるが」
「証拠があります」
拓也は、きっぱり言いきった。
「証拠……?」
そんなものが在るわけがない。藤崎がやったという証拠なら、いくらでも在るが。
「警部さん、さっきの安川先生の証言を思い出してください。体育倉庫を調べに入った時……」
拓也は、視界の隅にある、現場の体育倉庫をチラリと眺めた。
「真っ暗だった。先生はそう言ったんですよね?」
「ああ。それで、すぐ電燈を点けたと言っていた」
体育倉庫には窓がない。電燈を点けなければ、中は真の闇だ。
「詩織が暴力を振るわれ……そして、須藤真紀が刺された時までは、電燈は点いていたはずです。それでなければ、お互い相手の居場所すらわからない」
「まあ、そうだろうな」
「じゃあ、真紀が殺された後、誰がその電燈のスイッチを切ったんです?」
「……」
警部の目に、急に不安の色が広がった。それまで、心理の盲点になっていた部分を指摘され、戸惑いを隠せない。
「真紀の死体は電燈の真下、部屋の中央に在ったと言いましたね。電燈のスイッチは、ドアの脇にあります。即死状態の彼女が触れるのは無理です」
「……うん」
「大体、腹部を強打されて気を失うほどのダメージを受けた詩織が、果たして真紀を殺せるかどうか……それも疑問ですが、それよりも、詩織が電燈を消したとすれば、スイッチを切った後、真紀の血塗れの身体を跨いで、その向こうに倒れ込んだ事になります」
警部は体育倉庫の中の現場検証を思い返した。藤崎の倒れていた位置は、須藤の死体を挟んで入り口のドアの反対側……雑多なガラクタの置かれている、すぐ近くだった。
「仮に詩織の事情で、どうしても電燈を消さなければならなかったとしても、そんな痛めつけられた身体で、しかも、ここが肝心ですが“電燈を消した後の真っ暗闇の中で、ドアから数メートルも移動すれば”、床に流れている真紀の血を踏みつけないわけにはいかないでしょう。……何か、そんな痕跡がありましたか?」
「……い、いや。結構広い範囲で血が広がっていたが、床の上には、これと言って、何も……。発見者の安川教師の足跡は付いていたがな。彼も灯りの下での行動ながら、つい血糊を踏んでしまい、それで泡を食って、藤崎の生死の確認をせずに、警察への通報を優先した……」
警部は、しどろもどろになりつつ額の汗を拭いた。
(殺された須藤の腹部から流出した血液は、相当な量だった。ほぼ即死だが、いきなり血が止まったわけではなく、それが犯行直後の犯人の痕跡を、ある意味では覆い隠してしまった。安川の足跡が血の上に付いていて、藤崎の足跡が見当たらないのは、一応それで説明がつく。ただ……。それなら、藤崎の靴の裏に、べっとりと血が付着していなければならん)
そんなこと、鑑識の連中は一言も言ってなかったぞ……。小波警部は、内心の動揺を隠しようもなく、震える指で内ポケットの煙草を探った。拓也は、そんな警部の姿を静かに見詰めている。嵩にかからず、敢えて冷静に言葉を続けた。
「さっきの警部さんの言葉で、僕は詩織の無実を直感したんです。詩織の胸に、彼女自身が吐いた血が付いていた、と。でもそれ、本当なら血液鑑定でもしなければ、それが真紀の返り血か、詩織自身の血か分からないはずだと思うんです。辺り一面血の海の状況だった訳ですから。
それが鑑定もせず、あっさりと判別できた。……と言う事は、詩織が真紀の血に触れていたとしても、極く少量だったのではないか。だから、付着した血の流れ具合も視認でき、詩織自身の血だと、断定できたんだと考えました」
小波警部は必死に反論の言葉を捜した。
三島の時より、よっぽど単純な事件だ……そう思いこんで、油断していた自分が腹ただしかった。
「……おほん。百歩譲って、まあ、君の言う通りだとしてもだね」
慎重に言葉を選ぶ。今度不用意な発言をすれば、警察の威信は、根底から崩れてしまうかもしれない。しかし、このまま拓也の主張に屈する訳にもいかなかった。
「とりあえず“返り血”の件は、脇に置いておこう。それより先程の『藤崎には電燈を消せなかった』と言う君の主張だが、それは、電燈を消した人間が、他にいると言う事であって……。藤崎の無実を証明するものではないだろう?」
言ってしまってから、我ながら馬鹿なことを……と、小波警部は嘆息せざるを得なかった。この体育倉庫の惨状を目の当たりにして警察に通報もせず、電燈だけ消して立ち去った人間がいる可能性より、そいつが犯人そのものだと考える方が、よっぽど合理的だ。
案の定、目の前にいる、この生意気な高校生は、小波警部の言う事など、ほとんど聞いていないようだった。
「とにかく、『電燈を消したのは誰か』。この問題が片付かない限り、詩織=犯人(正当防衛)説には無理があると思います。
凶器の果物ナイフにしても、そうです。詩織がそんな物騒な物を持ち込んだとすれば、真紀に会うための護身用に、と言う事でしょうが、詩織の性格から言って、そんなものを持つより、そんなものが必要な場所に近づかない……詩織は、そういう女の子です」
「でも、実際彼女は、ここへ来てるじゃないか」
「それが不思議なんです。
……ところで警部さん。実は、ここへ案内して貰う前に、あの若い刑事さんに、内緒で少し頼みごとをしたんです。その結果が……来たんじゃないかな?」
「き、君は勝手に……! Aに何か、やらせたのか!」
小波警部は驚き、拓也の指し示す方を見た。本校舎の方から、今までどこかに消えていたA刑事が、急ぎ足でこちらへやってくる。それを見て、警部は思わず絶句し、体をワナワナと震わせた。
「警部……」
「警部、じゃないっ! 貴様、この忙しい時にどこへ行っていた!」
警部の怒鳴り声に、A刑事は手にしたモノをおずおずと差し出す。ごく普通のB‐5版ノートだ。
「なんだこれはっ!」
「はっ。藤崎と友人の交換日記帳です。藤崎の机の中から発見いたしました。その……本条君の指摘によりまして」
「本条の指摘だぁ? 本条は、貴様に何て言ったんだ!」
「は、はぁ。この交換日記……相手は美樹原 愛という女の子だそうですが、この日記帳が先刻、その子の手元から盗まれたそうなんです。本条の話では、『詩織が誰かに故意に呼び出されたとすれば、彼女を信用させるために、その盗まれた日記帳が利用された可能性がある。それなら現物は、おそらくA組の教室の、詩織の机かカバンの中に残っているはずだから、一刻も早く証拠として押えた方が良い』……と」
「ぐ……」
小波警部の顔が真っ赤になった。拓也は、素知らぬ顔でソッポを向いている。そして独り言を装って呟いた。
「やっぱり詩織は、交換日記に騙されたんだ……。“美樹原さんが呼んでいる”、そう告げられて、この体育倉庫に呼び出されたんだ。
それなら果物ナイフなんか、始めから持ってく訳ないじゃないか。誰か、他の誰かが詩織の手に握らせたんだ。彼女に罪を被せるために」
「ぐ……」
警部の顔が苦しげに歪む。
「もう、いい!」
「え」
驚く拓也に向かい、小波警部は指を突きつけた。宣言するように言う。
「甘い顔をしたら、いい気になりおって。警察の捜査をなんだと思っている。素人に用はない。……帰り給え!」
半分、予期した事であったが、警部の態度は、拓也を失望させるに充分だった。
「……では、どうあっても?」
「藤崎に対する嫌疑は、今回の事件よりも、むしろ『三島孝祐殺し』に対するものなのだ。その事に対して無実を証明できなければ、彼女を解き放つ事は出来ん!」
警部の元から立ち去り、ふと気付くと、辺りは既に深い闇に沈んでいた。拓也は、やりきれない思いで学校を出る。
(やはり、自分でやるしかないな)
これほど明白な事実を突きつけても、頑固な警部の心を動かす事は出来なかった。
……大人の面子……警察のプライド……
しかし、その影で、一人の女の子が殺人者の汚名を着せられ、瀕死の重傷を負いながら、家族にも会えない窮地に立たされている。
(そんな事が許されていいのか? 僕は必ず詩織を救う。救ってみせる!)
***
三日間が瞬く間に過ぎた。拓也の懸命の努力も空しく、真紀の線で途切れた捜査は、依然として五里霧中である。
一方、司法解剖を終えた真紀の遺体は今日、下げ渡され、家族の手によって密葬される事となった。殺人と言う異常な死に方に加え、彼女の普段からの芳しからぬ行状からすれば、密葬も致し方ない所だろう。
ただ……。
いくら家内での密葬とは言え、他人が、まるでいない訳ではない。真紀の生前の仲間達、「きらめきレディース」のメンバーも、葬儀に加わっている。須藤家の家族にすれば迷惑だったかもしれないが、特攻服に身を固め、改造バイクに跨って姿を見せた彼女達を拒否できる者は、誰もいなかった。
そして今……。
神妙な顔で焼香を終えた彼女達は、家の裏庭に集まり、顔を寄せ合って相談を始めた。
「とにかく……。姉御が死んじまった以上、誰かリーダーを決めなきゃな。できれば、今この場で」
仕切り屋の茜が言った。それを受けて、サブ・リーダーの玲花が答える。
「とりあえずは、アタシがやるしかないだろ。でもな……。キツイよ、姉御の後は」
玲花は、余り気乗りがしないようだった。無理もない。真紀が居てこその「きらめきレディース」だったのだ。睨みの効かない者が変わっても、メンバーを抑えるのが大変だ。
その上、レディースには敵が多い。真紀の攻撃的な性格のせいで、いろんな所で恨みを買っている。
(“アタマ”になれば、そいつら全部、引き受けなきゃならない)
それを考えると、それこそ頭を抱えて逃げ出したくなる。それが現状だった。
「あ〜あ! 辛気くせえ!」
短気な真弓が、我慢出来ずに叫んだ。
「おい! 湾岸、かっ飛ばそうぜ。姉御の供養によ! 新リーダー!」
しかし、玲花は、かぶりを振った。
「今日は止した方がいい。爆連が出張ってるって話だ」
「爆連が? あいつらここんとこ見なかったが。とっくに解散したのかと思ったぜ」
「姉御が居たんで裏をコソコソしてたらしい。死んだって聞いて、大喜びで出てきたんだろうよ」
みんな顔を見合わせて、ため息をついた。爆走連盟だけではない。今まで押さえつけていた連中が、揃って牙を剥いてくるのは目に見えていた。
「……帰ろ、か?」
誰かが小声で言った。
***
(レディースも、もう終わりだな)
シューティング・ゲームのレバーを操りながら、順子は思った。結局、あのままレディースは走り出す事なく、それぞれ帰途に着いた。その余りな情けなさに、順子は仲間の顔を見るのも嫌になり、憂さ晴らしに近所のゲーセンに足を向けたのである。
(他の族の顔色見ながら走るぐれえなら、バイクなんて叩き売った方がいいぜ)
くさくさする。そう思いつつレバーを滑らすと、手元がちょっと狂い、敵ボスの最後っ屁の一発にやられて機体が大破した。
ガ、ガ〜ン……!
「野郎……!」
思わず、ゲーム画面を殴りつける。ゲーセンの中の連中が、一様に、ビクッと身を震わせた。
……じろり。
一度集まりかけた視線が、順子の一睨みでさっと逃げて行く。ほとんどが、順子より年下の少年だ。
(……中坊相手に凄んでもな)
虚しくなった順子は、何もかも嫌になってゲーセンを出た。すると……
(……ん?)
愛用のバイクの所に誰かいる。不審に思った順子は、大股で近づいた。
「おい! 何してる?」
それは高校生ぐらいの男だった。順子は胸倉を掴もうとして、その男に見覚えがあるのに気づいた。
「ごめん。バイクにイタズラしてたんじゃないんだ」
「……」
どうやら彼は、通りがかりにレディースのバイクを見つけ、順子が出てくるのを待っていた様だ。
「僕、本条拓也。ちょっと聞きたいことがあって……」
そう言われて、順子は改めて、その男の姿を値踏みした。一応、洗濯してあるらしいが、しわだらけのTシャツ。色が変わってメーカー名も定かでないスニーカー。いかにも、冴えない高校生……といった風情だ。
「失せな。アタイは今、気分が悪いんだ」
順子は、ぶっきらぼうに顎をしゃくった。しかし、拓也は、立ち去ろうとしない。
「てめえ……殴られたいのか?」
「殴られるのは嫌だけど……」
拓也は俯いた。
「詩織の為にも、どうしても聞きたい事があるんだ」
「詩織……。ふん、藤崎か」
順子は「やっぱり」と言う顔をした。彼女が拓也を知っていた理由。それは、とりもなおさず、彼が「学園のアイドル」藤崎詩織の幼馴染であるからに他ならない。順子は鼻でせせら笑い、しかし少しだけ興味を持ったようで、話に乗ってきた。何しろ詩織は、須藤真紀の死に無関係ではない。
「あいつ、姉御の傍に倒れてたらしいな」
そう言われて、拓也はホッと顔を上げた。
「そうなんだ。それで、警察に疑われてしまっている」
「ああ。そいつも聞いてる。……馬鹿な話さ。あの姉御が、あんなひ弱なお嬢さんに、殺られるもんか」
それを聞き、拓也の顔が、パッと喜びに輝いた。警察よりもレディースの人間の方が、やっぱり事情を良く分かっている。普段の真紀を知っているのだから、当然と言えば当然なのだが。
一方、自分の発言が予想以上に拓也を喜ばせたと知り、順子もなんだか気が軽くなる。前より積極的に拓也と話し始めた。
「そういや、三島さんが死んだ時も、藤崎に変な噂が立ったな」
「うん。実は」
拓也は、その時の状況を簡単に説明した。殺害時刻と思われる時間に現場にいたのは、三島と詩織だけだったということ。ゆえに警察に疑われ、そして……。
「これは、今のところ想像でしかないけど」
順子の瞳を正面から捕らえる。
「真紀さんが詩織を呼び出したのも、それが理由だと思うんだ。つまり三島殺しに詩織が関係していると誤解して……」
順子は、拓也の言葉の意味を正確に把握した。彼女とて心の内では、ときめく感情を決して失ってはいない。真紀の気持ちの最も純粋な部分が、誰に向いていたか……とうに気づいていた。
「まあ、お前の言う通りかもしれない。
藤崎は『きらめき高校のアイドル』なんて言われてるが、それまで姉御は、奴の事を気にした事なんて一度も無かったんだ。
ところが三島さんの事件前後から、なんだか姉御の様子がおかしくなった。今回の一件も、藤崎を体育倉庫に誘い出したら、後は誰も傍に寄せ付けなかった。見張りすら、いらねぇって言う。普段のリンチとは明らかに雰囲気が違うんで、アタイ達、実はみんな心配してたんだ。リンチで済めばいいが、姉御が、もし藤崎をマジで殺っちまったら、相当ヤバイ事になるぞ、と……」
殺っちまう……。その表現に拓也は思わずギョッとした。確かに一歩間違えば、詩織は殺されていたのだ。あの須藤真紀なら、その恐れは充分にある。
「そこなんだ、僕が気になっているのは。詩織が、何故それほどまでの恨みを、真紀さんから買ってしまったのか。真紀さんと三島には、とても深い関係があったような気がする。それが男女の仲なのかどうなのか、そこまでは僕には分からないけど。
そして、ここを良く考えて欲しいんだ。こんどの二つの事件に、詩織が両方とも何故か関わってしまっているけど、この二人が連続して殺されたのは、詩織とは実は関係ないことなんじゃないかな。むしろ、真紀さんの三島への執着振り……そこに、何かのカギがあるような気がするんだ」
順子と拓也は、複雑な気持ちで見詰め合った。三島を殺した人間。真紀を殺した人間。どうやら、それは詩織以外の一人の人間……今まで全く姿を見せていない真の同一犯がいると拓也は言っているのだ。順子は思う。
(姉御が、三島さんを殺した犯人だと疑って藤崎に復讐するつもりだったのは間違いない。その真相はアタイにも分からないが、少なくとも、藤崎には姉御を殺すのは無理だ。じゃ……この本条って奴が言うとおり、誰か別の犯人がいるのか?)
そいつは、三島さんの次に、真紀も始めから殺すつもりだった。故に今度の殺人が起こったのだ。
「なるほど……。正直言って、三島さんの時は、ちょっと他人事みたいに感じてたけど、こうして見ると、確かにお前の言うとおり、ちょっとおかしいぜ」
そして順子は、しゃがみこんで考えるポーズを取った。
(姉御は三島さんの命令なら、何でも聞いてた。かなり危ない橋を渡っていた事も、あるみたいだ。姉御の三島さんへの気持ちはともかく、その事で、二人を共に恨んでいる奴もいて不思議じゃない)
順子は、先日の真紀によって出された、奇妙な命令を思い出した。
―『館林見晴という女を見つけ出して、それとなく探れ。奴に決して悟られるんじゃねぇぞ』―
その不可解な命令の直後に、三島の殺人は起こったのだ。
「それなら、姉御と三島さんだけじゃなくて、斎藤も関係してるかも……」
「……斎藤?」
「野郎共の兄貴分さ。自分じゃ番長なんて言ってるが、所詮はチンピラだよ。でも……」
順子は、しゃがんだまま、首を傾げて拓也を見上げた。
「三島さんとの繋がりは、結構深かったみたいだ。真紀さんはああいう性格だから、レディースを結成する前は、一匹狼を通してたんだが、斉藤は中学以来ずっと三島さんの腰巾着だった。姉御と斎藤の二人だけで、三島さん相手に話しこんでたのを、アタイは何度も見てる」
(そう、この前も……)
順子は少し考えた末、全てを拓也に話してやろうと思った。真紀を殺した犯人は、順子にとっても憎い仇である。真紀の死によってレディースがガタガタになってしまった今、その張本人にキッチリ落とし前をつけてやる必要がある。動機は全然違っても、この本条拓也という男は、その犯人を追い詰める為に動いているのだ。順子の腹は決まった。
「この前もな、三人で何か相談してたみたいだ」
「三人で?」
「ああ。そしてその後に、姉御が変な事を言い出したんだ」
「変な事……?」
思わず聞き返した拓也に、順子はいたずらっぽく笑いかけた。この表情だけ見ると、彼女も世間の女子高生と何ら変わるところがない。十七歳の年相応の笑顔だった。
「或る女をマークしろ、ってな。相手は、お前が先日会ってた女だ。ほら、J組の館林見晴とか言う……」
「えっ……」
一瞬、拓也は言葉を失った。見晴ちゃんがレディースにマークされてた? じゃ、あの時、レディースがJ組の廊下を張っていたのは……。
「理由はわかんないけどさ、姉御と三島さんたち三人で何か打合わせた後に、そう言う命令が出たんだ。しかも、奴に気づかれない様にコッソリってな。
苦労したぜ。奴がJ組から出てくる度に、素知らぬ顔で見送って、そして後をソッとつけるんだ。アタイは気が短い方だから、こんな探偵みたいな真似は、本当は嫌だった。ま、姉御の命令だからキチンと努めたがな。
その時の姉御の命令の中に、確か『奴が三島さんの傍に近づいたら、すぐに携帯で連絡を寄越せ』ってのが、あったな。それで、この変てこな命令が、主に三島さん絡みの話だと分かったんだ」
「……」
「アタイの班は張り込み専門で、他のメンバーは、奴の住んでるアパートとか、転校前の情報とか調べて回ってた。実際おかしかったぜ。奴が転校してきてすぐ、当の三島さんは死んじまうし、今度は姉御だ。まさか、奴が犯人じゃねぇとしても、何か事件との関係はありそうだな」
「……」
「それでさ、これは姉御が死んじまったから、もうお流れになったんだが、夏休みになったらメンバーを選んで、千葉まで調査に行こうとしてたんだ。奴の親元を訪ねて、直に調べようってな」
「千葉……? あっ!」
拓也の身体に、電流でも通ったような衝撃が襲った。
(そ、そうか! 千葉は野球部のおととしの合宿地だ。山科が、そう言ってた。そして、そこは見晴ちゃんが、今まで住んでいた所。三島と見晴ちゃんに、何か因縁があるとすれば……)