最後の暗黒デジモン
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脚本:吉村元希 演出:芝田浩樹 作画監督:海老沢幸男 |
★あらすじ
太古の昔、火の壁を越えてやってきた闇をほろぼしたのは、太一たちの前に選ばれし子供たちでした。
そして今、闇の空間に落ち込んだ太一たちの前にふたたび「彼ら」があらわれたのです。
進化の過程で滅び、消えていった者たちの恨みと憎しみが蓄積して生まれた存在……それが、彼らアポカリモンの正体。
圧倒的な闇のちからの前にデジモンたちは進化を強制的に解かれ、紋章もあっさり破壊され、全員何もできないままデータに分解されていきます。
これで終わりなのか? 自分たちは負けてしまったのか? よしんばもとに戻れたとしても、どうやって戦えばいいのか?
でも、子供たちは忘れていました。今までだって、いつも初めての体験ばかりだったことを。乗り越えてこられたことを。冒険をともに乗り越えてきた友が、仲間が、そして何よりデジモンたちがいつも側にいてくれたから、それができたのだということを。だから、このままじゃ終われない!
太一たちが勇気をとりもどしたとき、破壊されたはずの紋章のかがやきが胸に直接もどってきました。紋章とは心の現れ。子供たちの心に光と希望が消えないかぎり琢き抜いた知識も、獅子の純真も、柔らかい誠実も、暖かな愛情も、激しい友情も、何者をも越える勇気もまた、絶えることがないのです。
一人の紋章は皆のため、皆の紋章は一人のため。
かくして子供たちは死の淵から、無の使者の目の前にもどってきたのでした。
「おまえの思い通りにはならないぞ!」
★全体印象
53話です。あと2回。
影絵がアポカリモンなので、タイトルコールが51話と同じ大塚周夫さんになってます。
正直、アポカリモンやら何やら語ろうと思うと山ほど出てくるんですが、大半が本編とあんまり関係ない推論になってしまうので抑えぎみにいくこととします。ただそうなると、書くことに困ってしまいそうなのも事実。何しろ後半部分を構成する回想シーンの嵐は一年間の結実そのものであり(本来、これこそが回想シーンの効果的活用法ですよね)、今さらここでまたなにかを語ろうとしても纏めみたいな書き方になるのは明白だからです。それでなくたって、今までもさんざ同じような事を同じように書いてきているので、辟易してる人もおられるでしょうし。
ともあれ、この回はほんとうに印象ぶかいエピソードでした。
突然出てきた最後の敵の、短い出番をまったく感じさせない無気味なまでに強烈な存在感もさることながら、後半部分の流れにはやはり感動を禁じ得ません。バラしてしまいますが、初見だと空とピヨモンのあたりでもうボロボロ泣いていました。あそこでアコースティックバージョン流すの反則。今はさすがにもう何度も見ているためそこそこ平気ですが、それでもやっぱりキますね。こういうのは一度はまっちゃうとなかなか。
思えば98、99年前後の私は今よりイキがっていて、醒めたヤツを気取るわりに間合いってものを読めない小僧でした。
薄っぺらにくれてやる涙なんぞ一滴もないと思っていたし、世の中の娯楽全部がなかばそういう風に見えていたのかもしれません。
でもデジアドや前後のいろんな名作に出会えて、泣きたいときは泣いていいと思えるようになったんですね。
どんなに安っぽくても、他人から見てバカみたいでも、本心からならきっと間違いじゃないって。
泣いても誰も咎めないというときに泣かないなんて、たぶん贅沢なことなんです。
まあ私のことはこのぐらいにして…。
アポカリモンの存在といい、先代の存在といい、土壇場だけに大河ドラマな雰囲気がぐっと出てきたお話でもありましたね。
先代の子供たちがどんな風だったのか、想像してみるのもまた一興でしょう。
そういえば構成メンバーが似てることから、フロンティアがそうじゃないかと言われてた時期もあったなあ。
絵は後半がほぼ諏訪作画でした。おかげで感動のシーンがより綺麗に盛り上がってくれています。
02の27話でも後半の回想場面だけあからさまに諏訪作画だったことがあって、あまりのギャップにニヤニヤしましたっけ。
イヤな大人になったもんです、私も(^^;)
★各キャラ&みどころ
・太一とアグモン
アグモンとのやり取りで見せたイタズラな笑顔、あれが太一本来の顔なんだなあとあらためて実感しました。
そういえば、ダークマスターズ篇では久しくのぞかせなかった表情です。
極限まで分解されたことが、実はより素の状態にもどる作用をうながしたんでしょうか?
じゃあかえって逆効果だったってことですね。
もう彼らは紋章というものがどこから来たのか、気づきかけていたんですから。
・ 空とピヨモン
今回のような展開はそれぞれのメインキャラに実績があればあるほど高い効果があるものなのですが、その点デジアドはじゅうぶん合格点だといえます。空は個性ゆたかな仲間にかこまれて主張をおさえがちなところがありましたけど、逆にそれを持ち味にしていたという好例。
ピヨモンはそんな空のことを誰より純粋に評価し、ためらいなく愛していました。はじめは戸惑っていた空も、いつしか素直に受け入れています。
紋章やデジヴァイスは単に進化の道具じゃなくて、本来かたちの無いものに道筋をつけてくれる目印だったのでしょう。
ひとりではなくふたりで、皆で強くなっていく。人が生きていくうえでも大事なことですね。
・ヤマトとガブモン
孤立しがちでも孤独を求めていたわけじゃなく、ただ皆の友情を受けるにふさわしい男になりたかっただけ。
今のタケルぐらいの年で別れを経験した彼にとっては、もしかすると誰かを受け入れるのが恐ろしかったのかもしれません。親しくなるということはそれだけ、別れがつらくなるということですから。切っても切れない肉親のタケルだけは、だから決して離したくなかった。
君の姿は僕に似ている。シャイでちょっと無口で、でも話してみるととてもいいヤツなガブモンは、思えばヤマトそのままでした。
キャラとしては、ヤマトのほうがガブモンに合わせて作られたはずですから当たり前かもしれませんけど。
(これは、02以降の子供たちと大きく違う点。例外はヒカリぐらいでしょう)
ガブモンを通じて、ヤマトは自分が思っていたよりずっと多くの友情にかこまれていると気づきました。
もっとも根源的なところで分かりあっている友なら、言葉がいらないのでしょう。
「そもそも友とは何かを語るものかね?」
「一夢庵風流記」における前田慶次郎のセリフです。けだし名言。
・光子郎とテントモン
硬質な演技と感情を隠した言葉づかい、年齢にしては出来すぎなほどの知識と技術力。
にもかかわらず、背が低くてあどけなさが先に立つ彼には、テントモンがパートナーとして絶妙な嵌まり具合だったと今でも思います。硬質で表情が解りづらいのに、なんだか可愛らしいという点においてベストマッチでしたから。いかなる状況でも自分を保っているところも共通してます。
もう少し言えば、彼らはふたりだけでも万能の冒険スキルを身につけられる素質があると同時に、どんな相手と組んでも実力を発揮できるし、相手にも発揮させることができるコンビ。パソコン少年である光子郎からは真逆のイメージを受ける現象ですが、これはやはりテントモンがキャラとしてたいへん使いでがあるからでしょう。02でやたら出番が多かったのも、あの独特の当たりと成長期随一の飛行能力によるところが大きいです。
そう考えると、テントモンは光子郎が本来出せる強みをちがう形で最大限発揮しているんですね。
誰とでも会話が成立するフレンドリーで柔軟な態度と能力の汎用性は、光子郎がめざすべきもの……翻って、伸ばせる素質を指しているんですよ。
まあコジツケですが。
・ミミとパルモン
複雑な家庭環境とは太一以上に無縁で、だからこそ誰より純粋な気持ちでデジモンワールドを見ていた彼女。
パルモンは戦闘こそあまり得意じゃありませんが、いっしょに笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだり、いつでもミミと気持ちを分けあっていました。
いまでは姉妹と言うか双子みたいに見えます。むしろ、愛らしさが最大の武器の普通の女の子と戦闘不得意な植物デジモンの双子コンビなんて、この01ぐらいでしか見られません。最終話といい、彼女たちもまたある側面においてのヒロインだったのです。
匹敵するのは、ケンタとマリンエンジェモンの組み合わせくらいでしょうか。出番が少ないという致命的弱点がありますが…。
・タケルとパタモン
戦わなきゃ守れない希望(もの)があるから──。
パタモンとの冒険を通してタケルが覚えたのは、戦うことの大切さでした。
もちろん気に入らない相手にケンカを売るなんて意味じゃなく、現実や目の前の問題といった目に見えないものへ立ち向かう意志を示してると思います。
ひいては闇とか停滞とか諦観とか、そういうものにも関わってくるんですがそれは別の話。
「きっと希望と絶望は、背中合わせなんですよ」
そんなことを言ってた老婦人のことを思いだしました。
そう、どんなに絶望と怨みをたたきつけられたって終われないのです。だって彼らには帰るところが、待っている人が、
そして明日があるのですから。
・丈とゴマモン
いつも誰かの立場に立ち、皆を信じ続けて今やれるだけのことをやる。彼が見つけた道です。
本質的にはたいへん空に近いところにいたのですが、パートナーは得意フィールドがまるっきり逆。なんだか面白いですね。
空が名前のとおりのイメージなら、丈は度量の深い海ってところなのでしょうか。
丈夫という男への褒め言葉もあるし、海は男の世界。
まさに男飛沫です。
でも丈にはそんな海の上で、気負わずのんびりと旅を楽しむのが似合っています。
お気楽で自由気ままなくせに周りをするどく見ているゴマモンは、キャラクターブックのコメントにもあった通り、丈がなりたいと思っていた自分を示しているし、ずっと示し続けていたんですよね。本当、パートナーとの関係性がよく出来ています。
・ヒカリとテイルモン
実のところ、01における彼女は存在感こそあったものの、内面を見せていません。
48話などで太一が語る場面こそありましたがあれは太一から見たヒカリであって、厳密には彼女そのものじゃありませんし。
彼女が成長らしきものを見せるのは、事実上02のみとなります。
でもその分、テイルモンが頑張ってくれたので良しとするべきでしょう。
思えばテイルモンにとり、ヒカリって名前のとおりに光そのものを象徴する存在なんですよね。
希望をつかさどる力で進化するパタモンと相性がいいのは、こうした過去も大きく関係しているはずです。
・アポカリモン
出てきて早々電波な演説を始めて襲いかかってくるという、冷静に見るとたいへん唐突で身勝手なラスボス。
進化の過程で滅亡うんぬんという高説も、やけに突然ではあります。初見ではわりとそう感じました。
でもこの「進化」という言葉、この作品においては必ずしも生物学的な意味ではありません。
ぶっちゃけて言えば「前に進む意志とその結果」と言い換えて過言じゃないでしょう。そもそもデジモンの進化自体、とうてい既存の生物学にあてはまるものではないので便宜上、もっとも都合の良い言葉としてアテられているにすぎないと思います。だから重要なのは言葉遊びよりも、こめられた本質──前に進み続ける者と途中で斃れ、背中を呪いの視線で睨む者との確執──にあるのでしょう。
闇というものは誰が決めたわけでもなく停滞や退歩、逃避、拒絶をイメージとして確立してきました。
そして、デジアド世界の闇の住人たちもまさにそのイメージにしたがって行動していたといえます。彼らはデジモンワールドの住人に絶望を突きつけ、戦っても無駄だと皆が知って生きる世界を作ろうとしていました。ですが、そこに恐らく進歩はありません。あるのは腐敗と停滞、永遠の隷属だけです。
…個人的なことをいえば、だから永遠という言葉にもあんまりいいイメージがないんですよね。変わらないものなんてこの世にはないのだし、永遠を手にするということはそれまでの全ての痛みを捨て、忘れることとイコールだと思っているので。たぶんそいつはもう、人じゃなくなっています。
…そうか、だから永遠の世界はこの世ならざるものなのか。
閑話休題。さて、
アポカリモンはその存在そのものが正しくデジアド世界に影を落としています。
でも光あるところに影があるように、人生を謳歌している誰かの影で、誰かが泣いたり時には死んでいくのも事実。
しかし逆にいえば、世の中決して絶望ばかりじゃないのもまた確かなのです。
光と影がコインのオモテ裏というのはきっとそういうことで、
光だけでも影だけでも、世界はリアルじゃありません。
だって、光ばかりでも影ばかりでもデッサンが取れないじゃありませんか。
アポカリモンは不吉な存在ではありますが、彼らのような存在があるからこそ子供たちもより輝くことができるのでしょう。
より濃く恐ろしい影は、なにげない薄明かりをも際立たせるものです。
★名(迷)セリフ
「ぼくたちの前にも、選ばれし子供がいたのか!」(丈)
いやはや、ラスト間際でいきなりとんでもない設定が出てきました。
でも言われてみれば、古代境に碑文が残っていたのですからいても不思議じゃなかったんですよね。
シルエットで見ると、どうやら五年生くらいが三人、三年生ぐらいの子が二人いるようですね。
年長組のパートナーは左からアグモン、ピヨモン、ガブモン。年少組は左からパタモン、テントモン。
小説版では彼らのパートナーこそが四聖獣の根源だという話でしたが、これだとどうも一致しない気がします。シェンウーモンにあたる者がいない。
で、人数の一致とパタモン以外の構成がよく似ていることからフロンティアの五人がもしかして? と言われてた時期もあったみたいです。
実際は輝一が入るので完全にズレるんですが。
いつかこの五人の冒険も映像化されるときがくるのでしょうか?
80年代の設定になったりして。
「クククク……ハハハハハ。私を醜いと思うか? ……そうだろう。お前たちはそう思うだろう。
しょせん、われわれは進化の過程でその行く手を阻まれた者……」(アポカリモン)
面と向かっての第一声がいきなりこれ。彼らは何もかもが憎悪の対象のようです。
醜い自分たちも、その醜さを自覚しながら誰かを恨むことしかできなかった弱い自分たちの心さえも。
「…進化の過程の中では、消えていく種があるのも仕方のないことです。
やはり環境に順応できずに…」(光子郎)
「黙れ! 仕方がない? その一言ですべてを死なせる気か!
貴様は我々が生き残る資格のない者だと決めつけるのか? ……そう、われわれはデジモンの進化の過程で消えていった種の、
その悲しい、恨めしい無念の思いの蓄積だ!
…選ばれし子供たちよ。そしてそのデジモンたちよ。我々はお前たちと出会えるのを楽しみにしていたのだ。
いいか。我々が冷たく悲しく、闇から闇へと葬られていくとき…その片方で、光の中で楽しく笑いながら時を過ごしていくお前たちがいる。
何故だ!! われわれが何をしたと言うのだ! なぜお前たちが笑い、われわれが泣かなければならないのだ!?
われわれにだって涙もあれば、感情もあるのに……なんの権利があって、われわれの命はこの世界から葬りさられていかねばならない!!
生きたかった! 生き残って友情を、正義を、愛を語り……この躯を世界のために役立てたかったのだ…!
われわれは、この世界にとって必要がないと言うのか!? 無意味だというのか!!
……この世界はわれわれが支配する。われわれの場所を確立するのだ…邪魔する者にはすべて消えてもらう。
ククハハハハハハ…
光あるところに呪いあれ!!!」(アポカリモン)
たぶん抜粋した中で最長のセリフです。あんまり長いので受け答えはカット。
大塚周夫氏の呪われそうな声(褒め言葉)と熱演もあって異様に印象的。最後の一文には凄まじい怨念を感じます。
このアポカリモンとピエモンの声が同じだったという事実は、とても興味深いものでしょう。単に使い回しではなく、なにか意味があるはずです。
普通に考えれば、ピエモンこそアポカリモンの影響をもっとも強く受けその意志に忠実に動いていた台本どおりの道化であり、端末だと思うんですが……。
心臓原種とパリアッチョみたいな関係ですね。…って、パリアッチョもまんまピエロじゃないですか。
「こんなこと、今までなかった…自分のデータを分解されてしまった時の対処なんて、誰にもわかりません…!」(光子郎)
「ほんなら光子郎はんは、今までの戦いでどーやったら勝てるか、いつも分かってはったんでっか?」(テントモン)
「そうさ、冒険はいつでも初めてのことばかり!」(ガブモン)
「こういう時はこうしたらなんて、いつだって知らなかったじゃないか!」(ゴマモン)
特にココロに残ったのは、テントモンのへろりと流した一言ですかね。
「そうだ、いつだって……このデジモンワールドのことは、なにも知らなかった。次から次へと、心臓が止まるようなことばかり…」(丈)
「でも丈がいて、仲間がいて、みんなで一緒に切り抜けてきたよ♪」(ゴマモン)
「そう…はじめはこんな所、早く逃げ出したいとばっかり思ってたけど…おかげで、受験勉強してるだけだったら気がつかないことを、
たくさん経験したよ…!」(丈)
このへんからアコースティックモード突入。だからそれ反則。
丈らしいコメントであると同時に、締めを感じさせるセリフです。もうすぐ最終回ですから。
「イヤなことも、泣きたいことも、たくさんあったけど…」(ミミ)
「アタシと友だちになれて、よかった?」(パルモン)
「…うん。みんなと出会えて、あたし、強くなったと思う!」(ミミ)
この子はもともと強かったと思います。
それをより良い方向に向けるという意味では、さらに強くなったといえるでしょうけど。
「タケルに会うまでは、ボク、進化なんてしなくてもいいと思ってた。でも…」(パタモン)
「…ボクもね、パタモンに会ってから戦うことも大切なんだって、わかったような気がするよ!」(タケル)
戦いをやめて後ろを向けば、絶望が手をまねく。
そして戦いとは広義でいえば誰かを傷つけることとイコールではなく、自分自身との対決をも意味するものです。
02で彼の環境が大きく変わったのは東京篇の事件も原因でしょうが、彼が耳をふさぎ黙るのをやめ、
肉親のそばで暮らしたいと強く主張をはじめたおかげかもしれません。
「空はいつでも、みんなのことを考えていてくれたね」(ピヨモン)
「ピヨモン…」(空)
「みんなもそんな空のこと、いつも大好きだったよ!」(ピヨモン)
私はどうも「大好き」という言葉に弱いようです。愛よりももっとココロに沁みるというか。
そんな「大好き」をここぞという時に使うピヨモンは、とても少ない言葉で愛情を教えてくれる存在でした。
まあ、愛情なんてあれこれ語るもんじゃないし。
「光子郎はん。光子郎はんがいてくれはったおかげで、いろいろ勉強できましたわ。
まあ光子郎はん、コンピュータに向かってるとほかに目がいかへんようになるのが玉に瑕ですけどな」(テントモン)
「テントモン…」(光子郎)
「でもそれがまた、光子郎はんのええところですわ」(テントモン)
しゃべってるのがテントモンばかり。この二人らしい。内容が微妙にずれてるし。
最終話にもう一度、とてもいい場面があるのでそこにも注目です。
「ヤマト……」(ガブモン)
「…何も言わなくていい。わかってるよ」(ヤマト)
たしかにこの二人に関していえば、いまさら言葉はいらないでしょう。
そのわりに回想に出てくるのが丈ばっかりというのは微妙な気分にさせられますが、でもそれがまた、この二人っぽい。
「ねえ太一! ぼくと太一がいっしょにいたら、無敵だろ!」(アグモン)
「当然だぜ!!」(太一)
そうそう、この二人ってこういうノリでしたね。
でもこの言葉が決して根拠なしのたわ言じゃないというのは、今までの積み重ねで伝わってきます。
なんとなくVテイマー01っぽいかも。
「今ここで斃れるわけにはいかない…。それでは、何のためにヒカリを探しつづけたのか…」(テイルモン)
「テイルモン」(ヒカリ)
「ヒカリに出会うため、ヒカリを守るため、ずっとその日が来るのを待っていたのだから…!」(テイルモン)
求め続けてようやく掴めた光、それがテイルモンにとってのヒカリです。
だけどきっとヒカリにとってもテイルモンは、やっと出会えた自分のデジモンで…まあ、両想い。安定してますよね。
ヒカリがブレてもテイルモンがドッシリしてるから、バランスは崩れません。
「もしも、テイルモンと出会わなかったら…」(ヒカリ)
「デジモンワールドに来なかったら…」(丈)
「みんなと一緒に、旅をしなかったら…」(ミミ)
「僕たちは、いまの僕たちじゃなかった…」(光子郎)
「そうだ、いつだってデジモンがいてくれたから…!」(ヤマト)
「仲間がいてくれたから…!」(タケル)
「助け合う大切さを知ったから!」(空)
「オレたちは、自分らしくいられたんだ!」(太一)
つらいこと、苦しいこと、逃げ出したいこと。全部乗り越えていくからこそ、人は前に進めるのです。
それができる彼らだからこそ、今ここにいる。
きっと親御さんたちも、そうだったんです。そして、今も戦っているんでしょう…大人なりの戦いかたで。
「いや、違う…おれの中の紋章が勝手に輝いたんじゃない!
みんなの友情がおれの中に集まって、その力でおれの紋章が輝いたんだ!」(ヤマト)
「一人の紋章はみんなのために。みんなの紋章は、ひとりのために…!」(太一)
これ、ヤマトが言うから意味があるんですよね。誰よりも悩みぬいたヤマトだからこそ。
力とは己のうちから湧き出てくるものじゃなく、外からもらうもの。そんなセリフが「陰陽大戦記」にも出てきますが、
意味あいとしては遠くないと思います。人は決して一人だけで生きているわけじゃないので。
その当たり前のことを忘れ、自分ひとりだけで生きていけると勘違いした人物は、どんなにでかいことをしても結局は薄っぺらということ。
人とのかかわりを誰より大切にし、それがゆえに悩む外見と真逆の熱い男だったヤマトは、やっぱり友情の紋章を持つ者だったのです。
台詞の途中ですべてを理解したように微笑む両隣の太一と丈がまた、良い味を出してますね。
「わたしの中の光は、みんなのために!」(ヒカリ)
「みんなの希望が、ボクの希望!」(タケル)
紋章の灯ったのが最初だったり、進化がトップバッターだったりといろいろ象徴的な二人。
わたしの中の光だなんて、なんとも巫女体質なことを言ってくれます。
もちろんトリが太一というのも、大きな意味があります。
「お前の思い通りにはならないぞ!」(太一)
ラストシーン。こういう台詞は太一によくはまります。まあ海老沢原画ですが。
★次回予告
さて…。