デジモンアドベンチャー
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脚本:吉田玲子 監督:細田守 作画監督:山下高明 |
★あらすじ
数年前のある夜、練馬区光が丘。
幼い兄妹、太一とヒカリが暮らす家のパソコンから突然謎のタマゴが現れました。
タマゴは翌朝に孵化を果たし、奇妙な生物が誕生。生き物はコロモンと名乗り、言葉をあやつって兄妹と交流します。
しかし、やがてコロモンはさらなる変化を果たして見上げるような大きさになり、太一たちのマンションから飛び出していってしまいました。
その背には、ヒカリが乗ったまま。太一は両親にわけを話すヒマもなく、ふたりを追って夜の街へ走っていきます。
本能のまま行動しているように見えるコロモンには、ヒカリの言葉も届きません。反射的とも取れる攻撃行動が被害を広げようとしたとき、新たな存在が。
空から現れたそれは、鳥のような怪物でした。ものすごく大きい。
ヒカリの制止もむなしく、戦いはじめるコロモン。そこへやっと太一も追いつきますが、鳥のはなった雷がビルを崩し、3人は瓦礫の下敷きに──
いや、無事でした。さらに巨大な恐竜のようになったコロモンが、その体躯で太一とヒカリを庇う形になったのです。
大地を揺るがし、二体のモンスターの凄まじい戦いがはじまりました。
が、傷つけられて攻撃性を高めた敵が再度雷を放ち、コロモンは倒れ伏してしまいます。絶体絶命のなか、必死に呼びかける兄妹。
コロモンはその声に応えるようにふたたび立ち上がり、目もくらむばかりの炎を撃ちだしました。怪物たちの姿もまた、蒼炎の光の中へ消えて行きます。
兄妹が気がついたときにはもう、二体の姿はどこにもなくなっていたのです。そこにいたという痕跡すらも。
早すぎる出会いでした。
あれはまだ──現実の世界で、会ってはならぬモンスターでした。
そう、だから。
だから今、太一は「ここ」にいる──
★全体感想
というわけで、デジアド劇場版です。
上映はなんと1999年の春。もうすぐ十年になってしまいます。十年か……
そのときはまだデジモンに嵌まってなかったので、ただひとつ劇場で見ていないデジモン映画でもあります。あのころの自分を殴りたい。
監督は細田守氏。いまさら語るのも野暮な名監督ですが、名前を知ったのはこれが最初でした。そして、その最初から頭に刻まれています。
おかげで関わってる作品の大半を押さえていたり。漏れも結構あるんですけどね。鬼太郎(四期)とか。
いちばん最近の作品はご存知「時をかける少女」ですね。次回作は2009年公開予定だとか。
作画監督は、その細田氏の師匠的存在といわれる山下高明氏。TVシリーズにもごくまれに参加してた人です。
いわゆる超絶技巧アニメーターのひとりで、これスゲーと思ったアニメにはかなりの確率で名前を確認できるほどの方。
それだけに、テイマーズ以降の参加が確認できないのは残念なところなのですが。
他にも増永計介氏や崔ふみひで氏、坂崎忠氏、相沢昌弘氏など選りすぐりの顔ぶれがずらり並んでいます。劇場版だからとはいえ、
いかに力の入った一編であるかよくわかるラインナップといえるかもしれません。
ちなみにキャラデザインはテレビ版と同じ中嶋勝祥氏ですが、どこか丸っこいところの残る同氏のキャラ表に対し
本編のキャラは影が無く、動きを重視した崩し気味のものになっています。特に手の大きさがぜんぜん違う。
ひと目で劇場版だとわかる仕様なんですね。テレビ版と映画版でここまで絵柄が違う作品を、私は他にあまり知りません。
またこの映画はテレビ版のパイロットともいえるもので、そのためかモンスターたちの描写が他のどれよりも
怪物然としたものになっています。雰囲気などとあわせ、あらゆるデジモン作品の中でもっともモンスター物っぽい。
テイマーズなどはもろにこれを踏襲してるように見えますね。デュークモンが出てくる後半からはだいぶ薄れますけれど。
とまあ、通り一遍を並べてはみたものの正直を言えば、これとウォーゲームの感想を書くつもりはあまりなかったのです。
すでに方々で語り尽くされてますし、ムックや絵コンテまで出てるぐらいだから、今さら私が語ることもないだろうと。
やろうと決めたのは要望が多くていい気になったプラス、せっかくだから穴を全部埋めたいと思った気持ちからです。
「逆襲」までやればあとは欠落したテイマーズ30話を埋めるだけですから、それで感想一覧が完成することになる。
内容はどうあれ、やり遂げることには意味があると思ったのかもしれません。
とはいえ、いささか戸惑ってるのも事実で。
思い入れが強すぎて、高く評価しすぎていて、言葉では伝えられないと知っているからでしょうか。
そう、好きすぎるものを誰かにうまく伝えるのは難しいと思うのです。吐露することはできても、それは伝達になりきれない。
ましてや、こんなに期間が過ぎているとデジモン好きの方々はほとんど見てしまって、自分なりの感想を持っているかもしれない。
言葉はいらない見ろと言ったって、もう見てるよと言われればそれまでなんですね。
それでもこうしてキーボードを叩くのは、自分なりの纏めなのだと思います。
踏まえた上で、よしなにお付き合いください。
★各キャラ&みどころ
・太一
ご存知、デジモンアニメ最初の主人公です。舞台設定が1995年ということなので、この時点では七歳ぐらいでしょうか。
そうするとヒカリは三歳ぐらいということになるので、主人公としてはかなり幼いほうといえます。
が、既にこの頃から相当しっかり者で、大抵のことができます。料理から電話の受け答えまでひと通りこなしてますし、
やはり要領がいい子ってことなんでしょうね。だからこそ、お母さんも安心してまかせることができるのでしょう。
TVシリーズではその過信が大変な事態をまねいてしまった経緯も描かれてますが、それは別の話。
ムックなどに書かれてるとおり、彼は兄としてある程度大人に近い視点からコロモンという異物を見つめる役割です。
でも最終的には一瞬ながらヒカリと同じか、それ以上にコロモンへ接したように見えることから、
やはり「そういう」素養があったのでしょう。もっとも、この時点でのことは忘れてしまってたようですが。
必要とあれば一点突破で突っ走る行動力も、この頃から健在。
危険をかえりみず二大モンスターの間に飛び込み、ヒカリを連れ戻そうとするあたりは並大抵じゃありません。
まあ怖いもの知らずというか、無我夢中で怖がってるどころじゃなかったのかもしれませんが。
泣き出したのも、コロモンが倒れてからのことですし。
全体的にみて、より幼いとはいえTVシリーズとの大きな差異は認められません。
声を演じる藤田淑子さんの演技がだいぶ違いますが、これはまあ当然。
というか、TVシリーズの性格じたいがこの劇場版を下敷きにしているものと捉えるべきなのでしょうね。
唯一にして最大の相違点を挙げるとするなら、一人称が「ぼく」な事でしょうか。
・ヒカリ
太一の妹。「Vテイマー01」には出てこないので、血縁としてはアニメオリジナルの存在といえます。
ただし同作品では太一の家族構成が祖父以外まったく明かされていないので「実はいました」となっても不思議ではありません。
上で挙げたとおり、年齢はあらゆるデジモン作品の中で最年少の三歳。これより幼いと意思の疎通そのものが困難になるので、
事実上の下限といえます。それでも幼すぎますから、太一のようなより年かさのフォローがどうしても必要。
物語前半では言葉より、お馴染みのホイッスルで意志を表現することが多かったですし。
劇中において最初にコロモンと仲良くなったのは、このヒカリでした。
TVシリーズでは本人の資質によるところが強い描写ですが、この映画にかぎっては幼さゆえのプリミティブな感性で
常識に縛られることなく、素直にデジモンという存在を受け入れられたと見たほうがいいようです。
ただそれは自分と目線が近い幼年期までで、成長期以降になってからはどんどん距離が開いていっています。
受け入れられないというより、自分を置いて変わっていくコロモンについていききれず、混乱したのかもしれません。
どんなに変わってもコロモンはコロモンだと認識するには小さすぎた、というべきか。
テイマーズのタカトがぱっと見似たような葛藤を持ってましたが、同列視するのはだいぶ無理があるかな。
コロモンの意識はちゃんとあるのではないか──そう感じ取る役は、最後で太一にバトンタッチしていました。
ただそれも太一や視聴者が勝手に感じただけで、コロモンがそう言ったわけではありません。
細田監督としては、そういう直接的な描写をしたくなかったようです。
・ボタモン→コロモン→アグモン→グレイモン
三人目の主役。
劇中では一貫してコロモンと呼ばれているので、ここでも単に彼を指すときは「コロモン」と呼びます。
人畜無害だけど動物そのものなボタモンから、言葉をあやつり人間と意思疎通ができるコロモン、本能のままに行動するアグモン、
そして瞳にハッキリ知性を宿しながらも、最後までその意志を明らかにしなかったグレイモンと、短い間にどんどん進化していきました。
そのわけの分からなさは異質そのもので、TVシリーズやウォーゲームのアグモンにくらべたら、ディアボロモンのほうがまだ近いぐらい。
そしてそれゆえに、他のあらゆるメディアを圧して異様な存在感のある主役デジモンといえるでしょう。
いえ、異端とすら言っていいかもしれません。デジモンをこれほどまでに怪物として描いてみせた作品は、ほかに存在しないからです。
後年の映画にもディスコミュニケーションゆえの焦燥や恐怖はありましたが、それはあくまで敵デジモンにかぎられたもの。
おまけにテイマーズ以降はむしろステレオタイプな悪役へシフトしていくので、ぶっちゃけ普通の活劇へ近づいています。
「デジモンはモンスターである。たとえ人間の味方だとしても、それは変わらない」
この姿勢をかほど徹底的に体現している存在は後にも先にも、このコロモンだけなのです。まさにオンリーワン。
だからこそ、ひと目見たら忘れられない強烈なインパクトを残してくれたのでしょう。
それにつけても、グレイモンへ進化してからの圧倒的な強さときたらどうでしょう。
相手は仮にも完全体のパロットモンだというのに、終止引けを取っていません。格闘戦でもほぼ五分と五分。
最後は押し負けていたものの、能力的にそれほど格差があるようには見えません。相性の問題もあるのでしょうけど。
吐き出す炎に至ってはもはや、どう見ても成熟期レベルではありません。
TV版とは吐き出し方も、その勢いもくらべもんにならんものがあります。色が蒼いので、熱量も桁違いでしょう。
後年ジオグレイモンがきめ技として使っていた「メガバースト」がわずかに近いぐらいでしょうか。
というわけで、現在に至ってもこれを越えるグレイモンは見当たりません。
スタッフがあとの事を考えずに目いっぱいの表現をしたためでしょう、従来の設定以上に強く見えるのです。
実績だけなら「デジモンネクスト」のジオグレイモンも同等のものを挙げてますが、あれはそういう設定ですし。
ともあれ存在感、重量感、そしてモンスター感と、まさにデジモン・ザ・デジモンといえる個体でした。
上で書いたとおり、単発だからできたことだったのでしょう。TVとリンクしたのは後になってからですし。
「テイマーズ」構成の小中千昭氏は、この映画のグレイモンへリスペクトを抱いているように見えます。
ゆえにギルモンの中へもできうる範囲で異質感を入れようとしてましたが、皮肉にもデジモンの擬人化はより助長されることになりました。
マトリックスエボリューションやフロンティアは言うに及ばず、セイバーズでもどちらかと言えば「異民族」だったように思います。
・パロットモン
コロモンを追うように姿を現した完全体の巨鳥型デジモン。名の通り、オウムに似た姿をしています。
この映画のための描き下ろしデジモンであり、デザインは中鶴氏。のちにTVシリーズにも登場しました。
鳥と称するにはあまりにも大き過ぎる翼がビル街を飛びすぎるさまは非日常そのもので、ゾクゾクと来るシーンです。
本体があの大きさですから、翼長は軽く30メートルはありそう。30メートルの鳥なんて、考えただけでもクラクラ来ます。
コロモン=グレイモンとの対決はまさにゴジラ対ラドン、陸と空の大怪獣対決ではありませんか。これで燃えるなという方が無理ってもの。
額を守るように一体化した金属的パーツと、トサカを媒介にした必殺技・ソニックデストロイヤーも実に怪獣的。
動から静、静から動へのメリハリが印象的な技ですが、炸裂すれば一撃で大橋を崩し、グレイモンの巨体をもぶっ飛ばしてしまいます。
見るかぎり、近距離で放たれたら躱すことすら困難でしょう。さすがは完全体、こちらも生半可な強さじゃない。
ただその分、距離を詰めての殴りあいは苦手なのかもしれません。成熟期のグレイモンと互角だったのは、そのせいもありそうな。
本格バトルの初手で、いきなり飛行というアドバンテージを文字通りもぎ取られたのが効いてしまっています。
あれがなければ、もっと有利に戦いを進めることができたかもしれません。
さて、劇中でもその後のTVシリーズにおいても何故あそこに現れ、どうしてコロモンと敵対したのかは明かされていません。
上に書いたように追ってきたのか、連れ戻す任務を帯びていたのか、それともたんなる偶然、はたまた本能なのか……
監督としてはそれら全部が当てはまるか、どれかがアタリか、いろいろ受け取れるように描いてると思います。
コロモンと同じく「こういうヤツだ」と型に填めてしまうことを嫌ったのでしょう。
少なくともゲンナイさんたちがこの事件に便乗して、太一ふくめ選ばれし子供たちに当たりをつけたことだけは確かです。
これがファーストコンタクトじゃないことも確かなのですが、前の子供たちはどんな経緯でデジモンたちと会ったのでしょう。
・太一の両親
演出意図から、一度も顔が出てこないお二人です。
そもそも大人はこの人たちぐらいなので、主役が子供たちであるという世界観をより一層強調する役割なんですね。
太一とヒカリが絵柄はともかく、トータルイメージでTVシリーズと気になるほどの差異がないのに対し、
こちらはまるで別人のようです。十歳は年配に見えますし、声も違う。お父さんに至っては体型も違ううえ、眼鏡をしてます。
性格もちがって見えますね。お父さんは酔っていたので差し引くとしても、お母さんがTVシリーズよりやや神経質っぽい。
そのせいか、夫婦仲もTV版ほど良好ではないように見えてしまいます。
まあ、TVシリーズやウォーゲームのお母さんがマイペースすぎるのかもしれませんが……
太一がヒカリたちを追っていった後は、いっさい登場しません。
出てこられても意味がないので、事実上そこで物語からフェードアウトしています。
太一たちが戻ったときはどんな反応を取ったのやら。部屋があんなになってたわけだし、怒るどころじゃなさそうだけれど。
なおお父さんを演じていたのは石丸博也さん(『マジンガーZ』兜甲児役など)で、お母さんは榊原良子さん(『Zガンダム』
ハマーン・カーン役など)です。ありえねーほど豪華。
・ミーコ
八神家の飼い猫。ヒカリや太一と同じく、この劇場版がシリーズ初登場となるキャラ(?)です。
もちろんTVシリーズにも登場しますが21話には出てこない(どこかへ散歩にでも行っていた?)ため、31話が再登場。
その後「ウォーゲーム」にも出演し、端々で愛嬌をふりまいていました。
そのウォーゲームではかなり可愛らしくデフォルメされてましたが、この映画では意外に鋭い目つきをしています。
ごはんを横取りした格好になるコロモンをさんざんに追いかけまわしたり、ネコらしく生意気なところも見せていますね。
エサ皿を回収していく姿はまるで凱旋していく勇士のようでした。
ところで前にもどっかで書いた気がしますが、02にはぜんぜん出てこなかったりします。どこ行ったんだろう。
まあ八神家じたいが意外と露出しないので、単に省かれてるのかもしれませんが……
・団地の子供たち
デジモン同士のたたかいを一部始終目撃していた子供たちです。
空や光子郎、丈、ミミ、それにヤマトとタケルらしき姿も見受けられ、TV版とのリンクを容易に感じ取ることができます。
さすがに声こそ違うものの、手元のコンテ集にハッキリ「空」「ヤマト」などと書いてあるので、設定はもうほぼ出来てたようですね。
その上で劇場版として短距離走的に纏め上げているというわけか。
逆にいえば、八神パパとママの設定はまだ劇場版のものしか無かったってことなんでしょうね。
いっぽう、姿は出ていながらも名無しの子供たちもいます。
双子の少年や眼鏡の少女、ポニーテールの少女などかなり多数。描かれてはいませんが、この子たちも後で何かあったかもしれません。
少年のひとりが持っていたポータブルMDプレーヤーや、丈の持ってたストレート型の携帯電話が時代を感じさせます。
今だったらさしずめiPodのような携帯デジタルプレーヤーや、ワンセグケータイあたりが映ったところでしょう。
・ボレロ
モーリス・ラヴェル作曲。この映画を象徴する音楽です。
もとはバレエ音楽だそうですが、広く愛されまくりで何かにつけバンバカ流されまくっています。つうかみんな使い過ぎ。
聞くたんびに思わず集中力をそっちへ振ってしまうじゃありませんか。
どんどん盛り上がっていくメロディーが次々と進化するデジモンにシンクロしているという評は、すでに使い古されたもの。
とはいえ、これ以上ないぐらい象徴的で嵌まっているのも事実なのです。なぜこの曲を選んだのか、ハッキリ感じられるところが凄い。
名曲にたよった起用が多い中、この映画では演出意図が先にあって、その上で使っている。意外と難しいことです。
バレエとしてのボレロも、はじめは皆の眼中になかった踊り子(異質な存在)がどんどん存在感を大きくしていき(進化)、
しまいには周りみんなを巻き込んで踊りだす(戦いと一体感)というふうに、この映画とどこか似たイメージを抱かせます。
まあ、表面的知識からの類推ですが。
・Butter-Fly
ラストで流れました。いきなりサビのアカペラから始まって、そのまま畳み掛けるようにサビだけでラストまでなだれこむ構成。
非常に思い切ったやり方です。曲によほどの自信がなければ、こんなことはできません。
いけるという確信があったのでしょう。それほどまでに自信に満ちあふれ、すんなり耳を支配してくれるバージョンでした。
心憎いのは、01のラストも同じバージョンで締めてくれたこと。
デジモンアドベンチャーの世界はButter-Flyによって始まり、Butter-Flyによって終わったことになります。
良い作品というのは曲もいいものだ。
・その他
細かいところを挙げてゆくときりがないので、これは書きたいと思ったところだけ抜き出します。
セル画とCG
「ウォーゲーム」以降と違い、この映画はまだ人物画・キャラ画にセルを使っているように見受けられます。
そのおかげか、実在感がさらに助長されているような。
八神家のパソコン
コロモンのデジタマが出てきたマシンです。
10年前当時のわりには省スペース型で液晶モニタなんですが、「ウォーゲーム」のときには普通のタワー型で、
太一にぶっ叩かせるためか、モニタもいつの間にやらCRTになってました。
現在のトレンドに近いのは今回の構成のほうですね。性能なら「ウォーゲーム」時のほうが間違いなく上でしょうけど。
画面からデジタマが出てくるさまは、往年のカナダ映画「ビデオドローム」を思い出させます。
上空の巨大デジタマ
「ウォーゲーム」や「ディアボロモンの逆襲」にも登場。おもに敵デジモンが姿をあらわす時に使われます。
この映画ではパロットモンが現れるときに出てきました。
実体があるわけではなさそうですが、とにかく巨大なのでおおぜいの目に止まっているはずです。
表題にあるとおりタマゴによく似た形をしていて、「ディア逆」では実際に「孵る」という表現も使われていましたが、
それにしては大きすぎます。しかも、出てくるのは完全体以上ばかり。
よって単なるデジタマというより、現実世界への受肉=リアライズや上位への進化と変異の象徴というべきなのかもしれません。
転じて卵だけでなく、繭も兼ねてるように思えます。と考えつくとそう見えてくるから不思議。
別の見かたをすると羽根をたたんだ天使のようでもあるんですが、聖なる存在が出てきたことはありません。
パロットモンに限れば邪悪とまではいえませんが。
デジモンの進化
TVシリーズや「ウォーゲーム」以降とはまったく異なり、進化シークエンスではいっさいエフェクトが出ません。
そのかわり凄い勢いで姿を変え、大きく重くなっていく過程が後半に描かれています。ただし布団のシーツにほぼ隠れてしまっていて、
中身がどうなっているのかわからないようになっていました。怖いことになってそう。
また、進化する時には周囲の電化製品が一時的に深刻な誤作動を起こします。のちの作品にも継承された要素ですね。
何かしらの強い電磁波でも出ているのでしょうか。ペースメーカー持ちの人は危ないな。
パロットモンが出てくるときも同じ現象が起きたので、デジモンやデジタルワールドに関わる激しい変化の余波といっていいでしょう。
またこの映画では特に描写されてませんが、普段からその手の波を出している可能性もあります。
TVシリーズではマンモンが周りの機器を狂わせたり、インペリアルドラモンを撮ろうとしたカメラが誤作動したり、
ただ動いてるだけでいろいろ波及してました。進化段階が上がるほど、範囲や強さが広がるのかもしれません。
物語中の段階でそうした影響を受けずに済む機器は、唯一デジヴァイスだけだったのです。
デジモン映画という演出
この映画は作画の美麗さもさることながら、やはり臨場感あふれる演出とそれと有機的に連動した脚本によって
単なるパイロット版では終わらない、独自の世界観を描くことに成功しています。
その巧みさについてあれこれ書けるほど詳しくはないし、上で述べたようにもはや書くことは何もありません。
言葉はいらない。素人目からみても、この域に達している作品は数えるほどしかないのです。
それじゃ話が終わってしまうのでもうちょっと書くと、監督はデジモンを描く際、「言葉」にはあまり頼りたくようです。
端的な例をあげれば必殺技を撃つ時、その名前を叫ばせたりはしません。アグモンの場合、ベビーフレイムとは叫ばずに
ただ火炎弾を撃ちだすだけ。これはTV版との大きな相違です。
「ウォーゲーム」にもこの姿勢は受け継がれており、TV版準拠となったにもかかわらず技名をしゃべりません。
尺や演出のリズム上、思い切って取っ払ってしまってる要素なのでしょうね。見りゃわかるよね? という。
極めつけがオメガモンの戦闘シーンですけど、このへんは「ウォーゲーム」感想に取っておきましょうか。
こうした手法は監督が変わったあとも踏襲されましたが、ガラッと変わったのはテイマーズから。
小中氏が目指した(と思われる)怪獣的なデジモンからは、やはり遠のいていってます。
フロンティアあたりになると既にほとんどビックリマンでした。セイバーズはというと、あれはむしろロボットアニメですし、
モンスター的、怪獣的という側面からみるとなかなか難しい気がしてきますね。
それでも敵デジモンは無口なことが多いのですが、「冒険者たちの戦い」でペラペラ喋りだしたメフィスモンに
軽く落胆したのはよく憶えてます。やっぱり言葉を弄すると人に近くなるぶん、脅威が薄れるのかもしれません。
「仮面ライダークウガ」のグロンギも、たまに何を考えてるのか全くわからなくなるのが怖さにつながってましたっけ。
だからといってデ・リーパーほど無味乾燥でも、ちょっと困るわけで……さじ加減ってものが難しいのでしょうね。
まあデ・リーパーの場合、唯一人語をあやつった個体がアレなんでいろいろとナニなんですが。
★名(迷)セリフ
「ウソだよごめん。じゃ、食べな」(太一)
朝食時、デジタマを庇うヒカリに。
別に大したセリフじゃないのですが、ざっくばらんな物言いに早くも妹思いな性格が滲んでいました。
上述のとおり料理もできる(目玉焼きオンリーの可能性もあり)のですが、背丈がたりないので調理のときは椅子に乗って行います。
そのへん含め、やはりまだまだ幼さのほうが先に立ちますね。
「じゃ、ブラックデビル」(太一)
デジタマから出たてのコロモン(ボタモン)に名前をつけようという場面で。
何回か候補を挙げたあと最後に出てきたのがこれなんですが、これを聞いたヒカリはホイッスルが口から外れるくらい絶句しています。
そんなに気に入らなかったんでしょうか、それとも「その発想はなかったわ」と驚いたのか……
ブラックデビルといえば昔、「おれたちひょうきん族」コーナードラマの「タケちゃんマン」に出演していた敵役。
タケちゃんマンが名の通りビートたけし扮するヒーローなら、ブラックデビルは明石家さんま扮する悪のライバルでした。
冷静に考えなくてもスゲー配役だ。80年代おそるべし。
でも映画の設定時期よりさらに十五年近くも前の話ですから、ヒカリがそれを知ってるとは考えにくいんですが……お父さんの影響?
「ネコに負けるか、お前は……」(太一)
ミーコに引っ掻かれてエサ皿を奪い返されたコロモンに。
とばっちりを受けて太一のほうも引っ掻かれてしまいましたが、これで警戒心が多少はやわらいだようでした。
そりゃ、ネコより弱い生き物を怖がるほうがおかしいよな……(^^;)
ちなみにこの場面、コロモンが思いっきり「しゅん」と消沈をあらわす言葉を発音してるように見えますがスルーされてます。
たぶん聞こえなかったか、聞き違いだと思ったのでしょう。
「友だちのしるしだよ」(コロモン)
夕暮れ、八神兄妹に。
「友だちのしるし」とはコロモンが体ごと相手の顔面にへばりつく事で、いちおう抱擁のつもりなのだろうと思われます。
この前の場面にも同じことをしましたが、その時は言葉で補足しなかったので拒否(おもに太一に)されています。
後半への重要な伏線となるセリフ。
直後に下ネタで落としてますが、これは二回目。一回目は、ボタモンからコロモンに進化したときです。
下ネタ自体はあんまり好きじゃないんですが、効果的ではありました。
「コロモン……もうお話してくれないの?」(ヒカリ)
アグモンへ進化し、自分を乗せたまま夜の街を彷徨うコロモンに。
ここでのアグモンはTV版の個体より遥かに大きく、体格もがっしりしています。瞳も爬虫類そのもので、幼年期やTVで見せたような
ゆたかな表情がまったくありません。ヒカリの存在を意にも介しておらず、四つの進化段階でもっとも異質な姿といえるでしょう。
なぜ急にこうなったのか、どうしてコロモンのときだけ言葉をしゃべることができたのか、くわしい事は謎のままとなっています。
ある意味でいえば、けっこうな肩書きのついた悪の究極体たちより怖いかもしれませんね。意志の疎通ができないのですし。
同じ細田監督のつくりだしたディアボロモンが印象的なのはやはり、異質さにおいて近いからなのかもしれません。
「もしもし、鳥だ! ものすごく大きな!!」(丈)
パロットモンの姿を確認して。
名前はまったく出てきませんが、コンテで丈と言ってるので丈で通します。電話をしてる相手は家族かな?
そうだとすると、シン兄さんかもしれません。あの人、なにか感づいてそうでしたから。
まだ声優さんが決まってない&幼いからか、ここで丈を演じているのは女性の方。
プラス、髪型の違いから01の彼よりさらに秀才型に見えます。むしろ光子郎とかぶってるような。
「友だちの……しるし……!」(太一)
成熟期に進化したコロモンの瞳を見て。
最初は太一がなぜこのセリフを言い、コロモンの心を感じたのか理解できなかったのですが、くりかえし見ることでやっとわかりました。
成熟期の大きな腕で抱きかかえるように守られていた構図は、そのままコロモンの抱擁とつながっているものなんです。
守ってくれたのではないか。コロモンはいま再び、その心を取り戻したのではないか。そう受け取ったというわけなんでしょうね。
太一とヒカリがそもそもコロモンのすぐそばにいた、というのがまたミソなんでしょうね。
そう、危機を感じて一気に進化し、爆発的に体積を増加させたコロモンの体に「たまたま」守られただけ、とも取れる。
コロモンが本当にふたりを守ろうと思って進化したのかは、誰にもわからないのです。
それでもTVシリーズを見たあとでは、コロモンの友情を信じたくなるのもまた事実なんですよね。
少なくともここから、太一の警戒と焦燥は一気にシンパシーへと変わってゆくことになります。
「す……すげぇ……」(太一)
コロモンとパロットモンの戦いを目の当たりにして。
ムックの解説にもある通り、ヒカリにかわって彼がコロモンに歩み寄りはじめたことをよく示しています。
ものすごいのがものすごい力でものすごい戦いをしていると、オトコノコとしてはつい見入ってしまうもんなんでしょう。
太一としてはコロモンが守ってくれたと感じたからこそ、比較的に抵抗なくその戦いを見つめることができたのかもしれません。
その一方、ヒカリは泣き出してしまっています。これが拒絶のサインだということは、やはりムックなどで解説済み。
けれど別にコロモンを嫌いになったわけではないし、倒れたときは件のホイッスルで噎せ返るほど(この時の動画が秀逸!)
必死に呼びかけたくらいでした。少なくとも、コロモンを友だちだと思っていることだけは変わらないのです。
そんなヒカリのホイッスルを使い、ひときわ音高く吹き鳴らしたのは太一でした。
コロモンはやはり太一とヒカリ、兄妹ふたりの友だったのです。
ところでこのセリフ、団地の窓から見守っていたヤマトと思しき子供も類似を口にしてたんですよね。
今にして思えば、あれはそういうことだったのかもしれません。
「撃て……!」(太一)
ふたたび立ち上がったコロモンへ向けてか向けずか、たった一言。
まるでそれに応えるようにして、コロモンは今までで最大級の火炎を吐き出します。音楽と作画と演出、すべてが最高潮へ達した瞬間。
どうしてこんなセリフを言ったのか、なんで通じ合ってるように見えたのか不明なんですが、とにかく印象的なシーンでした。
「あれは……早すぎる出会いだった。
ぼくたちの世界では、出会ってはいけないモンスターだった。
だから今、ぼくはここにいる……」(太一)
上でも引用気味の、映画の最後をかざるセリフ。直後にButter-Flyのアレンジバージョンが流れ出します。
いちいち説明の必要もないくらい有名な場面と言葉なのですが、やはり今見ても感慨深いものがありますね。
ここから全てが始まったんだ。
スタッフロールの背後に流れるグレイモンの表情がポイント。コロモンと同じ、優しさを感じるものになってます。
太一と心を通わせていると一番強くわかるのは、このラストカットなんですよね。
TVシリーズを見る前と見たあと、どちらでも楽しめるように作られていると思います。あらためて。
それにしても、セリフだけだとまるで太一が自分で会いに行ったみたいだ。
一種のパラレルなんですから、TV版とちがうってことはよくわかってるんですけどね。
★おわりに
メチャメチャ時間が掛かってしまいました……容量も、これまで書いたなかではトップクラスです。
ウォーゲームに至ってはたぶんもっと重くなるでしょう。こりゃあ大変だ。
でもここまで来たらなんとかやってみるつもりなので、そのときはよろしくお願いします。