デジモンアドベンチャー02
デジモンハリケーン上陸!!/超絶進化!! 黄金のデジメンタル
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脚本:吉田玲子 監督:山内重保 キャラクターデザイン・総作画監督:相澤昌弘 |
★あらすじ
夏のある日、人が突然いずこかへ連れ去られる事件が発生します。太一たち先代の選ばれし子供も行方不明になってしまいました。
アメリカに来ていたタケルとヒカリはミミが消えるところを目の前で見、さらに謎のデジモン同士が戦っているところを目撃します。
その場には謎の少年の姿も。彼の名はウォレス。グミモンをパートナーに持つアメリカの選ばれし子供でした。
知らせを受けて渡米してきた大輔と京、伊織は、偶然からそのウォレスと邂逅を果たします。
ウォレスが追っていたチョコモンこそが連続失踪事件の犯人であり、グミモンの双子のきょうだいが変わり果てた姿だったのです。
七年前神隠しに遭ったチョコモンは、デジヴァイスを目印に空間を越えて現れては人を攫い、子供の姿に変えて
「当時のウォレス」を見つけ出そうとしていたのでした。
しかし、もう七年前には戻れません。凶暴になり果ててしまったチョコモンを止めるため、ウォレスは彼を討つ決意を固めます。
悪に変貌したチョコモンの力は絶大で、ブイモンたちは進化することができません。
やがて空間までもが変質してゆき、大輔たちの体さえ過去に戻ってゆきます。このままでは世界が変えられる。
そんな時、エンジェモンとエンジェウーモンが究極体に進化します。光の中から現れたものは、二つの黄金に輝くデジメンタル。
奇跡と運命の輝きを纏ったブイモンとグミモンがチョコモンを覆う闇を打ち払い、長い苦しみは終わりました。
いつかまた、チョコモンが自分たちの前に現れるかもしれない。
そう信じて旅を続けるウォレスたちのもとに、見覚えのあるデジタマが流れてきて……
★全体印象
デジモンでは初となる長編映画です。60分を超える内容はデジモン映画中最長。
ひとつの映像作品としてこれを凌ぐのはゼヴォリューションぐらいしかありません。あっちは映画じゃない上3Dですが。
日の丸に星条旗がスライドして被るタイトル演出は、ストーリーの内容を示唆したものですね。
時期としては2000年夏、ちょうど02が第1クールを終えたころに上映された映画です。
01本編とウォーゲームの好評を受けた、完全なるメインとしての扱いでした。そこに初の映画化となる「どれみ」を加え、
きわめて短期ながら二本柱態勢が確立した年でもあります。同種の構成は2001年でも踏襲されました。
また今作のウリとしてエンジェモンとエンジェウーモンが究極体になるという前情報があり、それもあって
ウォーゲームのような派手な内容を期待した人もいたのではないかと思われます。
かくいう私がそうでした。
しかしてその実態は、言うなれば雰囲気ムービーだったと言えます。
前編を彩るけだるいギターソロや、尺を生かした余韻のある空気、それに後半の静を重視したバトルと、
ウォーゲーム同様演出に凝っていながら手法はまるで真逆という、少なくとも私の予想を大きく外すものでした。
とはいえ、アメリカ産ロードムービーを意識したという作品カラーはまぎれもなくシリーズ独自のものであり、
名曲「スタンド・バイ・ミー 〜ひと夏の冒険〜」がそこに何ともいえぬ華を添えているのも事実だったりします。
独自性は作画にもみられ、キャラデザインや作監を担当したのは相澤昌弘氏。
相澤氏といえば「魔術師オーフェン」で名を上げ、今やポケモン映画の作監をつとめるまでの方。
本作に展開されているのは、そんな相澤氏本来の絵柄を最大限に活かした他に類のない作画世界……相澤ワールドです。
つまりテレビ版のキャラデザにぜんぜん似てません。特に人間キャラ。
つうか全員キラキラしまくりです。女の子たちなんかテレビ版を見慣れてると腰を抜かすくらい美少女。
後半すぐの斜め下アングルな京とか誰だこれ。ウォーゲームでも絵は違ってましたし今さらなんですが耽美すぎませんかこれ。
山内監督はいったい何を狙って、この作画にゴーサインを出したんでしょう。うーん、できることなら知りたい。
そういえば竹田欣弘氏も02後半でリミッターを緩めてたなあ……やっぱり、私みたいな人を狙い撃ちする意図があったんでしょうか。
とまあ、あれこれと書いてきましたが……この作品の場合、今まで挙げた要素の多くが欠点にもなりうる作りです。
音楽はともかくとして独特の余韻は間延びや説明不足、テンポの欠如とも取れ、バトルには派手さがまったくもって足りない。
そして作画は美麗ながらキャラ表を完全に外しており、のみならず癖と濃さが加わっていて香りが強くなりすぎている。
そんな種類の批判をあっちこっちで見ました。私自身、そういう気持ちがなかったわけではありません。
「ウォーゲームのようなのが見たかったのに外された」という狭量な反発心によるものと自己分析していますけれど。
山内監督はそもそも大変癖の強い作品を作る方で、合う人と合わない人で評価がまるで違います。
かのムシキングにしろ、見てないけど今やってるキャシャーンにしろ確固たる世界を構築していますが、万人向きとは言いがたいところがある。
しかし、それをもって断ずるのはあまりに短絡。むしろ、批判に足るだけの力量を持った人だと私は思います。
そんな山内監督が、ウォーゲームと同じようなものを作るはずがなかったのですよ。今ならばそう思えますね。納得するかどうかは別として。
山内監督でなければ、この作品はデジモンシリーズにおけるオンリーワンにはなりえなかった。
そしてデジモンでなければ、こんな作品は作れなかったと考えます。あえて絶対にという言葉を添えてもいい。
この作品を見た私の心には確かに、何かが残ったのです。皆さんはいかがですか?
ところで前後編にしたのはどんな意味があったんでしょうか。休憩や箸休めの短編を挟んでたわけでもないのに。
英語と日本語のコール交換をやりたかっただけ?
★各キャラ&みどころ
・大輔
吉田脚本らしくヒカリちゃんLOVEも前向きに押し出してますが、本作のポイントはやはりウォレスとのやり取りでしょうか。
彼はああ見えて、とても感受性が強い少年です。他人の苦しみを我がことのように感じ取り、情を寄せることができる。
人の本質を見抜き、その気になれば考えるより先に歩み寄ることができる人物なのです。
それを端的にあらわしているのが、ウォレスの話を聞いてのもらい泣きでしょう。
いくら同情したからといって、あんなふうに泣けるでしょうか。しかもギャグ抜きで。そんなことができる人物、創作にもなかなかいません。
そのうえ嘘や単なる憐れみみたいなものを全然感じないあたりは、彼の人徳だと言い切っちゃってもいいんじゃないでしょうか。
彼は本気でウォレスと自分を置き換えて考え、辛くなったのでしょう。ふだんから裏表なしに生きている大輔ならではじゃありませんか。
たぶんそんな大輔だからヒカリを好きになったし、賢に歩み寄ろうとすることもできたんです。
そりゃあヒカリは可愛い子ですから人気があるのはわかりますけど、たぶんそれだけじゃあないんでしょう。
他人の痛みを我がことのように感じ取れるヒカリの優しさと、その魂が本質的に秘めるものを見抜いて、それで好きになったんです。
ある意味憧れといったほうがいいのかもしれませんが、少なくともそうなるだけのちゃんとした理由は持ってるんじゃないでしょうか。
賢については言わずもがな。
なにかとギャグで流されてましたが、ヒカリとはどういう立場でもよい関係を築けるだろうなと今でも思っています。
・ブイモン
表情が濃すぎてちょっと怖いカットがあった以外は、いつもの彼でした。グミモンと仲良く駆け回るシーンが微笑ましい。
チビモンに戻ったときの仕草や言葉遣いは、ブイモンとの差別化がテレビ版以上になされてます。監督の方針でしょうか。
劇中では上記に加えフレイドラモンにライドラモンと、ひと通りの進化形態を披露していました。
しかし究極体にまで到達するチョコモン相手では、いかにアーマー体といえどもパワー不足は否めず。
あげくバトル後半ではそのアーマー体さえろくに出なくなってしまうため、マグナモンが出るまでは目に見える活躍ができてません。
その分、フレイドラモン時のバトルにはかなりの迫力がありましたが。名台詞も出たし。
そういえば前半のバトルで「Break up」ではなく「Brave Heart」が流れてたことをミスと指摘する声もありましたが、
よく見ると戦闘突入時にチビモンからブイモンへ「通常進化」した瞬間に流れ出してるので、厳密にはミスじゃないと思います。
直後にフレイドラモンへ進化したとき歌が変わらなかったのも、ぶつ切り感を減らすためでしょう。
あと前半のラストに「Break up」が流れるんで、差別化をはかった可能性もあります。
・京
作画の影響で10割増ぐらい可愛くなってますが、劇中では実のところあまり目立っていません。
幼児に戻ったときポロモンを泣きながら止めようとしたり、手当てしたりしようとした場面は印象的ですが、それだけです。
大輔とウォレス(特にウォレス)が主体の映画なんで、どうしてもサブに回ってしまうんですね。
突然詩的なことを言い出したりなど、空気レベルにまで埋没してないあたりはさすがというしかありませんが。
・ホークモン
こちらは後半で進化するまで、まともなセリフさえ貰えてません。
バトルでもまともに戦わせてもらえないままどんどん退化してしまうため、むしろ痛々しさが目立ちました。
前半だとビーチボールの球になっていたりなど、ギャグもこなしてはいます。
・伊織とアルマジモン
京たち以上に影が薄いのがこちらの二人。ハッキリ言っておまけみたいな扱いです。
見せ場はないし京ほどウォレスと絡まないし、そもそもあんまり喋んないしでほとんどいる意味がありません。
京同様、幼児の姿で泣きながら駆けずり回っている場面は妙に心に焼き付いてるんですけど。
本作のアルマジモンはなぜかよく地面を掘ってあらわれます。ディグモンの時も成長期の時も掘り進みます。
・タケル
後半合流組のひとり。前半は相方のヒカリとともに別ルートから事件を追う役割でした。
ヒカリの超絶電波ばかり目立ってますが、彼も相当のもんです。ミミが普通のデジタルワールドに飛ばされたわけじゃないと見抜いてましたし。
あとテレビ版より性格が悪くなってるよーな。
ヒカリと同一フレームに写ってる写真をわざわざ大輔に送りつけよーとしたり、ミミが飛ばされたことを「それより」と脇へ置いたり
軽いノリでドライです。事件に関してどう思ってるかほとんどコメントが無いのは、尺の都合かもしれませんけど。
相対的にみて、ヒカリの陰に隠れてる格好でした。
・ヒカリ
第一声からぶっ飛んだことを言い出して視聴者の心をいろんな意味で鷲掴みにした少女。さすがです。
空気でも読んだのか本作はいつになく電波っぷりがキレキレに高まっていて、あちこちからガシンガシン受信していますね。
そのうえテレビ版から遥かにずれ込んだ美少女デザインなんで何かものすごいインパクトがありました。
インパクトがあっただけで、実のところそこまで活躍した印象はないんですが。
奇跡と運命のデジメンタルも相当いきなりだったし。
相澤絵の七歳バージョンを見られたのは収穫かな? えっらい美幼女でしたとも、ええ。
・パタモンとテイルモン
前半はブイモン同様、濃い作画で時おり微妙な恐怖をばらまく役。
後半はいつのまにか進化して現れ、チョコモンに対し一定の立ち回りを見せています。
闇の空間に閉じ込められてもダメージを受けるまで持ちこたえられていたのは暗黒系に強いからか、表裏の差はあれど同じ天使系だったからか。
エンジェウーモンは美人でしたね。このあたりはまあ作画の賜物でしょう。
・01組
出番こそありますが今回は完全に脇。チョコモンに囚われてまともに動くこともできませんでした。
もとに戻ったときも描写がなく、大輔のセリフでフォローされていただけです。
いっそ出ねーほうがマシなぐらいの扱いですが、チョコモンの行動をわかりやすく示すためには必要な役だったといえるでしょう。
・ウォレス
本作の実質的な主役。ニューヨーク在住の選ばれし子供です。以前はサマーメモリーという架空の土地に棲んでいました。
映画版のために投入された完全な新キャラで、パートナーともどもテレビ版本編にはいっさい登場しません。
グミモンだけは別キャラという形で、テイマーズへの続投を果たしました。
ストーリーでは彼の葛藤をメインに置いて進められてるのですが、かなり行間を読ませるような作りになっています。
なんでもセリフで説明するのは問題でしょうけど、彼の場合は何かこう、途中がすっぽ抜けてるような気も。
ただ想像できるだけの材料はあります。
彼も自分で言っていたとおり、昔に戻りたかったのでしょう。チョコモンを見つけ出して一緒に家へ帰れば、全部元通りになると思っていた。
そーゆー意味じゃ、少しタケルに似たところがあるのかな? 最初のうちはパートナーが戦うことすら忌避していましたし。
そういえばパートナーがタケル同様、天使系になりますね。正しく育てば、ですけど。
そう、すべてはしょせん過去のこと……夏の思い出、文字通りのサマーメモリーなのです。
チョコモンは既に別のなにかへ変質してしまっていて、もう元へは戻れない。あの頃のまま凍りついて、もう未来へ進めない。
願いや努力だけではどうしようもない運命をそこに感じたとき、彼はチョコモンを討とうと決めたのでしょう。
逃れられぬ運命ならば、せめて立ち向かう。討たねばならないのなら、せめて最愛たる自分の手で。そんな決意を感じました。
ちょっとプレイボーイな態度と軽口は、内心のもやもやを感づかれないための仮面なんでしょう。
これもタケルに似てる側面ですが、タケルよりもさらに立ち回りが上手そうな印象も受けました。地元では人気者にちがいない。
ただグミモンのセリフが本当なら、実際は大輔に似てるってことになります。
つまり本質的には情にもろくて他人にも感情移入しやすい熱血漢、なのかもしれません。
深刻な衝突をする前に大輔と仲良くなれたのは事態の急激な変化もありましょうが、本質的に似た者同士だったからかな。
ウォレスはこの映画の後、ドラマCD「夏への扉」で再登場することになります。
声を演じる宮原永海さんは山内作品の常連でもあり、「ムシキング」では主役もつとめました。忘れがたい声質の持ち主。
その上トライリンガルなので、本作でも流暢な英語を披露しています。件のCDでは素晴らしい歌声も聞かせてくれました。
・グミモン
ウォレスのパートナーデジモン。
劇中ではほとんどの配分をテリアモンの姿で過ごしていますが、幼年期のときの名前でしか呼ばれてないのでこれで通します。
この呼び名に、ウォレスの進化を忌避しがちな側面が隠れていると思うのは考え過ぎでしょうか。
前半のバトルではまずガルゴモンの姿を披露します。ウォレスが知らなかっただけで、実際は進化ができたもよう。
というより、あれが成熟期への初進化といったほうがいいのかもしれません。パートナーに知られずに進化できるようになるなんて、
普通ならまずあり得ない話ですもの。
後半ではテリアモンの姿で持ちこたえつつ、運命のデジメンタルを身につけて黄金のラピッドモンへ進化します。
こちらの姿も形を変えてテイマーズ版へ継承されるため、この段階でだいぶ先までの姿を見せてる格好なんですね。
テイマーズであんまり新鮮味がなかったのはそのせいか。
さてチョコモンの双子である彼ですが、描写を見るかぎりでは絆が強いどころじゃなく、存在を感じられるレベルに達してます。
ひょっとしたら、何か独特のリンクでも形成してたのかもしれません。ティエリア・アーデとリジェネ・リジェッタのように。
まあ、だとしても最近はグミモンのほうで拒否してたのでしょうが。
それは取りも直さず、チョコモンが昔とまったく違うものになり果てようとしていることを知っている可能性に繋がります。
実際、彼はそのように認識しているとしか思えぬ行動ばかり取っていました。あるいはもう、最初から知っていたのかもしれません。
チョコモンが自分たちのところに戻ってくる可能性は絶無に近いと。少なくとも、今のままならば。
でもきっと、ウォレスにそれをハッキリとした形で強く伝えることはしたくなかったんでしょう。
望みがまるで無いと知っていても、彼だってきょうだいを討つような事態になることだけは避けたかったはずなのです。
むしろ、あの頃に戻れたらどんなに良いかとウォレス以上に強く思っていた人物こそ、このグミモンじゃないでしょうか。
けれどウォレスと七年過ごした彼もまた、どうしようもないぐらい知っているのです。過去にはもう戻れないのだと。
そしてパートナーデジモンである以上、何があってもパートナーを守り抜くことこそが彼らにとっての至上。
そのためならば、たとえ兄弟と戦うことになっても躊躇わぬだけの覚悟がある。少なくとも、グミモンには覚悟がありました。
そう、きっとお互いに心構えができていたんだと思います。
もし彼とチョコモンの立場が逆だったら、チョコモンはきっと同じ葛藤を味わい、そして同じことをしたでしょう。そう思います。
残酷なまでに切ない話だ。
声は多田葵さん。現在はシンガーソングライターとして活動されています。
そのあまりに個性的な声からか本人の拘りゆえか、はたまた巡り合わせゆえか、グミモン系以外でメジャーな役どころといえば
「カウボーイビバップ」のエドぐらいしかありません。声優としては実に寡作です。
でも数少ない中でしっかり記憶に残る活躍をしているあたりに、並ならぬ素質を感じることができるかもしれません。
・セラフィモンとホーリードラモン
後半でいきなり突然なんの前触れもなく現れた二体。
劇場版とはいえ、いろんな設定やら制約やらをぶっちぎりまくっての登場です。最初は何が起こったのかわかりませんでした。
つうか本来なら進化を維持することすら困難なはずなのに……特にエンジェウーモン、あんた何でそこにいるんだ。
もっと驚いたのは、出たと思ったら10秒たらずで退場したことですけど。出ただけかい!
このへんの下りにはショージキ言いたいことが山ほどあります。そのあとのデジメンタル関係といい、何というやっつけ加減ですか。
いちおう今回のウリだったはずなのに、あまりのことで開いた口が塞がりませんでしたよ、リアルで。
そりゃあ、本作じゃ脇であるタケルとヒカリのパートナーを目立たせるのは難しいと思いますよ。思いますけど……
……もうこのへんにして、次いってみよう。
あ、でも進化バンクは素晴らしかったですね。特にエンジェウーモンの美しさとぶっ飛びっぷりが。
・マグナモンとラピッドモン
上の究極進化で現れた奇跡と運命のデジメンタルをそれぞれブイモンとグミモンが纏ったことで、現れた黄金の化身。
その巨大なる神聖力で、チョコモンの負の暴走を止める楔となりました。
しかし何しろデジメンタルの登場からしてアレだったので、なにがなんだかよくわからないまんまサクサク進行します。
おまけに肝心のマグナモンが何かこう微妙だったというか……あんまり格好よくなかったというか。
せめてラピッドモンとセットではなくテレビ版のように単独での登場だったなら、まだ良かったのでしょうけど。
むしろテレビ版のほうが活躍してる印象があったぐらいのものです。
うーん、いくらドラマが良くても、肝心かなめをおざなりにしてしまってはなあ……
ウォーゲームが名作と言われるゆえんはそうしたウリもきちっと押さえていたからだと思う私としては、どうしても納得がいかぬ側面です。
作品テイスト的に考えてそんなイチャモンはフェアじゃないかもしれませんが、それでもそう感じたのは確かなんで仕方ありません。
人を選ぶ作品があってもいいとは思いますけど、それとこれとは話が別じゃありませんか。
さておき、マグナモンはのちのちロイヤルナイツの一員に迎えられ、大成することになります。
アーマー体なのか究極体なのかわからん扱いですが、たぶんもともとは究極体で、その力を前借りしていたんでしょう。奇跡だから。
言ってみればアミュレットダイヤみたいなもんですよ? 違いますよ?
ラピッドモンの登場については事前の情報を得てなかったので、当時かなり驚いたおぼえがあります。
この時点では聖騎士型となってますが、本来はサイボーグ型。同時にマグナモンより1ランク落ちる完全体でもあるため、
ロイヤルナイツ入りすることはありませんでした。まあ、あんまり騎士っぽくないのは確かです。
それでもマグナモンとはほぼ同格の力を持っていたので、姿に関係なく究極体クラスの力を与えていた、と考えるべきかもしれません。
テイマーズに登場した緑バージョンとの差異は色以外だと下半身に集中しており、ホーリーリングのようなものを脚にふたつもつけているほか、
腰アーマーに運命のデジメンタルのマークが刻まれています。
・チョコモン
七年前に失踪したグミモンの双子のきょうだい。ウォレスのもう一人のパートナーでもあります。
ふたたび登場したときにはすでに暗黒進化を遂げており、ウォレスを見てもまともに判別できないまでになっていました。
究極体になるともはや彼ではない何者かに存在を支配されており、冷たい空虚な空間へと世界を作り替えようとします。
とりわけ強力だったのはやはり究極体たるケルビモンの姿で、その前ではたとえアーマー体でも進化を維持することができません。
かろうじて天使型や、奇跡および運命のデジメンタルで進化したデジモンなら抵抗力があるようですが絶対的かといえば甚だ疑問。
この進化抑制能力はあらゆるシリーズ中ダントツのトップです。しかもダークタワーと違いそのものが襲ってくるうえ
究極体の力を持ち、そのうえまともに戦ってもダメージを与えられないのですから恐ろしい存在といえるでしょう。
そもそも、アレは本当にケルビモンそのものだったのでしょうか?
本体を形成する雪のような暗黒球(ピエモンが持ってたものに似てる……)といい、切ってもたたいても物理的ダメージを
ほとんど受けていなかったことといい、どう見てもまっとうなデジモンとは思えません。
あれは、チョコモンを囚えていた闇そのものだったんじゃないでしょうか。
それがチョコモンの到達するはずだった究極体の姿を借り、あのような姿を取らせていたと解釈することができます。
ちょうど奇跡のデジメンタルと真逆の現象が起こっていたってことなのかな。
究極体なのにどうして進化を押さえつける力の影響を受けないのかというと、それはやはり力の持ち主本人だからというのがひとつ。
もう一つの理由は、究極体そのものを進化の袋小路=デッドエンドとしてネガティブに捕らえた場合に成立します。
あとは「過去に還る」という願望の直接的表現としての能力だった、と捉えることができますね。というか、それがメインでしょう。
いずれにせよ、彼は破滅に向かって進んでいました。いえ、彼自身が他者を巻き込む破滅の化身になってしまっていた。
どうしてそんなことになったのかは、きっと永遠にわからない謎なのだと思います。
ところでこのチョコモン、あれこれ調べてみたらちょっとシャレにならない事実がわかりました。
ネイティブアメリカンのごく一部に存在するとされる精神病にズバリ「ウェンディゴ憑き」というものがあったのです。
からだの内側から起こる凍えとともに自分が怪物になるのではないかという恐怖と不安が精神を苛み、
コミュニケーション能力を喪失し、近しいものを殺そうとするこの病はまさに、チョコモンの状態そのものではありませんか。
チョコモンは心を病み、獣に成りさばらえて同族に処刑される精神異常者でもあったのです。少なくとも、その暗喩だった気がする。
それにウェンディモン=ウェンディゴの名は、かのクトゥルー神話に出てくるイタクァとの繋がりを連想することができます。
イタクァは風とともに人を攫い(!)、弄んで、最後には恐怖と凍えの中で殺す人智を越えた存在。
チョコモンが持っていた進化を妨害する力と合わせて考えると、なんとも興味深いことになると思います。
黒い海といい、黒い氷雪といい、デジアド世界の裏には不気味な何かが今でも胎動しているのですね。恐ろしい……
そういえば、アメリカで上映されたバージョンでは01における二作との編集抱き合わせにともない、
チョコモンの設定が全面的に変更されていたようです。……そりゃ、そのまんまじゃ上映できんわ。でなくたって難解なのに。
・スタンド・バイ・ミー 〜ひと夏の冒険〜
本作のエンディングテーマです。コンセプトをこれ以上ないほど明確に打ち出したタイトル。
静かな本編ラストカットのあとスウッと暗転し、この歌がサビから流れ出した瞬間、不思議な余韻が劇場を支配していました。
旋律自体もどこか物悲しい、けれど前向きなもので、テーマに相応しいものだと思います。
サビが命みたいな曲なんで、最初にそれを持って来てるのはまったくもって正解ですね。
アレでラストシーンがこう、ギュッと締まったんじゃないでしょうか。
★名(迷)セリフ
「大輔くん、この写真見たら怒りまくるだろうなぁ〜」(タケル)
一発目はいきなりこれ。なんで満面の笑顔なんですか高石君。
よく見るとメールの文面もちゃんとあって、打ったのがミミだとわかります。
大輔をおちょくると同時にフォローも入れてるあたりがミミらしい。
「泣いているデジモンがいる…… 泣きながら探してる……!」(ヒカリ)
第一声からごらんの有様。八神さん、今日は飛ばしてます。
この後も兄貴の声を聞いたり、ひと目でチョコモン究極体の変化とその空虚な心を見抜いていたり、絶好調でした。
闇の力は、彼女の感覚を過敏にするのかもしれません。
「それにしてもマイレージとは考えましたね、京さん」(伊織)
伊織の数少ないセリフからエントリー。
要するにマイレージサービスを使って無料航空券を入手したということでしょう。3人の往復分というとけっこう懸かると思うんですが、
いったいどうやってポイントを工面したんでしょうか。つうか、誰のポイントを使ったんでしょう。彼らがカードを持ってるはずないし。
……まさかまたヤマトパパか。……うん、たぶんそうだ。この人しかいません。
タケルを海外旅行に行かせたばかりだというのに……大人は大変だ。テレビ局勤務なら高給取りだし、多少は平気かもしれませんが。
「ぼーし。ボクがウォレスの帽子になってあげる」(グミモン)
この映画はこうしたなにげないセリフが心に残るようになっています。
多田さんの声とグミモンの愛らしさが絶妙のマッチングを示した、印象深いシーン。
「チョコモン! あの花畑で待ってる! I'm waiting for you!」(ウォレス)
ウォレスのセリフでは一番好きなもののひとつ。
家族にしか使わない英語を使って話すということは地が出た=チョコモンを本当に大切に思っているという証ではありませんか。
七年前からチョコモンのことを忘れたことはなかったという言葉も、嘘なんかじゃないでしょう。
ウォレスは確かに変わったけれど、本質的には昔の、チョコモンの大好きだった彼のままなのです。
変わったのは、変えられたのは時が止まったままのチョコモンの方だった。変わらないことで変わってしまうという逆説的な話です。
皮肉なものだ。
「ウォレスがもう少し小さかったら、いっしょに飛べたのにね」(グミモン)
ボディブローのように効いてくるセリフ。昔のウォレスはブイモンがやっていたように、グミモンの足につかまって滑空できたんでしょう。
でも、今は体が大きくなりすぎてできない。過去にはもう戻れない。どんなに望んでも。
だからこその……
「オレにだってできないよ……!
もし、ブイモンが今のブイモンじゃなくなって……とてつもなく凶暴になったとしても……あいつを……
ブイモンを倒すなんて、絶対できない!
だけど、太一さんたちを救うには……お前のチョコモンを倒さなきゃならない……!
こんなのって……どうしたらいいんだ……!」(大輔)
ウォレスの話に思わず感情移入して。言わずと知れたもらい泣きのシーンです。
いきなりだったので最初はあっけに取られたんですが、あとから考えて「ああ、こいつはやっぱりいいヤツだ」と思ったというか……
賢への歩み寄りにさほど違和感を感じなかったのも、これを見ていたからかもしれません。
「オレの寝顔でも見てろ!」(大輔)
打って変わったギャグ台詞。直前のカットでピシッと割れたゴーグルが気がついたら元に戻ってるあたりもギャグです。
それにしてもこの内容はどうかと思いました。言いたいことはなんとなくわかるんですが。
「かえりたい……カエリタイ……かえりたい……カエリタイ……」(チョコモン)
サマーメモリーにて、ウォレスと最後の会話中に。
二重に響く音声と、激しく体を揺する常軌を逸した仕草が軽くホラーです。
チョコモン(幼年期)を演じていたのがあの能登麻美子さんなんで、さらに怖いです。
そして同時に、どうしようもなく悲しい。
彼が求めているものはもう、世界のどこにもないのですから。
「ぼくは……! 行けない……!」(ウォレス)
過去への訣別。この瞬間、ウォレスはチョコモンを討つ決意を固めました。
チョコモンの求めるものが今の自分ではなく「過去の自分」だというなら、それは絶対に叶えてあげられない願い。
そして今のチョコモンに歩み寄るということは、その今の自分を否定すること。ウォレスにそんな気はありません。
前へしか進めないと知っているから。どんなに変わったとしても、自分は自分のままだと知っているから。
チョコモンもそうに違いないと信じ続け、そして今も信じているから。
「遊びは終わったよ、ウサギちゃん……!」(フレイドラモン)
完全体に進化したチョコモンを包囲したときに。
これは誰がなんといおーと名セリフだと思います。迷セリフでもあるけど。
「あのデジモンの隠しきれない心が飛び出してきているみたい……
一見美しく舞っているけれど……昏い心の中が彷徨っているみたい……」(京)
黒い雪を眺めて。言わんとするところはわかりますが、出し抜けに詩的な京さんに面食らう場面でもあります。
「おまえは……だれだ!」(グミモン)
究極体の姿を現したチョコモンに。
この言葉から考えて、完全体まではなんらかの繋がりを感じ取れていたのでしょう。
そして確かにケルビモンとなったチョコモンの体は、いままでとまったく異質なものへ変貌を遂げていたのです……
「ぼくは……大輔の言うとおり甘ったれさ……
でも、君の中にチョコモンはいない……いや、君がチョコモンを……
ひとりで寂しさに……寂しさの中で頑張りつづけてきたチョコモンを、どこかに閉じ込めてしまった!
ぼくは戦う……! 君を倒せばチョコモンを呼び戻すことができるなら……ぼくだって戦いたい!
力がほしい……!!」(ウォレス)
ウォレスのチョコモンへ向けた言葉の中ではいちばん長く、また一番切々としたもの。
ケルビモンとなったチョコモン……いや、ケルビモンの姿をした闇は見かけより遥かに広大な空間を内包していました。
あの姿は闇と恐怖そのものであり、おそらくは時間と空間の概念も意味をなさぬ場だったのです。
チョコモンはそこで七年どころではない、永劫にも近い孤独を味わって歪んでいったのかもしれません。
「タケル、私を究極体にしろ!」(エンジェモン)
ケルビモンを押さえつけながら。
思わず声に出して「はい?」と聞き返したくなってしまったぐらい唐突なセリフです。
「ウォレスって……誰……?」(グミモン)
上で書いたように、もしあの闇が時間と空間を無視するのなら、グミモンとブイモンの体感時間は一瞬であると同時に
永遠に近いほど長いものだったのかもしれません。それこそ、パートナーの名さえ忘れかけるほどに。
しかし、彼らにはパートナーと培ってきた短いけれど確かな思い出がありました。どんなに時が経っても褪せない絆がありました。
何よりも、パートナーたちが必死の呼びかけを続けてくれた。決して独りではなかった。
だから、ふたりは再び輝きを取り戻せたのかもしれません。
刹那、永劫の孤独は一瞬の光の矢として千年の夢のかなたへ消え去りました。
そう、過ぎてゆく時間が恐ろしいのではないのです。輝きを……生きる意志を失うことこそを恐れなくてはならない。
だからこそ、なくしてはならないものがあるのでしょう。
「ウォレスー! チョコモンの涙でいっぱいだね!
チョコモン……わらってた……!」(グミモン)
そのグミモンは、泣いていました。チョコモンの心臓を熱い矢で貫いたその瞬間から、泣いていました。
やっと泣けたんだな。そう思いました。
彼はずっと泣きたかったのでしょう。でも、泣けなかった。自分が弱くなればウォレスも弱くなると思ったから。
泣くのは全部終わってからにしよう。心ひそかにそう決めていたのだと思います。
だってチョコモンは、なにが悲しくて泣いているのかさえわからなくなってしまっていたのですから……
映画から一年後となるドラマCDにおいても、チョコモンの転生は確認されていません。
それでもいつかきっと、今度は本当に戻って来る。ウォレスとグミモンは、今でもそう信じて待ち続けているに違いありません。
★おわりに
決してハッピーエンドじゃないけどバッドエンドでもない、言うなればサッドエンドなんですが、
後味が悪いかというと何故かそうでもない、不思議な映画でした。
最後の項あたりをピリピリと締め付けるような切ない余韻は、この作品ならではのものだと思います。
いろんな意味で個性的な作品だったなあ……