第2話 シャツとキーボード
「オレ、ブイモンだよ、大輔っ!」
「………………………………は?」
「ブイモン!」
「…………………………………はい?」
また時間がとまった。
大輔の肩から、今ごろになってバッグが落ちる。
「ブ〜イ〜モ〜ン!」
今度はため息がもれた。
「…あのさ、悪いけど……オレ、あんたの冗談につきあってるヒマないんだ。どいてくれねーか?」
やや乱暴に、少女をひきはがす。見かけによらず力のつよい少女は、しかし抵抗もせず、びっくりしたように、ぺたんと尻もちをついて見あげるばかり。大輔は服のほこりをはらい、バッグを肩にかけなおして、そのまま少女を無視し、階段をのぼろうと足をふみだした。
と、視界がとつぜん、上にぶれる。
「…うわっ!?」
体がうしろにひっぱられて、2、3歩よろめいた。あわてて目をやると、少女がバッグをつかんでひっぱっている。困ったような瞳が、まっすぐにこっちを見ていた。
かまわず進もうとするが、少女の手ははずれない。大輔は、だんだん腹が立ってきた。
「はなせよっ」
やや力を入れてひっぱる。びくともしない。今度は両手をそえてひっぱるが、それでも引きはがせなかった。
「はなせったらっ。 どういうつもりだよっ」
「……………」
「いいかげんにしてくれ! 迷惑なんだよ!」
ついに、堪忍袋の緒が切れた。知らず、どなり声がとびだす。
「…………!」
怒号をくらい、少女の顔がおびえたようにゆがんだ。ふいに、その手がはずれる。
「おわあ!」
急にはなされて、大輔はいきおいよく階段につっこんだ。したたかに背中を打って、うめき声をあげる。
「あっ、大輔、だいじょうぶか?」
少女がおろおろして手をさしだすが、ふりはらった。
「…あんたさぁ…。オレとブイモンのことをどこで知ったのかしらねーけど、不愉快なんだよ」
「…大…」
目の前の顔が、みるみる悲しげな表情に変わっていくが、逆に、思いきりにらみつけてやった。
「オレの知っているブイモンは、あんたじゃない。あいつはもう、この世界にはいないんだ。名前かたって、出てくんなよ…!」
かわいい顔が、ますます悲しそうになる。
大輔は息をすいこんで、
「…今すぐオレの前から消えろ!! 2度と出てくんな!」
ありったけの怒りを声にのせて、たたきつけた。
そのまま、ふりかえりもせず階段をのぼる。
かん、かん、かん、かん、かん…。
少女はぼう然と立ちつくしていたが、やがて決意したように顔をあげ、歩きだした。前へ。
「…大輔…」
かんっ。
階段をふむ音が止まった。
少女の両手が、こんどは大輔の腕をつかんでいた。ひっぱりすぎないように、そっと。
そのままいっしゅん、ふたりの動きが止まる。
「……おい、オレの言ったこと、聞こえて…」
もう怒る気にもならずにふりかえったが、
「…………」
見おろす先の表情に、なにも言えなくなってしまった。
泣いていたわけではない。
だが、それ以上の悲しみを瞳にたたえて、少女がじっと、自分を見つめている。言葉がでてこない。
「……オレ、大輔に…大輔に会いたくて、ここに来たんだ…。やっと見つけたんだ。会いたかった…」
右腕をつつむ手に、すこし力がこもる。
「なのに、そんな言いかたないだろ…! オレ、大輔にそんなこと言われたら、どうしていいのか…わかんないよ……」
顔が、だんだん下がっていく。目が髪の毛にかくれて見えなくなった。肩がふるえだす。
「…………うっ………」
「お、おい……」
「…うっ……えっ……っ……」
今度こそ、少女は泣きだした。肩をふるわせて、身も世もないようすで、おえつしている。
「ちょ、ちょっと、おい……」
右腕をおさえられたままで身動きできずに、大輔はへどもどした。
そうこうしているあいだに、少女の泣き声がだんだん高くなってくる。しまいには、おさえられなくなって、
「うわあああああああああああん!」
とうとう、大声で泣きだした。手がはずれ、あふれる涙をふくために使われる。
「お…おい、…困ったな…」
あわててまわりをうかがうが、まだ人目はない。しかし、このままではまずい。とりあえず手をのばして、
「な…泣くな、な? 泣くなよ、たのむから…オレが…ええっ!?」
大輔がおどろきの声をあげたのも、無理はない。
少女の髪のあいだから、ゆっくり、ゆっくりと、2本のツノがはえてきたのだ。同時に、ぼろぼろのシャツをたくし上げるようにして、しなやかなシッポが、ゆるゆるとはえてくる。空気をなぐ、ひゅるりという音がした。
「…お、おまえ…」
「…うっ、うっ……」
涙目で見つめてくる少女の顔には、いつのまにか、ふしぎなもようがうかびあがってきている。大輔は、そのもように見おぼえがあった。
そして…さっきまで黒かった瞳は、あざやかな赤に。
その目を見たしゅんかん、大輔は理解していた。目の前の少女が、だれなのかを。
一秒あとにはもう、少女の腕をつかんでいた。
「…こい!」
かかん! かん…かん! かかん! かかん! かかん! かかん!
おおいそぎで階段をのぼる。そのときにはもう、あいての泣き顔はおどろきに変わっていた。
バッグをだんっ、置いて、ばたばたとポケットをさぐり、鍵をとりだす。錠をあけるひまもそこそこに、まず少女をへやに入れる。つづいて自分もとびこみ、ばたん! 扉をしめた。
ばんっ! また開いた。大輔の手が、置きわすれのバッグをひっつかみ、ぶつけそうになりながらへやに入れて、ばたん!
こんどこそ、扉がしまった。
わおーん、おん、おん、おんおんおん。
さわがしさにかき消されていた犬の遠ぼえが、やっとまた、聞こえるようになった。
「…さて、と」
大輔の視線のさきには、少女…いや、『ブイモン』がいる。
「…おまえがブイモン…だってことはわかった。 …で」
ブイモンの目が、ぱちぱちした。
「その…人間みたいなかっこうは、どーゆーわけだ?」
大輔の指が、まっすぐにブイモンを指さす。いまだに信じがたいのか、手がふるえているようだ。
「オレにもわかんない」
ブイモンの答えはしかし、ひどく要領をえないものだった。
「そんなアホな! だって…おまえ…」
大輔の視線が、上から下へ、みょうにゆっくりと動く。
「えと…その……あ………」
ブイモンのシャツはぼろぼろで、ところどころ、ボタンがはずれかかっているようだ。その下からはすぐに、すらりとした白い足がのびている。
大輔の顔が、こんどはだんだん赤くなってきた。みるまに、汗がふきだしてくる。
「? 大輔、どうしたんだ?」
ふしぎそうな表情で近づいてくるブイモンから、大輔は飛びすさってはなれた。扉に、ハエのようにはりついたかっこうだ。
「大輔?」
「あ、あのさ」
ぎぎぎと、ぎこちない口調で、口がひらかれる。
「…それより、おまえ、アレだ。よ、汚れてるじゃねーか…。さ、さきに、シャワーにでもはいれよ」
「…そう? …そういえば、汚れてるかな……」
からだをあれこれと振りながら、ブイモンは自分をながめている。
「でも、どうやって入るんだっけ?」
「そんなの自分で考えろよ! ほら!」
大輔は当惑ぎみのブイモンを押して、そなえつけの小さなバスルームの扉までつれていった。ばんとドアを開ける。
「ほれ」
「うん、わかった。やってみるよ」
言うなり、ブイモンはいきなりシャツのボタンへ指をかけた。大輔が横で飛びあがらんばかりにおどろき、手で顔をおおう。
必死で目を閉じる闇に、しゅるっ、ぱさり。音がきこえた。シャツを脱いだのだろう。ぺたぺたと足音。
「…赤いほうのだっけ?」
「おう、わかってるじゃねーか」
きゅきゅっ。
ひねる音がして、すぐにシャワーから、ざあざあとお湯が出てきたようだ。
「あちっ…!」
ちいさな悲鳴が何度かしたが、それも最初だけで、やがて鼻歌がきこえてきた。
大輔がよく歌ってやった歌だ。
音程はめちゃくちゃだったが、聞きちがえるはずがない。おなじ歌い方だ。
「……あいつ…本当に…」
そろそろと手をどけてみると、バスルームの扉が開けっぱなしだ。あわてて、また目をつぶる。
「おいっ! ド…ドアくらい閉めとけよっ!」
「ほーい」
お湯の音がすこし変わって、ばたんと音がした。
「ふう……」
大輔は目をあけて、ため息をついた。
すりガラスのむこうでは、あいかわらず鼻歌がきこえる。
床を見ると、Tシャツが落ちていた。ブイモンが脱ぎすてたものだ。
ひろい上げてみると、予想以上によごれている。
「…あいつ、いったいどのくらい、オレを探してたんだろう……?」
はっきりしない気持ちのまま、Tシャツをたたむ。とにかく、これ一枚のかっこうでいさせるわけにはいかない。
シャツはへやのすみにほうり、衣装だなの中に使えそうな服がないか、見つくろってみる。
「………」
わかってはいたが、トレーナーばかりだ。それも、大輔の肩幅にあわせたものだから、いまのブイモンでもぶかぶかだろう。あとはジャージのパンツくらいしかなく、肌着にいたっては望むべくもない。
「ないよりはましか…」
ためらいがちにあとひとつ、トランクスを一枚えらんで、全部をまとめ、バスの入り口脇にある洗濯機にぽんとのせた。
それから、どすんと腰をおろす。
ますますつかれてしまった。
「…どうなってんだよ、いったい……?」
かたかたかたかたっかたたかたかたかた…。
キーボードをたたく音が、気持ちのよいリズムで大学の教室にひびく。
泉光子郎は、4限の講義が終わったあとも教室に残り、調べものを続けていた。
が、じっさいは気になることがあったから残ったというより、人気のない時間におこなうほうがつごうのよい作業だった、というのが正しい。
画面には、無数の数式やプログラムが映し出されているが、光子郎はそれらをすべて把握しているようで、マウスとキーボードをじょうずに使いわけしながら、あるひとつの結論にむかって突きすすんでいた。
「やっほー!」
いきなり背後から声がした。肩が一瞬ふるえる。
ふりかえると、友人の太刀川ミミが、はるか後ろのほうの入り口で手をふっていた。ため息がもれる。
「…なんだ、ミミさんですか。たのみますから、後ろからきゅうに声をかけるのはやめてくださいよ。びっくりする」
「なに言ってるの。光子郎くんが夢中になりすぎてるのが悪いんじゃない」
口をとんがらせながら、ミミが歩いてきた。あいかわらずはでなかっこうだな、思いながら、光子郎は目をモニタにもどした。
「なに調べてるの?」
ミミは、えんりょなく画面をのぞきこんでくる。うすい香水のにおいを感じながら、光子郎はマウスをダブルクリックした。ぱっと新しいウィンドゥが開く。
「…まだ100パーセント断定はできないんですが…これを見てください」
ウインドゥの中には、大きなワクと無数の丸がうつしだされている。丸の大きさは、さまざまだ。
「なあに、これ?」
「単純な模式図です。僕たちと、『あの世界』の関係についての」
「『あの世界』って…でも、これがどうかしたの?」
光子郎はその質問には答えず、小さな丸のひとつにポイントをあわせて、ワクのなかに動かした。ピロンと軽い音がして、丸がワクのなかにおさまる。
「あっ、入った入った♪」
素直にはしゃぐミミを横目に、光子郎はつぎつぎと、丸をワクにおさめてゆく。合計8つの丸が、ワクのなかにきれいにならんだ。
はしゃいでいた目が、こんどはまんまるになる。
「…光子郎くん、こんなまんじゅうのつめあわせみたいなもののために?」
「あのですね、ミミさん…。これは一見単純ですけど、たどりつくには、それ相当の」
「はいはい」
光子郎の抗議はさえぎられた。
「光子郎くんの説明は長いからいいわ。で、なんなの?」
「…はい。見てのとおり、小さいほうの丸は、ぜんぶ入ったでしょう? でも、」
キーボードが何度かたたかれ、ワクが空っぽの状態にもどった。つづいてポインタが、もっと大きい丸のほうに合う。
「こっちの丸だと、どうなると思います?」
「そりゃあ…そっちの直径は小さなほうの2倍くらいにみえるから、ふたつしか入らないんじゃない?」
「そうです。…では、この丸なら?」
ポインタが、さらに倍以上の直径の丸をさした。
「そんなの、どう見たって入らないじゃない。それがどうしたの?」
「はい。…この丸の大きさは、つまり情報量の大きさなんです」
「…情報量?」
光子郎の手が、マウスからはなれた。視線がミミに合う。
「…僕たち、どうして選ばれし『子供』だったと思います?」
「…さぁ? 考えたことないけど…」
光子郎は天井を見上げた。それが考えをまとめるときの彼のくせであることを、ミミは知っている。
「『あの世界』は知ってのとおり、情報のあつまりです。超巨大なサーバや、ストレージに置きかえてかんがえてもいいでしょう。でも、空間であるかぎり、情報の許容量には、限界があるはず……」
「………」
「だから子供なんです。子供は大人にくらべればからだも小さいし、経験もありません。吸収がはやいかわりに、存在としての情報量が軽いんですよ。……だからこそ、本来は異物であるはずの僕たちでも、抗体として必要とされるうちは、『あの世界』にいることができた…」
「ちょ…ちょっと待って!」
ミミの声が高くなった。
「よく…わかんなかったけど…あたし、もうすぐ二十歳になる…。はじめて『あそこ』に行ったときは、まだ十歳だった……」
光子郎はだまって、つぎの言葉を待っている。
「じゃあ…じゃあ、…どういうこと? それじゃ、もしかして、あたしたち、…もうすぐ…」
「…ええ。僕たちはたぶんもうすぐ、『あそこ』へ行けなくなります。行けたとしても……」
ミミの表情がこわばった。
「…その時が、最後でしょう」