無限大の…

第6話 BLACK PLASTIC SKIN

 サッカー部顧問の竹ダルこと竹内伸夫は、自宅のアパートにむけ、小きざみな歩みをすすめていた。
 すこし酔っていた。
 勤務先の高等学校でもっとも有名なサッカー部の顧問、という位置にいるかれだが、百パーセント実績だけでなったわけではない。前任の顧問や校長と懇意にしていたため、前任者引退のさい、推薦してもらったのである。二年前、大輔が入学するすこし前のことだ。
 幸運をのがしてはならないと、がむしゃらにつとめあげた。だが、どうやら自分は、生徒にあまり受けがよくないらしい。
 筋のよさそうな生徒を見つけるのは得意だったが、伸ばすことが苦手で、なによりかれ自身は気づいていないことだが、そのどこか傲岸な、しかも神経質で裏おもてのある態度が、生徒に反感をかう原因になっていたのだ。
 この性格じたいが、かれのせいだというわけではあるまい。が、もともとサッカーが好きで顧問をやっているわけではないので、それが生徒にも肌でわかったのかもしれない。
 もちろん同僚たちにも見抜かれており、ここ最近、竹内は周囲からみょうな圧力をかんじるようになっていた。すくなくとも、サッカー部の顧問として器量不足と思われているのはまちがいないと思っていたし、じじつその通りだったのである。
 そのうえ給料がほとんど上がらない。だれか上に入れぢえでもして、給料をおさえさせているのではと、本気でうたがったこともある。
 そうした神経質なところと、他人の気持ちに気づかない無神経なところが同居しているのが竹内という男で、つまり、かなりの利己主義者でもあった。
 だから、佐々木信二という少年に目をつけるのもひじょうに早かった。
 佐々木はすばらしい逸材だった。サッカーをはじめたのは高校になってからだというが、とても信じられない。たいした手をかけなくても自分からコツをつかみ、どんどん上達してゆく。なにより大きかったのは、ほかの生徒よりも気が合った、ということである。佐々木をプロでも通用する選手として育てあげ、輩出すれば、自分の今後にとって、大きなプラスになるのはうたがいのないところだった。
 だが、竹内は二つまちがいをしでかしていた。
 ひとつめは、くだんの佐々木信二だ。気が合う、というのは、竹内の勝手な思いこみにすぎない。佐々木はただたんに、だれが相手でもペースをくずさずにつきあえるというだけで、むしろ自分よりも技術のたかい、本宮大輔という生徒を推している。
 ふたつめは佐々木に期待するあまり、他の生徒をないがしろにしていることだった。そこにこそ、竹内の最大の欠点があるのだが、もちろんかれが気づくはずもないし、もし言われても笑って切りすてたことだろう。
 だから佐々木が、

「…僕に期待してくださるのはうれしいです。でも、どうして本宮が候補にもはいってないんですか!?」

 そう聞かれたときには、かなり意外だった。

「…まあ、あいつはいろいろ問題が多いからな。きみが気にすることではないよ」

 適当にごまかそうとしたが、

「あいつのどこに落ち度があるっていうんです? これじゃ不公平じゃないですか!?」

 佐々木にしてはめずらしく、食いさがってくる。
 たしかに、ここ最近こそ遅刻しがちなものの、本宮ほど練習熱心な生徒はいない。技量もばつぐんである。
 だが、竹内はそこまでだと見立てていた。個人プレーもめだつし、なにより反抗的で、じぶんとも肌があわない。だから、かなり早くから度外視していた。
 不幸なことに、本宮大輔も竹内伸夫も、おたがいをきらいあっていたのである。

「まあ…きみの意見はかんがえておこう」

「お願いします」

 ふかぶかと頭を下げる信二を、竹内はにがにがしい気持ちで見つめていた。自分のことだけ心配していればいいのに、なぜライバルのことなど気にするのか。
 そのうえ、どうやら校長も、本宮のことが気に入っているらしい。態度でわかった。先日には、とうとう口に出してたずねてきたのだ。

「佐々木はわかるが…なぜ本宮の名前がないのかね?」

 書類をひらひらふりながら質問してくるかっぷくのいい紳士に、竹内はほとんど反射的にこたえた。

「あいつはダメです。チームプレイのなんたるかが、ぜんぜんわかっていません。あれではプロとして通用しませんよ」

 校長はふーむ、とうなっていたが、もともとあまり物事をふかくかんがえない性格らしく、それ以上なにも言わなかった。人がらだけで信用を勝ちえてきたような人物だから、いろいろと気のまわる片腕がいるわけで、その片腕である教頭はというと、やはり竹内に言うのだ。

「校長は本宮を気に入っているようだし、やはり本宮も候補に加えてみてはどうだろう?」

 当然のように、竹内はすぐさま否定した。あの本宮を候補にくわえ、積極的に指導するなど冗談ではない。すでに個人の感情レベルである。それでも再三教頭が意見してくるので、最後にはすっかり気がめいってしまい、酒でストレスをまぎらわすはめになったのである。
 ちなみに竹内は、教頭が生理的に大きらいだった。そういう対象が、人一倍多い男なのだ。

「ふう……」

 アルコールのせいか、目の前がぼーっとする。もともとそんなに強いほうではないから、あまり飲まなかったのだが。

「いかんいかん」

 二度三度目をしばたたいて視界をはっきりさせ、慎重に足をふみだした。明日も早いのだから、はやく帰りついて眠らなければ。

(……三十八にもなって、なんでこんなに早起きしなけりゃならんのだかなぁ……)

 心中ぼやく右目のはじに、なにかがうつった。

(……? なんだ?)

 かれは今、人気のない小さな道路に立っている。向かって右に古い街灯が、コンクリートのへいを背にして立っているのだが、もう少し先の闇に、ぽつんと紅い光がうかんでいたのだ。

 さいしょはなにかのランプかと思ったのだが、それにしては位置がおかしい。へいから5メートルま上にある。しかも、びみょうに動いていた。

(?)

 おもわず足を止めたしゅんかん、ふいに紅い光が消えた。おや、と思うまもなく、

 どずんんっ!!

 いきなり、前方になにかが降りてきた。
 なにが起こったのか。
 竹内が混乱しているあいだに、地ひびきが足から胴体をへて、肩から虚空へぬけてゆく。
 たっぷり3秒たってから、目の前の闇のなかにふたたび、あの紅い光をみとめることができた。
 今度は二つ。らんらんと光り、中心にむかうほど黄色みをましてゆく、ふたつの目。
 そう、目だ。ランプなどではない。
 認識したとたんに、竹内は凍りついた。
 目の前にいるのが生き物らしいとわかったのは、やっとその後である。
 でかい。横はば3メートルはある。
 ほとんど四つんばいのような体勢だが、立ちあがれば5メートルはあるだろう。長い四肢はやや人間を連想させるが、街灯のなかに腕だけ見えている黒っぽい皮膚は、まるでは虫類のようだ。そのくせ、プラスチックのようなみょうな光沢があり、作りもののようにも見える。顔はよく見えないが、ゆらゆらと動く紅い目の下に、ずらりとするどい牙がならんでいるのだけはわかった。
 くわえてときどき、長いシッポのゆれているのが見える。全長ならば10メートルはあるかもしれない。
 しかし、これだけの大きさと重さをもっているわりに、『それ』にはふしぎな違和感があった。
 『薄い』のである。
 よくよく観察してみれば、光のなかの腕をとおして、コンクリートの地面が見えたことだろう。もっとよく見れば、体そのものに細かい、ひじょうに細かい波がランダムに走っているのがわかったはずだ。まるで、受信状態のわるいテレビの映像のように。
 そのせいだろうか、たしかに『いる』のに、『いる』ことそのものが不自然な、たとえるならば立体映像のような『存在』だった。
 だが、竹内にはそこまでを観察する余裕などない。

「……! …………」

 目をみたしゅんかん、動けなくなっていたのである。たとえようもない恐怖が、彼を支配していた。背中をむけて逃げ出すことさえできない。もし今そんなことをしたら、たちどころに殺されるだろう。ほとんど本能にちかいところで、かれはそれを理解していたのだ。
 そして、その判断は正しかった。
 一歩も動けずにいる竹内の視界から、ふいに紅い瞳が消えた。と思うや、巨大な姿もとうとつに消えうせる。はっとして目だけを左にやると、暗がりのなかでブロックのへいが一部だけ、ぐしゃりとつぶれた。ちらり、とまたあの紅い目が見えて、闇に黒い背中がおどり、
 静かになった。
 すくなくとも、竹内はそう受けとった。
 なぜなら、『あれ』がいるあいだじゅう、頭のなかをものすごいいきおいで、音楽のようなものがめぐっていたからだ。『あれ』から流れていたものだったのか、恐れのあまりにじぶんで勝手に頭のなかで好きな音楽を再生していたのか、いや、もしかしたら混乱した思考そのものだったのかもしれないが、
 とりあえず、竹内は腰をぬかしていた。

(……………な……………なん…だ? ありゃ!?)

 声を出すのもはばかられた。まだ、そのへんにいるかもしれない。たっぷり五分もたったろうか、かれはのろのろと立ちあがり、ゆっくり歩みをすすめはじめた。
 またしても息をのんだ。
 コンクリートの地面がえぐれている。ちょうど、『あれ』がいた位置で。
 夢かもしれない、へたばっているあいだじゅう自分にいい聞かせてきたが、見たしゅんかんに鳥肌がたって、おもわず後ろを見る。なにもいない。
 ごくり、のどが鳴って、つぎのしゅんかんには脱兎のように、現場をあとにする。
 こんなところにはもう、一秒もいたくなかった。
 三十分後、自宅のドアについたばかでかい三本のツメあとに、竹内はおもわず悲鳴をあげていた。
 その夜じゅう、一睡もできなかったのは言うまでもない。




 ブイモンが来てから、数日がすぎた。
 はじめはとまどいがちだった大輔もすこしは慣れ、生活のリズムを取ることができるようになった。新しい服のおかげで散歩の許可が出たため、さっそくブイモンは大輔が出かけている間、ひまつぶしに出歩くようになった。とはいえ、学校から帰宅するころには、ちゃんと戻ってきている。
 いつのまにか大輔も、帰ったときにブイモンの顔を見るのが、楽しみになってきていた。
 ドアを開けるとかならずちょこんと座ってむかえ、満面の笑顔を見せてくれる。自分が来ることが事前にわかるらしい。あいかわらず元気で口数も多いが、ふしぎとうっとおしさはなかった。服の着かたや脱ぎかたや、ハシの持ち方も思ったより早くおぼえてしまい、もはや手もかからない。
 そのうえ、ここ数日できゅうに食う量が落ちた。こちらの倍は食べたはずなのに、いまではほとんど変わらないのだ。腕力も落ちはじめているらしい。
 どういうことなのかたずねても、

「わかんないよ、大輔」

 こればかりである。それ以外の影響はとくにないようなので、姿が変わったから体質も変わったのだろう、と思うことにしたのだが、問題はその姿だった。

(………マジでやばいな、これは……)

 いちいちそう考えてしまうくらいだ。つまりはものすごい早さで、綺麗になっていた。
 たとえば目をふせたり、立ち上がったり、歩いたり、どのしぐさを取ってみても、心臓がとびはねるくらい魅力的だ。きわめつけはくだんの笑顔で、見せられるたびに背中がゾクゾクしてしまうくらいである。かろうじて自制しているありさまだ。
 そのあとはいつも、通りいっぺんの文句が頭をよぎる。

(こいつ…なんでこんな姿になったんだ?)

 仲間で先輩でもある人が、仮説をたてていたのを思い出す。
 たとえば、かつて自分たちが使っていたデバイス。通称はデジヴァイスだが、大輔が知るかぎり、最初からあったものと、あとから出てきたものの2種類が存在した。そのうち後者には、量産される前のオリジナルがあったらしい。
 親友のひとりがそれを持っていたのだが、彼が『あちら側』でそう望んだため、従来のものからかたちが変化したらしいのだ。大輔ほか、『あちら側』に行くことのできた十数人かが持っていたデジヴァイスは、それをもとにしていたので同じかたちになったらしい。
 つまり『あちら側』であるところの電脳世界では、そういう現象がおこりうるということなのだ。
 だとすれば。

(こいつの姿も、もしかしたらオレが望んだ……?)

 だが、どうかんがえてみても、自分がブイモンにそんな姿を望んでいるとは思えなかった。思い当たるふしがまったくないし、夢にも思ったことがないと断言できる。となると、ブイモンのこの姿は、自分が望んだものではないということになる。
 それとも。

(……ブイモンが、望んだ…?)

 これもピンとこない。ブイモンはもともと人間ではないし、そうでないことに不満のかけらも持っていないはずなのだ。自分でそう言っていたこともあるし、大輔としても、そうだと確信している。自分のそばにいたいと思ったとしても、人間になりたい、などとは願ったりしないだろう。
 それでは、なぜブイモンが人の姿になったのか?

(……わからん)

 そう結論づけるしかなかった。
 じぶんはその先輩ほど頭もよくないし、仮説を立てたところでどうにかなるものでもない。どうやって『こっち』に来たか、ブイモン自身もわからないと言っていた。ならば、どうして自分にわかるだろう。

(こいつが…オレに会いたいってすごく願って、それで来られたんだろうけど…そのときに、なにかが起こったんだろうな)

 そう想像するのがせいいっぱいだった。

「どうした、大輔?」

 声をかけられて、現実に引きもどされる。顔をあげると、大きな茶色の瞳が見える。
 そういえば、いつのまにか角もシッポも出なくなってきている。瞳も、めったなことでは紅くならなくなってきていた。だから今のブイモンは、もはや『彼女』と呼んでも違和感がないほど、人間に近づいてきているのだ。それも、自分に会ってから急激に。
 これはなにを意味するのか?

「どうしたんだよ? 考え事なんて、大輔らしくないぜ?」

 大きな瞳が、からかうように細まる。

「悪かったな」

 頭をぽりぽりとかいて、大輔は立ち上がった。

「もう行く?」

「ああ」

「たしか、今日だよね?」

「あ? ……ああ。よくおぼえてるな、おまえ」

「まあね」

 ししっ、といたずらっぽく笑う、それにさえどきりとして、背中をむけた。

「…不安?」

「不安じゃない…っていったら、ウソになるな。オレ、先公と仲わりーし」

「だいじょうぶだよ、大輔ならぜったい選ばれるって。選ばれし子供だろ?」

「それとこれとは関係ねーだろ。だいたい、オレはもう子供じゃねーし」

 言いながらふりむくと、茶色の視線はずっと張りついたまま。

 ブイモンは昔から一度も、大輔から視線をはずしたことがない。今さらのように気づきながら、

「んじゃ、行ってくるわ」

 すでに準備ずみの、スポーツバッグを肩にかけた。




 大輔の通う高等学校は、毎年何人かの選手を候補として選び、プロ候補として推すことになっている。実力のほどを見るため、プロチームの監督がみずから出向くこともあり、
時期になると、選手たちの意気はいやがうえにも高まっていった。大輔はその実力から、周囲からは有力候補のひとりと目されている。
 そこへ彗星のごとく台頭してきたのが、信二こと佐々木信二だ。
 短期のうちにめきめき実力をつけ、大輔とツートップを組むその姿は、まぎれもない天才肌とのうわさである。じっさい、信二のセンスと動きには大輔も時おり舌をまくほどだ。
 そのうえ信二には、校長みずから声をかけてもらった、という強みがある。努力とかずかずの結果でここまできた大輔には、まさに寝耳の水。それこそがかれ自身も気づかぬうち、練習により打ちこむ要因となっていたのである。実生活では気が合うだけに、よけいあせりがつのった。
 これほど必死になにかへ打ちこんだ経験など、そうはないだろう。生活態度やプレイに荒れが出はじめたのもちょうどこのころで、顧問の竹内とのあつれきも同時期。

(…むー…)

 電車にゆられながら、つらつらと考える。
 中吊りの雑誌広告には小さく、『住宅街に奇妙な穴』と出ていたが、目のはじにもはいらなかった。

(…そういやあオレ、けっこう殺気だってたよなー…)

 いまや大輔の技量は、チーム内トップといっても言いすぎではないほどにまでなった。
 そのかわりに犠牲にしたものも多くて、越してきてからの友だちも、何人かと切れてしまった。べつにケンカしたわけではなく、例によって自然消滅だ。だが、いまにして思えばかれらは、あまりにサッカーひとすじな自分へ、えんりょしてしまったのかもしれない。
 竹内にしてもそうだ。気にくわないからというだけでにらんだり、悪態をついたりしたが、ほかにもっとやり方があったのではないか?
 そこまでかんがえてから、ふと疑問がうまれた。

(…ちょっと前まで、かんがえもしなかったのにな……)

 ふわり、胸をよぎったのは、くったくのないあの笑顔。

(…ああ。あいつのおかげ……なのかな?)

 たぶんそうだろう。大輔のなかで、疑問が確信に変わった。
 ひたすら走りつづけてきた自分の足を、やんわりとすくったあいつ。
 姿は変わっていたが、まぎれもなく、誰よりも信頼したあいつ。
 さいしょはおどろいたが、おかげですこし止まって、まわりを見まわす余裕をもてたのかもしれない。そうかんがえると、顔が自然とほころんだ。

(…感謝しなきゃ、いけねーかな)

 見つめる向かいがわの窓からは、晴れやかな空と、流れる景色。まるでそれがいまの自分の心境のようで、大輔はふと、深呼吸をした。

(…帰ったら、自慢してやろう。お祝いのケーキもいるかな?)

 想像して、がらじゃないと苦笑した。

(…ありがとうって、言わなきゃな)

 プロサッカー選手の候補。それが誰か、今日発表があることになっている。
 大輔の瞳は、確信に満ちていた。