無限大の…

第9話 ちきりちきりと

 大輔がブイモンを追いに飛び出して行った時点から、さかのぼること数時間。
 泉光子郎は新幹線の中にいた。
 すでに首都圏を脱し、列車はさらに南西へ向かっている。窓からは、遠目にうっすらと富士山が見えた。
 予定があるからと休みを取り、貯金をひねり出してここの座席に飛び乗ったのである。義母が、たまにはと半分出してくれた今朝のことが、まだ脳裡に焼きついていた。
 とはいえ、ただ旅行に来たわけではない。
 本当の目的は、調査だった。

「『あいつら』がいりゃ、わざわざ新幹線なんか使わなくてもよかったのにな」

「それは言わない約束でしょう、太一さん」

 少しまどろんだ視界のなかで、研究仲間の八神太一がふざけている。それをたしなめているのは、まだ中学生の火田伊織だ。どちらが年上かわからない。光子郎の横で無言のうちにジュースをあけているのは、一乗寺賢という少年だった。こちらは高校生。
 ちょっと変わった取り合わせだったが、見ためにはただの旅行者にしか見えない。
 光子郎は一度目を強くつぶって意識をハッキリさせ、

「ホントにすみません、みなさん。ついてきてもらっちゃって…」

 一同を見回す。ゆうべはデータの整理に手間取り、ほとんど寝ていなかったのだ。

「なに言ってんだ、光子郎。お前ひとりじゃ手が足りねえだろ? それに今回のことだって、一種の研究みたいなもんだ」

 太一が今さら、という顔で光子郎の肩をたたいた。

「そうですよ。ぼくも興味があるから来たんです」

 伊織もあいづちを打った。見ないうちにぐっと背たけが伸びて、好青年のきざしを見せている。

「光子郎さん。今のうちに、ここまでの調査結果、まとめませんか?」

 だまっていた賢が、ここでおもむろに口を開いた。それを合図に、小型のノートパソコンへ今日なん度めかの電源がはいる。
 事の起こりは数日前、光子郎のもとに『あちら』側のゲンナイから依頼のメールが届いたことだった。
 それによると、どうやら『あちら』から情報体…デジタルモンスター、通称デジモンと呼ばれている…が一体、抜け落ちたというのである。
 正確には抜け落ちたというより、『そいつ』が自分の意志で抜け出したと言ったほうが正しい。
 うち捨てられて誰も使わないまま、忘れさられたゲートがひとつだけ残っていたのだが、どうもそれを使用したらしいのだ。現在『あちら』からの介入は禁止されているため、接点を持つ数すくない人間へ、調査と対処が依頼されることになる。それが光子郎と太一、それに賢だった。
 伊織は太一の推薦で同行している。いわく、『いざって時には俺より頼りになるから』。
 光子郎のパソコンとデジヴァイスにはすでに、くだんのデジモンを探すためのプログラムがダウンロードされていた。太一たちのデジヴァイスにもコピーずみとなっている。
 これを使えば、まるでレーダーのように、位置を光のポイントとして画面上で見ることができた。
 広いはんいの調査にはパソコンが必要だったが、だいたいの特定さえできれば、デジヴァイスだけでも追跡することができる。
 ほかにも、ゲートを強制的にひらいて、目標を『あちら』へ戻せる機能がついているのだが、一度使うと以降はロックがかかるので、使用はあくまで緊急時のみ。それをあらためて光子郎はほかの3人に強調した。

「…でも、どんなデジモンでしょう? 新聞やネットを見ても、これといって大きなさわぎにはなっていないし…おとなしい性格なんでしょうか」

「そうだと助かるんだけどなあ」

 伊織と太一が、思い思いの感想をのべる。実はまだ、そのデジモンの特定ができていなかったのだ。
 通常、デジモンはいくつかの段階をへて自分の情報を上乗せし、『進化』してゆく。
 進化すればするほど多くの場合、巨大になり、きょくたんなものでは災害レベルのエネルギーさえ発散するのだ。そのような個体がいれば、イヤでも人々の目にとまるはずなのだが、特にそれらしいニュースは見あたらない。
 となれば、そのデジモンが小型の個体という可能性もある。

「けど、大きなヤツなら、山にかくれていたりするかも…。その時はどうします?」

 賢がべつの推測を持ち出した。
 たしかにデジモンは人間と同じくらいに頭がいいし、ことばも解する。人目を盗んで身をかくすくらいは、やってのけるはずだった。

「その場合は、そいつにゃ悪いけど、問答無用でゲートを開くしかないな。今回ばかりは、『あいつら』にたよるわけにもいかないし」

 腕組みをしながら、太一が答える。

「そうですね。僕たちでなんとかしないといけません」

 光子郎の言葉に、全員がうなずいた。目を上げた賢の目のはじに、少しずつりんかくを見せはじめた富士山がうつる。

(…そういえば、今向かってる街には本宮が住んでるんだっけ)

 本宮大輔。プロサッカー選手を目ざし、東京を飛び出していった親友。
 ひたむきなその姿は、賢に大きな勇気をあたえてくれた。一度はあきらめかけた警察官への夢を取りもどせたのには、かれのおかげもある。

(せっかくここまで来たんだ。終わったら、ひさしぶりに会いに行ってみるかな)

 なかば口に出して考えていた賢の横では、光子郎が自分のカバンを引っぱり出し、なにやらゴソゴソとさぐっている。見ているうちに、ぶかっこうな携帯電話があらわれた。ほとんどトランシーバーなみのでかさである。ところどころには、明らかに後づけとみられるパーツがゴテゴテ。

「おいおい光子郎、なんだよそれ」

 あきれたような口ぶりで、太一がツッコミを入れる。光子郎はすました顔で今度は太いケーブルを取り出し、携帯をパソコンに接続した。

「そろそろゲンナイさんがメールを送ってきてくれる時間です。れいのデジモンのこと、何かわかるかもしれません」

 ごんと重い音を立てて、携帯がはめ殺しの窓ぎわに置かれる。携帯としてはどうにも重量オーバーだが、安定性はありそうだ。そうこうしているうちにメーラーが起動され、接続がはじまる。のぞきこんでいた太一の目が、ますます丸くなった。

「…お前、どんな改造したんだよ? なんでこの中でこんなに早くつながるんだ? ヘタすっと違法だぞ」

「まだ改良の余地ありですよ」

 しれっと答える。太一はそんな後輩に苦笑した。
 光子郎はとぼけた顔で、ときどき大胆なことをやる青年なのだ。昔からそうだった。こういうところはかなわないなと思う。
 『あちら』についての研究を手伝ってくれないかとたのまれた時、正直自分でつとまるだろうか、と考えたものだが、今は案外うまくいっている。
 いずれ、こちらと『あちら』のかかわりはもっと深くなるはずだった。その時にそなえてパイプ役をつとめるのが、かれら二人のねらいである。今回のこともその一環なのだが、組んで活動を開始してからは初の『事件』といえるできごとでもあった。
 不謹慎ながら、太一はワクワクしていた。まるで少年の日の冒険のようではないか。
 あの時は大変だったけど、あんなに楽しい時間もまた、ついぞ知らない。
 それに、そばにはいつでも『あいつら』がいた。だから、どんなに苦しくても…

「大変ですよ!」

 いきなりの叫びに、太一の回想はこなごなにうち砕かれた。
 ほかの二人も、叫んだ本人である光子郎へ注目する。と、光子郎はいきなりノートパソコンを横に回して、画面がみんなに見えるように向きを変えた。

「例のデジモンの正体がわかりました。見てください」

 メールの文面に、4つの視線があつまる。ゲンナイからのメールだ。
 太一も、伊織も、賢も、いっせいに顔色がかわった。

「……マジかよ」

「そんな……」

「…急いだ方がいいかもしれません。向こうについたら、すぐ行動を起こしましょう!」

 張りつめた顔で、全員が首をたてに振った。

(……本宮…!)

 賢がごくりと固唾をのんだ音がしたかもしれないが、みんなの耳にとどいたかどうかは、わからなかった。




 大輔の足が止まったのは、たっぷり数分走ってからだった。
 あまりに気が動転していて、どこに向かって走っているかもわからなかったのだ。われに返って左右を見わたす。
 すでに青を通りこし、闇にしずみつつある住宅地の壁が、ただ静かにたたずんでいるばかりだ。

(…ブイモンのヤツ…どこにいったんだ……?)

 正直、見当もつかなかった。ブイモンが報告しなかったのではない。まともに聞いていなかっただけだ。今さらながら、後悔した。
 思えば、自分がいったいどれだけブイモンの話を聞いてやったというのだろう?

(…どうやったら見つけられる?)

 冗談が言えるタイプではないから、本気で家を出たはずだ。
 それに鼻がきくから、そばへ行ったら、きっと逃げてしまうだろう。本来、ブイモンは大輔が追跡できるようなあいてではないのだ。

(…逃げる…)

 自分の手をじっと見つめる。この手で、なにをやったか。

(……あいつ、オレが…)

 嫌いになったのだろうか。
 そう思った。
 言葉には出さない。出してしまえば、たぶん今ここで、ひざをついてしまう。
 たしかにブイモンはいつでも、自分の味方だった。だからといって、そのことに絶対の保証はありえない。パートナーのほうが、越えてはならない線を越えてしまっては。

(………当然、かもな……)

 なんて現金な感情だろう。後悔のすぐ横で、シニカルな自分が大口をあけてせせら笑っている。今さら後悔しても手おくれだとケタケタ笑っている。
 考えてみればあの時、ブイモンがじっと自分を見つめる、その視線を見たとき、そこで止めておけばよかったのだ。だが、頭に血がのぼっていて、歯止めがきかなかった。
 なのに、ブイモンは戸惑いこそしたものの、それでも自分を責めなかったのだ。それどころか、気づかう言葉さえかけてきたのである。

(…そうだ!)

 とうとつに思いついて、きびすを返した。ばく然とした期待と不安をいだきつつ、自分のアパートへ取って返そうと走る。

(あれを…あれを使えば、わかるかもしれない! あいつの…いばしょが……!)

 走りながら大輔は、半分熱にうかされたようになって考えていた。
 どうしてブイモンは、いつでも自分の味方をしてくれたのか。
 どうして出会ってすぐ、自分とうち解けたのか。
 どうしてそばにいることが、あんなに自然だったのか。
 どうして、あんなにバカなのか。

(イヤだったら…言ってくれればよかったのに…なんで…)

 これも都合のいい考えだと、今の大輔にはわかっていた。ゆうべの時点なら、何を言われても聞かなかっただろう。なにしろ理性がすっ飛んでいたのだから。
 いや、それだけではない。
 認めざるをえなかった。
 そう、自分は知っていたのだ。ブイモンが拒まないということを。
 そんな自分の計算が、とてつもなく卑劣なものに感じられた。できることならタイムマシンがほしかった。それに乗ってゆうべに戻り、ゆうべの自分をゲンコツでぶんなぐってやりたかった。そして言ってやるのだ。てめえは最低だと。

(…くそ!)

 かんかんかんかんかんかん!
 この程度で息が上がってたまるかと、一気にアパートの階段をかけ上がる。左に首を回すと、もう自分のへやは目の前だ。乱暴にカギを取り出し、開けようとする。手が止まった。
 …閉め忘れていたらしい。
 だが、苦笑することさえ忘れていた。いきおいよくドアを開けて、へやに土足でとびこみ、デスクの引き出しの錠を乱暴にはずして開ける。
 そこには静かに、こぶし大のデバイスがねむっていた。
 通称デジヴァイス、またの名をD3。もともとは情報体であるブイモンへ、コマンドを送るために使っていた端末だ。持ち上げると、ちきりと音がした。

(…こいつを使うの、何年ぶりだっけ)

 思い返しながら電源ボタンを押す。電力がまだ生きているかどうかまで考えが回らなかったが、ありがたいことに、
 ぶん
 にぶい音を立てて、中央のモニタへ光がともった。思わず歓喜の声を上げそうになって、はたと困る。
 この先どうすればいい?
 とりあえずボタンを何度かクリックしてメニューを見てみるが、何もそれらしい反応はない。
 考えてみれば当然だった。このデバイスは、近くに同じ種類のデバイスがあるかどうかに反応するのであって、自分のパートナーそのものを探せるようにはできていない。
 頭ではそうだとわかっていたのだが、今たよれるのはこれしかないように思えた。かつてはこの道具で、ブイモン自身と情報のやりとりをしていたのだ。だから、ブイモンの手がかりがなにか残っているかもしれない。その思いだけが、大輔の指を動かしつづけていた。

「………」

 指が止まった。
 デジヴァイスは無愛想に、通りいっぺんのメニューをならべたまま変わらない。液晶画面のアイコンが、急にひどくチープなものに見えてきた。
 大輔はデジヴァイスを持ったまま、右腕を振った。残像が見えて、またちきりと音がして、静かになる。
 また何度も振った。ちきちきちきと耳ざわりな音が反復して、手が止まったとたん、ちきっと静かになる。なにも起こらない。

「…くそ」

 小さく悪態をついた。
 こんなところで自分はなにをやっているのだろう。こんなオモチャをいじっている場合じゃないのに。右手に、みしっと力がこもった。
 もう一度デジヴァイスを見た。
 それはオモチャだった。
 長い冒険の相棒になってくれた大事なアイテムではなく、ただのオモチャにしか見えなかった。
 こんなオモチャが本当に、ブイモンと自分をつないでいたのだろうか?
 なぜこんなオモチャが、特別なものだと思ったのだろう?ただのオモチャなのに。必要なときにはてんで役に立たない、能なしのオモチャだというのに。
 わけもなく腹が立ってきた。

「…この…役たたず!」

 床にたたきつけようとしたが、寸前で怒りがゆるんで、デジヴァイスは止まった手からごとり、落ちるだけにとどまった。
 やがて大輔は、のろのろと扉のほうへ進みだした。こんなところで、油を売っているひまはない。
 なさけないような気持ちで、ノブに手をかける。
 急に背後が明るくなった。
 白い光が、扉に黒ぐろと大輔のシルエットを浮きだたせる。あまりに急だったので、思わず目を細めてしまう。

「…な、なんだ?」

 目をかばいながらふりむくと、床にうち捨てられたデジヴァイスが、光をはなっていた。液晶画面からまっすぐに天井へ、ビームのようにつよく伸びている。へやじゅうが真昼のように明るくなっていた。本だなの背表紙一冊一冊の文字までが、ハッキリ読みとれるほどだ。
 これほどの光量を小さなデバイスがはなつこと自体が不自然だったが、神秘的なながめでもある。
 光は目がなれてくると、真っ白ではなく乳白色だと判別できた。強くはあったが、目を射って灼いてしまうようなものではなく、むしろ安らぎを感じて、ささくれ立っていた心がすこしずつ、もとに戻ってゆくかのようだ。こんな光は見たことがなかった。
 …いいや、見たことがないというのはまちがいだ。
 気がつくと大輔は、一歩、また一歩と、デジヴァイスのほうへ足をすすめる自分を見つけていた。変だとは思わなかった。確信があった。

(…そうだ。オレは…この光を、見たことがある)

 どうして忘れていたのだろう。あまりに長い間見ていなかったからなのか。それとも、自分が変わったからなのか。
 ゆっくりとデジヴァイスをひろう。ちきりと、また音がしたが、それさえもさっきまでとは、まるでちがって聞こえる。それどころか、デジヴァイスそのものがいきなり存在感をましたようにすら感じられた。
 手のなかでゆっくりと鼓動をうっている。ただのプラスチックにすぎなかったはずの白いカバーが、今はまるで、なにか呼吸をする皮膚のようにすら思える。光のせいか、すでにかなりの熱を発していたが、表面がやさしく手のひらに吸いつき、自分の体温と一体化して、からだの一部になったかのような、ふしぎな感慨をおぼえた。
 だが、これは決してはじめての感覚ではないはずだった。

(…これが…デジヴァイス……)

 その時5年前の体験が、ようやくまざまざと、大輔の脳裡へよみがえってきた。
 しばらくして光はすうっと細まり、あっと思ったときにはもう消えていたが、その感覚と記憶はしっかり刻みこまれ、もう消えることはなかった。
 さらに画面を見ると、異変がおこっていた。
 見なれない、広いウィンドウが開いている。方眼でくぎられた、大きなレーダーのような画面だ。その左上に、ちかちかと光るポイントがあった。

(…こいつは……!)

 考えるのももどかしく、大輔はふたたびへやを飛び出していた。
 この画面がなにを示すのか、本当のところはわからない。だが、直感的に理解していた。このデジヴァイスを使えば、ブイモンを探せる。確証はない。しかし、そうとしか思えなかったのだ。もし推測通りだったとしたら、

(…デジヴァイスが、オレの願いを聞いてくれた……?)

 かかげた右手に、ぎゅっと力がはいる。今度は感謝がこめられていた。
 まちがいでもいい。かんちがいでもかまわない。今このデジヴァイスを信じて行動しなければ、永久にブイモンに会えなくなるかもしれない。希望があるかぎり賭けたい。
 もう一度あいつに会いたい。会って話がしたい。会ってあやまりたい。会って……。
 大輔は走った。足が痛むのも忘れて、走った。

 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ

 文字が嗤う。
 大輔が去った後、またしてもパソコンが勝手に起動している。ひとりでにメーラーが立ち上がり、メッセージボックスいっぱいに、『け』の文字がおどった。

 ぶーん

 それからしばらく、部屋はファンの音だけがひびいていたが、とうとつに電源が落ちた。

 落ちたはずなのに、
 また文字が出てきた。

『だ』

 ひと文字、

『い』

 ひと文字。

『すけ』

 名前だ。改行されて次が出てきた。

『みつけた』

 かちり。
 ひゅるんと、モニタの灯が消えた。




 どのくらい走っただろうか。
 さすがに少し息切れがしてきて、立ち止まり肩で息をする。
 やがて、顔を上げた大輔の目の前に、急な坂道がのびていた。坂道の先には小さなT字路があって、右にゆくと小学校、左に行くとでかい公園がある。古くから緑がゆたかなところで、あらゆる広葉樹が整然と植わった敷地では、ジョギングやキャッチボールに興ずる人々がよく見られた。大輔もよくここで、練習をしたものだ。

(…どっちに行こう…)

 いっしゅん迷ったが、デジヴァイスによると、左に行ったほうが近そうに見えた。坂道をのぼり、公園のほうへ曲がる。こんもりとした小さな森が、視界にはいってきた。いくつもの大樹が枝葉を重ねて黒ぐろとしており、中のようすはわからない。
 だが、大輔の足はだんだんと早まっていた。
 森が見えてきたあたりから、ポイントの光がぐっと近づいてきていたからだ。
 画面の中央、つまり原点が大輔自身の位置だということはわかっているので、そこへ向けてポイントが動いているということは、ブイモンが近いことを意味するはずだった。そう信じたかった。とにかく、ブイモンを見つけなければ、はじまらない。
 ところが公園の入り口近くまで来たところで、ポイントがおかしな動きを見せはじめた。
 最初に少し移動して、ついで戸惑うようにふらふらし、それから急に、逆方向へ動きはじめたのだ。逆ということは、

(げっ、もう感づかれた!)

 あわてて走り出した。鼻がいいのは知っていたが、まさかこんな距離からわかるとは。
 向こうの動きはかなり早い。そのうえ道を回りこみながらなので、しょっちゅう方向を見失いそうになる。そのたびに、あわてて脇道をさがした。

(ちくしょう、どこだよ、ここは!?)

 すっ転びそうになりながら、角をめちゃくちゃに曲がる。ふだんからきたえていなければ、とっくに音をあげていたところだ。自分がどこにいるのかわからなくなってきていたが、
かまっているヒマはなかった。ここまで来てあきらめるくらいなら、最初から追いかけてなどいない。
 気づいたらまた公園にもどってきていた。いや、ぐるりと回って裏口に出たらしい。迷わず中に走りこむ。それまでのコンクリートの地面にかわり、少しやわらかな土の感触が足の裏にやってきた。
 その違和感に足をふみ出しまちがえたのか、
 がくん!
 視界がぶれた。反射的に左手を使って、受け身を取る。あわてて足のほうを見ると、木の根っこが地面にちょこんと顔を出しているのが見えた。それに足をひっかけられて、転んだらしい。デジヴァイスの画面ばかりに目をやっていて、足もとがおろそかになっていたようだ。
 服装は学生服のままだったが、さいわい土は乾いていて、汚れもはらえば落ちるていど。すぐに立ち上がった。とたんに足が、すこし痛む。

(よけい痛めたかな)

 しかし、すぐにまた走り出した。実はさっきから少し痛かったのだが、転んだせいでますます悪化したらしい。半分びっこをひきながら、それでも走った。
 ポイントの動きは速い。ぐずぐずしていたら、本当に逃げられてしまう。
 やがて広場が見えてきた。まばらに生えた木々が、ちょうど柵のように芝生をおおっている。ぐるりを歩道がとりまいていた。
 みょうに夜空がひらけて見える。まわりに目立った建物がないせいか、そこだけが独立した空間のように、ぽっかりとプラネタリウムを形づくっていた。といっても、電灯の光が強くて星などあまり見えない。それでも、東京よりはましだろうか。
 その天球でひときわ目立っていたのが、まるい月だった。その時になって気づいたことだが、今日は満月だったらしい。
 広場にはだれもいなかった。
 今ごろはちょうど食事どきだから、穴になっている時間帯なのだろう。思い出して少し腹がへったが、今はそれどころではない。大輔は広場にふみこんで、何十度目かの視線をデジヴァイスに落とした。

(………え?)

 思わず足が止まった。
 
 ポイントがふたつに増えている。
 あ然として、しばし大輔は広場の中央に立ちつくしていたが、すぐに我にかえり、あわててボタンを連打しはじめた。
 変化はない。ポイントは二つのままだ。

(……ど、どういうことだ…?)

 いずれの点もいつのまにか止まっていたのだが、それさえ頭からふっ飛んでしまう。
 と…。

(!?)

 とつぜん、片方の点がはげしく点滅をはじめ、一秒とたたないうちにかき消えた。

(消えた…!?)

 と思ったら、またあらわれた。ぜんぜんちがう位置だ。
 また消えて、またあらわれた。こんどの位置は、画面の中央にかなり…

 ばきばきっ!

 どこかで、変な音がした。
 反射的にふり返る。もう一度デジヴァイスを見る。
 点はひとつだけ。
 なぜか大輔は、だんだん体が汗ばんでくるのを感じていた。
 何か…

 ばきっ

 まるっきり別の方角で、また音がした。
 まちがいない。木が割れる音だ。
 何かがいる。

(な……なんだ!? なんなんだ!?)

 ブイモンではない。
 もっとでかくて重い、なにかだ。

 ばきっ、
 ばき、
 ばきゃ、
 ばきき。

 だんだん近づいて…きている。
 まるで、何かをさがしているかのようだ。丸太をけっとばすような、ごごんという重い音もする。

 ばぎゃ!!

 今度は10メートルとはなれていない。思わず後ろをふり返りそうになって、あわてて首をもどす。
 ものすごくイヤな予感がした。

(……なにか…)

 そろそろと、姿勢をととのえる。

(なにかやばい!)

 残りの力をふりしぼって、めいっぱい地面をけった。ここでじっとしているのは危険だと、本能が半鐘をジャンジャン鳴らしている。足はあいかわらず痛かったが、気にしている余裕すらなかった。ちらりと後ろを見やる。なにもいない。ふたたび前に目をやったところで、
 凍りついた。
 足すらも止まる。

 ぢぢぢぢぢぢぢぢぢ

 胸の悪くなるようなノイズが横に走る。その粒子のひとつひとつが、少しずつ規則的なパターンを取り、細かなパズルを組むように、ひとつの形を組み立ててゆく。
 大輔の前方数メートル。
 半透明の砂のようなかたまりがゆらぎ、ゆがんで、だんだんと意味のある姿をとりはじめていた。腕がある。足がある。人間のようにも見えるが、ツノがある。シッポがある。
 つづいて、さらに具体的な実体化がはじまった。
 最初に見えたのはウロコだった。それはすぐに無数にまで増えて、できあがりつつある本体へからみついてゆく。見るまに皮膚らしきものができた。同時に色がつき、光沢がつき、ぬれたようなしめり気までをもおびる。
 次にツメが出てきた。のっぺりとした指からなんの抵抗もなく、にゅっと生えてくる。鉤のように曲がってくねり、ナイフのようにとぎすまされる。
 キバが出てきた。順序よくニョキニョキと、するどい歯がのっぺらぼうの口のなかへ頭を出してゆく。こっけいな光景でさえあった。
 そして。
 長ほそい顔へ、いきなり紅い切れこみが入った。それがゆっくり、ゆっくりと形を変える。
 もう切れこみとはいえない。目だ。
 紅い瞳。
 大輔の全身から、どっと冷や汗がふき出してきた。
 知っている。
 オレはこいつを知っている。

 くわっ!

 『そいつ』の目が、大きく見ひらかれた。
 大輔はあやうく悲鳴を上げそうになった。
 視線が合ったのだ。
 それ以上に。
 この目、
 この死んだ魚のような感情のない目。

 そう、見おぼえがあったのだ!
 感情を見せないまま、紅い瞳がきゅうっと、細まった。