第一幕 第一場

コーンウェール国は隣国フォロンツァ王国と仲が悪い。
些細ないさかいと行き違いが重なって、フォロンツァが宣戦を布告。国境に軍を配した。
コーンウェールの王、オーラフは、事態を重く見て宗主国レアンに使者を送ることにした。
レアンの目を盗んで国力を蓄えてきたフォロンツァ王国とコーンウェールでは兵力の差は歴然。レアンの援軍なしでは敗北は必至だった。
だが帝国レアンに行くにはフォロンツァ王国の陣地を横切らなければならない。この危険な任務に志願するものなどいないのではないかと思われた。そのとき、一人の勇気ある騎士が名乗りを上げた。
クリストフ・ジャンニ。
黒い甲冑に身を包み、黒毛の馬にまたがって戦場を駆け抜ける姿は黒獅子と異名をとった。勇猛果敢な無敵の剣士である。
その後に続いてクリストフの盟友バルテロー、デイビス両名も名乗りでる。
オーラフはいたく喜び、クリストフの手をとって誓った。
『見事使命を果たしこの地にたどり着いた暁には、そなたにわが娘をとらせよう。』
一人娘の王女リデルは若く美しかった。バラ色の頬を染めて、父王の傍らで小さく膝を折った。
彼女は幼い頃からこの勇敢な青年に恋をしていたのである。
クリストフは跪き、王オーラフに奏上する。
『もったいないお言葉、誠にかたじけのう存じます。しかし私は褒美のためではなく、コーンウェールのために命を尽くす所存でございます。』
それをきいたリデルの瞳がふと翳る。
だがオーラフ王は満悦し、鷹揚に肯くと騎士の手をとって立ち上がらせた。
『良い心がけである、騎士クリストフよ。そなたの心根はジャンニ家の誉れとして末代まで語り継がれよう。』
そして王は彼らに告げた。『では行くが良い。幸運の神獣がそなたたちの上にあらんことを』



「で、俺がこのクリストフとかって騎士の役をやるわけ?」
 思いっきり不本意な声を上げたのはジタン・トライバルである。
「何だ、不満か」
 台本の読み合わせの最中。リンドブルムの狭い部屋でタンタラスの面々は顔をつき合わせて稽古に勤しんでいた。
 だがさっきから、どうも居心地悪そうにジタンがもぞもぞと動いている。
 痺れを切らしてバクーが鬱陶しそうに言うと、待ってましたとばかりに彼は力を込めて肯いた。
「ああ、俺、騎士って柄じゃねえしさ。こういうのはやっぱマーカスのはまり役だろ?それに第一何だよこのパンフレット!ジタン・ドパルデュー…って誰だよこれ!」
「役者にはな、芸名ってもんが必要なんだ。大衆に浸透するような、分かりやすい名前がな。俺ぁネーミングの天才だからよ。いい名だろう。――文句があるならクリストフのloveシーンを増やすぞ」
「くそじじい!脅迫かよ!」
 ドスのきいたバクーの脅しに、ジタンは涙目になりつつ抗議を続ける。
「ごたごたぬかすな!この公演の予定日を言ってみろ!」
「い、一月十五日…」
「それは何の日だ!?」
「…アレクサンドリア女王の…誕生祭」
「だろうが!ってことは、お姫さんが一番望んでることをやってこそ、プレゼントになるってもんだろうが。そんなことも分からねえのか。おめえの頭は何のたのめについてんだ?」
 馬鹿呼ばわりされるのはいつものことだが、それでもジタンは今回は引き下がらなかった。
「だけどダガーはちゃんと女優として舞台に出るんだろ?それだけで十分じゃねーか。お、俺には無理だって、騎士なんかさ。第一俺が甲冑を身にまとったところを想像してみろよ。笑っちゃうだろ?」
 タンタラスのメンバーが思わず一斉に肯きかけた時、奥の扉が開いた。
「あら、私は見てみたいわ!ジタンの鎧姿。きっと素敵だと思うわ!おじさまから配役を伺ったとき、とっても嬉しかったの!」
 入ってくるなりきらきらと黒い大きな目を輝かせて語る少女の熱弁に、タンタラスの連中は上下に振りかけた頭を一斉に横向きに振る。
「せ、せやせや!たまにはかっこいい姿のジタンもええし。な、なあ?」
「そうだな。たまにはかっこいい姿のジタンもいいな」
 ブランクは引きつった笑いを浮かべつつ、苦し紛れに同調する。
「あ、お、俺も賛成です。それにジタンさん、芸達者だし」
「どっちにしても男前の役だからいいずら〜」
 たった今まで自分の味方だったはずの仲間の見事な変わり身に、ジタンは開いた口が塞がらない。
「お前ら…そんな奴だったのか」
「どうして?みなさん良い方ばかりじゃない」
 微笑みながらジタンの傍らをすり抜け、ガーネットはバクーの前に立って深々とお辞儀した。
「おじさま、それからタンタラスのみなさん、この度は私のわがままを聞き届けてくださって、ありがとうございます。心から感謝いたします」
「いいってことよ。だがお前さんを村娘にするのはちと心が引けるがな」
「いいえ、主役をさせてくださるなんて…光栄ですわ。私、そのお心に背かないように、精一杯頑張ります。どうか私を、タンタラス劇団の一員に加えてくださいね」
 女王陛下が叩頭するなんて信じられない光景に、さすがのタンタラス団も凍り付いている。
 ジタンだけがなんともいえぬ表情でそっぽを向いたままだ。
「おう、だったらその堅苦しい挨拶はやめにして、その椅子に座りな。早速読みあわせを始めるぞ」
 だが団長は平然としたもので、周囲がやきもきするような乱暴な口ぶりで女王に命じた。女王がまた、それが嬉しくてならぬように素直に言うことをきいている。
 すこぶる妙な光景に彼らは顔を見合わせ、――そしてすぐにいつもの調子を取り戻した。
「ほな、始めよか」
 ルビイが合図を送った。

 劇の稽古は10日間。ガーネットが休養と称してリンドブルムに滞在している間に急いで行われる予定だった。
 休養を勧めて彼女をリンドブルムに呼んだのはもちろん大公である。いつも政務に忙しいガーネットの体と心を慮って、彼がバクーに相談を持ちかけたのが事の発端だった。
「ジタンの馬鹿者め、たまにガーネットに顔を見せにでも行ってやればよいのに、一向に彼女に会おうとせぬ。あの頑固者の頭をどうにかしてくれぬか」
 ちょうど一年前ようやく再会を果たし、お互いの無事と想いを確かめ合った二人は、それから一度も会っていないのだ。最も大きな原因は、彼女に相応しい男になるまでは会いに行かない、なんて勝手な誓いを立ててしまっているジタン・トライバルにあった。
 そのくせこの男、未練たらしく夜中展望台に一人佇んで、大きなため息をついたりするのだ。
「どうにかしてほしいのだわ!展望台はエーコの庭みたいなものなのに、あの鬱陶しい男がすっごーく邪魔なの!」
 愛娘エーコからの苦情もあって、シドは重い腰をあげたのだった。
 そこでバクーが一計を案じた。
 以前からガーネット女王は舞台に興味を持っているようだった。しかもエイヴォン卿の戯曲を殆ど諳んじているという。それならばアレクサンドリア公演のときに、舞台に立たせてみてはどうだろう。リンドブルムに呼び寄せて、十日間くらい休養させればよい。その間稽古をこなせば、ジタンにも無理なく会わせられるし、一石三鳥というものだ。
 バクーの提案にシド大公は一も二もなく飛びついた。
 かくして今回の公演計画が整ったのである。

 とはいえ、久しぶりに会えて嬉しいくせに、二人とも意地っ張りで、どうもストレートに再会の喜びを表さない。
 いや、ガーネットは最初、ジタンの姿を見るや否や、目を潤ませて彼の胸に飛び込んだのだ。だがジタンの方が…、一瞬その華奢な体を抱きしめようと腕を動かしかけたものの、すぐに彼女の肩を掴んで引き剥がしたのである。
「久しぶり。元気そうで良かった」
 そのたった一言が、彼の再会の挨拶のすべてだった。
 ガーネットは哀しそうな色を浮かべてジタンを見上げ、そして俯いて彼から離れた。
 自分から目を背ける様に斜を向いた彼の姿を見るに忍びなかったからだ。
「あなたも、元気そうでなによりです」
 辛うじてそれだけ喉の奥から搾り出すと、彼女はさっとドレスの裾を翻してあてがわれた部屋に帰っていった。
 バタンと音高くドアが閉まる。その音を合図にしたかのようにジタンは視線を戻して彼女の消えて行ったドアを見つめた。
 寂寥というより、愛執と言っても良いような眼差しだった。
「何と言う目をしておる。そんな目をするくらいなら、なぜもっと素直に喜びを表さぬ。お前らしくもない」
 腕を組んだシドが、渋い表情でジタンを詰る。
 ジタンはふっと自嘲ともつかぬ吐息を洩らし、真顔のまま足元に目を落とした。
「お節介だよな、じいさんたちってさ。…人の気持ちなんかお構いなしでさ」
 どういうことだと問い詰めようとするシドの出鼻をくじくように、ジタンは顔を上げて大公を見据えた。
「俺は、弱いから。負けちまうんだ。分かってるくせに、人が悪すぎだぜ。まったく」
「負けてしまえばよい。それが若さというものじゃ」
 厳かな口ぶりを装って重々しく語るものの、その演技を裏切るように口ひげがぴくぴく動いている。目ざとくそれを見つけて、ジタンはすかさず突っ込んだ。
「ボスと一緒になって面白がってるだろ。もっともらしい事言ったって、バレバレだぜ?」
「いや、そんなことは…」
 わざとらしく咳払いしながら髭を扱い始めるシド。ジタンは諦めたように苦笑を浮かべた。
「いいや。どっちにしろ、賽は投げられたんだし。・・・・それに、・・・・会えて嬉しかったし」
 ほんとはね。
 小さく呟いて、逃げるようにジタンは部屋を後にしたのだった。

 

 

第一幕 第二場

数十の手勢を引き連れてクリストフは囲みを突き破り、フォロンツァ辺境のとある村に辿りつく。
レアンの国まであと数十里。だが無理な行軍の挙句の激しい戦闘に兵士の数は半減し、クリストフ自身もひどい傷を負ってしまっていた。
村外れでひっそりと野営することにしたクリストフだが、その夜高熱を発し、瀕死の状態に陥る。案じた盟友二人は危険を承知でクリストフを抱えて村に赴く。
たまたま村の入り口で出会った美しい村娘、ソフィアの協力を得て、クリストフは彼女の家にかくまわれる。
彼女の献身的な看護のおかげで彼は一命をとりとめた。
だが療養が必要な身でありながら、任務遂行に命をかける彼は、周囲がとどめるのも聞かずに再び国境に向けて出立する。
別れ際にクリストフは、ソフィアに一輪の花を贈るのだった。
その花の花言葉は「永遠の愛を誓う」。
数日間の心の通いあいが、クリストフの胸に強い想いを生んでいたのである。
役目を果たしたら必ずここに戻ると誓って、彼は村を発っていった。