One love,  One heart<3>



 近衛師団の総指揮官であり、将軍の一人であり、そしてガーネットのお目付け役でもあるベアトリクスは、顔面蒼白になって卓上に置かれた紙片を握り締めた。
  かたわらでガーネット付きの侍女が、同じく――いや、将軍よりもっと真っ青になって叩頭している。
 「申し訳ございません!用事をお言い付けになられたので、少しの間外しておりました。その間に…申し訳ありません」
 「よい。そなたを責めたとて詮無いこと。…ガーネット様がお戻りになられたらすぐにお召し変えできるよう、準備万端整えておくように。よいな。それがそなたの罪滅ぼしです」 
 ベアトリクスの感情を寸分も交えぬ冷たい下知に、侍女は更に平身低頭する。
 「かしこまりました」 
 もう客は広間に集まりつつある。夜会を今更中止するわけには行かない。さりとて臣下の身では表立って動くわけにもいかない。ここは諸大臣の力を借りるしかあるまいと彼女が踵を返したちょうどその時、女王の私室の扉が開いた。
 「ジタン殿」 
 現れたのは、安穏とした表情の平和な男だった。
 「将軍、いつもご苦労だな。ガーネットは今着替え中?」 
 と、部屋の奥を覗いて、ジタンはおや?という顔をする。 
 ぐるりと見回すが、彼女の気配は全く無い。そして、隅に突っ立ったままの将軍は、ジタンとは対照的な剣呑極まりない表情で眉根を寄せている。
 「ガーネットは?もう、広間に行った、とか?」 
 時刻に遅れて帰ってきたから、将軍が怒っているのだとジタンは思った。
 「俺もすぐに支度していくから。そんな、怒るなよ」 
 照れくさそうな笑いを浮かべて、慌てて上着を脱ぎ、着替えようとする彼に冷水を浴びせ掛けるようにベアトリクスは言った。
 「お戻りになられていないのです」
 「は?」 
 袖を抜きかけて、ジタンが動きを止める。
 彼女の言ったことがいまひとつぴんとこなくて、もう一度訊ねる。
 「何だって?」
 「陛下は、お戻りになられていないのです。お一人で城下にお出でになられたのですわ。ジタン殿は…ご存知ではなかったのですか」 
 半分以上、責めるような口吻である。まさか知っているとも言えず、ジタンは言葉を濁す。 
「あなた様がしょっちゅう城下にいりびたるから、こういうことが起こるのです。仮にも婚礼を挙げ、あなたはこの国の女王の配偶者となったのですよ。実質的な王ではないとはいえ、慣例として王様と呼び習わされる位置にあるのです。好き勝手なことをされては困ります。もし、陛下に何かあれば――そっ首、頂戴致しますゆえ、お覚悟召されませ」 
 もともとベアトリクスはジタンに対しては冷淡である。
 ガーネットがこの男を心の底から愛していると思えばこそ、そしてこの男がそれ以上にガーネットを愛し、大切にしようとしていると思えばこそ、認めている節がある。もし彼がガーネットに不義理でもしようものなら、本当にその言葉どおりの行動に出る可能性は十分あった。 
 ジタンは苦笑いしつつ、一旦脱ぎかけた上着をまたはおった。
「探しに行ってくる」 
「なりません!」 
 咄嗟に、ベアトリクスが引き止めた。
 今度はジタンもむっとする。
 「なんでだよ。お前は女王陛下の身が心配じゃないのか」
 「心配です。ですが、もうすぐ夜会が始まります。あなた様のお役目ですわ。夜会を成功させてくださいませ。女王陛下の探索は、私が行います」 
 これが外交の一環であることは、ジタンにもよく分かっている。たとえ儀礼的催しに過ぎぬとしても、その形式は国家間にとっては大切だった。そして誰より成功させようと腐心していたのは、女王陛下自身だったのだ。 
 その彼女が不在の今、彼女の代理が務められるのは、確かにジタンしかいない。
 ジタンのブルーの瞳がかすかに翳る。
「わかった。何とか上手くやりこなそう。だけど、最初だけだ。一段落ついたら、俺はあいつを探しに行く。その後の夜会は将軍に一任するからな」
「しかし、それでは探索に…後手に回ってしまいます」 
「あてもなくむやみに市中を捜索しても、徒に時間を食うだけだ。俺が夜会に出てる間、タンタラスの連中に情報を流してくれ。それが一番手っ取り早い」
「タンタラス…」
 ベアトリクスの秀麗な眉がまたまた顰められる。
「信用のおける連中だよ。心配ない。俺が保証する」
 そういうそこもと自身がなかなか信用ならぬ――喉もとまででかかった言葉をベアトリクスは飲み込んだ。こと、ガーネットのことに関しては、ジタンは絶対的に信頼の置ける人物だった。それは確かだったから。
「かしこまりました。早速手配いたしましょう。あなた様も、お勤め、しっかりとお果たしくださいませ」
 不本意ながらも彼女はジタンの言葉を承諾し、部屋を出てゆく。その姿を見届けて、ジタンは床に頭をすり付けて平伏する侍女に自分の礼服を持ってくるよう命じた。 
 畏まって侍女が退出し、辺りに誰もいなくなると、ジタンは深い溜め息をついて椅子に腰を下ろし、頭を抱えた。
 一刻も早く探しに行きたかった。
 彼女がアレクサンドリアで迷子になることは考えられない。
 だとしたら、可能性は一つだけ――何者かに、拉致されたのだ。そして、それが性質の悪い連中だったりしたら…。
 ジタンはシャツの胸を左手でぎゅっと掴んだ。

 女王陛下は急な病を得て心ならずもこの場に集えなかった由、ジタンは壇上で堂々と弁明した。並み居る貴族は舌をまき、この端倪すべからざる正体不明の青年貴族に圧倒された。
 優艶な円舞曲が奏でられ始めると、広間は一瞬にしてその緊張から開放される。そのあとは、残念な女王の病と、先の二日姿を見せた彼女の美しさ、そして、配偶者となった美青年についての憶測が飛び交うばかりだった。
 人々は憂さ晴らしの醜聞程度の感覚で彼らを俎上に載せる。本人が不在ではどんな話が飛び出すかわらからない。根拠のない誹謗が蔓延せぬよう、壁際に陣取った騎士姿のベアトリクスとスタイナーは渋面で広間をねめつけていた。
 一方、女王不在の言い訳をでっちあげたジタンは、すぐに夜会を抜けて、ガーネットの部屋に戻った。平服に着替え、愛用のオリハルコンを腰に佩く。それから胸に提げた宝珠のペンダントヘッドを握り締めた。
 あの旅の最中も、そして再会したあとも、彼女が自分の心を任せる証として彼に託したこの国の――彼女の宝玉。 
 召喚士ではない彼の胸の上では、宝珠はただの透明な石にすぎない。
 それも踏まえて彼女は彼に宝を託したのだ。この宝玉は最も力ある召喚獣を呼び出す。その力を行使するのは、危急存亡の秋のみでなければならない。それは彼女が自分に課した戒めだった。
 通常彼女が呼び出せるのは彼女の守護召喚獣である「ラムウ」をはじめとする何体かであり、それですら彼女一人の身を守るにはじゅうぶんな護衛といえた。 
 ジタンが縋っているのもまさにその一事だった。そして、ガーネットの…いや、彼のダガーの、土壇場での靭さを信じたかった。
 真っ先に向かった例の宿屋では、バクーが一人腕組みをして、しかつめらしくジタンを迎えた。  ブランクたちが探索に散ってくれているとバクーは言った。
「蛇の道は蛇だ。そろそろ一報が入るだろう」
 眼鏡のレンズ越しに覗くバクーの目は、珍しく自責の念を浮かべている。ジタンは唇をかんだ。彼女がこの宿屋にバクーを訪ねてくるのを知って、バクーに腹案を持ちかけたのは外でもない彼自身なのだ。まさか女王陛下が護衛もつれずに一人でやってくるとは夢にも思わなかったとはいえ、一番大きな原因は、彼が作ったことに間違いない。 
 その時、重い扉が音を立てて開いた。
 息せき切って表れたのはマーカス――そしてその背後からブランクが顔を覗かせる。
「手がかりは掴んだぜ」
 後ろのブランクの方が先に口を開いた。
「どうやら、女衒のアンガスのところに連れて行かれてるらしい」
 人買いのアンガス、ともいう。あまり芳しい噂のない男だ。貧村や貧民街から、食い詰めた子供を買い取って売り捌く。おおむね娘なら娼館に、男なら鉱山などに労役夫として送り込む。彼は中間搾取するだけなので、元手のいらない濡れ手に粟の大儲けだ。見る間に財産を増やし、今ではひとかどの大物としてその筋で名を馳せていた。
 だが貧民救済の名のもとで彼に送られた子供たちは、牛馬同然の扱いをうけ、ほとんどが哀れな末路を辿るのだ。
 それでも彼のもとに自分の子供を売り払うもの、そして日銭欲しさにかどわかしを働いて彼に送りつけるものが後を絶たない。まだまだ国は貧しく、下辺の者は貧困に喘いでいるということだ。  そういう街のごろつきに、ガーネットは狙われたらしかった。
「あのお姫様ならな――少々年がいってるとはいえ、あの美貌だ。高く売れるとふんだんだろう」 「すぐに女王陛下って気がつかないところが情けないっす」 
「字も読めねえ人間がこの世の中にはまだごろごろいるんだ。そいつらは、お城に近づくことすら思いもよらねえ。広場に行ったって、襤褸をまとった忌むべき輩として追い散らされるんだからな。…女王陛下の顔貌を存じ上げない奴らもいるさ」
「そうだな」
 ジタンが同意する。
 確かにそのとおりで…そして今はその方がありがたかった。下手に女王と知れれば、彼らが何を企むかわからない。恐れをなしてその場に放り捨ててくれればありがたいが、そうもいかないだろう。悪くすれば自分たちの所業を隠滅するために亡き者にしないとも限らなかった。
「助かった。さすがタンタラスだぜ」
 礼もそこそこにジタンは扉に手をかける。
「何人か貸したいところだが、あいにく俺たちも明日ブルメシアでの公演を控えててな。すまねえな、ジタン」
「…気にしないでくれ。居所を突き止めてくれただけでも恩の字なんだ。後は俺が落とし前をつける」
「アンガスの根城はポーポス高原にある。――あの頃と変わっちゃいねえ」
 バクーが遠い目をして言った。  ジタンがこの大陸に置き去りにされてから、バクーのもとに辿り着くまでの道程は、決して平坦なものではなかった。みなし児は簡単に手に入る金づるなのだ。――アンガスのような連中にとっては。
 そんな含みのあるバクーの台詞に、ジタンはふっと不敵な笑みを口元に浮かべて見せる。
「じゃあ、かって知ったるなんとやら、だな。ありがとよ、ボス。みんな」 
 指を二本立てて、敬礼よろしく額にかざす。それからジタンはすぐに部屋を出た。するりと、いかにも盗賊らしい身のこなしで。
 ポーポス高原はダリの村の上方、高山に囲まれた小さな平原である。シェダ卿の領地の一部だが、峻険な山しかないため実質の統治はおざなりだった。深い森の中央に建造されたアンガスの館は、それほど大きな代物ではないが、周辺に一味の小さな村を従えていて、一種の治外法権、悪党の巣窟となっている。 ――奴らは飛空艇で出入りしているみたいだが、こっちが飛空艇で乗り込んだら一発でばれちまう。麓を迂回して中に入れる山道が一本あるが、これも奴らの監視の目が張り巡らされてると思っていいぞ。あそこはお前ならわけねえだろうが…ゆめゆめ、油断するんじゃねえぞ。
 バクーの言葉が胸に木霊する。
 アンガスの屋敷に直行で連れて行かれたのなら、ガーネットがもはや飛空艇に運び込まれているのは必至であった。ならば先回りして、アンガスの屋敷に乗り込むしかない。
 ジタンの顔つきが引き締まる。 
 久しぶりに暴れられる。そんな、あまたの戦いを経てきた男の顔に戻っていた。