One love,
One
heart<5>
どういう手段で通信しているのかは分からないが、ともかく迎えはすぐにやって来た。
宿屋の主はやっきになって先程のジタンの強さをまくし立てる。胡散臭そうな顔つきで、いい加減に話を聞き流し、禿頭男は仲間の襟首をつかんで引きずりあげた。それから顎で飛空艇をさし示して言った。
「ついて来い」
何様のつもりだ、とは思ったが、ことを荒立てる気はさらさらないので、ジタンは言われた通りおとなしく後についてゆく。
「俺はラウルっていうんだ」
快闊に自己紹介をしようとすると、いきなり男が遮った。
「名前などいらん。お前はこれから番号を振り当てられる。それがお前の名前になるんだ」
「アンガスのとこって、そんなことするんだ」
「アンガス様、と言え」
巌のように表情の動かない男だった。口をへの字に曲げて、終始しかつめらしい顔をしている。
ジタンは肩をすくめる。
「ちなみに、あんたの名前は?」
「F」
「F?そんだけ?」
「お前の番号にはそのあとに数字がつく。文字だけのやつは、アンガス様の側近だ」
「ふうん。あんた、割りに親切なんだな。俺が聞いてないことまで教えてくれる」
ジタンの何気ない一言に、Fはばつの悪そうな表情を一瞬見せる。彼の顔が動いたのを、ジタンは見逃さなかった。
アンガスの側近と言えばならず者の集団だが、中にはまっとうな感情の機微を持ち合わせている人間もいるらしい。
「すぐにお目通りは適うのかな」
「すぐだ」
Fはむっとしたまま即答した。
アンガスの館には飛空艇の発着用ポートがひとつ着いている。アンガス専用の輿艇が一隻、部下が人買に使う船が二隻。つごう三隻の飛空艇を所持していることになる。輿艇を除けばあとは小型艇だが、それでもこれだけの飛空艇を所持するこの悪党の財力と智謀は桁外れだった。
現在蒸気機関飛空艇を製造できる技術はリンドブルムにしかない。リンドブルムは飛空艇の製造・輸出に関してはかなり慎重だったから、入手は非常に難しかった。しかも法外な金がかかる。
どこかの部署、誰かを金で抱え込んで飛空艇の入手許可を取り付けたのだろう。でなければ一個人、一団体がこれだけの船を持つことはありえない。
「三隻か。話には聞いてたが、ほんとにすげえ金持ちなんだな」
眼下のポートに停泊している二隻の飛空艇を見下ろして、ジタンがつぶやく。それには応えず、Fは舵を固定させて、飛空艇の高度を下げ始めた。
「到着したらすぐにお館様のところへ連れて行く」
「んあ?ああ、頼むわ」
手すりにもたれかかって頬杖をついていたジタンは、ふっと顔を上げた。
「事前に俺が誰かっていうチェックはしなくていいのか?」
「心配無用だ。誰も隠し事はできん。お舘様の前ではな」
意味ありげな言葉を吐いて、Fはハッチを開けた。そして降りろ、というように顎をしゃくる。ジタンは指示されたとおり、梯子を下った。
通されたのは暗い部屋だった。
「そこで待ってろ。縄は解いてやる。変な気を起こすんじゃねえぞ。どんなに逃げようと思っても無駄だからな」
Dがガーネットの体を突き飛ばすように部屋に入れた。
暗いのは当たり前だった。窓がひとつもないのだ。明かりは天井に下げられたランプの細い炎だけだった。
縄を解く、と言いながらそのままDは行ってしまう。
Xはここに到着するや、あの兄弟を連れてどこかに消えた。兄弟の身が案じられはしたものの、内心ガーネットはほっとしていた。Xと言う男に生理的嫌悪に近いものを感じていたのだ。
暗さに目が慣れてくるにしたがって、部屋の中の様子が見えてくる。
ベッドとワードローブがひとつ。それから隅に小さな丸テーブルと椅子が一脚置かれている。あるものはそれだけだ。…いや、扉がひとつ。出入り口とは別の壁にある。隣の部屋があるということなのだろうか。
「浴室だよ、そこは」
扉が開いて、また新たな男が姿を現した。
辺りを見回すガーネットの視線に気がついたのだろう。先回りして説明する。
「お初だね」
心のこもらない声でつぶやきながら、男は振り向いたガーネットを値踏みするように眺めた。
「ふうん、DとXの言葉はまるっきり誇張でも嘘でもなかったんだね。確かに…世にも稀なる美貌のお方だ」
こいつは誰なのか、どうして違う男がわざわざ現れたのか、ガーネットはもはや想像するのも嫌だった。
「その顔。そんなに睨んでちゃ、せっかくの美貌がだいなしだよ。大丈夫、わざわざ極上の商品に傷をつけたりしない。しかも生娘にね。…生娘は高く売れるんだ」
嬉しそうに、歌うように言いながら近づいてくる男。まだ若い。二十代半ば、というところか。見た目には美青年である。
「心配することはないよ。さっきも言ったように、手荒なまねはしないから。ただ、君を湯浴みさせてあげるだけさ。旅の埃を落とさないとね。どこもかしこも、きれいに磨いてあげるよ」
秀麗な顔に似つかわしくない下卑た笑いを浮かべて、男はガーネットに手を伸ばした。
「なんだって?」
「連れてきた男はそのまま奴隷市場に出す。女は磨いてから出す。高く売るためにな」
「磨くって…」
「風呂に入れて、髪を梳かして、少し化粧を施す。脱がしやすい服を着せて」
「脱がしやすい服…」
アンガスが新参者や外来者と引見する広間に連れて行かれるまで、ジタンはFから言葉巧みにこの館の仕組みを聞き出していた。
だが、話が連れてきた人間たちの去就に及ぶに至って、愕然とする。
昔、ジタンはかつてここに来たことがある。
この大陸に捨てられてすぐ、人買いにさらわれたのだ。そして男たちや他の浮浪児たちと一緒に競りにかけられた。彼らはみな後ろ手に縛られ、体には一様に殴る蹴るの乱暴を受けた後があった。だが、対の台上に並べられている女たちは、みな綺麗な格好をしていた――と、子供だったジタンの目には映った。それが、どうやら彼の中に刷り込まれていたらしい。
女は、外見の美しさを保ってこそ商品になる。だから、その意味ではガーネットも安全なのではないかと漠然と思い込んでいたのだ。
なのに。
磨く…。
考えれば当たり前のことなのだ。脱がしやすい服を着せるのも、せりにかける前に客が彼女たちの素肌を検分するためだ。単なる婢を手に入れるためにわざわざここまで来る客はいない。客の目的は別にあるのだ。
さまざまな妄想がぐるぐるとジタンの頭の中をめぐる。体中が火を噴きそうだった。ガーネットの白い肌に男たちの手が触れる――。振り払おうとしても目に浮かんでしまう光景に、五臓が煮立った。一刻も早く彼女を助け出したかった。
だが、逸る心を必死で押さえつけ、平静を装って彼は続けた。
「でもさ、手をつけたりはできねえんだろ」
「当たり前だ。それを狙ってここに来たんなら、お門違いだぞ」
どうやらこのFという男は、ならず者にしては生真面目な性質らしい。相変わらず口をへの字に曲げたまま、ジタンを諌める。
「だがここ数年、そういう不文律も崩れてきているがな。あいつがお館様にとりいってから…」
言いかけて、Fは口をつぐんだ。言ってはならないことを口走ってしまったようだった。額にうっすらと汗が滲んでいる。
「どうもお前といると調子が狂う。これ以上俺にしゃべりかけるな」
「ああ、悪い」
胃の底が焦げ付きそうな気分で、辛うじてジタンはうなずいた。崩れかかっている不文律――ひょっとしたら、彼が命より大切に想い、全身全霊を傾けて守ってきた花が、無残に手折られてしまうかもしれないのだ。
いや、いざって時は召喚獣を呼ぶはずだ。ジタンは自分に言い聞かせる。ひょっとすると、ここに至る前に逃げ出せているかもしれない。
そうであってほしいと、ジタンは痛切に思った。この努力が徒労であってほしいと。
ひたすら長い廊下の先に、小さな光が見え始める。
アンガス様の広間だと、横でFが言った。
広間と言えば、広間だった。
林立する円い柱の先に、円形の部屋が広がっていた。その部屋の中央にぽつんと、台座と大仰な椅子が設えられている。湾曲した壁にはもともと窓がはまっていたようだが、今は全て板が打ち付けられ、外が全く見えない状態にされている。――いや、逆か。外から見えないようにされているのだ。
先程のFの台詞ではないが、この巨大な組織の中に、何か不穏な空気が流れているのかもしれない。そう思うくらい一種異様な佇まいだった。
広間の明かりと言えば、四方に立てられた燭台の灯のみ。豪奢な椅子と、その大きな大理石の塊に埋没するように座るアンガスの姿が、仄かな光に浮かび上がっていた。
台座のすぐ横に、長身の男が立っている。禿頭である。これもまた腹心の部下なのだろう。頑健な体つきだがどこか腺病質な印象を与える。細い、光のない死人のような目のせいかもしれない。こけた頬、高くはあるがやや曲がった鼻梁。男の姿は独特な威圧感を漂わせていた。
彼は近づいてくるFとジタンに気づき、細い目をいっそう細めた。
「そいつは?」
「仲間になりたいそうだ。腕っ節はたつらしい」
Fの表情は変わらない。だが、隣にいるジタンには、彼の手がかすかに震えているのがわかった。極度に緊張しているのだ。
「ほう」
Fには構わず、その男は口を歪めた。醜悪な微笑。反吐が出そうだ、とジタンは思った。同じ部下でもFとは全く違う。
男は興味深いものを見るような目つきでジタンに近づく。それからおもむろにジタンの肩を掴み、引き寄せた。
「!」
いきなり唇を重ねられて、度肝を抜かれたジタンはとっさに男を突き飛ばす。
「な、何すんだてめえ!この変態野郎!」
わめきながら口を手の甲でごしごしと拭う。その反応に男は嬉しそうに目をたわめ、「待ってろ」と言い残して壇上に上った。アンガスと二、三言葉を交わし、それからすぐに顔を上げてその男はFに命じた。
「そいつを仲間に加えるそうだ。まず今日の午後に立つ市の見回りをさせろ」
Fは苦虫を噛み潰したような表情で不承不承了解し、
「…ついてこい」
酷く不機嫌になってジタンを促した。
「わかった…っておい、待ってくれよ」
それ以上その場に長居することが耐えられないのだろう。Fはふいっと踵をかえすと、一顧だにせずに歩き出した。慌てて追いかけるジタンの背中に、男――Xが笑いを噛み殺した声を投げる。
「お前は運がいい。――今日の市はずいぶんと目の保養になるぞ。楽しみにしていろ」
ジタンはちらりと目の端で男を捕らえ、冷たい視線を返す。
その時はまだ、男の言葉の真意を彼は汲み取ることができなかった。
「なあ、あいつ、あの変態野郎!何なんだよ、あいつは!」
「Xだ。アンガス様の腰巾着さ」
珍しくFの声に感情がこもる。それもかなりネガティブな感情だ。
「あいつ、男が好きなのか?」
ジタンの問いに、Fは軽い同情を浮かべて首を振る。
「あれが審査だ。お前がここに相応しいかどうかの」
「へ?」
「あいつは接触することによって相手の考えていることを看破できる。お前に下心があれば、すぐにその場で殺されている」
つ、とジタンが立ち止まる。胃が痛んで吐き気がこみ上げてくる。考えていることを看破する?それならなぜ俺を野放しにしたんだ…。ジタンの顔から血の気が引いていく。
「どうした」
「い、いや、ただでさえ男に口付けされるなんて不気味なのにさ、そんな力があるなんて…ぞっとしないなと思って」
つられて立ち止まったFは一瞬面白そうにジタンを見つめ、それからすぐに正面を向いて歩き出した。
「俺もやられたときはそう思った」
げっ。ジタンが押しつぶされたカエルのような声を上げる。
「あんたもやられたのか?…ひょっとして手下は全部やられてんのか?」
「ああ。二心のあるものはみな抹殺された。そしてアンガス様の腹心が選りすぐられた」
「あんたは、腹心じゃあないわけだ」
「ということだな」
「…変だよな。俺の見たところじゃ、あんたの方がよっぽど忠誠心が強そうなのにさ。そのXの力って、眉唾なんじゃねえの?」
「いや。確かな能力だ。だから御館様もあいつを重用している」
ではジタンの頭にあった「ガーネット救出」は、Xにとっては意味を成さないものだったのだろうか。
もしそうなら、ここにはガーネットはいないと言うことだ。きっと彼女は途中で逃げ出したのだ。
多分に希望的観測に満ち満ちた結論を出しかけたとき、Fが告げた。
「あの通路を抜ければ宿舎だ。木の固いベッドしかないが、とりあえず休憩はできる。市が立つのは二時間後だ。それまで休め。俺も休む」
広間への道を後戻っているため、再び飛空艇のポートにさしかかっていた。広い発着所を挟んだ向こう側に、細長い建物とFの示す通路の入り口が見える。自然に足早になる二人が、ポートに一歩足を踏み出した、その時だった。
なにか重たいやわらかいものを床に打ちつけるような音が鳴り響いた。
思わずFとジタンは顔を見合わせる。
寸暇をおかず、二人は音のする方向に走り出していた。
小飛空艇を回り込んだジタンの目に、ぼろ雑巾のようになった血まみれの男の姿が飛び込んでくる。
男、というよりもまだ少年に毛が生えたくらいの若者だ。
すでにもう動けなくなっているその若者の襟首を掴んで引きずり上げ、筋骨隆々とした禿頭の手下が尚も殴る蹴るの暴行を加えている。
深く考える間もなくジタンの体が反応していた。男の手を捻り上げ、若者を引き離そうとする――が一足遅かったようだ。
男の体は後ろから力任せに引き倒されていた。
Fが背後から襟首をひっつかんだのだ。
大きな音をたてて男が無様に転がる。
恥をかかされた、とばかりに目を吊り上げ、すさまじい形相になってそいつは跳ね起きた。
「この野郎!F!なにしやがんだ!」
「無抵抗な人間に手を出すな。アンガス様のお言葉を忘れたか」
自分の胸倉に掴みかかってくるその男をFは軽くいなす。前につんのめってたたらを踏んだ大男は、ますます顔を赤くしてFに殴りかかった。
「うるせえ、この野郎!近頃のアンガス様はそういう小うるせえことは言わねえんだよ!」
力はあるかもしれないが、この男、かなり動きは鈍い。ぶんぶんと腕を大振りするだけで、Fに簡単に交わされてしまっている。
「こいつはなあ、チョコボを奪ってとんずらここうとしやがったんだ!」
地面に転がっていた整備用のスパナを拾い上げて男はFに殴りかかろうとした。が、そのとたん、どうしたことか男はいきなり昏倒してしまった。
「よかったあ…」
正体の定まらない声がそのあたりに浮遊する。
何が起こったのかわからないFとジタンは、あっけに取られて視線を若者に移す。ぶるぶると震える細い腕を男の方に伸ばした若者は、男が倒れたのを確認するや、口元に笑みを浮かべてがっくりと腕を落とした。
「やっと…かかったあ…」
消え入るような細い声だ。もう意識が遠のきかけているのかもしれない。
ジタンは駆け寄って、直ぐに若者を抱え起こした。
「おい、しっかりしろ!大丈夫か!?」
ジタンの呼びかけにも、もはや若者は反応しない。
大またでゆっくりと近づいてきたFが、懐から小さな袋を出して、ポーションを若者に振りかけた。
途切れ途切れだった呼吸が、すっと通常の状態に戻る。
傷までは癒えなかったが、少しは楽になったようだ。ほうっと長いため息をついて、若者は薄く目を開けた。
「お前、どうしたんだ?」
屈み込んで若者の顔を覗くFに、若者はかすかに頭を下げた。
「刺青の頭…あなたは…アンガス様の部下だ…ね…。ごめんなさい…俺…早く街にかえらなきゃいけなくて…チョコボを借りようと…それに…あの人…助けなきゃ…」
そこまで言って若者は咳き込んだ。咳をするたびにのどから血が迸り出る。
「…話をさせるのはやばい。とりあえず、宿舎に運んで休ませよう。ポーションはもうないのか?」
ジタンの言葉にFはあからさまに嫌そうな顔をする。
「貴様に指図されるいわれはない。そいつを抱えて俺について来い」
相変わらず不機嫌そうな顔つきで命令し、Fは踵を返した。厄介ごとを背負い込んだかもしれない、という一抹の危惧をその背中に漂わせている。それでもこの男は若者を見捨てて置けない人間なのだ。
俺の人を見る目も捨てたもんじゃないな。
ジタンは密かに自己満足に浸りながら、若者の体を抱え上げた。そして目を丸くする。
彼の体は、驚くほど軽かった。