One love,
One
heart<6>
若者の名はハルトと言った。
Fが医務室からくすねてきたポーションを20個ほど使って、ようやく小康状態を得た彼は、訥々と、身に起こった事の顛末を語り始めた。
母親を助けるために金がほしかったこと。そのために下町を通りかかった貴族の娘をかどわかしたこと。
「すごく綺麗な人で…絶対高値がつくと思ったんです。俺の知ってる貴族の人は、いつも俺たちをゴミ屑か糞みたいな目つきで見下ろしてて…だからさらっても罪悪感を覚えなくて済むと思ってました」
でもその人は違ってた、と彼は言った。姿形だけでなく、心まで美しい人だったんです、と。
「不意を襲ってサイレスまでかけて連れ出した俺を、優しく受け止めてくれました。そんな人をこんな目に遭わせちまって…それに俺はサイレスを解く術を知らなくて、あの人、口がきけないまんまなんです。せめてそれをどうにかしてあげたくて、それで、俺…」
要約するとこういうことになる。
ガーネットをさらい、このアジトまでやってきたハルトとマロートの兄弟は、Xに連れられてアンガスに引き会わされた。その後、アンガスから指示を受けたらしいXは、二人に百ギルを渡すと山中に放り出したのだ。
徒歩で帰れ、ということなのだろうが、徒歩ではアレクサンドリアまで二、三日はゆうにかかる。少しでも早く帰りつかねば母親の命が危ない。切羽詰った二人は、飛空艇に積んである筈の荷馬車用のチョコボを拝借しようと戻ってきたのだった。
チョコボを盗み出すことには成功したものの、ハルトの胸の中には重い滓が溜まっていた。自分が口を聞けない状態にしてしまった娘を、見捨てては置けなかった。それで弟だけをチョコボに乗せて、アレクサンドリアに向かわせたのである。
その後彼は再び飛空艇に忍び込み、やまびこ草を探すべく薬品庫を漁っていた所をDに見つかってしまった、と言うわけだ。
「その貴族の娘ってさ、そんなに美人だったのか?」
話をきき終わるや否や、ジタンが訊ねる。
「そりゃもう!俺、あんな綺麗な人をみたのは生まれて初めてです」
「それに性格も良かった?」
ハルトはすぐに大きく肯く。「すごく優しい人でした」
ジタンはふ〜ん、と意味ありげな長い相槌をうった。
「もしかして、それって、長い黒髪で、色が抜けるように白くて、すべすべのきめの細かい肌で、睫毛が長くて、目が大きくて、黒曜石みたいに綺麗なつぶらな瞳で、唇なんてさくらんぼみたいに食っちまいたいほど可愛くってしかたがない、むっちゃくちゃスタイルのいい子だったりした?」
一瞬沈黙が部屋を支配する。
あまりの言い草に、Fは呆れてそっぽを向き、ハルトは真っ赤な顔で俯いた。ひとりジタンだけがその沈黙の意味を解せず、不満げに口を尖らせる。
「何だよ。違うのかよ」
「いえ…その…そのとおりの人でした」
慌てて同意するハルト。
「そうか…じゃあ、間違いないな…」
ため息混じりにジタンがつぶやく。その小さな声を聞き取って、ハルトはおずおずと尋ねた。
「あの、もしかして、彼女って、あなたの好きな人だったんですか…?」
「ああ」
ジタンは肯く。そして多分に希望を含めた口ぶりで、「違ってることを願いたいけど」と付け加えた。その双眸がすっと翳る。
「彼女にサイレスをかけたんだな」
「はい…。すみません…。声を出されないようにしようと思って…すみません」
ハルトは困ったように眉尻を下げて、ぺこぺこと頭を下げる。
「俺に謝ったってしょうがねえよ」
ジタンは素っ気無く言うと、やおらFの方に体をよじった。
「F、…の旦那、ここにやまびこ草はおいてあるか?」
ジタンなりに気を使った表現に、Fはなんともいえぬ複雑な表情で顎を引く。
「あるが――だがもう医務室に入り込むのは無理だぞ。ここも危ないくらいだ。仲間を昏倒させ、挙句の果てに若造を助けるなんて勝手なことをやらかしたんだ。すぐに俺たちの行動は報告され、追っ手がかかる。ここには吐いて捨てるほど監視役がいるからな」
苦々しげな口ぶりだが、言葉ほど困った様子は感じられない。
「すみません、俺のせいで…」
「自分でまいた種だ。お前は関係ない。――それに、最近のアンガス様にはついていけないものを感じていたのも事実だしな」
「あ!」
アンガス、という名を聞いて、Fの顔をまじまじと見つめていたハルトがいきなり声を上げた。
「なんだ」
「今気がついたんですけど、あなたにも、耳の後ろの赤い痣がないんですね」
「痣?そんなもの、誰にもないぞ」
「いいえ、あのDって人にも、それからアンガス様に引き合わされたとき、そこに並んでた人たちにも、…それとアンガス様本人にもありました。だから俺、てっきり刺青の柄の一部だと思ってたんです。でも、あなたにもないってことは、そうじゃないんですね」
見る間に真剣な顔つきになったFは、自分の後頭部に手を当て、それからうわごとのようにつぶやいた。
「も…俺も、ってことは、他にもない奴がいたということか?」
「はい」
ハルトは明快な答えを返す。
「Xにもありませんでした」
絶句しているFを、ジタンは不思議そうに見やる。
「何を心配してるのか判らねえけどさ、でもあの変態野郎はたいしたことないぜ。俺は本当はその女を助けるためにここに乗り込んできたんだ。なのにあいつ、それを見抜けなかったんだから」
「甘く見るな」
即座にジタンの声に被さるFの怒声。
「あいつを甘く見ないほうがいい。――少なくとも本当に考えを読みやがる。俺は何度もこの目で見てきた。そして…その若造の言うことが本当なら、もしかするとアンガス様も腹心の奴らも、Xに操られているのかもしれん…。最近のアンガス様は、どう考えてもおかしかった」
その時、ばたばたという激しい足音が廊下に響いた。おまけに「こっちだ!」という男たちの声まで飛び交っている。Fの言う「追っ手」がかかったのだろう。
すぐにFが戸口から外を伺う。そこから見える位置には、まだ誰もいなかった。
「宿舎の部屋はどこでも自由に使えるようになってる。多分俺たちを探し出すのには手間取るはずだ。今のうちに支度を整えろ。すぐに打って出るぞ」
彼はその部屋にあったブロードソードを手に取った。
ジタンは腰に佩いたオリハルコンをすっと抜き放つ。
「ひとつ聞きたいんだけどさ」
扉にぴったりと体を寄せて、その隙間から外を覗くFの隣に立ち、ジタンは短刀を構えた。
「なせそんなに俺たちのために力を貸してくれるんだ?なぜ組織を裏切る」
「裏切りはしない」
真面目くさってFは言った。
「俺はアンガス様に恩がある。それを返したいだけだ。そのために必要ならXにも従うし、必要なら…Xを殺しもする。それだけだ。もっとも、今は逃げきることが先決だがな」
足音はあちこちに彷徨いながらも、確実にこちらに近づいてくる。
Fはブロードソードを握りしめた。
と、ジタンがその手を押さえる。
「何をする」
気色ばむF。しかしそんなFの反応にはお構いなく、ジタンは言った。
「すまねえけど、俺は女を助けに行かせて貰う。ハルトの話の通りなら、…多分、今夜の市に出されるんだろ?」
ふん、と鼻先でFは笑った。
「お前の言うくらいすごい美人なら今夜の目玉商品だろうな。それなら三番倉庫に囚われてるはずだ。この廊下の突き当りを右に曲がれ。そこに倉庫群がある」
所詮人間というのはこんなものだ、という諦観がその口調に滲み出ていた。結局自分のことが最優先なのだ。だが、それも仕方がない。そんな口ぶりだった。
ジタンは苦笑しながら重ねて言う。
「それで、あんたに頼みがあるんだ」
その言葉に、Fの顔つきが険しくなる。このうえまだ勝手をほざくのかと言いたいのだろう。
「何だ」
「俺が囮になる。だからハルトを逃がしてやってくれねえか。俺があいつらの中を突っ切って引き寄せるから、その隙にこいつを負ぶって逃げてくれ」
Fは一瞬目を丸くした。思いもしない言葉を聞かされて当惑したのだ。
だがどんどん大きくなる足音が彼に即答を迫る。Fは顎を引いた。
「判った。そうしよう」
「やめてください!俺、もう大丈夫ですから!俺もあの人を助けに行きます!」
今まで押し黙っていたハルトがおもむろに口を挟む。
ジタンはニッと笑って若者の頭を軽くたたいた。
「あのさ、ガキ。こういう時は、恋人に花を持たせんの。判るか?」
「う…」それを言われると一言もない。ハルトは唸って、しゅんと肩を落とすしかなかった。
「わかりました…じゃあ、あの、これ」
彼は手を伸ばし、ずっと握り締めていたものをジタンに渡す。
茶色い丸薬である。
「やまびこ草はみつからなかったけど、これがあったから…。死んでも放すまいと思って握ってたから、ちょっと潰れちゃってますけど、ちゃんと効くと思います」
「万能薬か」
ハルトが肯く。
「でも、それ、嚥下するやつです。振り掛ける水薬がなかったから」
「ありがとよ」
きゅっと、その潰れかけた丸薬をジタンは握り締めた。
「あんたら、ちゃんと助かってくれよな!それが俺のせめてものお礼だからな!」
陽気な声と笑顔を残し、彼は部屋を飛び出して行った。
「いたぞ!」という声とともに、足音が乱れる。と、見る間にそれは遠ざかって行く。
その音が完全に聞こえなくなったのを確認して、Fはハルトを背負った。
「さて、俺たちも行くとするか。お前、危なくなったら、さっきのスリプル連発しろよ」
言葉の後ろにやれやれ、というため息が見え隠れしそうだ。
ハルトは恐縮しながら頭を掻いた。
「了解です」
そして二人も部屋を後にしたのだった。
追っ手の男たちの正面に姿を現したジタンは、芝居がかった素振りで
「げ!見つかっちまった!やばい!」
なんぞと喚きながら、その中央を駆け抜けた。
瞬間、あっけに取られて固まった男たちは、すぐに我に返って激怒する。よりにもよって自分たちのど真ん中を突っ切られたのだ。馬鹿にされたようなものである。一瞬の出遅れを取り戻すべく、彼らは躍起になってジタンの後を追った。
ジタンの足は速い。誰も追いつけず、ぐんぐん引き離されてしまう。背後の男たちの姿が小さくなったところで、ジタンはわざとらしく躓いた振りをして転んで見せた。
「いまだ!やっちまえ!」
追跡を諦めかけた男たちだったが、ジタンが転倒するのを見て俄然盛り上がる。彼らを十分ひきつけてから、またジタンは走り出した。弄ばれていることに気づかない男たちはさんざん辺りを引きずり回された挙句、ジタンを見失う羽目になった。
男たちを撒くために、あちこちを走りまわったせいで、倉庫にたどり着くのが遅れてしまった。
Fの言っていた「市の立つまでの二時間」はもうとうに過ぎ去っている。三番倉庫に飛び込んだときには、中はもぬけの殻だった。
舌打ちしながら、ジタンは市場に向かった。
早くしなければ、ガーネットが衆人の前に晒されてしまう。絶対にそれだけは阻止したかった。