One love,  One heart<8>



 いったいどこから沸いて出るのか、有象無象の追っ手が後から後から押し寄せる。
 目の前に立ちはだかる数人と斬り結びながら、二人は追撃の手の薄い方へ向かった。
 が、どうもその押し寄せ方に偏りがある。
 気づいた時には、広間に続く通路に入りこんでいた。――正確には、入り込まされていた、と言った方がいいかもしれない。
 もとは両側に柱の立ち並ぶ、開放的な回廊だったに違いない細い通路。だがその柱の間は、分厚い漆喰で塗り固められ、今や堅牢な狭い廊下と化している。わずかにあけられた数条の明かり採り窓が、辛うじて外界とこの空間をつないでいた。
 真っ直ぐに伸びた長いこの通路の広間がわには、人影一つない。追っ手は全てジタンたちの背後から迫ってくるのだ。
「おかしいわ、ジタン」
「ああ。どうやら誘導されてるな」
 そうと分かっていても、衆寡敵せず、人海戦術に抗うには限界があった。オリハルコン一本で追っ手を軽くあしらうジタンだが、さすがに額に汗が滲み始めている。心配そうに彼を見上げて、ガーネットは小さく詠唱を始めた。スリプルで敵を眠らせようと言うのである。
 しかし、いかなガーネットでも、その魔法の及ぶ範囲には限りがあった。最前列とその後ろの数人を巻き込んで、風が吹き起こる。と、次の瞬間、そこにいた人間はばたばたと折り重なって倒れた。それが魔法の届くぎりぎりの距離なのだ。
 それでも臆せず、後ろの列の男たちが、仲間の体を踏み越えてジタンに襲い掛かる。連唱しようとしたガーネットを、男たちの剣を切り払いながらジタンが制した。
「やめとけダガ―!お前の体力を消耗するだけだ」
 スリプルはそんなに長時間効くわけではない。最後尾の連中を眠らせるころには、一番最初に眠らせた男たちが目覚めるだろう。ジタンの言う通り、それでは徒に魔力と体力を擦り減らすだけだ。
 だが…。
「でも、ジタン」
 じりじりと退かざるを得ないジタンを、黙ってみていることはできなかった。
 ガーネットの心配を払拭するように、わざとジタンは明るい声を出す。
「とりあえず、こっちから罠に落ちてやるか。一気に広間を駆け抜けて、ポートの方へ出よう」
 そう呟くと、彼は渾身の力をこめて斬りかかってきた男の剣をうち払った。あまりの勢いに、男は体ごと吹っ飛ぶ。大きな図体にのしかかられて、後ろの男たちも薙ぎ倒された。
 その隙を突いて、二人は広間に向かって走り出した。
「ま、待ちやがれ!」
 男たちが慌てて叫ぶ。
 しかし、台詞とは裏腹に、彼らがそれ以上追ってくる気配はなかった。明らかに広間に誘い込むのが目的なのだ。

 手に手をとって広間に駆け込んだ二人は、そこに出現した光景に絶句して棒立ちになった。

 壇上の椅子に深々と腰かけたアンガス。その傍らに、不気味な笑みを湛えて立つXがいる。
 そしてそのXの手には、右肩から手先にかけてを朱に染め、ぐったりと気を失っているハルトが抱えられていたのだ。
 立ちすくむジタンとガーネットの驚愕をさらに煽るように、背後で大きな音がした。
 壁が徐々に閉まり始めたのだ。反対側にあるポートに続く出口も同時に閉まり始める。
 今すぐに駆け抜ければ何とかなる。脱出もできるだろう。だが、二人は動けなかった。ハルトを見捨てることなど出来るわけがない。
 それを見越したXの罠なのだ。
 ジタンは観念して周囲を見渡した。壁に沿って<腹心の部下たち>が並んでいる。十二、三人はいるだろうか。無論、全員臨戦体勢である。
 そして…そしてもう一人の男が、壇の影から姿を現した。
 その姿を目にして、ジタンは唖然とする。
「F…」
 名を呼ばれて彼は口元を歪めた。だがそれは、単に形を歪めただけで、お世辞にも表情と言える代物ではなかった。
「おめでたい奴だ。俺が仲間を裏切ってお前に荷担するなどと、簡単に思い込むんだからな」
 冷たい、硬い声がジタンに突き刺さった。

 束の間ではあったが共に行動し、そして力を合わせたのだ。人となりは、それなりに肌で感じられる。少なくとも、こんな卑怯な真似をする人物には思えなかった。
「ハルトを…そいつをそんな目に合わせて、お前は本当に平気なのか?」
 己の目を信じたかった。いや…それよりも「人間」を信じたかった。
 ジタンは一縷の望みに賭けようと口を開く。――しかし。
「行きずりの人間に思い入れなどせん。この小僧がどうなろうと、俺の知ったことではない」
 望みは、あっけなく潰えた。言下に否定され、ジタンは憮然とする。
 その時、彼らの頭上にくつくつと、耳障りな笑い声が響いた。Xだ。
「驚いただろう?こいつはこの組織を絶対に裏切らない。アンガス様のためなら命すら捨てる奴だ。なにしろ…アンガス様の御落胤だからな」
 アンガスの息子――。その事実にジタンはさほど驚きはしなかった。アンガスを決して裏切ることはないとFは確かに言っていた。その理由が明らかになっただけのことだ。
 しかしそれは、彼がジタンたちを欺いた理由にはならなかった。アンガスのために翻意したわけではないことは明白だったし、ましてやXのために行動するとは思えなかった。
 ジタンの胸中を釈然としない想いが駆け巡る。
 そんな事情を知らぬXは、高揚した気分のままに、憑かれたようにしゃべり続けた。
「お前の意志の強さには辟易していたが、アンガス様の言葉を入れてお前を始末せずにおいたのは正解だった。まさかこんな風に役に立つとはな」
 
 一段、また一段。Xはハルトを引きずりながらゆっくりと階段を下り始めた。
「さあ、ジタン閣下、女王陛下をお渡し願おうか?」
 ジタンはガーネットを庇うように背中に回す。
「ジタン…」
 目の前がジタンの背中で覆いつくされる。ガーネットは思わずその広い背中にすがりつき、敵に悟られぬよう小さな声で詠唱を始めた。その彼女の体を押し隠すように、ジタンは後ろ手でそっと抱える。
「ほう、俺の言うことが聞けないと?…それではこの息も絶え絶えな無辜の少年が、もっと酷い目に遭うぞ」
 楽しそうに言うと、Xは引きずっていたハルトの体を乱暴に階段に放り出し、足で踏みつけた。頭を床に押し付けられた少年は、微かな呻き声を上げる。
 はっとしたように詠唱をやめ、思わず前へ出ようとするガーネットの体を、ジタンが引きとめた。
「何が望みなんだ」
 彼らの意図が、どうしてもジタンには読めなかった。ガーネットに固執しているのなら、彼女を競売したりはしないだろう。彼女が女王だから亡き者にしよとするのなら、もっと前に手にかければよかったはずだ。彼女を衆目にさらし、辱めて、その挙句彼らをおびき寄せる目的はいったい何なのか。
 どう考えてもこの仕打ちは異常だった。
「アンガス!なぜ黙ってるんだ?このXの野郎を暴走させてていいのかよ!」
 そしてもっと不思議なのはこの頭領だった。一言も喋ろうとせず、椅子から立ち上がろうともしない。ただうつろな目をしばたたかせ、時折Xに視線を送るだけなのだ。
「答えろ、アンガス!いったい何が目的なんだ!?」
 ジタンの詰問に、突然Xが腹を抱えて笑い出した。きーきーと、耳に立つ甲高い笑い声が、石造りの広間に反響する。 
「無駄だ無駄だ。アンガス様はお年を召されすぎた。目も耳ももう使い物にならん。だから俺が代わりに指揮をとってさしあげてるのさ。お前が何を喚こうと、もう俺以外の言葉は聞こえんよ」
 涙が出るほど笑い転げるX。その下で、Fの表情が微妙に歪んだ。だがXは自分の言葉に酔い痴れて、その変化に気づかない。
 ようやく笑を収めた彼は、笑いすぎて目ににじんだ涙を指でぬぐった。
「教えてやろう、ジタン閣下。俺はこの組織を頂戴して、この国を食い潰す腹積もりだったのさ。ところがどうだ、偶然とはいえそっちから俺の手の中に落ちてきたじゃねえか。びっくりしたぜ、その女を目にしたときは。――憎んで余りある、アレクサンドリアの女王だったんだからな」
 瞬く間にXの顔から表情が抜け落ち、そこに代わりに冷たい悪意が満ちる。
「憎む?ガーネットが貴様に何をしたって言うんだ!」
「ガーネットだけじゃない。お前もさ、ジタン・トライバル」
 Xはかっと目を見開いた。虹彩の見えない、黒々とした暗黒の小さな瞳。醜悪な四白眼がジタンをねめつける。
「殺しすぎて思い出せないか?ならば教えてやろう。俺の兄者は二人ともお前たちに殺された。それも無残なやりくちで、跡形もなく消されたのさ。…覚えているか!?アレクサンドリアの女王に雇われ、蔑まれながら宮廷道化師として必死に生きていた二人の朱儒を!」
 ガーネットははっとして口に手を当てた。蒼白になってよろめく彼女の肩を、ジタンはしっかりと抱きとめ…そして階上の男を睨み返す。
 彼にも、はっきりと判った。
「ゾーンとソーンか…。あの二人の弟なのか!」
「――そうだ。末弟の俺を目の中に入れても痛くないほど可愛がってくれた兄者だった。それをお前たちが嬲り殺したんだ」
「殺さねば俺たちが殺られていた。…なんてまともな話は通じそうにないな」
 腕の中でがくがくと震えている女性を慮って、ジタンは小さなため息を洩らした。 
 ガーネットの人生の中で、恐らく最も忌まわしい思い出であろう、あの出来事。自分の中から魂にも等しい召喚獣が抜き出され、破壊と殺戮に利用されてしまったのだ。
 その全てをもたらしたのが二人の宮廷道化師だった。
 だが彼女が蒼白になったのは、記憶が甦ったせいばかりではなかった。どんな理由があれ、彼女たちが二人を「無残に殺した」のは事実だったからだ。
 彼らは確かに許されない行為を繰り返した。間接的に彼らが奪い去った命の数は、おそらく膨大な数に上るだろう。奪い取った召喚獣で、ひとつの国を滅ぼしさえしたのだから。
 しかし、だからといって、ガーネットたちの行為が相殺されるわけではない。紛れもなく、彼女たちも殺戮を犯したのだ。たとえ、生き延びるためであっても。
 その罪の意識が、彼女を苛むのだ。
 彼女をそっと座らせ、そしてジタンはその傍らにすっくと立った。
 ただでさえ内省的で己に厳しいこの女性は、自分の中から取り出された召喚獣がもたらした破壊すら、自分のせいだと思いつめて声を失ったほどなのだ。今また、その記憶の上に罪の意識が塗り重ねられようとしている。ジタンの腹の底に、言い知れぬ感情がこみ上げてくる。
「だから復讐するというのか。この国に。俺たちに?」
「そうだ。ここにいる部下たちは全て俺の意のままだ。もはやお前たちは逃げられん。ここで…俺の目の前で、兄者たちと同じように嬲り殺されるがいい。お前の目の前で、愛しいその女を犯してやってもいい。どうだ、はらわたが煮えくり返るか」
「…やれるものならやってみろ」
 低くジタンは唸る。
「ガーネットには指一本触れさせん」
 己の命に代えても。
 腹を括ったジタンの目の前で、Xは足蹴にしていたハルトの髪を引っ張りあげ、その首に短刀を突きつけた。
「どうかな。お前の意気込みは買うが…無駄な足掻きだ。さあ、ガーネット女王。こっちへ来い。さもなくばこの小僧の命はない。脅しでないことはわかるだろう?」
 切っ先が細い喉にのめりこむ。ぷっつりと表皮が切れて、血が流れ出す。
「やめて!」
 ガーネットの悲鳴が壁に木霊した。
「そちらに行きます。だから、その若者をお放しなさい」
 彼女は、立ち上がった。震えが収まっている。彼女もまた、腹を決めたのだ。
 ジタンは喉に張り付く声を懸命に絞り出した。
「やめろ、ダガー。あいつの口車なんかに乗るな」
 だがガーネットはかぶりを振った。
「見捨てられないわ。私のせいで誰も死んで欲しくない。これ以上――傷ついて欲しくないの」
「やめろ!」
 真っ青になって叫ぶジタンの首に、ガーネットは抱きついた。
「あの子が解放されたら、私がスリプルの魔法をかけるわ。だからあなたはあの子を連れて逃げて。大丈夫、私もちゃんと逃げるから。だから、お願い。…ジタン」
 愛しているわ。
 離れて行きしなに、ジタンの耳朶をうつひそやかな声。その澄んだ穢れのない魂の響きが、ジタンの動きを止めてしまう。
「やめろ…」
 自分のその声が何の力も持たないことを知りながら、それでもジタンは繰り返さずにはおれなかった。
 スリプルの魔法。
 後でかけるくらいなら、今ここでかければいい。もう一回詠唱を始めればいいのだ。なのに彼女がそうしない理由は、ひとつしかなかった。
 ――ここでは、魔法が効かないのだ。
 さっき彼女はスリプルをかけようとしていた。だが途中でやめてしまった。おそらく、結界が張ってあるのだろう。彼女はそれに気づいたに違いなかった。
 なのに、ジタンを安心させようとして、彼女は懸命に拙い嘘をつくのだ。
 細い腕が自分の首からそっと外される。
 遠ざかってゆく彼女の体を抱き止めたい衝動がジタンの体を貫く。だが、彼は動けなかった。
 自分のせいで誰も傷ついて欲しくないという彼女の想いを叶えるためには、Xの言うことを聞くしかないのだから。
「さあ、ハルトを放して」
 階段の手前で足をとめ、ガーネットが毅然と言い放った。
「威勢のいい女王様だな」
 Xはにやりと笑うと、ハルトの体を階上から突き落とし、そして空いた手でガーネットの体をぐいと引き寄せた。意識朦朧としている若者の体はずるずると階段を滑り落ち、冷たい床にたたきつけられる。その瞬間、Xが怒鳴った。
「殺せ!」
 周囲に立ち並んでいた男たちが一斉にジタンに襲い掛かる。
「逃げて!ジタン!」
 背後からXに抱きすくめられながら、ガーネットは身をよじるようにして叫んだ。