One love,  One heart<9>


 何人かかってこようと、ジタンにとっては物の数ではない。オリハルコンが一閃して、彼に切りかかった二人の男がもんどりうって倒れた。
 あまりの早業に、男たちはうろたえる。その間隙をジタンは逃さなかった。風のように階段を駆け上がり、とん、と床を蹴って飛び上がった。軽やかに空を舞うジタンの体。Xがそちらに気を取られているのを見て取って、すかさずガーネットが男の腕に噛み付く。
「くっ」
 顔をしかめて一瞬手を放した隙に、ガーネットは階段を駆け下りた。追いかけようと一歩踏み出したXの正面にジタンがオリハルコンをかざしながら降り立つ。
 キイン。
 硬い金属音が広間に響き渡る。
 なんとかジタンの切っ先を長剣でしのいだXは、ぎりりと唇をかみ締めた。
 目にも留まらぬ早さで繰り出されるジタンの短剣を交わすのが精一杯なのだ。じりじりと追い詰められ、壇の端でXは体を仰け反らせた。
「その女を捕らえろ!」
 剣ではとてもジタンに太刀打ちできないと踏んだのだろう。彼の唯一の弱点と思しきガーネットを再び掌中に収めようと、Xが命じる。
 ガーネットは先程ジタンに倒された男の手から剣をもぎ取った。幸い細身のスキアヴォーナで彼女にも使える。彼女は両手で剣を構え、襲い掛かってくる男たちの手をなぎ払った。
 だが彼女の力では、例え刃身があたっても、傷をつける程度にしかならない。自分がつかまればジタンが不利な状況に追い込まれることが判っているガーネットは、必死で剣を振り回しながら逃げ惑う。
「ダガー!」
 叫んで彼女の元に駆けつけようとするジタンの背中に、Xの長剣が振り下ろされる。振り向きざまにオリハルコンで受け止め、ジタンはその剣を力任せに払いのけた。
 よろめいて膝をつくX。その頭上にジタンがオリハルコンを打ち下ろす。
 正確に眉間に突き立てられようとするその白刃を、Xは何とか長剣で防いだ。
 立ち上がる隙も与えられず、次の一撃が繰り出されればもはやこれまでだった。にもかかわらず、不意にXは勝ち誇ったように笑った。
「見ろ!女を捕らえたぞ!」
 喉元に突き立てられようとしたオリハルコンが一瞬止まる。
 ジタンの背後で再びガーネットは男たちに取り押さえられていた。
「ダガー!」
 血を吐くようにジタンが彼女の名を呼ぶ。
「俺にその短剣を突き立てたらどうだ?死の間際に俺は女を殺せと命じる。こいつらは全て俺の傀儡(くぐつ)だ。俺の命令は何があっても遂行するぞ」
 先程まで額に汗の粒を浮かべていた男は、手のひらを返したように尊大な口調で言い放った。オリハルコンを握る手が、一瞬揺れる。
 頑強な男の手で羽交い絞めにされて、身動きが取れないガーネットの姿を目の端で捕らえ、ジタンは苦しげに唇を噛み締めた。突きつけていた白刃を、ゆっくりと下ろす。
「ふはははは!それでいい!後のことは任せておけ。女にはたっぷりと快楽の味をわからせてからお前の後を追わせてやる!一足先にあの世で待ってな!」
 言い放つやXは長剣を大上段に振りかざした。
 そして、溢れんばかりの憎悪を爆発させた。
 次の瞬間――。
 どしゅ!っと鈍い音がした。
 体がのけぞる。
 口から鮮血が迸り出る。

 顎を上げ、信じられないように目を大きく見開いて、Xは自分の腹に剣をつきたてた人物の姿を見下ろした。
「ア…アングァスゥウウウウ!!」
 生きる屍同然だったアンガスが、一矢を報いたのだ。自分の支配から脱する精神力など、この老指導者には残っていないとたかをくくっていたXは、ものの見事に足を掬われてしまったのである。
 アンガスは口の中で何かをつぶやくとさらに深く剣を押し込んだ。
「ぐぅおおおおっ!」断末魔の怒号と共に、Xは残された力で長剣をアンガスの背中に突き立てた。そして最後に怨念の全てを吐き出す
「女を!女を殺せぇえええええ!」

 絶叫が淀んだ広間の空気を劈いた。

 声に弾かれたように男たちが剣をかざした。
 羽交い絞めにしたガーネットに向かって、幾筋もの切っ先が走る。勢いよく迫ってくるその刃を逃れるすべはなかった。
 
 時間が間延びしたみたいだと、ガーネットは思った。
 頭上から、真正面から、右脇から、白く光る痕跡がひどくゆっくりと自分の体に向かってくる。
 男たちの体の向こうの壇上から、今しもこちらに駆け出そうとしているジタンの姿が見えた。
 ジタン。
 これで、死ぬのだ。従容として、ガーネットは目を閉じた。
 最後にジタンの顔が見られた。それでもう十分だと思った。
 自分さえ居なければ、ジタンはこんな目にあわなかった。
 自分が居なくなれば、彼一人がここを逃げ出すことなど造作もないことだ。
 全部自分が足をひっぱっていたのだ、と。だから、死んだ方がいいのだと、最後に彼女は思った。

 どすっ!ぶしゅっ!ずぶっ!
 湿った音がいくつも響いた。
 噴水のように、生暖かい血飛沫が噴きだす。
 体中に剣を突き刺されて、全身を真っ赤に染め、ゆっくりと倒れこんだのは、――ハルトだった。
 たった今自分が乱暴に突き飛ばした女性を気遣わしげに見つめて、少年は最後に笑った。
 よかった…。
 もうその呟きは、声にならなかった。

「あ…」
 ガーネットは信じられないように首を振った。
 声が出ない。
 大きく目を見開いたまま、我を忘れて少年にかじりつく。
 目標を誤った男たちは、今度は確実にガーネットをしとめようと、無表情のままハルトの体から剣を引き抜いた。
「ダガー!!」
 ジタンが男たちの群れに背後から突入する。風のように駆け抜けながら両側の男たちを切り伏せる。ばたばたと倒される男たち。だが、一瞬に全員を倒すことはとてもできない。絶望に身をよじるジタンの目に、反対側からガーネットの元に走る男の姿が見えた。
「F!」
 彼はガーネットに斬りつけようとする男たちの剣を払うと、目にもとまらぬ剣技で彼らの腹を切り裂いた。
 剣をかざしたままの格好で、血潮を吹き上げながら、ゆっくりと男たちは倒れてゆく。
 最後の男が倒れ臥したのを確認して、Fは剣を鞘に収めた。

 ようやく、沈黙が広間に戻ってきた。
 だがそれは、不気味で、凄惨な沈黙だった。

 Fはひどく疲れたように壇の後ろに回り、大きなずた袋を持ち出してきた。
「おい」
 ジタンを呼ぶと同時に、Fはその中から小袋を取り出して投げつける。
 とっさにその袋をキャッチして、いぶかしげにジタンは彼を見返した。
「ポーションだ。ありったけ持ってきた。おれは倒れたこいつらにかけて回るから、お前はそれを全部、そのガキに使ってやってくれ」
 数人は既に事切れているが、まだ傷がふさがれば助かる命もある。
 Fはそれ以上何も言わず、黙々と救命活動を始めた。
 
 ジタンは呆然としてハルトの傍らに座り込むガーネットの肩に手をかけた。
 すでに、少年の息はとまっている。
 だがポーションを使えば、傷口だけはふさがってゆく。
 せめて、こんなに切り刻まれた無残な姿ではなく、ちゃんとしたハルトの姿で死に行かせてやりたいとジタンは思った。おそらく、Fも同じように思ったのだろう。
 水薬を振り掛けるたびに、こびりついた血糊も流れ落ちてゆく。数本使い切る頃には、生前のままの彼の姿に戻っていた。
 背中の傷にも薬を振りかけようと、ジタンはハルトの体を抱き起こした。その拍子に、ハルトの胸元から丸いものがポロリとこぼれ落ちた。それはころころと転がって、ガーネットの膝先に当たって止まった。
 ガーネットはゆっくりと視線を床に落とした。

 干し杏。

 ここにくる途中、これを自分に渡そうとしたハルトの姿が脳裏に甦る。
 やせこけた細い顔に、笑みをいっぱいたたえていた若者。
 ――これ。
 差し出された細い手までがはっきりと思い出されて、いつしかガーネットは泣いていた。
「死んじゃ…だめよ」
 ――にいちゃん。にいちゃんは、すごいんだ。
 きらきら光る目で大好きな兄ちゃんを見上げていた少年。
 ――母ちゃん、大丈夫かなあ。お金、間に合うかなあ。
 ――大丈夫さ。
「弟が…母さまが…あなたの帰りを待っているのでしょう?…死んじゃだめよ…ハルト…!」
 ガーネットの大きな瞳から、涙がぽろぽろと溢れ出す。
 だが彼女は嗚咽を洩らさなかった。こぼれる涙をくいっとぬぐって、そしてハルトの額に自分の額を合わせた。
 このまま死なせてはならない。
 そう思ったのだ。
「何をするつもりだ、ダガー」
 彼女の様子に不安を抱いたジタンが、そっと彼女の肩に手を置く。
 その手に、自分の手を重ねて、ガーネットは目を閉じた。
 ジタンの手のぬくもりを、しっかりと身に焼き付けておくために。
「迎えに行って見ます」
「迎えって…」
「魂還しの秘術があるってきいたことがあるの。…私なら、できるかもしれない。まだこの子は遠くまでいってない気がするの」
「無茶だ。ダガー。還ってこれなくなるかもしれないんだぞ!」
 広間の向こう側で作業を続けていたFが、会話を聞きとがめて顔を上げた。
「やめといた方がいい。俺の集落のまじないばあさんも、それで死んだぞ。村長を魂還ししたはいいが、自分が抜けられなくなって代わりに死んじまった。そいつはあんたを助けて満足して死んでいったんだ。あんたが死んじまったら、そいつのやったことの意味がなくなるだろう」
 だが、どんな言葉を聞かされても、ガーネットの決意は変わらなかった。
 そして、この娘が一旦こうと決めたら、どうしたって動かせないことを、誰よりも一番よく知っているのは、ジタンだった。
 きゅっと、ジタンの上においた手に力を込めて、ガーネットはジタンを見つめる。
「私は、あなたのところに帰ってきます。どこに行っても、どんなことがあっても、必ず。私の帰るところは、あなただけだから。だから――私が戻ってこられるように、私の手を握っていてください」
 肩にかけられた彼の手をそっとガーネットは握った。
 ジタンは、しっかりとその細い小さな手に指を絡める。
 それが彼の答えだった。
 ガーネットはうなずき、そして再びハルトと額を合わせた。
 ジタンに預けた彼女の左手から力が抜ける。魂が、ハルトを追っていったのだ。
 胸が灼けるような思いでジタンはガーネットの手を握り締め、その指を唇に当てた。
 無事に――無事に帰ってきてくれ。どうか。
 祈るように彼は目を閉じた。

「死人の数はとりあえず最小限度にとどまるはずだ。これが成功すればさらに減るな」
 ぶっきらぼうに言いながら作業を終えたFが近寄ってくる。
 横たわった男たちの呻き声は相変わらずだが、傷口はふさがりかかり、出血も止まっていた。
 あんまり治しすぎるとまた襲われそうだからな。ほどほどにしといた。
 そう言ってFは苦笑いした。
「あんた――なんでここに戻ってきてたんだ」
 ガーネットにまた目を戻して、ジタンが呟く。
「親父が操られているとわかって――俺は親父を助けたかったのさ」
「ならなんでハルトを逃がした後舞い戻ってこなかったんだ。なぜこいつをまきぞいにした?」
 押し隠そうとしても、そこには詰るような色が濃く滲む。
 だがFは淡々と、悪びれる様子もなく語った。
「こいつがそう望んだ。…といってもお前は信じないかもしれんが。あんたたちが逃げ出したってことは一旦外に出た俺たちにもわかった。中がずいぶんざわついていたし、あっちこっちから声が上がっていたしな。…そして、仲間の一人から、あんたたちが広間におびき寄せられることになってると聞いた。俺はあんたたちを使ってXを殺るチャンスだと思った。こいつはその女を最後まで助けたかったんだろう」
 ジタンは黙った。彼を責めることはできなかった。

 その時、ハルトが微かにみじろぎした。
「ハルト!」
 ジタンの声にFが駆け寄ってくる。
「戻ってきたのか!?」
「ああ…今動いた!ハルト!ハルト!?」
 若者の頬をぱちぱちと叩く。と、びくっとしたように一瞬彼は体を痙攣させ、細い呻き声を洩らした。
「あ…」
 うっすらと開いた目に映る人影に、ハルトは戸惑ったように瞬きした。
「あの…あの人は…」
「ガーネットか?ガーネットならここに」
 言いかけてジタンは絶句する。
 まだ手に温もりはある。だのに――。
 
 彼女は息をしていなかった。