A bell rings on the hill.

 <1>

 リンドブルム巨大城の一画に設けられた待合室。
 主に王家筋の私客のために用意された部屋だが――決して広くはないそこを、金髪と同色のしっぽを持った御仁が先ほどからせわしなく歩き回っている。
 壁際に置かれたふかふかのソファに身を沈めている紫の髪の少女が、果実水を飲みながら男の動きを目で追う。右から左へ、左から右へ、彼女の瞳は休まる暇がない。とうとう我慢できずに彼女はたんっ!と乱暴に杯を置いた。
「いい加減にしてよね!そんなに落ち着きないと、こっちまでイライラするじゃない!」
 びくっとしたように男は肩をすぼめ、壁際に目をやった。
「ああ――エーコ…そうか、いたんだよな、そこに」
 失礼極まりない言い様に、エーコの眦が吊り上る。
「なによ〜!ひどいわ!おとうさんが下りて来るまでジタンが暇だろうと思って、ずっとここでジタンに付き合ってあげてる天使みたいな優しくて可愛い女の子にそういうこと言うなんて、信じらんない!」
「…別に”いてくれ”なんて誰も頼んでないぜ」
 素っ気無くあしらおうとしてもエーコに効き目はない。
「言わなくてもわかるもん。エーコとジタンは以心伝心でしょ?もう離れられない仲なのだわ」
 久しぶりの”逢瀬”に彼女はご機嫌なのだ――というのが少し的外れなら、ご機嫌でいようとしていると言い換えてもいい。かなり高度なテクニックで、『全てを曲解する』伝家の宝刀を惜しげもなく使っている。
「…どーゆー仲だよ」
 対するジタンの舌鋒がいささか鈍いのは、彼の心がここにはないからだ。しかしエーコはおかまいなしに喋り続ける。
「だからジタンがイライラしてるのも分かるのよね。ダガーと喧嘩しちゃったんでしょ?ああ見えてダガーってば頑固だから、許してもらえなくて困ってるんじゃない?」
 小さな体をジタンの前に回りこませて下から見上げる。ジタンは弱ったような顔でぷいっと顔を背け、非常にわざとらしく向こう側の椅子に腰を下ろした。
「べ、別に。俺とダガーが喧嘩なんかするわけないじゃないか。ア、アレクサンドリアでも有名な仲睦まじい二人なんだぜ」
 情けないくらい声は上ずり、おまけに舌まで噛んでいる。エーコは笑いを必死にかみ殺しながら慰めるように彼に近寄り、ぽんぽんとその肩を叩いた。
「無理しなくていいの。エーコはジタンのことなら何でも分かるって言ってるでしょ。ほら、悩み事があったら、エーコに相談してよ!」
 誰が子どもに相談するかよ…とまたもやエーコの神経を逆なでするような言葉を発しかけた彼は、しかし不意に開いた扉の方に気をとられて口を閉じた。
「大公…」
 ほっとしたように深い息を吐きながら彼は立ち上がる。その傍らで、ぱっとエーコの顔が年相応のあどけなさを取り戻した。
「おとうさん、お仕事は一段落ついたの?」
 まるでジタンなんかいっぺんに視界の彼方に飛び去ったみたいに、嬉しそうな顔で少女は父親に駆け寄る。先刻のジタンに対する態度とは雲泥の差だ。だがそれは演技などではなく、この数年間の親子としての結びつきがこの少女の本当の姿を引き出しているだけなのだ。ジタンはぼんやりと二人を眺めながら思う。
 それはとりもなおさず、ともに過ごした時間の重みとも言えた。
 幾分苦い想いが彼の胸を去来する。
「はは。なんとか段取りをつけてきたよ。おお、ジタン。よく来たな。しかしまた、どうしたのじゃ、こんな時期にお前が一人で姿を現すとは」
「う…ん、ちょっと、相談したいことがあってね」
 困ったように、そしてややはにかんだようにジタンは頭を掻いた。
「きっと、ガーネットと喧嘩したのよ。さっきのジタンのうろたえた顔、お父さんにも見せたかったわ」
 からかうような調子でこそこそとシドに耳打ちしたエーコは、聞きとがめたジタンに叱られる前にさっと部屋を立ち去ってゆく。白いスカートの裾を翻して。
「じゃあね、ジタン!いつでも相談していいんだからね!」
 長いまつげに縁取られたつぶらな瞳が片方だけ閉じる。おしゃまな昔の面影をその口元にふっと感じて、ジタンは苦笑するしかなかった。
 
「さて…で?ガーネットと喧嘩したとな?」
 娘の後姿を目を細め相好を崩しまくって眺めていたシドが、咳払いを一つしてジタンの方に向き直る。
 はっと我に返ってジタンはぱっと目元を赤く染めた。
 その表情にシドはあんぐりと口を開けてしまう。こんな・・・こんな純情な顔をこの男が見せるとは、いや、見せることがあろうとは全くもって予想外だったからだ。
「あ…えーっと…喧嘩したわけじゃないんだ」
 ジタンの反応があまりにも予想外だったために、毒気を抜かれたシドは彼がどんな相談事を切り出そうとしているか見当をつけることもできなかった。
「喧嘩でなければ何事じゃ?お前がガーネットのこと以外で悩むとも思えんが」
「なんか、すごい言われようだな。それじゃあ、まるで俺が脳みその軽い男みたいじゃないか」
「違うのか?」
「…違わない」
 まただ。またジタンはもぞもぞと口ごもると、シドから視線を外して俯いてしまった。およそこの男らしくない反応を立て続けに見せられて、シドはちょっと不安になってくる。
「どうしたおぬし…病気でも患ったのか?」
「まさか!」
「じゃな。元気なだけがおぬしのとり得じゃからな」
 だがそのシドの挑発にもジタンは乗らなかった。ふたたび項垂れて長いため息をつく。
 その鬱陶しい様子に短気なシドは痺れを切らした。
「ああ、苛立たしい!一体何じゃ!何をそのように引きずっておるのじゃ!」
「…俺、求婚したんだ」
「え?」
 一瞬、扉の外で何かが動く気配がした。だが自分のことで頭がいっぱいのジタンと度肝を抜かれ続けのシドはそれに全く気がつかなかった。もっとも邪気をはらんだものならばすぐにでも察したのだろうが、生憎というべきか、はたまた幸いと言うべきか、それはすこぶる天真爛漫な気配で――いわば部屋の中の二人にとっては無害なしろものだった。ゆえに彼らも見過ごしてしまったのだろう。
「なんと…今何と申したのじゃ?」
「求婚したんだ。ガーネットに」
「おお!それはめでたい!ようやくおぬしも一人前になったか!」
 喜色満面のシドをよそに、ジタンはさらに深いため息をついた。
「なんじゃ?何ゆえそのようにふさぎこんでおるのだ。当然ガーネットは『オッケーっ』だったのじゃろうが」
 いかにもオジサンなノリで受けを狙ってみるがそれも虚しく空振りしてしまう。
 ジタンの顔は浮かない。浮かないどころか今にも奈落の底に沈んでいきそうなほど暗いのだ。
 ここまできてようやくシドにもジタンの悩みの一端が見え始めた。
「もしや…ガーネットの答え…」
 シドの口ぶりが変わったのを察してジタンが顔を上げる。「ああ」と彼は重たい口を開いた。
「はっきり、断られた」