A bell rings on the hill.

 <3>

 バン!と勢いよく扉が開いた。執務室の隣で事前の報告書に目を通していた宰相が慌てて飛んでくる。
「どうなさったのです、陛下」
「宰相…わたくし、今からリンドブルムに参ります」
 彼の顔を見るなりガーネットは宣言した。
 さっと、宰相の顔色が変わる。彼は女王とその傍らのリンドブルム公女に目をやり、渋い顔で首を振った。
「何やら事情がおありかと存じますが、しかし陛下、明日早朝より、アレクサンドリア各地の定期巡回に出立する御予定ではありませんか。特に今年は冷夏による不作で、中央部低地一帯、中でもグニータス、ザモ周辺の農村は陛下の御行幸を心待ちにしておるとの報告が連日寄せられております。――御恐れながら、今リンドブルムにおいでになれば、その予定を繰り下げることになりますぞ。いかがなさいますか」
 言外に宰相は不可能であることを匂わせている。だがあくまで表向きは女王の決裁を問う。決定権は彼にはないからだ。
 ガーネットは言葉に詰まった。
 そうなのだ。
 ジタンが誤解し、しかもそのためにひどく精神的に参っているらしいときいて、いてもたってもいられなくなったのだが――だが同時に、彼女は多くのくにたみを抱えているのである。そしてそれは女王にとっては肉親同然でなければならぬ存在だった。無碍に――扱うわけにはいかない。私事を優先させるわけにはいかないのだ。
 唇を噛んで、切ないほどの葛藤に苛まれている女王を見上げて、突然エーコがどんと胸を叩いた。
「まかせて!あたしがちゃんとジタンに分からせて、アレクサンドリアに連れてきてあげる!」
「エーコ…」
「大丈夫。ジタンはあたしの言うことなら何だって聞いてくれるもん。ダガーは安心して待ってて」
 本来なら橋渡しなど願い下げである。でも、ガーネットやジタンの辛い顔をみるのはもっと願い下げだった。それくらいなら悲しいけれど自分が貧乏くじを引いた方がましだった。
 エーコは胸を張って、もう一度繰り返した。
「大丈夫よ、ダガー!」

 ありがとう、と、万感の想いを込めてエーコを抱きしめる、そのやわらかく優しいガーネットの抱擁にエーコは限りなく切なくなってしまう。
「もう帰るね。お父さんも心配してると思うし」
 笑ってその腕を逃れ、そそくさと彼女は飛空艇に乗り込んだ。
 が。
 エリンに帰途につくよう指示した後、エーコは誰もいない甲板で頭を抱えた。
「大丈夫って…ジタンはエーコのことなら何でも聞いて――くれるわけないじゃないよおぉっ!うう〜っ!それに、このこと喋ったら、エーコが立ち聞きしてたのバレバレじゃない!…どうすんのよ、あたし!!安請け合いしちゃってぇっ!!」
 両拳を握り締め、星の瞬いている夜空に吼える。
 背に腹は替えられない状況下での即断だったとはいえ…彼女は大きな墓穴をせっせと掘ってしまったわけだ。しかし。
「でも、とにかく大言壮語しちゃった以上、何とかしないとかっこがつかないのだわ」
 窮地に立ってもそこで潰れたり諦めたりしないのが彼女の彼女たる所以である。事態打開のための策を求めて、早くも彼女は頭をフル稼働させ始めるのだった。

 でね。溺れるものは藁をもつかむって言うじゃない。
 可愛い口から辛辣な言葉が飛び出す。
 もっともこの程度の毒舌には慣れっこのタンタラス団の面々は、特に気に留める様子もなく少女の話に耳を傾けていた。
「で、俺らが藁なわけか?」
 面倒くさそうにブランクは耳に小指を突っ込みぐりぐりとこねまわした。横柄なその態度とは裏腹に幾分口調は柔らかい。相手がこまっしゃくれた小娘とはいえかなり可愛いせいだ。
「汚いで、やめときや」
 その後頭部をぺしっとルビイがはたいた。こちらの方は口調とは反対に幾分力がこもり過ぎている。
「何すんだ」
 ブランクの抗議を無視して彼女はエーコの目の前にどっかと腰を下ろした。
「事情はよう分かった。せやけど、なんで自分でジタンに言わへんの?あんたが立ち聞きしてたかて、そんなん気にするタマかいな、あいつが」
「そうっす。可愛い女の子には滅法甘いっすから、ジタンさん。誰かと同じで」
 マーカスがちょっとほっぺたを染めて照れながら口を挟む。すかさず横からどつかれて、彼はすぐに青くなった。
「い、いや、タンタラス団の男ってみんなそうなんっす」
 (フォローになってねえぇぇぇ!)
 横で悶えるブランク。そんな二人を鼻でせせら笑って、ルビイが話を元に戻す。
「なあ、なんで自分で伝えへんの?」
 エーコは…かすかに長い睫を伏せて、思慮深げな表情を見せた。
「だって、ジタンはエーコの言葉なんか笑って取り合ってくれないに決まってるもん」
 その場が一気にしんと静まり返る。
 タンタラスのメンバーの記憶に残るエーコは、こんな殊勝な台詞を吐くような少女ではなかった。もっと大胆で、うたれ強くてへこたれなくて、口が悪くて前向きで、バイタリティーの塊のような女の子だったはずだ。
 まず毒気を抜かれてしまったのがブランクだった。さっきまでの横柄な態度はどこへやら、いきなり椅子にきちんと座りなおし、膝を揃えて前を向く。それを横目でちらりと見やって、ルビイが面白くなさそうに口を曲げた。
「それは…ねえだろ。あいつは、人が真剣に訴えてることを軽く流したりはしねえよ」
 ブランクの言葉に、ルビイもマーカスも肯く。だがエーコは顔を上げなかった。
「でも、ジタンはエーコのこと子どもだと思ってるし、それにちゃんと認めてくれてないもん」
「だからそんなことは…」
 なおも言い募ろうとするブランクをルビイが止めた。
「せやったら、尚更自分で言い。本当にジタンがあんたのことを子ども扱いして真面目に向かい合ってくれへんのかどうか、自分で確かめるべきや」
「だって…!」
「怖いんやろ?」
「あ…」
 ずばり、と言い当てられて、エーコは言葉に詰まる。
「あんたはそれを確かめるのが怖いんや。だからうちらを頼ろうとしてる。やろ?当たって砕けろやん。あんたらしないで。そんな弱腰」
「だって…」
「大丈夫やって。少なくともあんたのことを嫌いになったりせえへんよ。ジタンは。自分がジタンにとってどれほどのもんか、ちゃんと確認しといて損はなんやないの?…もっともそこが一番怖いんやろうけど…けど、あんたもそんなんでへこたれるようなタマと違うやろ?」
「う…」
 はっぱをかけられてもエーコは何も言い返せない。いや、言い返すもなにも、彼女はルビイの言葉に思わず納得してしまっていた。
「さあ、早く帰らんと夜が明けてしまうで。シド大公に見つかったらやばいん違うん?」
「あ、うん!そう!」
 はっとしてエーコが立ち上がる。
「送って行ってやろうか?」
 ものすごく珍しいブランクの申し出に、エーコはううんと首を振った。
「大丈夫、自分で帰れるわ」
「そう・・・・ぐわっ!」
 最後の叫びを聞かなかったことにして、エーコは外に出た。
 明け方のひんやりとした空気が肺に飛び込んでくる。人影一つない劇場街の石畳道を、13歳の少女は軽やかに駆けて行った。
 彼女の姿が道の向こうを曲がってしまってから、思い出したようにブランクは右足を抱えて飛び跳ねた。
「ってーな、何すんだよ、このクソ女!」
「あんたが色目使うからいかんのや!」
「色…誰が色目使ったよ!」
「ちょっと綺麗な子や思ったらすぐに態度変えよって、ほんま…最低な女ったらしやな!」
「はん、妬いてんのか、お前」
「あほか!何でうちがあんたごときに嫉妬せなあかんの。うちはあの子を飢えた狼から守ってやっただけや」
「誰が飢えた狼だよ!いい加減にしろよな。生憎俺の目は小さいもんでなあ、態度のでかいどっかの不細工ひとり入れたらいっぱいいっぱいで、他の女は入る余地がねえんだよ!わかったかこのボケ!」
「な、なんやてー!?もういっぺん言ってみー!うちが態度のでかい不細工やてえぇっ!?」
 袖を捲り上げてブランクに詰め寄るルビイの横で、圧倒されていたマーカスが初めて声を挟んだ。
「そこじゃないっす!」
「は?なんやの、マーカス!ブランクを庇おうったって、今日っちゅう今日は許さへんで!」
 ブランクの胸倉を掴んだままルビイは低いどすのきいた声を上げる。
「ち、ちがうっす。ルビイ、こだわるところが違うっす。兄貴…今…ルビイ以外は目に入らないって言ったんっすよ」
「はい?」
 とにかく極悪といえるくらいガンを飛ばしていたルビイは、そのマーカスの言葉に一瞬惚けたように振り返った。
「ルビイ以外は、目に入らないって…言ったんっす!そうっすよね、兄貴」
 確認をとられても困る。ブランクは鼻の頭に汗をかきながら、しらばっくれてそっぽを向いた。
「え?あれ?そ、そういえば・・・」
 今度はルビイがたじろぐ番だった。
 さっきのブランクの言葉を反芻し、マーカスの指摘が図星であることに気付いた彼女は、しどろもどろになって言葉を捜しあぐねている。
「だからさ、つまり――」
 柄にもなくブランクが頬を赤く染めてルビイの前に立った。
 いつの間にか自分の背丈よりはるかに高くなってしまった年下の悪がき。目の前に彼の顔ではなく肩先がきてしまうことを初めてルビイは自覚する。
 そして彼女はゆっくりと、視線を上げた。彼の肩から、首筋。そして細いあご。薄い唇。真っ直ぐに鼻筋が通った形の良い鼻梁。一重の細い目。視線が合って、思わず二人はぼっと首まで赤く染めた。
「えっと、だからな、つまり」
 何とかブランクが口を開き、決定的言葉を言おうとしたその瞬間。
「プロポーズずら〜!!!みんな来るずら〜!!ブランクがルビイにプロポーズするずら〜!!!」
 割れ鐘のような大きなだみ声がアジト全体に響き渡った。
 その声を合図にどどどっと寄せ来る団員たち。
 とっさにブランクはルビイを背中に隠し、彼女の手を握った。
「つまり――、先回りしてジタンのとこに行こうぜ!」
 言い終わらぬうちに手を握り締めたまま駆け出す。あっと叫ぶ間もなく、どやどやと集まった団員を尻目に二人の姿は劇場街の向こうに消え去った。
 ブランクがどういうつもりかは知らないが、ルビイにはジタンの所へ行く意志など全くない。とはいえブランクにぐいぐい引っ張られてはついて行かないわけにいかなかった。振りほどこうとしても全然歯が立たないのだ。何しろ力が――違いすぎた。
 本当に男になったんだ。
 わけもなくルビイは噛み締めていた。
 握った手が熱かった。

 飛空艇のエンジンの低い唸り声がリンドブルムのドックに響く。
 両翼についたプロペラの起こす風が、ジタンとエーコの体に吹き付ける。
 二日間の滞在を経て、やっと彼はアレクサンドリアへ帰る気をおこしたらしかった。シドとヒルダとオルベルタ…そしてエーコとの何の変哲もない日々が、少しばかり彼の心を癒したのだろう。

 タンタラスのメンバーに促されて、ジタンに真実を告げるべく城に帰ってきたものの、結局その日も、そして今日も、エーコは何もできなかった。
 ジタンがどんな反応をするか、エーコには分からなかったのだ。
 立ち聞きをしたからといって、ジタンはあんたのことを嫌いになったりしない、とルビイは言った。
 でも本当にそうなのかどうか、自信がなかった。確かにジタンは自分を可愛がってくれるし、肝心なところでいつも優しい。ぜったい人を切り捨てたりしない。
 だけど。エーコは小さなため息をもらした。だけど、今回のことを、結局ジタンはエーコには打ち明けなかったのだ。それはエーコに知られたくないからに決まっている。シドもそうだ。果たしてヒルダがその事実を知っているかどうかは分からなかったけれど、どちらにしても、みんなエーコには何も言わなかった。
 まだそんな話を聞かせるような年ではないと思ったのかもしれない。
 それに、やきもきするエーコの逡巡をよそに、ジタンは二日目にはもうだいぶ落ち着きを取り戻していた。
 なのに今更「実は立ち聞きして、ジタンが結婚を断られたのを知ってるの」とは言い出せないではないか。
 あえて彼が隠しているものを…ほじくり返すことなんかできやしない。
 そう思っていた。
 でも、いざジタンが帰ってしまう段になって、エーコにはよく分かった。
 自分は、自分の臆病さに理由をこじつけているだけなんだ。
 ――どうしたの、エーコ。一番大事なのは、ジタンの心を軽くしてあげることだったんじゃないの?
 今しもジタンがタラップを上がろうとしている。その後姿を見つめながらエーコは自問自答する。そして、このはしっこい少女はすぐに結論をはじき出した。
 今しか、ない。
「ジタン!」
 勇気を振り絞って叫ぶ。
 梯子に足をかけたジタンは振り返り、そして、ゆっくり地面に戻った。
 大股で自分のところまで歩いてきてくれた彼を見上げて、エーコはつばを飲み込む。
「あのね、エーコ、ジタンに話さなきゃいけないことがあるの。あのね」
 不意に、ジタンが優しく微笑んでエーコの頭に手を置いた。それから彼は少しかがんで、エーコの目の前に顔を寄せた。
「俺は、エーコが好きだぞ」
 唐突に言われてエーコは面食らう。
「へ?」
「昨日、ブランクとルビイが来たんだ」
 にっと、彼は笑った。いつもの笑顔だった。
「へ??何か…何か言ってた?」
「いや…エーコが何か話したいことがあるらしいって、ちゃんと聞いてやれよ、ってさ」
「…それだけ?」
「ああ。それだけだ」
「ほんとに?」
「しつっこいな。ほんとだ。で、話っていうのは――」
「あのね、ジタン、あのね、ダガーは…」
「まった!」
 咄嗟にジタンがエーコの口に手をあてた。
「その話なら、いい。おれは、自分で確かめることに決めたんだ。何で断られたか。それに――どっちみち、どんな理由であれ、俺は諦めない。とにかくうんと言わせるまで粘る!」
 ジタンはまた笑った。立ち直りの早い不屈の男は、今回もまたすぐに復活を遂げたのだ。エーコは半ば呆れて口を開けたまま「あう」と肯くしかなかった。
「いろいろ、心配してくれたんだろう?」
 ジタンは言葉と同時に、ひょいっとエーコを抱き寄せた。
 13歳になって、少女らしい丸みを帯びた体つきになってきたエーコだが、それでもまだまだ線は細い。ジタンに抱きしめられたらすっぽりと全部が埋まってしまう。
 エーコは瞬間何が起こったか全くわからなかった。
 一拍おいて、やっと自分がジタンに抱かれていることに気付く。気付いた途端、頭の先から足のつま先までかっと熱くなった。
「あ、ああ、ああああの、じっ、じじっ、ジタン??」
 体中の力が抜けてしまうような気がする。
「ありがとな」
 優しい、よく響く声がはるか頭上から降ってくる。
 そうだ。まだ背の高さもこんなに違うままなのだ。そう思うと、なんだかエーコは泣きたくなった。
「言っとくけど、俺はお前のことが大好きだからな」
 ジタンはまたそう言った。その腕の中でエーコが仰向く。
「タンタラスの人たちが、何か…余計なこといったんでしょう」
 ぷーっとほっぺたを膨らませる少女を見下ろして、金髪の青年は破顔した。
「まあね。エーコが悩んでるみたいだってさ」
「それだけ?」
「それだけだ。でも俺にはぴんと来たんだ。…俺はエーコのことが大好きだぞ。そりゃ、口は悪いし性格きついし、おしゃまで厚かましくて押しが強いけど、でも大好きだ」
「…ジタンそれ全然ほめてない」
「でもそんなエーコも好きなんだってことさ。自信持てよ。あの旅の仲間だぜ?――その点に関してだけは、俺は自信持ってる。エーコは俺のことが好きだろう?」
 ためらうことなくエーコは大きく首を縦に振る。
「それと同じだ。いや、もっとすごいスキかな。なにせ、二人分だからな」
「二人分?」
「ん」
 ちょっと内緒話をするような顔つきでジタンはエーコを覗き込んだ。
「俺の一番大切な弟分と二人分だ」
 それからぽんっとエーコの小さな肩を叩いて、ジタンは彼女の体を離した。
「じゃあな。あんま落ち込むなよ。物静かなエーコなんて気色悪いだけだぞ」
「しっ、失礼ね!その言葉、そのままお返しするのだわ!この二日間ジタンだって気色悪かったわよ!エーコはねえ、エーコはこう見えてももうすぐ14のレディーなんだからーーーっ!」
 プロペラが回る。
 強い風にも負けない大声でエーコは叫ぶ。
 体をそらして大きく笑いながら、ジタンは振り向いてゆっくりと手を振った。
 エーコも手を振り返そうとして――思い直したように両手を目の下にあてた。思いっきり「イーだ!」と舌を出す。
 ジタンがまた笑った。

 やがて彼を乗せた飛空艇は、静かな唸りを上げて薄い水色をひいた空に吸い込まれて行った。