<1> 邂逅
霧の大陸から渡ってきた召喚士たちが、この大陸の縁に沿ってぐるりと反対側に回ったのは、南がわの潮流が荒いせいだけではなく、先住していたドワーフたちの生活圏を荒らさないようにするためでもあった。それに隘路によって辛うじてつながれた半島は半ば孤立した状態で、隠遁した生活を送ろうとしていた彼らにとっては都合が良かった。
加えてその島の「気」が――彼らをそこに呼び寄せたと言えるかも知れない。
とまれ彼らはその半島に降り立ち、その更に南側の入り江に面した高台に住み着いたのだった。
数世代のうちに彼らはそこに見事な家並みを造り出した。小さくはあったが、隅々まで心配りの行き届いた、住みやすい集落。
ようやく彼らの生活は安定し、邑としての落ち着いた穏やかな毎日が廻ってくるようになった。
そんなある真冬の朝のことである。
霧の大陸から流浪民の一団が流れ着いた。
アレクサンドリア経由で輝ける島を臨む「閉ざされた大陸」に向かう途中、大きな嵐にあってこの大陸の裏側まで流されて来たらしい。
流れ着いた流浪民たちはそれぞれに夥しい装飾品を身につけていた。
彼らは貨幣を持たない。全財産はすべて身に付けるのだ。必要とあればそれを売ってさまざまな生活必需品を手に入れる。歩くのが困難になるほど身を飾っているものもいた。
その中でもひときわ目立つ、宝石のちりばめられた重いベールを纏う老婆が一人、他の若い女たちに傅かれながら静かに入り江の坂道を登ってきた。
召喚士の長老が丁重に彼らの一行を出迎える。だが決して町の中まで入れようとはしない。慇懃に、礼を尽くして町の外に野営するよう促す。
彼らもそういう対応には慣れているから、はなから町の宿に泊まることなど期待していない。
二言三言言葉を交わして頭をたれ、広場から右に曲がって外に続く道を辿る。老婆の後に続き、彼らはみな町の外に出た。
だが、広場を抜ける折、老婆が一瞬長老の方に意味ありげな視線を送った。厳密には長老ではなく、その背後から目を輝かせて老婆たち一行を伺っている一人の少女に向けた視線だったのだが…無論それに気づいたのは少女だけだった。
流浪民の長は強大な未来見(さきみ)の能力を持つと言われ、畏れられていた。
召喚士の長もそのことを聞き知っている。ために、彼は部族全体に彼らとの接触を持たぬよう触れを出した。召喚士も、特に力の優れたものには未来見の能力が宿る。お互い種の違う能力がぶつかれば、その波紋はよからぬ未来を生んでしまうかもしれぬ。
未来見は決して定まった未来を予見するものではなく、未来を呼び寄せる力ともいえるからである。
だが、十五になったばかりのまだ年若い娘はその戒めを聞かなかった。
意味ありげなあの視線に惹かれ、彼女は何度か老婆の元に赴いた。
不思議なことに、彼らが野営を構えている場所に召喚士が姿を現しても、彼らは気にとめる風もなかった。まるで彼女が見えぬかのように振る舞う。そのため娘はさしたる苦もなく老婆のもとにたどり着き、爾来足繁く通うようになった。
半年が過ぎた。
召喚士の里では夏至の祭りがたけなわだった。
村中に灯された松明の明かりをくぐって、その日も娘は村外れの荒地まで出かけた。
だが、通いなれた場所に至って娘は瞠目した。
そこらじゅうに張ってあった天幕が一つ残らずなくなっている。がらんとした新地に、暗闇の風にまかれた老婆がただ一人佇んでいた。
駆け寄った娘の肩をつかみ、老婆は彼女を大地に座らせた。
「お前様の名をきいておらなんだ。わしらは今日を最後にふたたび流浪の旅にでる。わしらを受け入れてくれたお前様の心に報いるために、わしがお前様にひとつ言葉を進ぜよう。お前様は何と言いなさる」
「…セーラ。セーラといいます」
「セーラ。ほう、お前様、セーラといいなさるか。黒髪の娘ごよ。お前様はいずれ、ガーネットと呼び習わされるようになろう。それも万民の口からお前様の名が発せられる。――同時にお前様は重い荷を担うことになろうて」
老婆の言葉に娘は心持眉をひそめた。
あまり喜ばしい内容とはいえなかった。別れの時に、なぜそんな不吉なことを告げようとするのか彼女には分からなかった。
その表情に気付いたのかどうか、老婆は低くしわがれた声で笑うと、先を続けた。
「…その荷をともにかろうてくれる者がおる。お前様が己の人生を預けられる相手じゃ。お前様の身も心も支えぬくこの上なき伴侶に、そのときお前様は巡り合うじゃろう。――ジタンという名の、運命の相手じゃ。覚えておきなされ、この老婆の言葉を。お前様はその相手に必ずいつか巡り合う。じゃから――何が起ころうとも、決して諦めてはならぬ。信じて、時を待つのじゃ」
それだけ語り終えると、老婆はふーっと深い息を吐いた。
と、その姿が見る間に薄れてゆく。
「おばあさん」
その声も虚しく、さっと吹き抜けた一陣の風に煽られて、老婆の姿は漆黒の空に消え去った。
信じられぬ光景に、娘は呆然とその場に立ち竦む。
「遠駆けだ。思うがままに時空を動ける力だ。流浪の民の中にはそういう力を有するものもいるとは聞いていたが、それが本当だったとはな」
不意に、背後から声がかかった。
びくっと細い肩が跳ねる。
彼女の父親であり――村長を務めている召喚士がそこに立っていた。
恐る恐る振り向く娘の頭に、彼は大きな手を置いた。
「お父様、あのおばあさんは未来見の力ももっていました――そして私に言葉を残してくれたんです」
見上げる素直な娘のまなこに、父親は哀しみの混じった眼差しを注ぐ。
「そうか」
「お父様も未来見をなさるでしょう?どうして――お父様は今まで私に未来のことを話して下さらなかったのですか?」
「未来は定まったものではない。語って何になる?語れば人はおのずとその未来に足を向けてしまうものだ」
「そうなのですか?ではあのおばあさんの言ったことは、当てにならないのかしら」
「どうかな。言っただろう、未来は定まっておらぬ。それを選び取り、形作るのは己自身だ。…
さあ、とにかく邑に帰ろう。触れを破ってこのようなところまで来ておるのだ。長老のお叱りと懲罰は免れんぞ」
父親はそれで話題を切り上げるように、重々しい村長の口調にもどって言い下した。
「…はい…」
しおらしく項垂れて娘は応える。父の後ろについて邑の門に向かいながら、彼女は一度だけ背後の暗闇を振り返った。
果てなどないようにすら思える、黒々とした闇。
その遠い奥から、また老婆の声が聞こえたような気がしたのだ。
――決してあきらめなさるな――
最後に、その声は言った。
その言葉がすぐにも意味を為すものであろうとは、そのとき娘には知る由もなかった。
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