<6>ずっと-second
ドワーフが三人、集会所に寝かされていた。いずれもひどい火傷を負っている。
「目玉が飛んできたんだド」
三人の傍らに心配そうに付き添う二人のドワーフが目をきょろきょろさせながら言った。怪我はないようだが、彼らもまた泥と煤にまみれている
「目玉?」
天守――神殿の司が問い返す。背後で少年の片頬がぴくりと引きつった。
「んだ、空とぶ目玉だド。その目玉から黒い人間が降りてきて、おらたちに金色の尻尾の男を知らねえかと尋ねてきたド」
「それでお前たちはどうしたド?」
問われてドワーフたちは顔を見合わせ、それから天守の後ろの少年に目をやった。
この人間ともつかぬ少年は、ドワーフたちの馴染みの客だったし、足繁くこの里にやってきては遊んでくれる彼に、里の子どもたちもたいそう懐いていた。彼らだって、少年のことを好ましく思っていたのである。その少年を売るような真似はできなかった。
「知らないってしらをきったド。・・・」
歯切れの悪い言い方だった。少年を守ったせいで仲間が黒い男から熱線を浴びせられたのだ。当然推測できる原因を、だが彼らは口には出さなかった。
「カヅラ――」
少年が天守の名を呼んだ。カヅラが振り向く。
「すまない、俺のせいで…」
「気にするでないド。ワシたちは仲間を売ったりしないド。それはドワーフの誇りだド」
項垂れて謝罪する少年を力づけるように天守は言った。
「それに、お前のせいではないド。おらたちを撃ったのは黒い男だド!」
付き添う茶ききのデンベエが声を上げる。続いて寝かされている怪我人たちも苦しい息の下から「きにするんでねえド」「おらたちは大丈夫だド」と声をかけた。その労りが切なくて、少年はきゅっと唇を噛み締める。
横たわる三人に近寄り、彼はその場に屈み込んだ。
「ありがとな、道知りのカンジ、空筒のイヘエ、大麦食らいのダイキチ…。ごめんな。もう二度と、あんたたちを巻き込まないから」
「おらたちは平気だド」
一番年長のイヘエがなくなってしまった右腕をかばうようにして身を起こした。
熱線に焼き切られたのだろう。出血がないためにいのちに別状はなかったが、だが失われた腕は永遠に戻らない。それでもイヘエは少年を励まそうとする。
「だから、気にしてはいかんド」
不覚にも少年は泣きそうになった。
彼にはその「目玉」が何か、黒尽くめの男が誰なのか、薄らと分かりかけていた。おそらく目玉は、記憶の底に染み付いた青い空飛ぶ船だ。そして男は――自分を創った主なのだろう。
思い出してすら何の感慨も呼び起こさないその創造主が、恩を受けた優しいこの里の住人をこんな目に合わせたのだ。許せない、と思った。その黒い男も、そして自分も。
少年はゆっくりと立ち上がった。
「男が探してるのは俺だから。俺は南東の森にでも身を隠すよ。あそこまで離れれば、もう目玉も男もここには来ないだろう」
男は自分を見つけ出した。一旦思念を接触させたのだ。その近辺に少年がいるかいないかもはや彼にはすぐ分かるだろう。出来る限り遠くへ離れれば、もうこれ以上この里に迷惑をかけることもないはずだと少年は思った。
「あそこはふくろうの住む森のふくろうも住まぬほどの森だド。魔物もいっぱいいるド」
天守が心配そうに少年を見やる。
「大丈夫だ。心配してくれてありがとな、カヅラ。俺――コンデヤ・パタのこと、忘れねえから」
それは数少ない彼の中の記憶の一つ。それも喩えようもなく温かい光を放つ大切な思い出の一つだったから。
自分に言い聞かせるように呟き、それから彼は振り返った。
ずっと黙ってそこに控え、一部始終を見届けていた少女と目が合う。
少女が何か言おうと口を開いた。
慌ててそれを遮るように、少年は口走る。
「じゃあ、俺…行くわ」
じゃあな。
少女の横をすり抜けて行きながら少年は軽く彼女の肩を叩いた。
あまりに軽い、あっさりとした別れの挨拶。
「ま…」
思いもよらぬ展開にとまどいながら、――しかし咄嗟に彼女は叫んだ。
「待ってよ!私をほっといていくつもりなの!?それならせめて召喚士の邑まで送って行って!こんな魔物がうじゃうじゃいるような所で放り出されたら、私生きて帰れないわ!!」
ぎくっ。
少年がぜんまい仕掛けのおもちゃみたいにぎこちない仕草で立ち止まる。
その場しのぎの思いつきの言葉の羅列だった。
だがそんなおためごかしの台詞でも、少年にとっては爆発的な威力があったらしい。機を逃すまいと少女は言い重ねた。
「だから勝手に一人で行かないで」
「だけど…今ここで俺が召喚士の里にいったら、今度はそこが同じような攻撃をうけるかもしれないんだぞ?」
「だったら、帰らなくていいわ。だけど、とにかく私を一人にしないで。あなたと一緒じゃないと私死んでしまうもの」
挑むような態度とは裏腹に、言葉には彼への思慕が溢れていた。少年は柄にもなく首まで真っ赤になってしまう。
「ば、ばかやろ…俺と一緒にきたら、それこそ何があるか分からないんだぞ?本当に命を落としちまうかもしれないんだ。お前をそんな目にあわせられるかよ!」
返す言葉にもこれまた相手を思う気持ちが零れている。少女はちょっと感動したように目をしばたたかせた。
「だから言ってるでしょう?あなたと離れたら、私は死んでしまうって。かもしれない、どころじゃないの。生きていられないの。だから、一緒にいさせて」
今度は静かに――彼女は懇願した。
少年もそれ以上拒むことは出来なかった。
そばにいてほしいのは、同じだったから。
そうして彼らはコンデヤ・パタを後にしたのだった。
大丈夫よ、ほとぼりが冷めたらまたあなたにマダイン・サリまで送り届けてもらうから。ちゃんといつか家に帰るわ。
そう嘯きながら少女は少年とともに何日も歩き続けた。文句は一切口にしなかった。苦しい顔も見せなかった。明るく溌剌と笑う彼女の存在に、少年はどれだけ慰められたかしれなかった。
当面必要な品々はドワーフたちが提供してくれた。神木の根を渡り、荒地を越え湿地を抜けて森の入り口に続く大平原に出たのはそれから五日後のことである。
男が追いかけてくる気配も飛空艇の影もない、比較的平穏な旅路だった。
ただし、少女だけは平穏とはいかなかった。生まれてこの方やったこともない「炊事」なるものと毎日格闘しなければならなかったからだ。
食べるものには事欠かなかった。魔物だけではなく凶暴化した獣もそこらじゅうを徘徊しているのだ。黙っていても襲ってくる。応戦するだけで結構な収穫が得られた。
もっとも獣をさばくのは少年の役割だった。少女はもっぱら草地で野草を探してきたり、木の根を掘ってきたりしたものを煮炊きする役目を担っていた。
「鼻っ柱強いくせに、こういうのは駄目なんだな」
笑を含んだ声で少年が楽しそうにからかう。
振り向いて反論したいのだが、獣を捌いている最中の少年の手元を見たくなくて、少女はそっぽを向いたまま頬を膨らませた。
「だって…だって、私たちは召喚獣使いなのよ?獣は身内みたいなものだもの」
「へえ、使ってるのって獣だったのか。俺はてっきり神獣なんだと思ってたよ」
わざとらしく驚いてみせる少年。
「だっ、だから、どんなものでも血が流されるのはイヤなの!基本的に!」
「食うためにはしかたないだろ。食わなきゃ俺らが死んじまう。――いのちなんてそうやってつながっていくものだろ?」
「そ、そんなこと、分かってるわ!」
むきになって少女が言い返す。
「食べなきゃ生きていけないってことも、獣のおかげで私たちが生き延びられるってこともわかってるわ。…でも、生き物が死んじゃうの苦手なんだからしょうがないでしょ!」
きゃんきゃんと子犬みたいに喚く少女がたまらなく可愛く思えて、少年は声をたてて笑う。
少し前までなら当惑していたに違いない感情だった。慣れてきたのか、それとも自分の気持ちが自分でわかるようになってきたせいだろうか。実に素直に彼は己の感情を受け入れることができた。
湧き水の汲み置きを使って手についた血糊を落とし、彼は火に近寄って切り分けた肉を少女がかき混ぜている鍋の中に放り込んだ。
それが彼女が振り向けるようになったという合図で――やっと自由になった首を存分に回して、少女は少年を睨みつけた。
「最近、私のことからかって遊んでない?」
つっかっかるように言われて少年は小首を「ん?」と傾げる。考えているようなふりをしながらちょっと間を置いて、
「そうかも」
ニカっと笑った。
「もう、信じられない!私は料理を作るだけで手一杯で、あなたの遊びになんて付き合ってられないんですからね!」
かんかんに怒って見せる少女。だがそれが「振り」だってことは、少年も先刻承知である。
「あのさ」
「なによ」
間髪いれず戻されるどすの利いた返事に、少年は苦笑いを浮かべた。
「俺のこと、ジタン、って呼ぶんじゃなかったっけ?」
「え…あ…」
いきなり少年に突っ込まれて、少女は鍋をかき混ぜていた木杓を思わず取り落としてしまった。うろたえる彼女の前で、少年はちょっぴりはにかんだように鼻の下をこする。
「俺、ほら、名前で呼ばれた経験ないだろ?できれば…呼んでみてもらいたいんだけど」
おずおずと申し出る。
少女は言葉につまり、苦し紛れに視線を宙に漂わせた。
「えっと…えっとね、あの…そうだ!コンデヤ・パタではなんて呼ばれてたの?」
微かに頬を上気させ、少女はとりあえず話題を逸らそうと試みる。いざ実際に呼ぶとなると気恥ずかしさが先にたつらしい。
「金色しっぽ」
「しっぽ?」
「うん」
思いもよらぬ呼び名に、笑うところではないと思いつつ自然に口元が緩んでしまう。
「かわいい。ぴったりね」
「…んだよ。なんだか馬鹿にされてるみたいで嬉しくないぞ」
少女の素直な感想に、少年はやや憮然とした顔で口を尖らせた。
「馬鹿になんてしてないわ。あなたの尻尾、大好きよ。ふわふわで、気持ちよさそうで、すごく正直者なんだもの」
「正直者?」
「ええ。だってほら、楽しい時はふよふよ動くの。落ち込んでる時は力なく垂れ下がってるでしょ?だからとっても分かりやすい」
そうかな?というように、少年は体をひねって自分の尻尾を眺めた。曲がった尻尾の先がぴょこん、と空を向いている。
「今はきっと機嫌がいいのよね」
少年に近寄ると、少女はちょん、と尻尾の先っちょを突付いた。それから背伸びして、少年の金色の髪に手を伸ばす。
え――という形を作った少年の口は、しかし声を発することができなかった。
少女が近づいたというだけで少年の胸は早鐘のように鳴り出すのである。ましてや彼女の白い細いかいなが自分に触れて、彼は卒倒しそうな気分になった。
少女は笑いながら彼の頭の両脇に手をかざし、「ここらへんに耳がついてたらもっと可愛かったかも」なんぞと一人で悦に入っている。
「さっきの仕返しかよ。人をからかうのもいい加減に…」
「きゃっ!」「うわっ」
少年が文句をつけかかったところで爪先立っていた少女がバランスを崩した。突然圧し掛かってきた重みを支えきれずに、少年は彼女の体を抱えた格好で草地に倒れてしまう。
「ご、ごめんなさい」
少年の胸の上に倒れこんだ少女は、慌てて体を起こそうとした。だがそれより早く少年が彼女の背中に腕を回した。
「さっきの続き。俺を名前で呼んでくれるまで離さない」
いたずらっ子のような口調で彼は言った。
「ちょ、ちょっと待って、そういうのには、心の準備ってものが…」
「そんなものいるかよ」
「じゃ、じゃあ私のこと、先にガーネットって呼んでみてよ」
「ガーネット。ほら、簡単だろ?」
「気持ちがこもってないわ!」
「単に人を呼ぶのに気持ちをこめるかよ」
「こめるわよ!」
「…そしたら」
少年はちょっと言葉を区切って、こほん、と咳払いをした。それからひどく照れくさそうに口をあけて――
「だあーーっ。照れくせええっ!」
天を仰いだまま目をきゅっと瞑る。
「でしょ?だからほら、離して。いつかちゃんと呼ぶもの。そんな、張り切って呼ばなくったって、きっと呼ぶようになるのよ?だから焦らなくていいと思うの」
言い訳しながら少女は少年の胸に手をついて、体を引き剥がそうとした。その細い腰をまたきゅっと抱きしめて、少年はくるりと体を回転させる。抱かれたまま今度は少女の体が少年に組み敷かれた形になってしまった。
上から少女の顔をまっすぐに見つめて、少年が小さな声で囁いた。
「いいか?言うぞ。ちゃんと、気持ちを込めて、一回だけ言うからな」
「え…?」
問い直す間もなかった。少年はもう一回だけこほん、と咳払いして、おもむろに口を開いた。
「ガーネット…」
その後に。好きだ、と、もっとかそけき呟きが、少女の唇に落ちてくる。
――少女は数度の瞬きのあと、静かに瞼を閉じた。体中を、甘い疼きが駆け抜けてゆく。
どれだけの時間そうしていたのか…やがて温もりが離れてゆくのを感じて、少女は目を開けた。まだ鼻先に少年の顔がある。
渾身の愛しさを込めた眼差しを受けて、少女の奥の蕾が柔らかに咲き初めてゆく。
いつしか自然に少女は彼の名を呼んでいた。
ジタン…。
その言葉を残らず掬い取ろうとするかのように、再び彼は少女の唇を塞いだ。
甘いしじまがあたりに満ち、ただ火にかけたままの鍋の煮立つ音だけが響く。
そんな音も耳には入らなかった――のは少年だけだったようで。
「いけない!焦げちゃう!」
いきなりぱっと目を見開いて、少女が叫んだ。どんっと少年の体を突き飛ばして起き上がると、慌てて鍋の中をかき混ぜる。
突き飛ばされてしりもちをついた少年は、目をぱちくりさせていたが、やがて半ば呆れ顔で苦笑した。
「色気より食い気だな、なんて言わないでよ!」
照れ隠しもあるのだろう、白い頬を朱に染めて、少女が機先を制す。
「一回食べ損ねたら、ダメージ大きいんだから。これからは健康第一!でがんばらなきゃいけないんだもの」
木杓をぶんぶん振り回しながら、少女は一生懸命力説する。
「わかってるって」
少年もくすくす笑いをこぼしつつ、立ち上がって鍋の中を覗き込んだ。
「上手い飯を頼むぜ」
軽い口調で言い、それから、彼はさり気なく付け加えた。
な、ガーネット。
心地よい響きを、少女は心の奥で受け止めていた。
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