11、柩を挽く者(その2)
次々に早馬が到着する。
各地で魔物が大発生し、領主の保有する私設軍はその討伐に追われていた。トレノやザモのように大規模な兵力を有する領は何とか独自で対応できていたものの、小領主では処しきれず、国に援軍を要請してきているのである。
元帥の位置にあるスタイナー将軍はその対処でおおわらわだった。アレクサンドリア領内とて例外ではないのだ。他領に割ける兵の数は限られている。
しかも報告によれば、多量に出現したゾンビは剣で斬り伏せてもなかなか死なないという。首を切り落としてようやく倒せるらしい。それだけの技量を持つ兵士がそうそういるわけもない。結果、各領の軍はかなりの苦戦を強いられることになった。
それらの報告がスタイナーの元から王宮にも上がってくる。
広間まで届いた轟音さわぎで舞踏会は早々に打ち切られ、その事件自体は王家を狙った地下活動家のしわざとして噂に上るにとどまった。
倒れたガーネットはまだ目を覚まさない。つきっきりで見守っているジタンのもとには、ひっきりなしに書面が届けられていた。
西の棟の一画が轟音と共に破壊されたことについても報告をうけた。だが正体不明の毒霧に遮られて近づけないため、詳細は不明だった。
部屋に駆け戻ったビビアンの身に何が起こったのか心配にならないといえば嘘になる。だが一向に目覚めない妻の身も気にかかって、ジタンは焼け付くようなもどかしさに身を捩らせていた。
固く目を閉じた白蝋のような妻の面に目を落とす。
額にはりついた黒髪を指でやさしく払い除け、そのまま愛しげに髪を撫でる。
「ダガー…」
思わず漏れた呟きに応えるように、長い睫がぴくりと動いた。
「ん…」
かすかに呻いて、ガーネットがみじろぎをする。
「気がついたのか」
彼女の両脇に手をついて、ジタンは顔を覗きこんだ。数度の瞬きの後、薄く目を開いたガーネットは、真正面に見える夫の心配そうな眼差しを受けて、はっと我に返った。
「舞踏会は?あの青年は今どうしているの?」
「舞踏会は中止になった。いろんなことがありすぎて――それはすぐにお前に話すけど…あの青年、ってのは白髪隻眼の男のことか?」
「ええ」
ガーネットはベッドに手をついて身を起こそうとする。その体をすかさず支えてやりながらジタンは応えた。
「彼なら見当たらない。中止になる前に姿を消したよ。…しかし、どうしてあの青年のことをそんなに気にするんだ。気を失うほど、何にショックを受けたんだ?」
もっともなジタンの問いに、ガーネットは弱ったように眉根を寄せた。
「はっきりとは分からないの。あの青年の色がルシアスの色と重なったの。それに気づいた途端、何かが私の意識に飛び込んできて…気がついたら目の前にあなたの顔があったわ」
人の魂魄には色があると言う。そして同じ色は二つとないとも言う。もっともジタンにはそんなもの見えやしなかったが、召喚士である彼女には見えるのかもしれない。
「そうか――お前にもよく分からないんだな」
妙に引っかかるものを感じたが、しかし今はそれどころではなかった。
「お前がこんな状態のときになんだけどな」
その話題を切り上げて、彼は今起こっている状況をかいつまんで彼女に説明し始めた。
報告を聞くうちにもともと血の色の薄かったガーネットの顔がもっと青ざめてゆく。
ジタンの言葉が終わると同時にふらりと彼女の上体が揺らいだ。慌ててジタンはその細い体を抱きとめる。
「すまん。…ショックだよな」
「いいえ」
夫の逞しい腕にすがりながら女王は必死に頭を振った。
「いいえ、大丈夫。軽い貧血よ。こんなこと――私たちには予測できていたことでしょう?きっとその衝撃波の源はあの子だわ。あの子にはまだ自分の力を使いこなすことはできないのだから」
「その場にビビアンがいたとしたら…」
考えたくない可能性だった。だが、最悪の場合を想定することも必要だと思った。
「ルシアスを信じましょう…無意識のうちに、ビビアンを庇ったに違いないって…」
ガーネットは青白い顔を上げ、力を込めてそう言った。漠然としたものであっても、自分の直感はそう告げている。
「ああ。そうだな」
ジタンはうなずいた。
信じるしかないのだ。もう起こってしまった出来事に、彼らが関与することは不可能なのだから。
そのとき、ドアを叩く音がした。
「陛下。ジタン殿――レオンです」
待ちかねていた者の登場だった。
「入れ」
許諾を受けるのももどかしい様子でレオンが部屋に飛び込んでくる。
その姿を見たジタンとガーネットは一瞬ぎょっとした。顔と手――空気に触れている部分が赤くただれているのだ。それも、表皮が剥がれて体液が滲み出てもいい状態なのに、表面はかさかさに乾いている。
すっと、ガーネットが立ち上がった。まずは作法にのっとって拝礼しようとするレオンの手をとる。そしてゆっくりとケアルをかけ始めた。
見る間に肌が回復していく。次に彼女はレオンの顔にも同じように魔法をかけた。
「お、恐れ入ります」
恐縮するレオンを、ジタンが急かす。
「恐れ入るのは後でいいから、まず事態の詳細を報告してくれ」
「は。ビビアン――王女は行方不明です。侵入者は数名、そのうちの二名は死亡。残りの者により王女の身柄は拉致されたものと思われます」
「死亡の原因は。それからルシアスはどうしている」
「陛下にはもうお分かりかと存じますが、西の対の二階北側一帯が爆発でもあったように倒壊しています。しかし倒壊理由は主に腐蝕によるもので、木製部分が全て朽ち落ちています。人間もまた同じく――私の手よりもっと酷い状態で死んでいました。それから、誠に申し上げにくいことですが、その現象に巻き込まれて女官が二人亡くなっています。ルシアス殿下はひどく憔悴されて、自室に戻られました。エルナという正教会大司教の代理が付き添っています。瘴気の充満した二階に近づけるのは彼女だけでしたので」
腑に落ちぬような口ぶりで淡々と述べるレオン。その不審を感じ取ったのか、ガーネットは視線を落とし、額に細い指をあてた。
「ルシアスの力の源はクリスタル――つまるところ魔法と同じなのよ。生体に力を付与するか奪い去るかの違いだけ。充満した負の気を中和させるには白魔法が一番だけど、でもあの子の力に匹敵するだけの魔力の持ち主はそうはいないはずだわ。エルナという方、よほどの魔法の使い手なのね」
「〈癒しの手〉なのです。彼女は。ゆえに異例の抜擢を受けて教会でも重用されていると聞き及びます」
得心のいったような響きが声ににじむ。
「それで、ビビアンの行方は分かるのか」
ジタンはそんなことよりも子どもたちの安否を知りたがった。
「いえ。皆目」
レオンの瞳がすっと翳る。その底に燃え立つ瞋恚の炎。
この王宮でうまうまとやられてしまったこと――そして何よりその不逞の輩が王女に手を出したことが許せなかったのだ。彼自身はそんな風に思ってはいないと主張するだろうが、目は正直だった。
「即刻調査させております。城から出入りした者の確認と不審な人物の目撃情報収集にプルート隊を向かわせました。追って報告が入るはずです。手がかりをつかみ次第、すぐに現場に向かうつもりです。私が命に代えても王女を無事に取り戻します」
日に焼けた頬を引き締め、真摯な眼差しでレオンはジタンとガーネットを見つめる。
「ああ」
「お願いするわ」
ガーネットは丈高い青年の手をとり、きゅっと握り締めた。
「あの子を助けてあげて。きっとあの子はあなたを待っているから」
それもまた母親の直感だった。
レオンは口を引き結び、挙手の礼をとる。
はっ。と、短い、しかし力強い応えを残し、彼は任務に戻っていった。
―◇―
ルシアスは自室のベッドに横たわり、深い眠りに落ちていた。傍らに付き添っている女性の手を、しっかりと握り締めたまま。
ガーネットとジタンが部屋に足を踏み入れると、修道女は慌てて立ち上がった。だが手が握られているため、体が傾いだままだ。ばつが悪そうに膝を折って挨拶を送る彼女に、ガーネットは小さく首を振って「そのまま」と囁いた。
修道女はかすかに驚いたような色を浮かべたが、言われるがまま再び椅子に腰を下ろす。
「あなたが、エルナ?」
足音を忍ばせてベッドに近寄るガーネット。
憂愁に満ちてさえその美しさは微塵も損なわれない。それどころか儚さを含んでいっそう輝きを増す女王にしばし見とれてしまったエルナは、はっとして慌てて応えた。
「はい。大司教の代理として参りました」
それからちょっと困った表情で自分の手に目をやり、
「話せば長くなるのですが…行き掛かり上、こんな具合になってしまいまして」
かなり大雑把な状況説明を加える。
「事情はおおよそレオンハルトから聞きました」
柔らかに言ってガーネットはエルナの肩に手を置いた。
「あなたがいてくれて助かりました。この子の心を鎮めてくれてありがとう。おかげでこの子も救われたわ」
「いいえ」
穏やかに、しかし揺るぎない強さをもってエルナは女王を見上げた。
「いいえ、女王陛下。私の力ではありません。殿下が御自分で、御自分をねじ伏せられたのです。――御立派でした」
それは衷心からの呟きだった。そしてエルナは昏々と眠るルシアスに目を戻した。
数刻前の混乱が嘘のように、静寂の満ちる部屋。
曙光が射し初め、浄らかな面持ちでルシアスの手を握る修道女の横顔を照らし出す。
その皎潔たるたたずまいに、父と母は寸刻息を呑んだ。
ここでもまた、少しずつ何かが動き始めているのだと。
そう感じさせずにはおかない光景だったのだ。
―◇― 女王にルシアスの手を渡し、エルナはレオンの元に急ぐ。
息子の手を握った途端女王の双眸から溢れ出した涙が、目に焼きついて離れなかった。
「ルシアス…ルシアス」
語りかける慈しみに満ちた優しい声。
その傍らに寄り添い、しっかりと…だが静かに支える夫君。
その美しい光景がエルナの胸に突き刺さった。
この家族をなんとしても助けたい。
縁もゆかりもない彼女だったが、そう思わずにはいられなかった。
―◇―
スタイナー元帥に目通りを願う僧侶が訪れたのは、王城が騒乱に見舞われた時刻から少しばかり経った明け方のことである。各地からの援軍要請に混じって伝えられたその報をスタイナーは一蹴しようとした。が、副官の次の言葉が彼を思いとどまらせた。
「ゾンビ追伐の秘策を進言しに参ったとのことです。正教会シルヴィウス派の宗主、シルヴィウス・オシウスと名乗っておりますが」
ゾンビ追伐の秘策。教会の関係者となれば、あながち虚言とは言い切れない。耳を傾ける価値はあるかもしれないと彼は思った。
やがて許可を受けてスタイナーの元に現れたのは、言うまでもなくあの白髪の青年だった。彼は恭しく跪居し、口を開いた。
「謹んで建議奉ります。正教会から分派致しました当会では、聖水をもって洗礼を授けます。さすれば各教会に聖水の備蓄、数千杯ほどあろうかと存じます。加えて布教の甲斐あり、アレクサンドリア各地に当派教会はございます。このほど出没した魔物に聖水が効力を発揮するのは周知のこと、ご許可いただけますならばその聖水を軍に供出いたしたく思うのですが」
舌鋒鋭く説く青年に、スタイナーは瞠目する。
「それは重畳。願ってもないことである」
彼はすぐさま全軍に発令した。
教会から聖水を運び出し、それをもって魔物を撃退せしめよ、と。
かくして王都には警護に必要な最低限の兵力のみが残されることになった。
退出する青年の目が赤く禍々しく輝いたことを、スタイナーは知る由もなかった。
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