12、柩を挽く者(その3)
 
 目撃者を見つけるのは意外に簡単だった。
 侵入者のうちの一人は、大きな袋を背負って城壁の上を走って逃げたのだ。かなり目立つ行動である。しかもその男は顔にも腕にも、およそ見える部分全ての肌に刺青を施していたらしい。刺青の柄までは誰も覚えていなかったが、それだけでも十分役に立つ証言だった。
「全身に刺青を入れるなんてかなり特徴的ですよね。アレクサンドリア国内でそういう風習をもってる部族って、三つほどありましたっけ。だいたい高原に居を構えてるんですよね、彼らって。えーっと確か…ベンティーニ高原にひとつ、ポーポス高原にひとつ、それからアレクサンドリア高原にひとつ、だったかな」
 中央の棟、エントランスの脇にあるプルート隊の詰め所で、報告に来た兵士が腕を組みながら頭をひねる。
 プルート隊も世代交代が進んでいる。彼は文学青年だったラウルの息子だ。
 テーブルについて渋い顔で床を見つめているレオンの顔色を伺って、申し訳なさそうに彼は付け加えた。
「もちろん個人的趣味で刺青を入れることもありますから、一概には断定できませんけど」
「断定してもいいわ」
 不意に、正面の入り口に修道女が姿を現した。
 突然の闖入者に青年兵は飛びすさり、さしものレオンもあっけにとられる。そんな彼らにはお構いなしで彼女はスタスタとレオンの目の前に歩み寄ると、タンっ、とテーブルに手をついた。
「あの現場で目に付いた物よ。念のために拾っておいたの。それから、干からびて死んでいた男たちも、たしかに全身に刺青を入れていたわ。表皮の下まで色が残ってるところが怖いわよね…刺青って」
 そしてエルナはすっと手を持ち上げた。
 掌の下から現れたのは、褐色に枯れているけれども、それとすぐに分かる小さな花だった。
 細い八重の花弁。レオンのよく知っている花だ。しかもその繁殖地は極めて限られている。
「マンネンロウか…」
 レオンが目を見開いた。
「刺青を施す部族は三つあるって言ってたわね。でもマンネンロウが咲くのは…」
「アレクサンドリア高原だ!狭霧峰ですね!あそこにはパルマコン族が住んでます」
 したり顔でプルート隊員が両手を打ち合わせる。と、その言葉が終わらないうちにレオンは椅子を跳ね飛ばして立ち上がっていた。
 それから物も言わずに壁に立てかけていた得物を取り上げ、腰に佩く。
「ちょっと、あなたどうする気?一人で行くのはいくらあなただって無理よ。人を集めて…」
「今この王都にはぎりぎりの兵力しか残されていない。俺が手勢を率いていくわけにはいかん。その暇もない」
 エルナの忠告にも彼は耳を貸そうとはしない。険しい目で真っ直ぐに前を見つめたままにべもなく言い放つ。
「だったら、せめてこのひょろひょろを…」
 エルナは側にきょとんとして立っていた青年兵の襟首を引っ張った。思わぬことにたたらを踏んだ兵士は、自分につけられた形容に目を白黒させる。
「ひ、ひょろひょろ!?」
「足手まといだ」
 だがやはりレオンは一瞥もくれなかった。そしてそのまま駆け出さんばかりの勢いで詰め所を出て行ってしまう。
「レオン!危険だってば!」
 背中に投げつけるエルナの言葉は、虚しく壁にぶつかって散った。

―◇―

 シルヴィウスは本拠地のトレノ郊外に引き上げていた。
 一仕事終わった。首尾は上々だ。
 留守を任されていた司祭が、灰色のフードを背にはねながらシルヴィウスのいる奥の部屋に入ってくる。
「聖水の配給が終了いたしましたよ。備えが底をつきましたがよろしいんですか?」
 彼は中央の卓上で刺青の男と向かい合い、チェスに興じている宗主の背中に声をかけた。
「ああ。ご苦労だったね」
 背を向けたままシルヴィウスはねぎらいの言葉を口にする。だが心ここにあらずなのは明白で、司祭は気分を害したのか片眉を吊り上げた。
「そんな暢気になさってていいんですか。外では軍が死に物狂いで奮戦しているっていうのに」
 少しばかり揶揄を含んだ口調になる。
「だからありったけの聖水をくれてやったろう?できることはしたさ。あとは結果を待つだけだ」
 シルヴィウスはチェスに没頭しているようで、やはり振り向きもしない。
 それはそうですけど。司祭は口の中でぶつくさ文句を垂れつつひょいと宗主の頭越しにチェスの盤面を覗いた。
「ありゃ?何です、それ。向こうは裸じゃないですか」
 敵側のポーンがひとつ残らず除かれている。キングとクイーンを守るのは、ナイトとルークとビショップだけだ。
 シルヴィウスは軽く笑った。
「苦労したよ、ポーンを取るのは。お前にはどっちが勝つように見える?」
 初めて彼は顔を上げた。
 赤い瞳が面白そうに意見を待つ。普通ならまごついてしまうかもしれない不思議な色だが、付き合いの長い司祭は心得たもので、肩を竦めて嘆息する。
「そりゃ宗主の方でしょう」
 そしてさっさと自室に引き上げていってしまった。
 刺青の男とまた二人だけになったシルヴィウスは、楽しそうに取り上げたポーンを弄んだ。
「お前の同胞はちゃんと手がかりを残せているだろうね」
「我らに手抜かりはございませぬ」
 男は静かに即答する。
 宗主は満足げに頷いた。
「僅かな手がかりさえ与えておけば、彼らならすぐにお前たちの里をつきとめるだろう。だが手勢を率いてこられるほど時間もなければ兵力の余裕もない。必ずあの男が単独で救出に来る」
 腕に覚えがあることだし。
 嘯きながら彼は駒を進める。ポーンは全て外した。残るは僅かな手勢のみ。
「キングを取り巻く邪魔なものは排除しなくてはね。一つずつ」
 そして彼は、盤上に置かれたキングを取り囲む駒のうちの一つを倒した。

「まず最初は――ナイトを」

 コトリ、と固い冷たい音がした。

―◇―

 いったいここはどこなのだろう。
 自分の目の前にあるのが何か、すぐには分からなかった。
 周囲の暗さに目が慣れてきて、ぼんやりと様子が見て取れるようになって初めて、彼女はそれが天井の梁であることに気づく。
 もっとも、その太い丸太が「梁」という名称であることを彼女は知らない。何しろそんなものを見たのは生まれて初めてなのだ。ということはつまり、ここがどこだか全く分からないと言うことだ。――城ではないことだけは確かだったが。
 半身を起こしたビビアンは、軽く頭を振った。
 あの時、兄に危険を知らせようと叫んだ後、背後から突然伸びてきた手に何かを嗅がされて意識を失った。部屋の中にいた男は二人だったが、どうやらもう一人外に潜んでいたらしい。バルコニーのすぐ側にはいつくばってしまったのがいけなかった。男からすれば渡りに船だったわけだ。
 全身に変な模様をつけた、短い黒髪の妙な男たち。訳の分からぬ言葉を操りながら入ってくるなりいきなり家捜しを始めた。無論ビビアンは立ち向かった。だが二人がかりで組み伏せられては彼女に勝ち目はなかった。
 必死で男を撥ね退けようとした時、凄まじい音とともに兄が部屋に飛び込んできたのだ。
 何が起こったのか、その時は彼女にもわからなかった。だがこうして最初から思い返してみるとはっきりと見えてくる。あれが母の言っていた<兄の力>、なのだろう。
 一瞬で扉を吹き飛ばし、そして次の瞬間自分の上に跨っていた男を吹き飛ばした。その間、彼は指一つ動かさなかったのに。
 自分の叫びが引き起こした最後の閃光のあと、彼女は気を失ってしまった。
 いったいあの後に何が起こったのだろう。想像するのが恐ろしかった。
 兄は大丈夫だろうか。怪我をしていないだろうか。あれだけ凄まじい力を発揮して、ショックを受けていないだろうか。心配で胸が痛む。
 だがまずは我が身をどうにかしなければならない。ここがどこだろうと、とにかく逃げ出して城に帰らねば。
 まだふらついている頭をはっきりさせようと、彼女は自分のおでこをばちんとぶっ叩いた。
「いっ…ったあ」
 力を込めすぎて涙目になる。でもおかげで強烈に覚醒した。
「よしっ!」
 額に赤い手形をつけた王女は、勢いよく立ち上がって歩き出そうとした。とたん、一歩も踏み出せずにその場にすっ転んでしまった。
 どすん、というそれは大きな音がして、床から埃が舞い上がる。
「な、何よ〜!」
 真っ赤な顔をして彼女は自分の足を見る。右足に鎖がつながれていた。
 だが彼女の顔が赤いのはどうやらそのせいではないらしい。
「掃除くらいしなさいよっ!これじゃあ、あたしの体重が重いから埃がたったみたいに見えるじゃないよ〜!」
 部屋の外に聞こえるように大声で喚き散らす。
「分かってんの!?分かってんだったら返事くらいしなさいよっ!」
 あまりの剣幕に扉が開いて見張りらしき男が一人中に入ってきた。
『うるさいぞ。静かにしろ』
 男が何か喋っている。だが、その言葉はビビアンには分からない。城に侵入してきた男たちと同じ言葉だった。
「何?何言ってるの?ちゃんと公用語喋んなさいよ。わかんないわよ」
 きゃんきゃんと、相手が分かろうが分かるまいがお構いなしに噛み付くビビアン。
 刺青男はむっとして手にした槍をビビアンの喉元に突きつけた。
『静かにせぬと喉を掻き切るぞ』
 どう考えてもこれは脅されてるのだろうとしか思えないが、それでもビビアンはくじけない。怖いもの知らずで向こう見ずなのは伊達じゃないのだ。
「こんなんでびびるとでも思ってんの!?アレクサンドリアの王女を馬鹿にするんじゃないわよ!」
 思いっきり舌を出して男を挑発する。かっとした男が槍を構えなおした、そのとき、もう一人の男が部屋に入ってきた。
『止めておけ。こっちに来い。門主様の使者が来られた。御命令が下されるぞ。門楼番以外全員、聖堂に集うよう仰せだ』
『――わかった』
 男は不承不承頷いた。だが怒りが冷めやらぬのか、小屋を出て行きしな思いっきりビビアンを睨みつけてゆく。顔にも変な文様が入っているから表情はよく分からないが、その目つきの悪さだけはよーく分かった。
「何よ、あいつ!感じ悪いったら!自由になったらぶっ飛ばしてやるんだから」
 売られた喧嘩は買う主義である。一人残された彼女はふんっと鼻息荒く毒づくと、再び自分の足元に視線を落とした。足を動かして、じゃらり、と鎖を鳴らしてみる。
 かなり太い頑丈な鎖だ。もちろん、彼女の力では切れそうにない。だが。
 鎖を目で辿ってそれが壁に金具で留められていることを確認し、彼女はふふんと口の端を曲げた。
 ようやく完全に目が慣れて、部屋の中の様子が分かってくる。造りは立派だが、中はがらんとしている。隅にいくつか樽と布袋が積み重ねられている。床にくずもみが散らばっているところを見ると、どうやらここは穀物倉庫か何かなのだろう。
 丹念に周囲を見回して、樽の脇に杵が放り出してあることを発見する。
 もちろん、それが「杵」というものであることも、ビビアンには分からない。何に使うものかも知らない。でも、壁をぶち抜くには役立ちそうだった。
 おっしゃ!と、彼女は拳を握り締める。
 じゃらり、とまた鎖を鳴らして彼女は床に寝そべり、精一杯体を伸ばした。
 杵の取っ手まであと少し。
 足首が千切れそうになるのを我慢して、彼女は懸命ににじり寄った。

―◇―

 狭霧峰は年中厚い霧に覆われている。そんなじめじめした薄暗い山の中腹に、パルマコン族は小さな村落を構えていた。
 暮らすには不向きだが、しかしこの山には他では生育しない特殊な植物が数多く見られるのだ。彼らはそれを採取し、加工して様々な薬を作ることを糧としていた。
 各教会で用いられ、今回のゾンビ討伐にも絶大な効果を発揮している聖水も彼らの手によるものだ。
 その特殊技能を保守するために、彼らは非常に排他的にならざるを得なかった。また人を簡単には寄せ付けないこの山の気候は、そのためにはうってつけだった。
 純血にこだわる弊害は数世代のうちに現れ始めた。他の種族、部族の血が混ざらない。ゆえに、突然変異が多発した。それを神の怒りと解釈した彼らは、神の怒りを鎮めるために全身に刺青を施すようになった。
 そこまでが彼らについて知られている事柄である。
 何しろ、霧に閉ざされた山のさらに奥深いところにある秘境なのだ。そのうえ最近になって彼らは集落の周りに城郭を張り巡らした。それ以来、中の様子は謎に包まれてしまったのである。

 その場所に、レオンはたどり着いた。
 大きな水滴が全身にまとわりつく。厚く視界を閉ざす霧を掻き分けて、彼はぼんやりと白い空気の向こうに滲む門楼に歩み寄った。と、彼の敏い耳が木の軋むかすかな音を聞き分ける。
 彼はとっさに大木の幹に身を隠した。同時に風を切る音がして、矢が幹に突き刺さる。
――やはりここか。
 レオンは腰からエクスカリバーを引き抜いた。
 聖なる碧の光が白霧を払い除ける。
 ほう、と彼は目を見張った。聖剣にはこういう効果もあるのか。ならば。
 レオンは精神を集中し、気を溜めた。
 そして一気に門楼に向かって駆け出す。放たれる矢を避けながら疾走し、櫓の目前で跳躍すると同時にクライムハザードを放った。
 轟音と共に、霧が一瞬にして蒸発する。
 とともに、木組みで作られた脆い櫓も、大きな音を立てながら倒壊した。
 その木片と泥の飛び散る中をレオンは走り続ける。
「ビビアン!どこだ!」
 渾身の力を込めて、彼は叫んだ。

―◇―

 狭い小屋だった。聖堂とは名ばかりだが、一段高い祭壇に設けられた水瓶がかろうじてそれらしき雰囲気を醸していた。
 その水瓶から、ごぼごぼと水柱が立つ。
 それは一種異様な光景だった。
 恐懼に身を竦ませながら、集った部族の男たちは一様に平伏する。
 やがてその水柱は人型をとり始めた。といっても、ただ頭と手足らしきものが見えるだけで、どんな人物かまでは分からない。
 だが声だけははっきりと響いた。
『王女を取り戻しに一人の男がやってくる。剣だけではその男を倒すことはできない。誰にもね。だからお前たちの部族に任せたんだ。薬を使えば、たとえ一騎当千の強者でも目じゃないだろう?眠らせてもいい、惑わせてもいい。どんな手を使っても構わないから――始末するんだ。いいね』
 部族の言葉で、その水柱は命じた。
 荘厳とは程遠い、どこかのほほんとした、柔らかな響きの声だった。