17 禍つ風

 レオンの傷が完全に癒えるまで一週間はかかるだろう、と侍医は診たてた。その間、一連の事件の当事者であるエルナも城に留め置かれることになった。形ある褒賞を固辞する修道女を労う意味もあったが、なによりルシアスが彼女の滞留を強く望んだのだ。それを受けてガーネットはすぐに正教会に使者を送った。その際、できれば今後エルナ=マキャフリイを城付の司祭として任用したい旨も書き添えた。これはガーネットの独断だったが――だがルシアスにとっては渡りに船の申し出に違いなかった。
 王太子は注意深く修道女に接していた。いらぬ邪推を呼べば彼女の立場が苦しくなる。そうならないように、彼は細心の注意を払った。その細やかな心遣いが却って母親に彼の心を悟らせたようだった。修道女の存在が、少なからず彼の心の支えになっているのだと。

 正教会からの返事はすぐにもたらされた。
 今まで儀礼用に申し訳程度の斎室が設けられ、僧侶は必要時のみ外部から招聘していた王家がその内に司祭を置こうというのである。正教会が断るわけがなかった。最近、新興のシルヴィウス派に信徒をずいぶん持っていかれて危機的状況に追い込まれつつある正教会にとっては願ってもない依頼だったのだ。
 基は一つの宗派でありながら、シルヴィウス派と正教会は折り合いが悪い。それは小競り合いという現実の争いとなって、あちこちで小さな火を噴き上げていた。その火種はあまりに小さすぎて、王宮の誰も――ジタンも、スタイナーでさえも気にしなかった。彼らにとってはそれはあくまで宗教上の確執に過ぎず、それが大きな紛争に結びつくことなど正史を鑑みても考えられないことだったのである。
 だからこそ、正教会の修道女であるエルナを司祭として王宮に迎え入れることに、誰も反対しなかったのだ。

「弱ったわ」
 寝台に寝そべって退屈しのぎの読書に勤しむレオンの横で、エルナがこぼす。
「王宮に雇われることか」
 本から目を離さず、そっけなくレオンが応じる。
「ええ。厄介なことになりそうな予感がするのよね。最近宗教界もきな臭いから」
「シルヴィウス派は大衆に受けがいいからな」
 こちらの言わんとするところを先回りして察知する読みの鋭さに、エルナは内心舌を巻く。どうしようもない堅物だが、少なくともこの男の脳みそは筋肉ではない。
「…先輩も、悪い人じゃないし、唱えている宗旨も分からないではないのよね。魔法を使える能力の多寡で位階が決まるなんてあたしもどうかと思うし、それにそういう階級に重きを置き過ぎる正教会の在り方も疑問に思う。だけど、万民に護符を与えて、ある程度の魔法が使えるようにしてあげるのって、ちょっと間違ってる気がするの」
 レオンはようやく顔を上げて、エルナを見た。
「魔法は特権階級のものであるべきだと?」
「まさか。ただ、濫用しちゃいけないって気がするのよ。本当は魔法なんてあるべきものではないんじゃないか、って。むやみに使ってると、いつか手痛いしっぺ返しを食らうような気がするの。ま、あたしの取り越し苦労だとは思うけど」
 語りながら、彼女は要領よくベッドの脇の小卓を片付け始めた。町の宿を引き払い、当座スタイナー邸に厄介になっている彼女は、返礼としてレオンの身の回りの世話をかってでていたのだ。
 脇腹の傷が開かないように安静を命じられているレオンは読書しかすることがない。だから小卓には本が山のように乱雑に積み上げられていた。
「でも、実際のところ、ケアルとエスナが少しでも使えれば、みんな随分安心して暮らせるようにはなるのよね。高い治療費もいらないし――医者にかかれない人だって、何とか死なずに済むかもしれない」
「だがそんなことを慈善活動よろしく無料でされたんじゃ、正教会としては立つ瀬がないな。布施も入らなくなるわ、一番の収入源だった魔法治療も閑古鳥が鳴くわで」
 レオンは揶揄するように言った。それはそれで小気味いいけどな。と、内心思うが口にはしない。
「そう。だから正教会はシルヴィウス先輩を目の仇にしてる。そして、もしあたしが王宮付の司祭になったりしたら、正教会の先鋒としていいように利用されるのって、目に見えるようじゃない?」
 レオンは無表情のままじっとエルナを見詰めて、それからふふんと鼻で笑った。
「それだけ分かってるんだったら、利用されなけりゃいい」
 そんな単純なことも分からないのかとでも言いたげな口ぶりに、エルナはむっとした表情になる。
「組織の一員なんてそんな単純なものじゃないから悩んでるんじゃない。もう、ビビアン王女が苛つく気持ちがよく分かるわ。あなたって、ものすごくやな奴よ。自覚してる?」
「自覚はないが、王女からよく同様の文句は言われるな。ところで、頼むからもう少し静かに片付けてくれないか。埃がたってしょうがない」
「世話してあげてるだけでもありがたく思ってよね!」
 喚くと彼女はこれ見よがしにクロスをばふばふと払った。
「おい、俺は絶対安静の怪我人なんだぞ。修道女のくせして怪我人をいたわることもできんのか」
「命が助かったのは誰のおかげだと思ってんのよ。大きな口叩かないの!」
 ぴしゃり、と言い下されて、さすがのレオンも返す言葉がない。口数は多い方ではないが毒舌にかけては人後に落ちない自負をもつ彼は、何とか反駁しようと口を開いた。 と、不意に正面の扉に人影が差した。
「二人とも、仲がいいんだね」
「ルシアス」
「殿下」
 現れたのは王太子殿下とその妹だった。
 黒髪を束ねた王子はいつものように目立たぬ質素な平服姿で面白そうにこちらを眺めている。あまりにも想像を絶する経験をたて続けに潜り抜けてきたせいか、彼はここ数日で見る間に精悍な顔つきになった。
 一方、ビビアンの方はあからさまに面白くなさそうな顔つきでそっぽを向いている。それでも珍しく乳白色のドレスを身にまとい、淡いピンクの花束を手にした彼女は十分に人目をひいた。――彼女もまたこの数日でめまぐるしい変化を遂げているようだった。
 固い果実が少しずつ熟してゆく感覚。
 複雑な感情を呼び覚まされて、レオンはすぐに彼女から視線を逸らした。
 こういう機微は彼の手に余る。気持ちを切り替えるように彼はルシアスを見上げた。
「体はもういいのか?」
 自分もベッドに縛り付けられているくせにレオンはルシアスを慮る。王子は軽く笑って頭を振った。
「あの日帰ってから半日以上眠りこけてたんだよ。もうすっかり大丈夫。――で、レオンはどう?」
「まあまあ、ってところかな。退屈でしょうがない」
 本当につまらなさそうに、手にしていた本をぽいっと小卓の上に放り投げる。
「ところで、急にやってくるなんてどういう風の吹き回しだ?」
 わざとらしく花束まで用意してきているのだ。ただの見舞いでないことは明白だった。単なる見舞いだったらこの兄妹は手ぶらでやってくる。なにせ、彼らは主君の御子息なのだ。レオンはあくまで家臣にすぎない。
「うん。あのさ、…昨日、ダリの村から父上が戻られたんだ。トット先生も一緒だった」
 言いにくそうにルシアスが口を開いた。
「トット先生は御静養中だったんじゃないのか?快癒されたのか?」
「ううん。まだ体調は思わしくないみたいだ。でも、トット先生の力が必要だからって、父上はそう言われた。そして、今度の件について、もう一度僕達の話をちゃんと聞きたいって。トット先生にも聞いて頂いて、それで対策を講じるつもりみたいなんだ」
「対策、か」
「誰が今度の事件を画策したのかもわからないままだもんね。それでね、ベアトリクス将軍が父上に内密に打ち明けてくれたことがあるらしくて」
「母上が?」
「レオンは何も聞いていない?」
「ああ。俺はこの二日間、夢うつつの状態だったからな」
「…そうだよね。なんだか、宝珠に関することみたいなんだけど、詳しいことは僕らにも教えてはくれなかった。それで、あともう一つ」
「宝珠がないの!」
 傍らにぶすくれて突っ立っていたビビアンが、突然やけくそのように声を張り上げた。とっさにルシアスが彼女の口を手で塞ぐ。
「こっ、声が大きい、ビビアン!誰かに聞かれたらどうするんだよ」
「うちの屋敷は使用人が一人しかいないんでね。その一人も今俺の薬をもらいに街に出てる。心配は無用だ。それで――宝珠がどうしたって?」
 レオンの言葉にほっとしてルシアスは手を外した。
 息が出来ずに真っ赤になっていたビビアンは、はあはあと大きく肩を泳がせる。
「宝珠がなくなってるの。あの舞踏会の夜、着替えをしたときに引き出しの奥に入れておいたの。それがないの。あの時、侵入してきた男たちは、いきなり家捜しを始めてた。だからきっと、盗まれたんじゃないかと思う」
「それでね、レオンがパルマコンの集落に踏み込んだとき、それらしきものを見かけなかったかなって思って。それを訊きにきたんだ」
 ルシアスはそこまで説明すると、やっと口をつぐんでレオンを見た。
 何か考え込むような顔つきで微かに首を傾げていたレオンは、くしゃくしゃと前髪をかきあげてため息を洩らす。
「――いや。残念ながら、そんな暇はなかったからな。別段変わったところも見受けられなかった。ただ集会所のような小屋があって、男たちはほぼ全員そこに詰めていたが」
 その返答に、ルシアスもつられて肩を落とす。
「だよね。トット先生にはそう伝えておくよ。あ、たださ、もし盗まれたのだとしたら…一つ不思議なことがあるんだ。どうして彼らは宝珠がビビアンに譲られたことを知ってたんだと思う?それを知ってるのは父上と母上、それから僕とビビアンとレオンだけなのに」
「ううん、兄さま、そのほかに女官長とあたしの着替えを手伝ってくれた女官も知ってるはずだわ。だって、着替えを済ますまであたし首にかけてたんだもの」
 レオンがはっとしたように目を見開く。
 女官。あの場に倒れていた二人の女官…。
「城に内通者がいたってことか」
 低い呟きに部屋の空気が一瞬凍りついた。
「ねえ――そういえば、あのときの先輩の言葉も妙だったわよね」
 エルナの言葉がさらに追い討ちをかける。「なんだか今夜は何かありそうな感じがするって、そう言ってなかった?」
 そのとたん、レオンの頭の中で何かが弾けた。
「エルナ!俺の服を用意してくれ。ルシアス、手を貸せ。俺も――トット先生に会う」
 まだ癒えない傷の痛みに顔をしかめながら、彼はベッドから立ち上がった。

「お前の同胞はよく働いてくれたよ。ブルメシア、リンドブルム、そしてアレクサンドリア…縦横無尽の活躍で、諸悪の根源の宝珠はだいたい片付いた」
 紫煙の立ち昇る狭い室。
 そこはシルヴィウス派の本拠地にあたるトレノ郊外の教会の一室だった。
 床に座り込み、ぐったりと椅子に体をもたせかけているのは全身に刺青を施した例の黒尽くめの男だ。その体に細い紫色の煙がまとわりついている。彼は陶然とした表情で近寄ってくる宗主を見上げた。
「…はい…。門主さま。あなたさまのお役に立てて、皆も本望だったと思います…」
「嬉しいことを言ってくれる」
 微笑んで白髪の男は刺青の男の頭を撫でた。
「そうやって私に忠誠を誓ってくれたばかりに、皆殺されてしまった。だがお前たちの献身のおかげでルシアス殿下の力はほぼ覚醒しつつある。失われた黒魔法を用いて火の雨を降らせるなんて、さすがはルシアス様だ。そうだろう?」
「…はい…」
 刺青の男は熱に浮かされたように潤んだ瞳を宙に漂わせ、がくんと力なく頷いた。
「それに、どうかルシアス殿下を恨まないでほしいんだ。殿下はあの男にそそのかされているのさ」
「…あの男…」
「そう。レオンハルト=アーシス=スタイナー」
「レオンハルト…その男が…」
「ああ。その男が、悪いんだ。悪魔のような男なんだよ。シレンシア」
 白髪の門主――シルヴィウスはそっと刺青の男の耳元に唇を寄せ囁いた。
「レオンハルトさえいなくなれば、きっとルシアス殿下は目を覚まされる」
「その男さえ…いなくなれば…」
 紫色の煙が男の呼吸に合わせて鼻腔から体内に吸い込まれてゆく。全身から噴出す汗にまみれ、朦朧とした意識の中で男はとり憑かれたように繰り返し呟いた。
「レオンハルト…さえ…いなくなれば…」

「ああ。最近、宗主殿がよく分からないんだ」
 トレノ郊外の本教会を任されている司祭は、新たに届いた聖水の樽を確認しながらぼやいていた。
「手を広げすぎのような気がするんだよ。古くからの信仰が残る輝ける島にまで教会を建てようとなさってるんだ。外の大陸なんて言うまでもない。荒地が広がってるから耕地を作るだけで大変なのに、そんな場所に信徒を大量に送り込もうとしてる」
「お諌めすりゃあいいじゃねえですか」
 腰の曲がった老人は、納品書の控えを渡しながらいい加減に相槌をうつ。
「お諌めしたいんだけどね、お忙しくて一所に落ち着かれたためしがないんだ。なかなかゆっくりお話もできなくてね」
 司祭のため息が充満する地下室なんぞ息苦しくてかなわない、とでも言うように、納品が終わると老人はそそくさと帰っていった。
 もともと正教会に属し、微小な魔力しかもっていなかったために冷遇されていた司祭は、シルヴィウスに拾われたようなものだった。シルヴィウスは魔力で人を判断するような真似はしなかったし、司祭が尽力すればしただけ厚く遇してくれた。だから彼はシルヴィウスに心酔し、彼の為に身を粉にして働いてきたのだ。
 だが最近、どうにも宗主の動きは性急に過ぎた。
「ふう。やっぱり、一度ちゃんと意見申し上げてみるかなあ」
 記載しかけた帳簿から顔を上げて、彼はため息混じりに呟いた。
 
 それが、おのれの最後の言葉になるとも知らずに。