2、物語は動きだす〜ビビアン、登場
生き生きとした、という意味だそうだ。
生れ落ちた時に両親は迷うことなくこの名を娘に授けた。
ビビアン。
本当なら長子に「ビビ」と名づけたかったのだが、リンドブルム公女の強硬な反対により叶わなかったのである。ビビって名前はあたしが自分の子どもにつけるの!と涙混じりに言われては、ジタンとガーネットには返す言葉もなかった。
そこで頭をひねって長子にはルシアスという名を贈り、翌年生まれた娘に「ビビ」の名を頂戴したというわけだ。
その名のとおり、ビビアンはすこぶる生き生きとした娘に育った。いささか生き生きし過ぎた感すらあるほどに。
とにかく長子のルシアスと違って一時もじっとしていないのだ。図書室になど行ったこともなく、気がつけばいつもマリアンヌ(レオンの妹である。以下マリー)のもとへ剣の稽古に赴いている。もしくはチョコボの騎乗実技訓練と称して街とは反対側の城門から抜け出し、山脈ぞいの小高い丘陵を駆け回っているか。
これにはジタンもガーネットもほとほと手を焼いていた。
もともとジタンはこの娘に滅法弱い。黙って立ってさえいれば、大陸一の美姫と称された母親に瓜二つなのだ。その上父親の光のような金髪と澄んだ碧い目を受け継いで、美しく愛らしいことこのうえない。
ついついその可愛らしさに騙されて、わがままを聞いてやったことも二度や三度ではなかった。そのジタンさえ、最近は嘆息を禁じえない。
「あいつももう15になろうかって言うのに、なんであんなにお転婆なんだ!」
言ってからちらりと傍らの妻を見る。
四十になってもほとんど皺らしいものの見当たらない美しいアレクサンドリア女王は、その夫の視線を受けてちょっとむっとしたような顔になる。
「あら、私のせいだとおっしゃるの?」
「いや、お前のせいだとは言わないけどさ…。ただ、お転婆なのは母親譲りかな、と思って。何しろ城の塔から飛び降りた姫君だからな」
「あれは、必要に駆られてのことで、別に遊び惚けていたわけじゃないわ」
つんとそっぽを向いて反論する仕草は昔とちっとも変わっていない。ジタンは楽しそうに、愛しそうに彼女の頭に手を伸ばし、そっと引き寄せて頬に軽いキスを贈った。
「やっぱり、あいつを落ち着かせるためには男が必要だな。どっかの女王様も俺に出会ってからずいぶん優しくおしとやかになったもんな」
そのまま軽く彼女の頭を抱いて囁く。ガーネットも居心地がよさそうに彼にもたれかかって目を閉じた。
「まだ早すぎるわ。私たちが出会ったのは16になってからだもの」
毎度このパターンである。暇さえあればこの二人、ベタベタしているのだ。放っておくと際限がない。とはいえ、壮年にさしかかってもなんら美貌に変化のないすらりとした女王と、落ち着きと渋さが増してきたダンディな旦那が寄り添う姿は、絵的に見てもかなり麗しいものではあるのだが。
「そうだ、16といえば――ルシアスの誕生月が来月でしょう?」
突然何を思い立ったのか、ガーネットがジタンから身を離した。
「ああ。でかい舞踏会を催すんだろう?役所の連中が走り回ってたぜ」
名残惜しそうな顔で肩を竦め、気のない相槌をうちながらジタンは側のベッドの縁に腰を下ろす。
「それでね、あなたに相談があるの」
ガーネットはそっとジタンの胸元に手を伸ばした。彼女が何をしようとしているのかすぐに察したジタンは、首に提げていた宝珠を取りだす。
「これのことか?」
「…ええ」
にっこりとガーネットが笑う。彼からペンダントを受け取ると、彼女はその石を日の光にかざした。
「この宝珠をルシアスに渡すべきなのかどうか――迷ってるの」
アレクサンドリアでも16歳は特別な年だ。概ねその年の誕生日に立太子の儀式が執り行われる。そして…代々王位継承者にこの宝珠は譲り渡されて来たのだ。それがこの国の慣わしだった。
だがその宝珠を手元に置くことはせず、敢えてジタンに託し続けてきた彼女は、今またこの石をどうしたものか迷っていたのだった。
宝珠には力が宿る。それは生半な召喚士では扱いきれぬ力であり、完全に掌握できる力を持った召喚士にとっては蠱惑的な毒ともなりかねない力だった。世界の喉元を己が掌中に握るようなものだからだ。
「あなたはどう思う?ルシアスに渡すべきなのかしら。それとも…」
「それとも、の方だな。俺の考えは」
即答だった。
いつの間にか真剣な眼差しになって、ジタンはガーネットを見上げていた。
「ルシアスに渡すのは、止めた方がいい」
彼は静かに、しかし厳然とした重さで裁定を下したのである。
◇◆◇◆◇
ビビアンは、今日もマリーを引き連れてチョコボの遠乗りに出かけていた。
ベアトリクスとスタイナーの娘で、レオンの妹にあたるマリアンヌは、父母の血を受け継いで眉目秀麗な女丈夫に成長していた。今は母ベアトリクスの右腕として近衛の一個小隊を率いている。多忙な職務の合間をぬって、彼女はよくこのお転婆な王女に付き合ってやっていた。
アレクサンドリア城の裏門から数キュビト離れたところに、チョコボを走らせるのにちょうど良い平原がある。左手には凍てつく鈍色の湖が広がり、正面にはアレクサンドリアの北山脈が聳え立つ。景観はすばらしかった。そして、そこなら思う存分チョコボのスピードを引き出せた。
もう季節は真冬に近くて、分厚いコートを着ていても風が沁みてくるほどだ。なのに王女はすばらしく元気だった。真っ白な頬を寒さで赤く染めて、愛チョコボのベティを走らせる。
と、突然チョコボが方向転換した。危うくビビアンはチョコボの背から振り落とされそうになる。持ち前の敏捷性と平衡感覚でなんとか凌いだものの、チョコボは彼女の手綱に全く従わなくなってしまった。狂ったように鳴きながら、迷走を始めたのだ。併走していたマリーのチョコボも全く同じ状態だった。
「何が起こったの?どうしたの、ベティ!」
やみくもに走り回るチョコボを落ち着かせようと、必死にビビアンは声をかける。だがチョコボの混乱は一向に収まらない。
「ビビアン様!」
突如マリーの短い声が飛んだ。振り返ったビビアンの目に飛び込んできたのは、ごぼごぼと、不気味に盛り上がった地面だった。せりあがったその土の塊から、まず腐肉のぶら下がった翼が現れ、次いで腐った肉の間から白い骨が覗くドラゴンの本体が現れる。
「ドラゴンゾンビ!?」
信じられないようにビビアンは目を見張った。
ドラゴンゾンビの存在は知っている。というより、聞いたことはある。父や母がその昔世界を守るために戦った魔物の一つだ。その頃はこの世界にうじゃうじゃと魔物が出現していたらしい。だが霧が取り払われてからこの方、こんな魔物は架空の世界に追いやられてしまっていたはずだった。
「今更、何で出てくんのよ!」
ビビアンはチョコボの背からひらりと飛び降りた。マリーもすぐ後に続く。
放って置いてもチョコボたちはちゃんとアレクサンドリア城に逃げ帰れるだろう。だが自分たちは逃げだすわけには行かない。ここで化け物を退治しておかねば、もしかしたら街にまで襲ってくるかもしれないのだ。
初めての実戦に、緊張で手に汗が滲む。ビビアンはしっかりと剣の柄を握りなおした。
マリーも人間相手なら実戦の経験はあるが、こんな化け物相手は初めてである。しかし彼女は怯まなかった。アレクサンドリアの街と同時に、彼女はビビアンをも守り通さねばならないのだ。怯んでいる暇などない。
二人の女性は、息を整え、気を集中して剣を構えた。
その気配を察知したのか、ドラゴンゾンビが敵を威圧するように咆哮する。凍てついた辺りの空気がびりびりと震えた。だが二人にそんな脅しは効かなかった。二人は息を合わせ、同時に化け物に切りかかった。
そんじょそこらの男より腕は立つ。二人の剣はゾンビの翼を切り裂き、骨を断ち切った。だが、一旦冥府に下った死肉はそんなことでは倒れなかった。切り裂いた骨も腐肉も、すぐにまた元に還るのだ。どれだけずたずたに斬っても無意味だった。
腕は立っても体力までは追いつかない。そのうちビビアンの足がもつれだした。その隙を化け物は逃さなかった。ゾンビの尾が腐臭を撒き散らしながらビビアンに迫る。その切っ先をかわそうと最後の力を振り絞って彼女は跳躍した。だが疲れきった体は思い通りには動かず、ゾンビの尾は彼女の右足を掠めた。皮膚が切り裂かれ、血が迸る。
「ビビアン様!」
マリーは蒼白になった。倒れ臥したビビアンをめがけてドラゴンゾンビが突進を始める。それを阻止するべく彼女は倒れたビビアンに咄嗟に覆いかぶさった。自分の命を投げ捨ててでも、王女を守らねば。考えも何もない、使命感だけが彼女を突き動かしていたのだ。彼女はきゅっと目を瞑り、襲い来る衝撃を覚悟した。
だが、いつまで待っても何の衝撃もない。痛みもない。
恐る恐るマリーは目を開けて…そして、愕然とした。
さっきまでそこにいたはずの化け物が跡形もなく消え失せているではないか。
代わりにその場に佇んでいたのは、長身の、ずいぶん汚れて煤けた青年だった。
「お前ら、何やってんだ?」
低い、よく響く声。ずた袋を抱えなおしてこちらを向いたその顔を見て、またまたマリーは息を呑んだ。
と、その時身を起こしたマリーの下で、ビビアンが苦しげに呻き声を上げた。慌てて彼女は王女を抱き起こす。
「しっかりなさってください、ビビアン様!」
「だ、大丈夫。ちょっと足を切られただけだから」
マリーの腕に寄りかかりながら、ビビアンが引きつった笑を浮かべてみせた。
「それより、化け物は?マリーが退治してくれたの?」
少しの間気を失っていたらしい。痛さに心持ち眉をしかめながら、ビビアンは辺りを見回した。そして――
「なっ!何!?その汚い男!!」
ぎょっとして彼女は大声を上げ、放り投げていた剣を慌てて拾いあげた。
「…汚くて悪かったな」
曲者呼ばわりされるならまだしも、「汚い男」呼ばわりされたことに少々ムっとして、青年はつかつかとビビアンに歩み寄った。
「よ、寄るな!近寄ると斬るわよ!」
剣を構えて威嚇する。だが青年には一向に効き目がなかった。どこ吹く風といった体で、彼は王女の前にかがみこみ、足をぐいと引っ張る。
「な、何すんのよ!」
ぶんっ!と音を立てて振り下ろされた剣をひょいと避けて、青年はあっという間にビビアンの手から剣をもぎ取ってしまった。
「あ…」
赤子の手をひねるように、というのはこんな状態のことを指すのだろうか。あまりのあっけなさに、ビビアンは呆然としてしまう。
「どんな武器を持ってたって使いこなせなけりゃ意味はないぞ。いいから黙って足を見せろ」
仏頂面のまま奪い取った剣を背後に投げ捨てて、青年はビビアンの足の状態を診た。乗馬ズボンがずたずたに破れている。傷はかなり深い。出血は止まっているから命に別状はないだろうが、この足では歩くのは無理だろう。
そう判断すると、青年はますますムスっと不機嫌な顔つきになった。
側で心配そうに覗き込んでいたマリーが、恐る恐る尋ねる。
「足はどんな具合かしら…。お兄様には分かるの?」
「旅が長いからな。怪我も病も、たいていのものは経験済みだ」
言って自分のずた袋の中から白い布を取り出し、それを問答無用でぐるぐるとビビアンの足に巻きつける。
「お兄様?」
ようやく我に返ったビビアンが真っ先に反応したのは、自分の足を触られていることよりも青年の素性の方だった。
「ああ、ビビアン様、そうなんです。この人は、五年前修行と称して出奔した私の兄ですわ。レオンハルトと申します」
「知ってる。ルシアス兄様には剣を教えてたくせに、あたしには絶対教えてくれなかった意地悪だもの。よく覚えてる」
ビビアンは先ほどからの劣勢を挽回すべく、精一杯の皮肉を浴びせる。だがやはり青年には何の効果もないらしい。布を巻き終わると、彼はぽんっと軽く彼女の足を叩いて立ち上がった。
「いっ…痛いじゃない!だいたい旅の途中なんだからポーションくらい持ってるでしょ。使ってくれればいいのに、どケチ!」
「そうだわ、お兄様。ポーションは持ってらっしゃらないの?」
「お前ら…馬鹿か。何でドラゴンゾンビが消えたと思ってるんだ」
「おおかたあんたが飼いならしてたペットだとか、あんたがゾンビ自身だとかそんなところなんじゃないの」
二人の後ろでビビアンが毒づく。
マリーは苦笑いを浮かべたがレオンの方は相変わらず無反応だ。
「覚えとけ、マリー。ゾンビにはポーションが効く。大ダメージを与えられるんだ。いたずらに剣で斬りつけるよりよっぽど効果的な攻撃法だ。実戦は技量より体力と頭の勝負だ」
それから彼は辺りを見回した。
「チョコボもなしか」
「ええ。先に帰らせたの。…魔物の出現で、動転していたから」
…仕方ねえな。口の中で小さく呟くと、レオンは再びビビアンに近寄り、彼女の体を軽く担ぎ上げた。抱き上げるのではなく、文字通り、ずた袋と同様に肩に担いだのである。
「な、何すんのよーっ!!あたしはお姫様なんだから!お姫様抱っこなら我慢してあげるけど、こんな乱暴な扱いしていいと思ってんの!?」
さすがに足を動かすと激痛が走るらしく、ビビアンは真っ赤な顔でぽかぽかとレオンの広い背中を叩きまくった。
「…あんまりうるせえと猿轡を咬ませるぞ」
ぼそっと呟く。
かなり本気なのがわかって、ビビアンは一瞬黙り込んだ。だが、そこで怯むとなんだか負けたような気になるので、すぐにまた喚き始める。
「放せーっ!このっ、曲者ーっ!だいたい、汚れてよれよれの服があたしのきれーなお肌についちゃうじゃない!それに第一あたしは嫁入り前の無垢な処女なのよっ!それなのにあたしのおみ足に触ったあげくにこんな乱暴な扱いしたらただじゃ済まないんだからっ!お父様に言いつけてやるーーっ!!」
城に辿りつく前に、ビビアンがきつい猿轡を噛ませられたことは言うまでもない。
魔物の影すらなかった平和な大地に、再び不穏な空気が満ち始めた。
レオンハルトが何ゆえかアレクサンドリアに戻ってきた。
そして。
もうすぐ、ルシアスは16歳になろうとしていた。
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