3、役者、揃い踏み。

 ウイリアム=トット著
 『アレクサンドリアにおける宗教的共同体及び国家における権威の趨勢について』
より抜粋。

 アレクサンドリアにも幾つかの宗教的な共同体が存在する。多くは土着のアミニズム信仰の発展型で、その土地に根を張り、様々な迷信を伴う素朴な信仰(この場合信心といったほうがより的確だが)を集めていた。その土地の支配者、いわゆるアレクサンドリア貴族たちは、それぞれにその教義を執り行う共同体、すなわち教会、及び寺院と称せられるものを、裁治権の正当な行使を精神的側面から補完する一機能として利用した。
 また、各教会及び寺院は下辺階層における教育機関としての側面も有し、識字率の引き上げ等の附帯効果をもたらした。そのため為政者は教会及び寺院の保護にやぶさかではなく、やがて各教会には聖職者を養成する修道院あるいは僧院が併設され、入信者のうち魔法習得を為した者が高位聖職者として昇任する階層秩序が成立するに至った。
 ただし各会派、各宗派は各々風土に密着した教義教令を有し、牽制しあう傾向がある。従って今日に至るまで大陸全土に展開する大規模な布教活動を行う会派は出現していない。

◇◆◇◆◇

「またクソ難しい本を読んでんのか。変わり映えしない奴だな」
 不意に背後からかけられたどこか聞き覚えのある声に、ルシアスは弾かれたように顔を上げた。
「レオン!帰ってきたんだね!」
 その人影を見とめて、顔を輝かせながら彼は思わず腰を浮かす。
 まだ10歳そこそこだった王子に剣の指南をしてくれていた青年は、すっかり日に焼けて逞しくなった顔を珍しくほころばせた。とはいっても、少々口元を曲げただけなので、かえって強面に見えないこともなかったが。
「お前が女で妹が男だったら良かったのにな。――そうして静かに本を読んでる姿なんか、まるで陛下そのものだぞ」
 いきなりレオンはあけすけな口をきく。普通五年ぶりに再会した親友なら熱い抱擁の一つもありそうなものだが、そんな感激の挨拶なんてまったく無しである。ルシアスはちょっとむっとして口を尖らせた。
「それは母上に似てるってこと?」
 反応する箇所が普通じゃないこの王子も王子である。一体感動の再会はどこに行ったんだか。
「ジタン殿が静かに本を読むか?」
 責めるような口ぶりの王子に、レオンはさらりと言い返した。確かに、放蕩父親はよく言えば活動的で、思索活動をしている姿を目にすることはあまりない。だがルシアスにしてみればそんな父親が男としての理想像なわけで、母親のことは大好きだが似ているといわれても嬉しくもなんともないのである。
「僕だっていつも座って本をよんでるわけじゃないよ。遠乗りだってするし、剣だって稽古してるし。レオンがいなくなってからは、マリーに先生になってもらってたんだよ」
 レオンが僕をほっぽっていっちゃうから。
 言外に含まれた軽い詰責に気がつかぬふりを決め込んで、レオンは肩を竦めて見せた。
「教え方はあいつの方が上手だからな。丁度良かったじゃないか。そうだ、マリーで思い出した。言い忘れてたが、お前の妹、怪我して帰ってるぞ」
「えっ!?」
 いきなりの報告にルシアスは愕然として立ち上がった。そんなつるっと平気な顔をしていていいのかレオン!しかも何で忘れてるんだ!とか思いつつ。
「落ち着け。たいしたことはない。軽い裂傷だ」
 だがルシアスの動揺をよそに、あくまで冷静なレオンはあくまで冷静に王子を手で制す。
「え?そうなんだ…。なんだ…よかった…一瞬心臓が止まるかと思った」
 安堵のため息を洩らしながら、ルシアスは椅子に体を戻す。
 ビビアンの蛮勇はよく分かっているが、未だかつて彼女が怪我をして帰ってきたことなどないのだ。――傍らに付き添っているマリーやその他のお付の者たちは毎回満身創痍だが。
「一体どうしたんだろう。一人で行動してたのかな」
「いや、マリーが側についていた。だが、ドラゴンゾンビ相手では、さすがに庇いきれなかったようだな」
「ドラゴンゾンビ?」
「ドラゴンゾンビだと?」
 ルシアスの声に被さるように、突然二人の背後から低い声が発せられた。
 青年と少年は同時に扉の方を振り返り、そしてすぐに青年はその場に跪いて低頭した。
 扉から姿を現したのはジタン=トライバルだった。
 庶民が着るのと寸分違わぬ平服を着流している。ラフな着方だが少しもだらしなくならないのは彼の醸す精悍な雰囲気のせいだろうか。すらりとした体にはまだ無駄な肉はついていない。遠目には十分青年で通るような体つきだ。だが、無論若者らしい颯爽とした軽やかさは失われ、代わりに落ち着いた豊かさが彼の面に漂っている。いわば年を重ねたらかくありたいと思う、理想像そのままなのだ。
 気圧されそうになるのを懸命に踏みとどまりながら、レオンは口上を述べ始めた。
「殿下には御健勝であらせられ、誠に…」
「慣れんことは止めておけ。舌を噛むぞ、レオン」
 笑いながらジタンはルシアスの正面の椅子に腰を下ろした。手でお前も座れというようにレオンを促す。だが変に堅物な青年はその申し出を固辞し、ジタンとルシアスの傍らに畏まって佇立した。
「まったく、そういうところだけは両親にそっくりだな」
「僕しかいないときは全然無礼なくせにね」
 からかうように言ってルシアスは立ち上がり、レオンの顔を覗きこむ。いささか分の悪い突っ込みに、レオンはわざとらしく咳払いをした。
「いいさ。別に身分なんてこだわるもんじゃない。ざっくばらん大歓迎だ。で、そのドラゴンゾンビだがな――どこに出現したんだ?」
 前振りもそこそこに、ジタンは身を乗り出して本題に入る。
 生まれてくる前の王子がこのテラとガイア、二つの世界を融合させた話はつとに知られている。それ以降霧は収まり、魔物も現れなくなっていたはずだった。
 それから16年。
 まったくなかった魔物の出現の報告が、今年に入っていきなり増えた。その挙句がこのドラゴンゾンビである。魔物としてはかなり大物の部類に入る。
「アレクサンドリアの街からほど近い湖脇の平原です。二人がゾンビと対峙しているときにたまたま私が行き合わせたんです。ゾンビ系の化け物はポーションか聖水で簡単に片が着くんですが、二人はそれを知らなかったんでしょう、必死に剣で応戦していました」
「それであの怪我か」
「…私がもう少し早く行き着いて対処していればよかったのですが。申し訳ありません。至らぬばかりに」
 レオンが深々と頭を下げる。ルシアスはぴんとこない様子で二人の顔を見比べていた。魔物に襲われたとはいえビビアンもマリーも無事だったのだし、それほど憂慮するような事件には思えなかった。それより自分のことを「私」と称するレオンがおかしくて、それを堪えるのに一生懸命だったのだ。
 しかし、ジタンの表情は厳しかった。
「レオン。お前、やけにゾンビ系の魔物について詳しいな。外ではそれほど魔物が出没しているのか?」
「ええ。かなりの頻度で。それも、全部ゾンビなんですよ。変な話ですが、どこかにネクロマンサーでも隠れているんじゃないかと思えるくらいです。魔物の話は俺も、いや、私も、両親から聞いてある程度のことは知っていますが、その他の種類にはお目にかかったことがありません」
 うむ、とジタンは珍しく黙り込んだ。
 無論彼のことだ、じっとこの城に滞っているわけではない。各地を回っているから、彼自身もかなりの情報を収集している。だが、そのジタンの得ている情報とレオンの報告は、完全に重複するものだったのだ。
「霧の話はどうだ。噂をきくか?」
「いいえ。まったく」
「やはりな…。俺も聞いたことがない。目にした事もない」
 かつての魔物は霧の副産物だった。だが今度の魔物はそうではないらしい。もしかするとレオンの戯言が案外的を射ているのかもしれなかった。
「その他に、お前が集めた情報、見聞きしたことの中で目新しいものはないか?」
「そうですね…リンドブルムもブルメシアも大きな動きはありません。どの街も霧が取り払われてからの発展は目覚しいものがあります。特に中央山脈の両側のアーチ付近は交通の便の良さもあって賑やかになってきています。人の出入りが激しくなっていますが…そうだ、そういえば最近、新しい宗派が誕生してますよ。散在していた宗教勢力の最大会派、正教会の分派だそうですが、本家を凌ぐ猛烈な勢いで広まってます。人間の流出入に乗ってブルメシアやリンドブルムでも教会が立てられ始めているとか…殿下も御存知なのではありませんか?」
 ジタンは首を振った。
「聞いていないな。気にしてなかったからな…いずれ温厚な宗旨なんだろう?火種になるようなものでもあるまい」
 背もたれに体を持たせかけて彼は息を吐いた。その感想にレオンは肯く。
「確かに、その通りです。私の聞き及ぶ限りでは、それほど過激なものじゃありませんでした」
 ジタンは視線をレオンに戻し、微かに口の端を曲げた。
「なかなか賢しくなったな、レオンハルト。俺の質問全部に的確な答えを返すなんざ、たいしたもんだ」
「知恵と知識と情報がなければ行きぬけないことを厭というほど学びましたから」
 にっと、こちらも人の悪そうな笑みを浮かべる。
「残念ながらあともう一つ足りないけどな。――まあいいや。情報をくれて恩に着る。それと、うちのはねっかえりの命を助けてくれて感謝してるよ。レオンハルト=アーシス=スタイナー」
 言葉遣いはともあれ、ジタンは椅子から立ち上がって慇懃に頭を下げた。
 一国の主が臣下に低頭するなんて聞いたこともない。
 レオンは鳩が豆鉄砲をくらったみたいに目を真ん丸くして固まってしまう。その青年と面白そうに彼を見上げている息子を置いて、主はあっという間に部屋を去った。
 父親の姿が消えた途端、ルシアスは固まっているレオンの目の前で手をひらひらと振った。
「大丈夫?なんでそんなに驚くかな」
「ば、馬鹿か、お前――仮にも相手はこの国の元首にも等しい方だぞ。そりゃ俺はお世辞にも礼儀正しいとは言えんが…それくらいの弁えはあるぞ」
 レオンはほうっと息をつき、額に吹き出た汗を手の甲でぬぐった。
「その割にはもうすぐ王太子になる僕に対して全然畏敬の念がないよね」
 なかなか鋭いルシアスの突込みにも、ようやく本来の舌鋒を取り戻したのか
「お前はまだガキだからな」
 にべもなく言い放つ。
 ルシアスはぶうと頬を膨らませた。が、それよりも気になっている事があって、ふと彼は真面目な顔に戻って呟いた。
「でも…不思議だな。父上は何にこだわっておられるんだろう」
 わざわざ息子の私室に訪れた。それも、レオンハルトが訪れていることを承知の上で、だ。会話の内容から察するに、ルシアスに会いに来たというより、レオンの話を聞きに来たのだ。

 魔物が出没するという。頻繁に。
 父親は何かの確証を得たがっている。
 ちくりと、かすかに左目が痛んだ。

◇◆◇◆◇

 重く垂れ込めた雲の隙間から日差しが筋を描いて降り注ぐ。その光は丁度アレクサンドリアの城を明るく浮かび上がらせ、湖の水面を輝かせていた。
 のどかな小春日和。
 だがここに、日和とは正反対の重苦しい表情を浮かべた女性がいた。
 身につけた白地に青い縁取りの修道服は正教会所属の修道院のものだ。青い縁取りは司教以上の階級にあることを示す。みたところまだ若い。その若さでその階級なら、相当な魔法の使い手のはずだった。
 近々ルシアスの立太子式が執り行われる。おそらくそのために招かれた正教会の代表なのだろう。城で受付を済ませ、その後指定された宿で式を待つのが一般招待客の手順なのだ。律儀にもトレノ東部にある本部から余裕を見てやって来たに違いない。
 船着場のすぐ正面にある噴水の縁石に腰を下ろして、彼女は気だるそうに石造りの重々しい城を仰いだ。
「あんまりいい思い出のある場所じゃないものね…」
 顎の線で切り揃えられた薄いプラチナブロンドが光に揺れる。
 大きな青い目を瞬かせて、彼女は嘆息した。と、そのとき、正面のゲートからなにやら話し声が近づいてきた。
「だからさ、僕と一緒に医務室に行こうよ。きっとビビアンも会いたがってるよ」
「ごめんこうむる。いいか?俺はお前の顔を見に来ただけで、あのお転婆娘の面倒を見るために帰ってきたわけじゃないし、登城したわけでもない。以上説明終わりだ」
 真っ直ぐに船着場に伸びる石畳の上を、仲睦まじく喧嘩しながら歩いてくる二人の青年の姿が目に入る。
 上級貴族の子弟なのだろうか。世界が違うわ、と嘯きつつ目立たぬように噴水の裏側に回ろうとした女性は、ふと先ほどの切って捨てるような物言いに心当たりがあることを思い出した。
 10年ほど前の記憶だ。そのころ彼女はこのアレクサンドリアの貴族街に住んでいた。いやな思い出しかないこの街での唯一の慰め――だった人物。
「レオンハルト=アーシス=スタイナー!?」
 不意に名を呼ばれてレオンは立ち止まった。つられてルシアスも足を止める。そして二人の視線は、正面に立つ修道女に釘付けになった。
「レオンハルト、でしょう?」
 言いながら満面に懐かしさを浮かべて彼女は青年に歩み寄る。
 レオンは自分の記憶を手繰り寄せるように、相手を検分するように目を細めてねめつけた。
「知り合い?ねえ、レオンの知り合いなの?」
 心持ち頬を染めてルシアスがレオンの袖を引っ張る。
「待て。今思い出し中だ。どうも…あんたみたいな美人の修道女に知り合いはいないはずなんだが…」
「いたら忘れないよね。ホントに綺麗だよね」
 年が若くても男は男である。若い美人とみると鼻の下を伸ばす。普段仏頂面の朴念仁で名高いレオンですら満更でもなさそうなのだから始末におえない。
 女性は苦笑して、ちょこんと挨拶を送った。
「褒めていただけて光栄ですけど、でも私よ、レオン。エルナ――、ほら、私塾で一緒だった…いつもあなたに助けてもらってたエルナ=マキャフリイよ」
 その名を聞いてレオンはぱっと目を見開いた。はっきり思い出したのだ。
「エルナ…?あの眼鏡をかけたそばかすのエルナか?」
「ええ、そう!そのエルナ!…ああ、懐かしいわ」
 レオンハルトの悲惨な幼年時代にただ一つ輝く、「いい思い出」の相手。
 二人は握手を交わし、しばし旧交を温め合ったのだった。
 ルシアスは二人の邪魔にならないように脇の石灯籠に寄りかかり、微笑ましそうに彼らを眺めていた。

 彼はまだ知らない。
 この偶然の出会いが、いずれ大きな意味を持つようになることを。