5、ルシアス、舞踏会デビューする(その1)

 西の対のバルコニーから何気なく船着場を見下ろしていたルシアスは、今しがた舟から降り立った人影を目ざとく見つけた。
 遠目にも鮮やかに映える青い修道服。ベールの影からちらりとプラチナブロンドが覗く。
 レオンの昔馴染みだ。
 裾を短めにつめたスカートをさっと小気味よく揺らして、足早に彼女は東の対――女王が政務を執る本丸の方へ向かう。丁度レオンが城に詰めている時間だ。きっと彼に会いに来たのだろう。
 そう考えて、ふとルシアスはレオンの顔が見たくなった。正確に言うと、見たいのは「レオン」ではなく「彼女」の方だったのだが、そんなことはルシアス本人にもわかってやしない。ただ無性に落ち着かなくなって――我に返ったときには、彼は既に部屋を飛び出していた。

「エルナ=マキャフリイ」
 呼び止められてエルナは立ち止まった。
 正面の街路樹の陰から、色あせた襤褸をまとった修道僧が姿を現す。腰に荒縄を巻き、フードを深く下ろしている。
 エルナはさほど表情を変えなかった。この街でそんなみすぼらしい格好をしている僧侶はいない。いや、国中探しても、たった一人しかいないだろう。顔が見えなくても誰かはすぐに察しがついた。
「シルヴィウス先輩。奇遇ですね。どうしてここに?」
 名をずばり言い当てられて、相手は苦笑したようだった。かすかにフードの縁が揺れる。それから彼はおもむろにフードを背中にはねた。ややもつれた長い白髪がやっと解放されたことを喜ぶように風になびく。抜けるように白い肌、そして深紅の隻眼。
 シルヴィウスと呼ばれた長身の青年は、にこやかに微笑むとエルナに手を差し出した。
「ひさしぶりだね、エルナ。正体を隠したつもりでも、さすがに君には通じなかったか」
 その手を優雅な仕草で軽く握ると、エルナはちょこんと膝を折って挨拶を返した。
「なぜ隠す必要があるのです?あなたは私の偉大なる先輩ですもの、たとえ分派して異端に走ったとしても、私は枢機卿たちのように渋い顔はしませんわ」
 満面に天使のような笑みを浮かべつつ、辛辣な台詞を吐く。
「相変わらず手厳しいな」
 彼女の細い指をちょっと力を込めて握り返しながら、青年はまた笑った。優しい笑顔。
 そうやって普通に会話している姿は、まるで絵本か物語から抜け出てきたような見事な男ぶりである。顔だちから体つきから佇まいから、彼の容姿には一点の非の打ち所もない。
 しかしエルナの反応は素っ気無かった。修道女として教会に純潔を捧げた乙女は、どんな色男にだって惑わされたりはしないのである。
「私の問いにまだ答えてくださってませんわよ、シルヴィウス先輩。なぜこんなところにおられるのです?」
 すかさず返される鋭い質問を、青年はゆったりと受け流した。
「君こそ、アレクサンドリア城に何の用件なんだい?」
「私は公務です。教会本部から城への献上品が届いたので、その目録を届けに上がったんですわ」
 即答である。取り付く島のないその回答に、仕方なくシルヴィウスは肩を竦めた。
「本当に変わらないね、エルナ。その容赦ない喋り方。仮にも神に仕えるシスターなんだから、もう少し慈愛に満ち溢れてくれるとありがたいな」
「神に仕える身だからこそ、必要とあらばあえて厳しく対応するんです。あなたは甘い顔をすると、すぐに調子に乗ってするりと人の懐に忍び込んでくるんですもの。その手には乗りませんからね」
 と、釘を刺しておいて、再度彼女は尋ねた。
「で、どうしてここにおいでなのですか?先輩」
 わざとゆっくりとした口調で一語一語を噛み締めるように発するのは、それが最後通牒だと示すためだ。シルヴィウスは観念したように苦笑いを浮かべ、頭をかいた。
「参ったな。実は君を待ってたんだ」
「私を?」
「ああ。エルナ=マキャフリイが急病のセレオン大司教の名代として祝賀に出席するときいたんでね。君の付き添いをしてあげようかなって。今日辺り献上の品書きをもって登城しそうな気がしたし。」
 悪びれる様子もなく図々しいことを口にする青年を、エルナは胡散臭そうに見上げる。
「結構です。付き添いなんて不要ですわ。…何を企んでいるんです?」
「またすぐそういう人聞きの悪いことを言う」
 シルヴィウスは口元に薄く笑みを刷いたまま残った片方の目を細めた。困ったような素振りは見せるけれど、柔和な表情は崩れない。感情に全く揺らめきが生じていないのだ。それは見方によってはひどく(いびつ)な穏やかさだった。
 だが、ただひたすら相手の腹を探ることに専心していたエルナは、その違和感に気づかなかった。
「一目でいいからルシアス殿下にお会いしたかったのさ。この田舎僧侶も皆と同じように殿下の立太子を祝福したくてね」
 屈託ない彼の言葉に、頑ななエルナの表情も少しばかり揺れる。と、そのとき、西側の石畳の上を軽やかに駆けてくる足音が届いた。同時に、瑞々しい声も。
「エルナ、さんですよね?レオンの幼馴染の」
 長めの黒髪に印象的な青い瞳。端正な容貌の少年が、こころもち頬を紅潮させて駆け寄ってきた。
 エルナは一瞬不思議な光景でも見るように突如現れた王子を凝視し、その数瞬後、慌てて膝を折った。
「お目にかかれて光栄に存じます、殿下」
 その零れそうな大きな目は、じっとルシアスを見つめたままである。
 修道女や僧侶は跪いても頭は垂れない。彼らが頭を下げるのは彼らが信奉する神に対してだけなのだ。それはもはや一種の慣習といえた。いわゆる、「当たり前」事項である。
 しかしルシアスは跪かれたことでさらに頬を朱に染めた。
「や、止めてください。僕なんかに礼を尽くす必要はありませんから」
 手を差し伸べて彼女を押しとどめたいのだが、照れくさくてそれもできない。どうしようもなくて彼はその場でたたらを踏むような格好になってしまった。
 ふっとエルナの表情が緩んだ。この街に来て初めて見せる優しげな表情だった。
 彼女は膝を伸ばして立ち上がり、ちょこんと頭を下げた。
「またお会いできて嬉しいですわ、王子様。本当に――噂どおりのお方なのですね」
 素直で、純朴で。と、言葉の後ろで彼女は思う。
 しかしエルナの言葉はルシアスのカチンコチンに緊張しまくった頭には入らなかった。彼女が自分に頭を下げたことで、その緊張は頂点に達していたのだ。
「し、修道女の方は、お、王侯貴族にさえ頭を下げないのが通例と聞き及びますが…」
 見当はずれの答えを返すルシアスの横合で不意に笑い声が聞こえた。 
「彼女は形式にしがみついて生き延びようとする教会の重鎮たちとは違いますからね。もっと柔軟で自由なんです」
 不思議なことに、その柔らかなテナーはルシアスの耳にするりと入り込んだ。
 びっくりした彼はすぐさま声のした方に首をめぐらす。
 エルナの他に誰かいるなんて、そのときまで彼は思いもしていなかった。ひたすらエルナの姿しか視界に入っていなかったのである。
 初めて余人の存在に気付いたルシアスは、バツが悪そうに照れ笑いを浮かべた。
「あなたは?――すみません、他の人がいるなんて思わなかった」
 みすぼらしくても僧服は僧服である。いずれエルナと同じ教会の者だろうとルシアスは思った。
「私はエルナの付き添いなのですよ。彼女はまだ司祭になりたてなので――私がお目付け役を命ぜられましてね。シルヴィウスと申します。お目にかかれて光栄です、殿下」
 でたらめな自己紹介に憤然となるエルナの横で、青年は優雅に拝礼した。
「あなたも、自由な人なんですね。神ではないものに頭を下げる教会の方にお二人も会えるなんて、今日は珍しい一日だな」
 差し出された青年の手を軽くとってルシアスは無邪気に述懐する。
「残念ながら、私は別に自由な人間ではありません。――拝礼すべき方に礼を捧げているだけです、殿下」
 ふっと不可思議な表情が青年の開いた片方の目元に刻まれた。それは笑みでも揶揄でもなく、ただ純粋な敬慕の念に見えた。だが同時に見るものの心を妙にかき乱す表情でもあった。ルシアスはエルナが気がかりで仕方なくて、青年のそんな微妙な表情にまで気が回らなかった。が、端で見ていたエルナは少なからず胸騒ぎを覚えたようだ。
「では殿下、私たちはこれで失礼いたします。用向きを早く済ませてしまわねばなりませんので」
 彼女は小さく膝を折って挨拶すると、シルヴィウスの腕をぐいと引っ張った。一刻も早くこの男を王子から離したほうがいいような気がしたのだ。
「あ、待ってください」
 だがルシアスが急いで引き止める。また挨拶だけで離れてしまうのが嫌だったのだ。彼は軽いとは言えない口を一生懸命開いて、勇気を振り絞った。
「明日、儀式のあと城で盛大な舞踏会が開かれることを御存知ですか?」
 片割れの腕を引っ張ったまま振り返ったエルナは、きょとんとした顔で一瞬沈黙していたが、やがて王子の言葉の意味を理解してぎこちなく頷いた。
「ええ、もちろん存じておりますわ」
「あなたも、来てくれますよね?」
「あ…それは」
「もちろんです、殿下」
 神に仕えるものは享楽の場に身を置くことを控えるべきなのだ。エルナはあまり模範的な司祭とは言えないが、それでも敬虔な信者ではあった。当然、彼女は舞踏会なんかにでるつもりもなかった。断ろうとした彼女の言葉を遮って、覆い被さるように返事したのは傍らのシルヴィウスだった。
「エルナは自由な修道女なのです。殿下がお望みとあらば、きっとその場に参じます。私が責任をもって向かわせましょう。御安心ください」
 またもや勝手なごたくを並べる青年の袖を横からエルナが力任せに引っ張る。
「シルヴィウス、私は修道女なのよ!そんな場所にいけるわけがないでしょう」
 青年を詰責する彼女の言葉を耳にして、ルシアスの顔が寂しそうに曇る。横目でちらりと王子を見やったエルナの胸が微かに痛んだ。その隙をついてシルヴィウスがするりとエルナの手を抜ける。
「ちょ、シルヴィウス!」
 怒鳴るエルナを尻目に青年はスタスタと王子に近づいた。
「こうして一応お断りを申し上げないとならない決まりなのです。殿下。教会というのは堅苦しい世界なのですよ。しかしつまるところ教会の本分は人に幸福をもたらすこと、この一事に尽きます。――殿下が心から望んでくださるものを、神の僕たる修道女が無碍に断ってしまうことなどありえませんから、どうかご安心ください」
 跪き、深々と頭を垂れる。
 その白髪の青年の優美な所作は、見る者を惹きつけずにはおかなかった。ルシアスもしばし陶然と見入ってしまいそうになる。が、やはり一番気になるのは青年よりも修道女のことなので。
「ありがとう。じゃあ、僕も期待を捨てずに待つことにします」
 そう言って、彼は視線をエルナに戻した。
 今口にした言葉が自分の本心であることを証するかのように。
 そのまっさらで一途な眼差しを受けて、ルシアスの第一印象よりずっと強くてはっきりした輪郭を持っていた修道女は、いつもは強気な瞳をためらいがちに逸らした。
「さ、行きますわよ、先輩。まったく、変なことばっかり言って!いい加減にしてください!」
 その場の空気を変えようと言うのか、犬でも追い立てるようにシルヴィウスを突付く。そうして答えを返すことなく、挨拶もそこそこに彼女は青年を引きずって東の対へ去ってしまった。
 街路樹の向こうに消えてゆく二人の背中を眺めながら、ルシアスは宙ぶらりんの心を持て余していた。
 どうして彼女のことがこんなに気にかかるのだろう。
 なぜこんなに彼女にまた会いたいと思うんだろう。
 彼には自分の心が分からなかった。
 

◇◆◇◆◇

 帰ってからというもの、レオンは再び要人警護の任についていた。日中はほとんど城詰である。訓練しかやることのない日が多くて、たいていは暇を持て余している。今日も詰め所で長い足を投げ出してベッドに横になっていた。
 高い位置に取り付けられた小窓から真昼の光がまっすぐに差し込んでくる。小春日和の温かい日差しだが、それを避けるように彼は体を移動させた。少し昼寝しようと思ったのだ。が、一時も立たないうちに彼の安寧は破られた。
「一体、何度ノックさせたら気が済むの?」
 薄目を開けるとベッドの縁に立って目を吊り上げている綺麗なハニーブロンドの娘が見えた。青い瞳が怒りを浮かべて彼を見下ろしている。
 レオンは面倒くさそうに起き上がった。髪がくしゃくしゃになったままだ。
「何の用だ」
 ぽりぽりと頭を掻きながらぶすっとして彼は訊いた。寝入りばなを起こされたため機嫌は相当悪い。
「あたしの護衛をして欲しいの」
 横柄な態度で倣岸にも言い放つ王女を、レオンは呆れたように見上げ、それから鼻で軽く笑い飛ばした。
「なんでお前を護衛する必要があるんだ。城でじっとしているよう厳命が下っているんだろうが」
「出かけるからに決まってるでしょ。確かに城の中にいなさいとは言われたけど、絶対出るなとは言われてないわ。ちょっとくらい外出しても大丈夫よ」
「俺はつき合わされるのは御免だ。外出を禁じられてないなら勝手にやればいい。ただし、自分一人でな」
 にべもなく言い下すと彼はまたごろりとベッドに横たわった。
「なによ、手伝ってくれたっていいじゃない!お兄様にお花をあげたいけど、一人じゃ山に登れないんだもの。狭霧峰がどこにあるかも知らないし、それに行く途中でまた魔物に会うかもしれないし…あなたならわけないでしょう?山に登るのだって道案内するのだって。だったらちょっとくらい情け心出してくれてもいいじゃないよ!」
「断る」
 レオンは寝返りを打ってビビアンに背中を向けた。
 そのあまりに冷たい態度にビビアンが切れた。首にかけていたペンダントをレオンの頭に思いっきり投げつける。それは見事に彼の後頭部にヒットした。
「てっ!何するんだこのっ…」
 後頭部を押さえながら飛び起きたレオンは、自分にぶつけられたものを見てぎょっとする。
「お前…これはアレクサンドリアの宝珠じゃないか!こんな大切なものを投げる奴があるか!何考えてるんだ!」
 差し込む冬の真昼の光を受けて美しく清冽な光を放つ宝珠を、レオンは大切そうに掌に掬い取った。
「あんたが悪いんでしょ!それ、昨日お母様から私が譲り受けたのよ。それがどういうことか分かる?お兄様にはそれが渡せないの。渡してもらえないって分かった時のお兄様の気持ち考えたら、あなただっていても立ってもいられないでしょう?何かしてあげたいと思わないの!?この冷血漢!鉄面皮!人非人!」
 手当たり次第にそこにあるものを投げつけようとした彼女の手は、あっという間に掴まれて自由を失った。目にも留まらぬ速さでレオンが握り締めたのである。ベッドから彼女の元に至るまでほんの一瞬のことだ。ビビアンはあっけにとられて口をぽかんとあけたまま目の前の青年を見上げた。
「いい加減にしろ」
 顔を近づけ吐き捨てるように言うと、乱暴にその手を解放して彼は再びベッドにもどった。
「何で俺に言うんだ。そんなに行きたいならマリーにでも頼めばいいだろうが」
「だって、マリーはこないだ迷惑かけちゃったし…またモンスターが現れたりしたら、今度はマリーに怪我をさせるかもしれないじゃない。そんな危険な目にあわせるわけには行かないもの。その点、あなたなら怪我させたって悔やまないで済むでしょ」
 ひどい言われようである。レオンはもはや苦笑いを浮かべるしかなかった。
「…お前、そんな頼み方で人が動くと思うのか?」
「だって、ちゃんと低姿勢でお願いしてるのに冷たく突き放したのはそっちでしょ!?」
 あたしの護衛をして欲しいの、というのが低姿勢のお願いに該当するのかどうかいっぺん議会にでも訊いたいものだとレオンは思う。
 が、当のお姫様はしっかり低姿勢になったつもりでいるようで、彼女の中では冷たいレオンが悪者に決定していた。
「もういいわ。あなたになんて頼まない。頼んだあたしが馬鹿だったのよ!お兄様のことなら、あなたもきっと大事に思ってくれてるって、だからお兄様に幸せになって欲しいって思うあたしの気持ちだけは分かってくれるって信じてたのに、信じたあたしが馬鹿だったんだわ!」
 さすがに泣きはしなかったけれど、両目を潤ませて叫ぶと、ビビアンはドレスの裾を翻してだっと部屋を飛び出した。
 すっかり眠気が吹き飛ばされてしまったレオンは、目を点にして嘆息する。
「・・・何なんだ、あいつは」
 女ってものは、ガキだろうと大人だろうと扱いきれねえ。やっぱり厄介なもんだと彼は痛切に思った。