6、つかの間のお話〜花を携えた乙女(その2)

「いいもん。あたし一人で行くもん」
 ビビアンはさんざんレオンへの悪口雑言を口走りながら自分の部屋に帰ってきた。それでも憤懣やるかたないのか、羽枕をとりあげ壁に向かって投げつける。
「レオンの馬鹿っ!腰抜け!役立たず!冷血漢っっ!!あたし一人で頑張ってやるっ!レオンなんか不幸のどん底に突き落とされちゃえ!」
 レオンの毒舌はよく知っているし、どうも自分が嫌われているらしいことも彼女は自覚している。だがビビアンの方ではレオンを無愛想でやな奴だと感じたことはあっても、冷たい人間だと思ったことは一度もなかった。それが今日一気に覆されたのだ。
 木で鼻をくくるみたいに素っ気無い彼の対応を思い出すと、もうそれだけでむかむかと腹が立ってならなかった。

 ビビアンは、なんとか兄の役に立ちたかった。
 今まで14年とちょっと生きてきて、どれだけ兄の足を引っ張ってきたか知れない。彼女のお転婆とわがままな行動のあおりをくらって、ルシアスまで一蓮托生で疎まれたり叱られたりしたことが山ほどあるのだ。
 それでなくてもルシアスはその角と尻尾のせいで上級貴族たちの受けがよくない。
 このガイアに災厄をもたらした、テラの証である尻尾を持った王子を世継ぎにすることを肯んぜぬ者も大勢いる。王家の権勢が回復したために、表立って口にするものはいなかったけれど。
 だが隙あらば足元をすくおうとする貴族たちの冷たい視線は、この城のいたるところに張り巡らされているのだ。
 父ジタンと母ガーネットがその視線を遮り、懸命に子どもを守った。彼らに近しい宰相や女官長や女官たちも、力の限り子どもたちを庇ってくれていた。だからこそ自分たちは安らかに暮らすことが出来ているのだ。それだってよく分かっている。分かっているからこそ、何もできない自分が悔しかった。

 兄ルシアスに比べて、自分は貴族たちからもちやほやされてきた。
 王家の血筋をもたらす王女は彼らにとっては利用価値が高い。しかも、ビビアンには邪魔な角も尻尾もない。
 無論王位継承者第一位のルシアスに対して貴族たちは下にも置かぬ扱いをしたけれど、王女と王子への視線の差は歴然としていた。それなのにルシアスはビビアンを可愛がってくれた。彼女のせいでまきぞいになって怒られても、怪我をさせられても、一度だって彼女を責めたことはなかった。
 そんなルシアスがビビアンは大好きで――ルシアスのためなら、命だって惜しくないと思えるくらいだったのだ。だから何か役に立ちたかった。兄の為に何かしてあげたかった。
 疎まれてると知っていても、敢えてレオンに頭を下げに行ったのはそのためだ。
 そんな気持ちなんて少しも汲み取ろうとせず、レオンはビビアンを冷たく突き放したのだ。(はらわた)が煮えたぎるみたいだとビビアンは思った。
 三回目に羽枕を壁に投げつけたとき、枕が耐え切れずに破れてしまった。どばっと中から羽があふれ出て、部屋中に舞う。
 それを見ているうちに、なんだか泣けてきた。
 枕の羽を散乱させたまま城を飛び出すなんてことは出来ない。こんな状態の空っぽの部屋を見たら、誰だって曲者に攫われたと勘違いするに決まってる。
 だからといってこれを片付けてたら一晩なんてすぐに経ってしまう。
 どつぼにはまる、というのはこんな状況を指すのだろうか。
 レオンに冷たくされた悔しさと、花を採りにいけない哀しさと、自分だって役立たずだという思いが一度に押し寄せてきて、瞬く間に涙が溢れ出した。後から後から零れ落ちる涙は頬をぬらし膝に滴り落ちる。
 声を潜めて王女は泣いた。
 泣き疲れるまで泣いて、やがて彼女は白い羽の中にうずくまり、いつしか浅い眠りに落ちていた。

◇◆◇◆◇

 マリーはいつもより少し早く館に帰り着いて、下の居間でくつろいでいた。父であるスタイナーは書斎にこもり、妻に手伝ってもらいながら必死に書類を捌いている。前年から軍の総帥に取り立てられてしまったため、それまでの倍以上に苦手な事務仕事が増えてしまったのだ。有能な補佐であるベアトリクスがいるから何とかなっているようなものの、もしこれが一人だったら事務官の二三人は新たに抱えなきゃならなかったところだ。
 どれだけ人件費がかさむと思っておるのだ。陛下も議会も、もう少し人を見て適材適所の人事を心がけなくてはならんのである。とは最近のスタイナーの口癖である。
 さて、そんなこんなで居間にはマリーしかいなかった。
 暖炉の火が暖かな橙色の光を部屋に投げる。曇った窓ガラスの向こうには、漆黒の闇が広がっている。火のはぜる音だけが心地よく響く暖かな部屋の中で、彼女は大切な人にあげる上着を編んでいた。
 時折顔を上げて窓の外をうかがう。
 まだレオンが城から戻ってこない。
 マリーも城に詰めていたから、今日も一日アレクサンドリアが平穏無事だったことを知っている。事件もなかったし、軍隊の派遣を要するような事態も起こらなかった。だからレオンも夕方には館に戻って来られるはずだった。なのにとっぷりと日が暮れてしまっても、まだ彼は帰ってこない。
 彼女が自室にこもらず居間に下りてきているのは兄のことが心配だったからだ。
 もう指では数え切れないくらい窓の外を伺ったとき、やっと重い扉の開く音がした。
 編み物を置いて、すぐにマリーは兄を迎えにゆく。
「どうしたの?お兄様」
 戸口に立ったまま外套を脱いでいる兄の姿を一目見て、思わずマリーは声を上げた。
 彼はずぶ濡れだったのだ。脱いだ外套を絞ると水がぽたぽたと滴り落ちた。顔色も最悪だった。紫色の唇のまま、レオンはむすっとして外套を駆けつけた召使に渡した。
「何か拭くものを」
 マリーが召使に申し付ける。だがレオンは口をへの字に曲げたまま、「いらん」と短く妹を制した。
「ったく――頼むからよけいなことをお転婆王女に吹き込むな」
 濡れそぼった髪をかき上げ、額に手をあてて懇願するようにこぼすと、レオンはそのままマリアンヌの横をすり抜けて自室に行ってしまった。何のことか見当もつかないマリーが疑問を投げかける間もなかった。

 壁際の燭台に一つだけ明かりが灯されていた。
 仄暗い部屋にはいるやいないや、レオンはぬれねずみの下着も脱ぎ捨ててしまって、ベッドに身を投げた。
 横たわったまま、裸の胸にかけた小さな色あせた布袋の口をあけ、中から枯れた小花を取り出す。太い指でその花をくるくる回しながら、彼はふっと小さなため息とも笑いともつかぬ声を洩らした。
 こんな他愛のないまじないを信じるなんてな。
 女ってのはほんとに困った奴だと思う。
 だがだからといって五年前に妹がくれたこの花を捨てることも彼にはできなかった。まじないを信じたからじゃない。花に込められた妹の心遣いが嬉しかったからだ。
 レオンは見つめていた小花を大事そうに袋に戻し、目を閉じた。
 幾ばくも経たぬうちに、彼は安らかな寝息をたて始めた

◇◆◇◆◇

 翌朝目覚めたビビアンは、頭に白い羽をくっつけたままぼーっとして外に出ようとした。廊下に出るためには、小さな卓と椅子と化粧台の置かれた隣の小部屋を通り抜けなければならない。
 よたよたと二日酔いの飲んだくれみたいな足取りで部屋に入った途端、彼女は息を呑んだ。
 信じられないものが目に入ったのだ。
 テーブルの上に置かれた宝珠と、それから小さな青い花。
 床の上に零れた水がまだ乾ききれずに点々と跡を残している。それは一つの線を描くようにバルコニーに向かって続いていた。
 ビビアンはへなへなと床の上に座り込んだ。
 一体誰が、と思ったけれど、一緒に置かれた宝珠が誰の仕業かはっきりと教えてくれていた。
 状況が呑み込めてくるにつれて、また目頭が熱くなる。

 でも今度は、昨夜みたいな惨めな涙じゃなかった。