ゆらゆらと蒼い光が揺らめいている。
まるで水底のようだ。乱反射する光の粒が網のように絡まりあって、青の中に漂っていた。
「なぜだ」
その空間で、クジャは『それ』と対峙していた。
「なぜ僕に接触する」
――お前だけではない。テラの魂を有する全てのものに触れた。
だが、お前に触れたが故に、我らは覚醒めた。
お前という極めて強固な生への執着に触れたおかげで。
「僕が…」
――お前は予定調和の外に生まれた個体。
強靭な意志と己たることに固執する大きなエネルギーを内包している。
それが我らの思念と呼応し、よってわれらの中に思惟が生じた。
故に我らはお前の意志と照応する。
お前の意志を得て我らはガイアを凌駕し、
そのクリスタルを我がものと為す。
「僕の意志を得たいと言うのか」
――然り。我らの我らたる証を得る為に。
「己の存在を保持せんがために、生れ落ちるアレクサンドリアの御子を葬り去るのか」
――然り。かの赤子の力は我らを従え、
ガイアの流れに融合させるがゆえに。
「そして僕に一体何をもたらそうと言うのだ」
――全能を。そしてテラの流れに支配されたガイアを。
「世界を、与えると?」
――然。
「では僕は、僕をお前たちに委ねよう。さあ、僕の中に入ってくるがいい」
クジャは両腕を広げて顔を上げた。
青白い燐光はゆらめきを増し、明滅を繰り返しながら一つの流れになった。幾筋もの尾を曳いて、その光は次々にクジャの中に吸い込まれてゆく。
全身にまとわりつく青白色の光の中で、彼の髪は緋く波うち、その白い額に紅い痕が浮かび上がった。
かっと見開かれた瞳は赤黒く澱み、禍々しい光を放つ。
――これで我らは意志(ちから)を得た。
クジャの奥で『それ』はうごめく。
「ああ、感じる。僕の魂にお前が重なり合ったのを」
そして彼はひどく皮肉な笑みを浮かべた。
「これからは、お前と一緒だ。地獄の果てまでも」
集まっていた面々は、侍医に導かれて寝室に入った。部屋の隅に設えられた天蓋つきのベッドに横たわるガーネットの姿を、息を詰めて一同は見つめた。誰もが思わず目を凝らして、その胸元が微かに上下しているのを確かめる。
「瞳の反応がなくなりました。眠りが深くなられているのです。体温も、さらに低下しておられます…」
侍医の説明が虚しく響く。
遠巻きにして眺める彼らから離れ、ジタンはベッドのそばに近寄った。
そっと手を伸ばし、白蝋のような頬に触れる。
「子供は――おなかの子は大丈夫なのか?」
静かに、彼はたずねた。
「それが…不思議なことに、お子はすくすくと育っておいでです。御母体であらせられる女王陛下の心音より、よほどしっかりした鼓動が致します。お子は――ご無事です」
少しでも好材料をその場に与えようという気遣いが働いたのだろう。侍医はわざわざ「無事」なことを強調する。
一瞬その場の人間は、ジタンが泣くのではないかと思った。
そんな、筆舌に尽くしがたい複雑な表情を浮かべて、「そうか」と彼は低く呟いた。
ベアトリクスが無言で人々に退出を促す。彼と女王陛下の二人きりにしておいた方がいいと思ったのだ。彼らが大人数でここにいても、何の足しにもならぬのだから。
その意を汲み取って――スタイナーですら慮って――彼らは部屋を後にした。
自分を残してそっと去ってゆく人々に、ジタンは心の中で感謝する。
本当は、泣きたかった。
「あれは毒などではないわ」
部屋を出てから、いきなりミコトが言い出した。
その場に居合わせた者は皆、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で立ち止まる。
「何ですと?」
トット先生が身を乗り出す。
「テラにはあんなふうに仮死状態にする毒はないわ。仮死状態にできる技術はいくらでもあるのだから、わざわざ毒を使うまでもないもの」
「では何が誘因だと思われるのです?」
「催眠みたいなもの――そうね、魔法といった方が解りやすいかしら」
「魔法、ですか」
「しかし、あ奴自らが毒と言ったのであるぞ」
スタイナーが割って入る。
「正確に言い表すとなると面倒だし、それにクジャの目的はジタンをここから引き離すことでしょう?そのエサが毒だろうが何だろうが、構わなかったのだと思うの」
「…さようであるか。しかし、いずれにしても、ガーネット様をお助けするには、テラへ赴かねばならぬということであるな」
「それも、ジタン本人がね」
「ねえ」それまで珍しく黙って聞いていたエーコが口を開いた。
「ジタンを単独で引き離す目的は何なの?」
「すでにご自分で結論はお出しになっておられるのでしょう?」
その聡い質問に、この少女が可愛くてならぬトット先生は目を細める。
「エーコ殿はどう思われるのですかな」
「戦力分散」
すかさず応えを返す。
「そうですな。一つにはそれがあるでしょう」
「それだけじゃないの?」
「もともと魂は雑多な記憶の集合体に過ぎない。それがたまたまクジャを得て方向性を持ち、束ねられた。同じテラの魂の相反する強い意志は、その脆い繋がりの致命傷になりかねないわ」
横からミコトが口を挟む。
「相反する意志?それってジタンの、ガーネットに対する想い…ってこと?」
その問いには答えず、彼女はそっと目を伏せる。
「だから彼を単独でおびき寄せて、クジャと同じように取り込むか、それができなければ、きっと」
「殺す…つもりなんだ」
ミコトはエーコを見た。瞬きもせず。
「そう思うわ」
薄々は、誰もが思っていたことに違いなかった。
彼らが立ち向かおうとしているのはクリスタルの力そのものなのだ。勝ち目は万に一つしかなく、そして勢力が分断されてはその一つでさえ危うかった。しかもテラは、テラの魂にとって最も強い力を発揮できる場所なのだ。
そこに、ジタンは誘き寄せられようとしているのである。
「エーコたちがついて行ってあげたらいいのよ!それで全て解決じゃない?」
「しかし…」ベアトリクスの隻眼が、ふと曇る。「アレクサンドリアの守りも固めねばなりません。私たちにとって、エーコ様もサラマンダー殿も、欠くべからざる重要な戦力なのです」
一同は沈黙した。
「私が行くわ」
声を上げたのはミコトだった。
「ジタンと一緒に私が行く。みんなはガーネットを守って。ジタンもきっとそう望むと思うの」
そう。
ジタンなら、むしろミコトさえここに残らせ、本当に一人で行こうとするだろう。
同じテラの者として。そして、クジャとジタンをつなぐものとして、ミコトはその場に立ち会いたかった。最後までともにありたかった。
「そうお願いするしか…ないようですな」
全てを察したように、トット先生の声が、静かに部屋の中に落ちていった。
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