ガーネットの体は、淡く発光しながら宙に浮かんでいた。
その対極に、巨大な光球を背後に従えたクジャのシルエットが浮かび上がる。逆光で暗く翳る彼の様子を窺い知るべくもないが、赤くなびく髪は、まぎれもなく彼がトランス状態であることを物語っていた。
『くくく…やっと来たか』
クジャの形をした「それ」は、押し潰したような不気味な笑い声をたてた。
「ガーネットを、元にもどせ」
一人飛空艇から地に降り立ったジタンは、徒手空拳で空を仰いだ。
『さあ…知らぬことよ。この女を眠らせたのは我らに非ず。この者の思念が最後の足掻きに為したこと。それを解く術もこの男しか知らぬ。さりとて我らにとっては願ってもない顛末。我らはもはやこの者の思念を手放さぬ。お前がどんなにこの者を呼びだてようとも、もはやこの者が応うることは適わぬ』
そして彼はすっと片手を上げた。
その手のはるか上方で、黒雲が集積し、渦を巻く。その雲の中に稲妻が縦横に走り、くぐもった重く鈍い音が地を揺らす。
その強大な魔力を以って、魔法を放つつもりなのだ。
ジタンは身構えた。
話の通じる相手ではない。とにかくどうにかしてクジャの眼を覚まさせなければ。
かつて青の光に満たされていたこの空間に、テラ本来の色である赤が徐々に染み渡ってきていることに、ジタンは気づく。そしてその色の中心に、「それ」が背後に従えている光球が位置することにも。あれが…魂の塊の目に見えるカタチ、なのだろうか。
ジタンは唇を噛みしめた。が、思いついたように突然ダッと走り出す。その彼の体をめがけ、黒々ととぐろを巻く雲と稲妻の間から光の矢が音をたてて降り注ぐ。
地面に激突するや轟音とともに爆裂するその矢をかいくぐって、ジタンはひた走った。空気を裂く音を発して彼に向かって突進してくる矢の一筋が彼の腕を貫く。
「くっ!」
猛烈な熱で傷口は瞬時に焼け焦げ、出血はしない。だが変わりに凄まじい激痛がジタンを襲う。それでも彼は立ち止まらない。
全力で疾走し、「それ」の下まで辿り着くや、地面を強くけって跳躍した。クジャのカタチをした「それ」の目の前まで飛ぶと、その首に腕を回して締め上げる。そのまま相手の体もろとも、地面に着地した。
「目を覚ませ!クジャ!」
耳元で必死に叫ぶ。しかし、名を呼ばれて顔を上げたその眼は、赤く濁ったままだ。にやりと笑うと、「それ」は凄まじい力でジタンの腕を引き剥がし、くるりと振り返ってジタンに対面した。
一瞬、クジャが蘇ったのかとジタンは思った。
だが次の瞬間、その両の掌から発した炎弾がジタンの腹部を直撃し、彼の体を吹き飛ばした。咄嗟に衝撃をかわそうとしたために致命傷には至らなかったが、それでも大きな打撃であることに変わりはない。
地面に這いつくばって、懸命に体を起こそうとするジタンの背中を、「それ」は足で踏みつけた。体をひどく地面に打ちつけられたジタンは、あまりの激痛に声もなくのたうつ。
『我に逆らわんとするものは、排除するのみ』
「クジャ!眼を覚ませ!!」
激痛に耐えながら、ジタンは叫んだ。
そのジタンの顔を、「それ」が蹴り上げる。唇が切れて、血が飛んだ。
『我の魂に同化せよ』
その呼びかけを無視してジタンは繰り返しクジャに語りかける。
「クジャ!俺はいい!ガーネットを助けてくれ!」
だが、どんな声も、どんな言葉も、もはやクジャの心には届かない。
眉一つ動かさず、彼は手をジタンの体に向けてかざした。辺りの空気がぴりぴりと震える。
「聞こえないのか、クジャ!」
ジタンは体を引き起こした。焼け爛れた腹部の表皮が裂ける感触。そこから生温かい血が流れ出すのが分かる。だが、ジタンは起き上がった。凄まじい痛みを、ねじ伏せて。
『まだ立ち上がれるのか。なんと言う精神力だ。…惜しい。お前のその力、我が物となせば、さらに我らの未来は開けようものを』
「それ」の掌が一際明るく発光し、熱を持った光球が出現する。
『この者のもつ最高位の魔法によって息の根をとめてやろう。お前のあの女とともに』
言葉と同時に掌を離れた光球が空に上昇する。
ミコトは自分の目が信じられなかった。
確かに、クジャがおかしくなってしまったことは知っている。誰よりもよく知っている。そして今のクジャが、クジャの姿を留めているだけで、もはや別物になってしまっているのも知っている。
でもそれ以上に、彼女は誰よりも、「クジャ」をよく知っているのだ。
彼女たちがジタンとクジャを助け出してから、目ざめた彼がどんなに懊悩したか。そしてその苦しみを誰にも見せずにどれだけいつも明るく振舞っていたか。彼は贖罪のために生き長らえることを受け入れたのだ。その彼が――こうまで支配されてしまうなど、ミコトには信じられなかった。
気がつくと、彼女は飛空艇から降り立って、必死になって地表を走っていた。
クジャを。
クジャを助けたい。
その思いしかなかった。
前の戦いが終ってから八年。その間、ずっとクジャとともに生きてきたのだ。クジャの孤独を癒してきたのがミコトだったように、ミコトの孤独を忘れさせてくれたのは、クジャだった。
その彼が、喪われようとしている。それも、こんな形で。
息を切らせて、彼女は走った。
少しずつはっきり見え始めるクジャの姿。
その唇が、アルテマの詠唱を始めようとしている。
その下で彼の名を連呼する血まみれのジタン。
もう、誰にも止められないの――?
あなたは、このままいなくなってしまうの?
「兄さん!」
悲痛な叫びが、ミコトの口から迸り出た。
「戻ってきて!兄さん!」
暗闇を切り裂く叫びが、「それ」を通り抜けた。
クジャの眠っていた意識が、うっすらと目を開ける。
声と…そして流れ込んでくる懐かしい思いが、がんじがらめになった彼の意識の扉をこじ開けたのだ。
目を開けた彼の前に、ミコトが、いた。
脳がミコトの意識に共鳴する。波紋が広がるように次々に浮かび上がるミコトの記憶――と、それに共振するクジャの記憶。
穏やかな黒魔導士の村の昼下がり。
優しい笑い声。
クジャの、満ち足りた笑顔。
他愛のないおしゃべり。
ジタンと3人で笑転げた夜。
肩を並べて、星を見上げた…。
赤い赤い、ふるさとの月と。
「兄さん!いってしまわないで!お願い、兄さん」
切ないほどの孤独に身を震わせた日々。
それは自分もクジャもジタンも同じだったのだ。だからこそ、かけがえのない兄妹だった。同じ魂を抱くものだった。ミコトは必死に叫んだ。
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