「ガーネットが連絡をくれたの」
エーコが言った。
14になって背も伸び、以前ならこまっしゃくれた印象しかなかった大人びた顔も板についてきた。そして何より、人目をひくほど美しくなった。
もっとも、ここにいる男二人にとっては彼女は子供のままにしか映らないのだが。
「エーコとダガー、伝書鳩のやりとりしてるでしょ?昨日、送られてきた手紙に、またジタンが先走って単独行動しようとしてるって書いてあったの。ダガーは城を離れられないから、エーコにジタンの面倒見てくれって頼んできたのよ。エーコだっていろいろ忙しいんだけど、ダガーの頼みとあっちゃ、引き受けないわけにはいかないじゃない?だからすぐに飛んできてあげたのよ。ありがたく思ってよね!」
正確に言うと、ジタンの身が心配だから、助けてやってくれという内容だったのだろう。「先走って」「面倒見てくれ」という言葉をジタンは心の中で削除・変換する。
「だから感謝してるって。ほんとだって」
その言葉の信憑性についてまだ満足のいっていない様子のエーコからサラマンダーに目を移して、ジタンは話を強引に進める。
「で、焔の旦那はどうしてエーコといっしょにいるんだ?」
「だって、エーコはか弱いご令嬢だから一人じゃ危険でしょ?でも護衛を頼もうにも、お城の兵士じゃ頼りなさ過ぎるし、フライヤもフラットレイもブルメシアの国を離れられないし、タンタラスの人たちは巡業中だし、他の人たちはみんなアレクサンドリア城だから、エーコを護れるのはこの人だけだったの。というわけで、ここにいるのよ。わかった?」
サラマンダーがその重い口を開こうとするより早く、質問を引き取ってしまった少女は、文字通り立て板に水の弁舌で解説を加える。最後に一つだけ加えたかった言葉を、のみこんで。
ビビが、いてくれたらな。
どんなに時を経ても、この少女の心からは消えることのない想い。でもそれを口に出してもしょうがないから。だから、胸の中にそっと収めておくのだ。
彼女の中にそんな繊細な感情があることなど思いもよらず、ジタンは同情の眼差しをサラマンダーに向けた。
「この調子でやられて、引きずられてきたわけか、旦那は」
憮然とした面持ちで頷くサラマンダー。
「ちょっと、何よー!それじゃエーコが悪者みたいじゃない〜!!」
「そんなこと誰も言ってないだろ。…それに、せっかくだけど、ご厚意だけ頂いとくよ。俺は、一人で行く」
さらっと、彼は言った。
「何言ってんのよ!さっきだって一人じゃやられそうになってたくせに!」
「さっきは油断したんだ。まさかモンスターがトランスするとは思ってなかった」
「回復魔法がないと困るじゃない!ジタンは魔法が使えないんだから。薬だって、そんなに効き目ないんだし」
「何とかなる」
「エーコはダガーに頼まれたの!ジタンの許可なんてもらう必要ないわ!」
「見ただろう!」
なおも言募るエーコに、ジタンの語気が荒くなる。それは怒り、などではなくて。
「いいか、今この大陸に蔓延してる霧は今までのものとは違うんだ。霧から生まれる魔物も当然違う。俺はお前たちまで巻き込みたくない!」
「あら、大丈夫よ。そのときのためにこの人を連れてきたんだもの。ジタンは、エーコが助ける。エーコのことは、この人が助ける。この人が危ないときは、ジタンが助ける。これで完璧じゃない?」
「いや、そういうことじゃなくて、だな…」
「諦めろ」
徐に、それまで押し黙っていたサラマンダーが口を開いた。
「俺はこのガキは苦手だが、こいつの心意気は買うぜ。だからここにくっついてきたんだ。ジタン、お前――あの時から全然成長してねえんだな。笑っちまうぜ」
一人で闘うんだと。
強がって、ぼろぼろになりながら進んでいった。それを、ひとり、またひとり、助けてくれた。仲間たちが。
「人を助けるのに理由はいらない。お前の台詞じゃなかったか?悪いが、俺はお前に同行させてもらうぜ。…お前が何を心配してるのかしらないけどな」
口を開くまでは時間がかかるが、一旦喋りだすと結構饒舌である。
さすがに年嵩だけあって、ジタンが危険だけを心配しているのではないことに気がついているようだ。
「エーコも。大丈夫よ。何があってもエーコが護ってあげる。ダガーの代わりなんだから!」
もうジタンには彼らを止める手立てはなかった。苦笑いして、言うしかなかった。
「好きにしてくれ。責任もてないからな」
「ああ」「判ってるわよ、そんなこと!ずーっと前から!」
嬉しいような、不安なような、複雑な心境だった。
ジタンが心配しているのはモンスターのことだけではない。自分自身の箍がはずれてしまうことがあるのではないか。それが一番心配だったのだ。トランスしたときに、もし忘我の状態になって自分で自分がコントロールできなくなったら…味方でさえ、その刃にかけてしまうかもしれない。そうならないという確信が、彼には持てなかった。
意気揚揚と一足先に飛空艇に戻るエーコの後を、重い足取りでついていきながら、ジタンは傍らのサラマンダーにぼぞっと呟いた。
「…旦那、頼みがあるんだ」
「何だ」
「俺がもし訳わかんなくなって暴走したら、そんときは、俺をやっちまってくれ」
「…どういうことだ」
「言葉どおりだよ…。頼むぜ、だんな」
返事は返ってこなかった。
「あ、そうだ!」
背後のやりとりなど預かり知らぬ天真爛漫少女は突然立ち止まって振り返った。
「ジタン、ダリの村の人たちがトレノに避難してるの知ってる?」
「トレノに?」
「あちこちの村が魔物に襲われてて、自警団を作ったりして対処してるみたい。でも、ダリは若者が少なくて、そう言うの作れなくって、そこを襲われたもんだから、慌てて逃げ出したみたいなの」
「少なくともトレノは城壁に守られているからな。村よりは安全だ」
と、いきなりサラマンダーが口を挟んだ。
意外そうな顔をするジタンに、エーコがしたり顔で説明を始める。
「この人が避難させたんだって。笑っちゃうよね、ラニが武器屋を開いたら、用心棒だとか言ってヒモ同然で転がり込んどいてさ、こういう世の中になってきたら生き生きとして人助けに走り回ってるんだから。これってジタンの影響かもよ?」
嬉しそうにちらりとジタンに目を走らせてつけ加える。
「なんだよ。何でそこで俺がでるんだ。…でもさ、お前どうしてそこまでサラマンダーのことについて詳しいんだ?」
「ダガーが気にしてたから」
「え!?」と叫んだのは二人。ジタンはさっと顔面蒼白になり、サラマンダーは口をあんぐりと大きく開けたまま硬直している。
「なによ、その反応は!ダガーが一緒に旅した仲間のこと気にしてたから、エーコがわかる範囲は調べて教えてあげてたの!何勘違いしてるのよ、二人とも!」
「あ、ああ」
ほっと安堵の大きな溜め息をついて、胸を撫で下ろすジタン。サラマンダーはその横で、ちょっと頬を赤く染めて咳払いする。
「で、次はどこに行くの?どこを見て回るつもり?」
エーコの催促に、ジタンは即答した。
「トレノに行く。あの周辺の魔物を見たい」
「こことたいして変わりはないがな」
サラマンダーの言葉に、ああ、と肯定しながらも言い重ねる。
「でも自分の目で――いや、五体で確かめたいんだ」
アレクサンドリアにいたときよりも、ダリの村に来てからの方が。
少しずつ予感が確信に変わっていく。
この霧はテラの魂の残骸だと。
確たる証拠が得られれば、すぐさまジタンはイーファの樹に赴くつもりだった。
それに後一つ気がかりなこともあった。
クジャの行方である。
以前、彼はトレノのキング公と接触を持っていた。彼が昔のようになってしまったのなら、再びキング公の許を訪れる可能性もある。彼がどうなってしまったのか。ジタンはそれが知りたかった。
「そうと決まったらすぐ出発だ。この分だとトレノに到着するのは真夜中だぞ」
促すサラマンダー。
いつの間にか辺りは薄暮に包まれていた。
地平線に沈みかけた太陽の残滓が大空に散らばっていた。それはまるで血のような、滴るような不気味な緋だった。
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