いのちのきみよ。われ、きみを愛す。

=PROLOGUE=

婚礼は華やかに、と大臣は言った。
そうでございますとも、と女官長が言った。
困ってしまって、ガーネットは傍らの恋人を見上げた。
自分の顔をじっとみつめていたらしい彼の視線とぶつかって、仕方なく彼女は笑った。
恋人が、いかにも「やれやれ」って顔をしていたので。
彼は全財産をアレクサンドリアにくれたので、今は一文なしだった。
それなのに盛大な結婚式なんてなあ。
柄じゃないよな、と言って笑う。
彼はあまりこういう事柄に頓着しない。盛大だろうが質素だろうが、彼にとってはどうでもいいことだった。
彼にとって大事なのは、ただ、彼女の傍にいること、それだけなのだ。
そして自分は、とガーネットは思う。
自分も彼と同じ。でも。
でも、できるならちゃんと純白のドレスを身にまとって、アレクサンドリアの宝剣の前で、あなたに永遠の愛を誓いたい。誓わなくてもこの想いに変わりはないけれど…。でも、自分の中だけに刻み込むのではなく、時間と、そしてこのアレクサンドリアの地に、私の想いを刻み込みたい。
まあ、しょうがないな。
迷ってしまって俯いた彼女の心を見透かしたように、恋人は言った。
一生に一度のことだもんな。それに。
目の前に大臣と女官長がいるのに、彼は恋人を腕の中に引き寄せて、頬に優しいキスをおくる。
お前のウェディングドレス姿は、絶対見たい。
その力を込めた言い方に、その場に居合わせたものたちはみな吹きだしてしまった。
わたしも、ね。
ん?
二人きりになってから、ガーネットは甘えるように彼の胸に顔をうずめ、囁いた。
わたしも、あなたの礼装姿を見てみたいわ。
だって、本当に一生に一度しか見られないと思うもの。
そんなことはない、だってこれから先女王の配偶者として公式の場面にも出なきゃいけないんだし…と言おうとして、彼はちょっと考える。
堅苦しいのは嫌いだし、肩の凝る服も嫌いだし。
せっかく権力者の座に鎮座ましますんだから、よし、俺がきみの旦那になったら、一番初めに公式の会合での正装をやめにさせよう!
張り切って言う彼のほっぺたを、ガーネットは両手でつまんで引っ張る。
んい…?
かえるの鳴き声みたいな声を上げる恋人に、ガーネットはちょっと怒った顔をしてみせる。
すぐそうやってちゃかすんだから。
口を尖らせて言った後、堪えきれずに彼女は笑う。
ジタンったら。
彼の頬をつまんでいた筈の白い小さな手は、いつの間にか彼の大きな手の中に包まれていた。その手に口付けを降らせながら、ジタンは彼女の細い身体を抱き寄せて自分の膝の上に座らせる。柔らかな黒髪を手で梳き上げ、露になった首筋に唇を押し当てる。彼女の体がかすかに震え、そして全身の力が抜けてゆくのを彼は体全体で感じとる。

首筋に触れる彼の唇の感触が、ガーネットの意識に瞬く間に雲をかける。不思議な快感が全身を走り、力が抜けてゆく。自分の身体の線を辿るように優しく滑る彼の手が、さらに彼女を薔薇色に染め上げてゆく。

だがジタンはまだそれ以上のことを求めなかった。ドレスの下に隠された彼女の素肌に触れることすら求めなかった。
長い睫に縁取られた宝石のような麗しい黒き瞳が、潤んだように瞬きながら自分を見上げる。その視線を得られるだけで、今は十分だったのだ。
この世にこれほど愛しい感情を沸き立たせるものが存在しようとは、ジタンは夢にも思っていなかった。

最初この城の通路で白いフードの女の子に出会ったとき、何て綺麗な子なんだと思った。
万国旗のロープにぶら下がって塔を飛び降りた時は、何ておてんばなんだと思った。
誘拐を頼まれた時は世間知らずだと思った。
怖いもの知らずで、繊細で、そのくせどこか大胆で。
世間知らずの姫君は、しかし懸命に自分の生きる道を探している一人の王女だったのだ。
真摯に自分と向き合おうとするその姿に、いつしか彼の魂は吸い寄せられていた。
彼もまた、自分の存在の意味を問い続けていたから。
自分は何のためにここにあるのか。
だから何かをしないではいられなかった。誰のためでもいい。誰かのために、走り続けていなければ、倒れてしまいそうだった。
だけど。
うっすらと目を閉じて彼の胸に身体をあずける女性のまろやかな肩を掌で包み込み、ジタンは彼女の髪に顔を埋めた。
だけど、仲間たちに会って、それが変わった。
その場に在る、それだけで意味があるのだと、彼は知ったから。
何かをするから意味が生まれるんじゃない。
そこに自分がいること、それが意味なんだ。――と。
様々な困難を乗り越えてきた。そして、ジタンは途惑った。かけがえのない仲間たちに対する大切な想いとは、また違った想いの芽生えに。
それは彼が今まで味わってきた感情のどれとも違ったものだった。
綺麗な女ならたくさん知ってる。
自分の腕の中で嬌態を演じた女もいる。
朝とともに冷めてゆくひと時の感情ではあったけれど、抱いているときは彼女たちを愛しいと思っていたことも確かだ。
そんな女たちに対するのとは全然別の感情との邂逅だった。
敢えて例えるなら、まるで自分の半身に巡り会ったような、そんな感覚だったのだ。
そばにいるだけでいい。それだけで彼の心は満たされてゆく。
万人の中でたった一人用意された、自分の魂に響きあう相手。
その女に、巡り会えたのだ。

かのひとは美わしく歩む。雲かげひとつなき国の夜さながらに。
空にきららの星またたく夜さながらに。

闇きもの および輝くものの粋のごとく、つどい結ぼりて
かのひとの面ざしおよび眼ざしとはなりし。

さればこそ、「神」が華美絢爛の真昼間には与うることを拒み給ひし
やわらかに優しい光、ここにゆたかにとけ合うてこそ。

バイロン(斎藤 正二訳)