君が愛しき言(3)


シド大公に相談する。
そうだ、どうしてそのことに気がつかなかったのだろう。
ガーネットは自分の不明を不甲斐なく思い、同時にベアトリクスに感謝した。
飛空艇を使えば一日で行ける距離である。早速、ガーネットは手紙を認めることにした。
だが、せっかく認めたその手紙は、あっという間に無意味になった。
シド大公その人の方から、連絡が届いたのである。明後日、トレノにて非公式の会談を持ちたいと。
よりにもよってトレノで、というのが解せなかった。
アレクサンドリアとリンドブルムのちょうど中間地点ではある。交通の便も悪くない。が、今ガーネットが最も近寄りたくない場所だった。
無論、シドはそんなことは知らないはずだ。だから深い意味はなく場所を設定したのだろうが。
だが今まで、こちらも向こうも、居城以外のところで会談を持ったことはないのだ。極めて珍しい指定であることに違いはない。

気は進まなかったが、しかしシド大公本人に会えるチャンスを逃したくもなかった。ガーネットはその日のうちに外遊の手はずを講じ、支度を整えた。

「おじさま!」
トレノのキング家の館で、ガーネットはシド大公と再会した。傍にはエーコもいる。
「エーコ、久しぶりね」
「うん。半年振りくらいかな?大変らしいじゃない、ダガー。すっごい噂になってるわよ」
相変わらずこましゃくれた物言いである。だがその内容にシドは慌て、大きな咳払いをしてごまかす。
「つまらぬ事を言ってないで、お前は外で遊んできなさい。そうだ、トット先生のところへお邪魔するといい」
「はーい」
可愛らしい返事とは裏腹に、目は(エーコもここにいたいのに〜)という、恨みがましさを幾分浮かべている。
シドは苦笑して出てゆく愛娘の背中を見送った。
入れ違いに、場所を提供したキング家の当主が姿を見せる。
張り付いたような軽薄そのものの笑みを浮かべて、キング公爵は会釈した。
「ようこそお出でくださいました。リンドブルム、アレクサンドリア、二大国家の国王陛下が会談にこの地をお選びくださいましたこと、心より感謝申し上げます」
慇懃な形式的挨拶に、シドはにべもなく応えを返す。
「礼には及ばぬ、キング公よ。これは非公式の集い。そしてそなたにも関係することゆえ、この場所をお借りしたまで」
「?と、おっしゃいますと?」
シドは傍らの従者に目配せする。従者は一旦退出し、すぐにまた戻ってきた。手にはダイアモンドと金銀で象嵌された見事な小箱を捧げている。
「ほほう、これはまた見事な…装飾も見事ですが、この宝石が素晴らしいですな。これほどのもの、見たこともございません」
目の前の卓に置かれた小箱にキング公の目が吸いつけられている。
彼が宝石の類に目がないことを、シドはよく知っていた。
「ワシの古くからの知己が、忘れ去られた大陸に居を構えたのじゃ。ザクセン法をご存知じゃな。かの地はそやつとリンドブルムの支配下に置かれたことを、まずアレクサンドリア国王陛下にご承認いただきたく、ここに参上した。そしてキング公、この小箱はそなたへの土産だ。そやつからのな」
「何ゆえ私にでございますか?」
「対抗馬だからじゃよ」
「はい?」
シドはゆっくりと視線をガーネットに移す。
「アレクサンドリア女王、ガーネット陛下に求婚したいと、そやつがわしに申し出てきたのじゃ」
ガーネットは一瞬、何のことだか理解できなかった。
キング公の息子のことだけでも手一杯なのに、更に求婚?何を考えているの?シドのおじ様は。とりとめもない考えが頭を巡り、いつしかそれが怒りを含んでくる。
「おじさま…それはどういうことですの」
ガーネットらしからぬきつい口調で詰問する。
シドは真面目な顔つきで髭を撫でた。
「言葉どおりの意味じゃ。ゆえに――」
今度はキング公の方へ向き直り、言った。
「この地を選ばせて頂いたわけじゃ。お分かりいただけたかな?」
「はあ、しかし…」
「そなたのご子息のことも存じておる。じゃが、旧知の間柄にある者のたっての願いなものでな。無粋とは承知の上じゃが、許されよ」
キング公は目を白黒させている。どういう対応をするのが一番得になるのか、必死に胸の内で算段しているのだ。そして彼の算盤は、リンドブルム大公におもねることを選んだらしい。
「承知いたしました。それでは、その旨わが息子に伝えてまいりましょう。どうぞ御ゆるりと御滞在くださいますよう…」
邪魔者がいなくなるやいなや、ガーネットは喰ってかかった。
「どういうことですの、なぜ私がそんな方の求婚を受けるとお思いですの!?」
「ほう、ではガーネット姫はここのご子息とのご結婚を決意なさっておいでたのか。これは失礼いたしもうした。では、この話はなかったことに…」
「ま、待ってください!」
立ち去ろうとするシドの背中を掴んで、思わず引き止める。
「そんなこと、言ってませんわ。私、誰とも結婚などするつもりはありませんの」
ガーネットの言葉に、シドは頭を軽く振った。
眉間に皺を寄せ、重々しく切り出す。
「本当にそれが通ると思っておるのか、ガーネット」
「おじさま…」
「今のアレクサンドリアの実情では、キング公の申し出を断ることは出来なかったはず。わしがなぜここまで出向いたか、お前には分からぬのか」
「それは…」
もしガーネット自らがリンドブルムを訪れ、そして大公の後ろ盾を得てキング公の縁談を断るようなことになれば、王家とトレノの溝は深まるばかり。おそらく確執は泥沼化していくに違いない。
それはアレクサンドリアにとっていい手とは言えなかった。そしてまた、リンドブルムまで巻き込んだ戦乱の火種ともなりかねなかった。
アレクサンドリアへシドを招いても同じ事である。キング公のいないところでの決定は、彼に対する挑発と取られても仕方なかった。またそういう捻じ曲がったとり方をして、王家に対する叛旗を翻す口実にするだろうことは、火を見るよりも明らかであった。
だからこそ、シドは危険を承知で虎口に飛び込むような真似をしてくれたのだ。
キング公の目前で、彼自身の承認の上で縁談を断る。それしかこの状況を打破する方法はないのだ。しかし…
「でも、そのために私は見たこともないその方と結婚せねばならないのですか」
「アルカン――ヴァランタン・アルカンという名だ。年齢は分からぬ。二年前、わしの元に来て、わしの従者をしながら飛空艇を手に入れ、忘れ去られた大陸に渡った。南部の小島を中心とした地域を所有し、そこから発掘される原石・鉱石を各地で加工させ、こちらの大陸で売り捌いておる。わずか二年で、巨万の富を築き上げた。怜悧な…頭の切れる男じゃ。男らしく、何事にも動じぬ。度量も広い。人柄は保障するぞ」
「そんな…言葉なんて…」
ベアトリクスの言った通り、ガーネットにとってはジタンでなければ誰であろうと同じだった。
この場から逃げ出してしまいたいと思った。街の背後の山を越えれば、リンドブルム領だ。リンドブルムにはタンタラス団の芝居小屋がある。そこで待っていれば、ジタンも顔を出すのではないだろうか。
ジタンに会いたい。
痛切にガーネットは思う。
彼の帰りを待ち望んでいた時よりも、彼が生きていると分かって、そして「迎えに来る」と言ってくれてからの方が、ずっとずっと彼に会いたい気持ちが強くなった。
それを一生懸命がまんすることができたのは、別れ際の彼の優しいキスと、その誓いのおかげだった。
なのに、その誓いが果たされる前に、自分は彼を裏切ることになってしまうのだ…。
「アルカンはこうも申し出た。結婚が成立した暁には、ヴァランタン・アルカンの私財は一切アレクサンドリア国庫へ寄与するつもりだ、とな。それとて急場鎬にしかならぬではあろうがの」
莫大な借金が返済できれば、あとはどうにでもなる。その一時的な収入は、国を救う命綱に等しかった。
選択の余地はなかった。
お金のために、自分は身売りをするのだ。
ガーネットは唇をかんだ。
「わかりました。お受けいたします。けれど、シド大公、その方にこれだけはお伝えください。私はその方のお金と結婚するのです。私の心は、ただ一人の人のもの。他の誰にも渡しません、と」
不思議なことに、シドは微笑んだ。
「よかろう。そのまま申し伝えよう。あやつも喜ぶじゃろう。頑固な、なかなか手折れぬ花を手折るのが好きな奴じゃ」
「私は決して手折られたりしません!」
ぷいっと、ガーネットは顔を背ける。
シドが声を立てて笑うのが分かって、ガーネットは怒りで顔が赤くなった。
「おじさま!私の不幸をからかってらっしゃるのね!ひどいわ!」
「いや、ガーネット、すまんすまん。だがな、ガーネット姫よ…人の心は、移ろいやすいものだぞ」
「いいえ。私の心は、変わりません」
黒い瞳に誠実な光を浮かべて、ガーネットはきっぱりと言った。
「そなたはな。じゃが、そなたの待つジタンの方はどうかの」
シドはガーネットが困惑するだろうと思っていた。或いは不安に駆られた表情を見せるか。少なくとも、一瞬の逡巡は見せるのではないかと期待していた。
だが、予想に反して、彼女は微笑みすら浮かべて応えたのである。
「ジタンも、かわらないわ」
理由も何もなく信じられる。それは、ガーネット自身でもわけのわからない確信だった。説明なんて出来ない。でも、きっと、そうなのだ。ジタンは、彼女にとってそんな存在なのだ。
シドはがっかりした溜め息をつき、弱ったように頭を振ったのだった。