キング公の長子は、薄青い顔色の不健康そうな青年だった。肩で切りそろえた栗色の髪が、まるでとうもろこしの毛のように見えた。
(とうもろこしに目と鼻と口をくっつけたみたい)
隣のガーネットにこそこそと耳打ちするエーコ。
(エーコ、失礼よ)とたしなめるガーネットも、言いえて妙だと思わず感心しそうになる。
しかし何より嫌だったのは、そのねっとりとまとわりつくような、退廃的な瞳だった。
キング公その人の目つきも好きではなかったが、まだ野心と言う前向きな気概に満ちている分ましだった。
父親から説得を受け、不承不承申し込みを破棄することを承知したらしい彼は、ひたすら未練がましくガーネットに纏わりついた。
「ガーネット姫、せっかくお見えになられたのですから、トレノの観光でもなさいませんか?私に是非案内させていただければ…」
「それは重畳。では、お頼み申しましょうか」
と、横からシドが割ってはいる。
「いや、あの、大公閣下、私は…あ、き、急に頭が痛くなってきました。あれ?どうしたんだろうなあ」
青い顔を更に青くして、長子はあとずさる。
「エーコ、いい薬をもってるわよ、とうもろこしさん」
くすくす笑いながら、エーコが彼の顔を見上げる。
「とうもろこし?」
それが自分を指しているのだとは気づかない彼は、しかし目の前の大公の娘の愛らしさには気をとられたようだ。
「これ、エーコ。薬は合う合わないがあるものじゃ。くすし以外が人に処方してはならぬ」
シドがたしなめるのを聞いて、長子はすこぶる残念そうに肩を落とした。
後年これがきっかけとなって、今度はエーコがこの長子の熱愛を受けてしまうのだが、それはまだ誰もあずかり知らぬことであった。
ともあれ、なんとかキング公の思惑をかわして、ガーネットもシド大公も帰国の途につくことが出来た。
トレノの外に出て、ガーネットは初めて気づいた。
シド大公は、この非公式の訪問に、南ゲートに配置している飛空艇団の小隊数隻を率いてきていたのだ。山並みから現れた威容に、ガーネットは呆気に取られた。
この脅しもあって、キング公は矛を早々に収めたのだ。
今更ながらシドのもつ強大な権力を思い知らされる。そして、その最高位に座するものがシド大公でよかった、とも思う。彼は、その使い方を間違える人間ではないから。
「ただし、私の気持ちなんかわかってくれてないけど」
ガーネットは飛空艇の上で、一人で膨れていた。
ヴァランタン・アルカン…聞いた事もない名前。
恐らくは新興の、金にあかして貴族の地位をシドから買い取った、中年男に違いない。きっと脂ギトギトの顔をしてるんだ。キング大公みたいに。
あらぬ想像を、しかも悪い方に悪い方に進めていくものだから、だんだん気がめいってくる。
――ジタンのバカ。なんでもっと早く来てくれかったのよ。ううん、今でも間に合うのに。私を連れ去ってよ。あの時みたいに、私を攫っていって…ジタン。
胸の中で幾度呼びかけようとも応えてくれぬ幻。
ふっきるように、ガーネットは息を大きく吸った。
「このやろーっ!!!!」
飛空艇の甲板から響く大声に、乗組員一同度肝を抜かれたのは言うまでもない。ただ一人、その女王の姿を後ろからひっそりと見守るベアトリクスだけは、切ない主の心を思って、哀しげに瞬いていた。
「姫様、ごらんくださいまし、この見事な総レースのドレス…!こんな見事なお品は、そうそうございませんよ」
女王付きの女官たちは、興奮冷めやらぬ様子で、山ほど積み上げられた贈り物を検分している。
全て、あのヴァランタンとかいう正体不明の男から贈られてきた物だ。
最初はガーネットと一緒になって、「お金さえかければいいと思ってるのでしょうよ、きっとけばけばしい品の悪いものばかりよ」などと口を極めて悪く言っていた女官たちは、出てくる品物に感嘆の声を挙げずにはおれなかった。
質の良いものばかりだから、なるほどかなりの高額にはなるだろうが、それよりも目を引くのは、選ばれた品々の品の良さと、そして、何もかもがガーネットに素晴らしくよく似合う、ということだった。
もちろんガーネットは美しい。だから何を身につけても美しいが、その彼女の美貌をこの上なく清楚に惹き立てるものばかりなのだ。
豪奢に飾り立てるものは何一つなかった。
これにはガーネットも驚いてしまった。
「この方は、どこかでガーネット様を見初められたのでしょうか。私思いますに、これはガーネット様の本当の美しさを知ってらっしゃる方ですわ――外見だけでなく」
女官長の言葉に、居合わせたもの達はみな頷く。
ガーネット自身も、そんな気がしていた。
物質に執着心を持つ方ではない。どんな宝石も高価なドレスも、彼女にとってはあまり意味をなさなかった。
そんな彼女ですら、この品々の美しさには心を奪われるものがあった。
よほど趣味のいい、鑑識眼の確かな人物であることには間違いなかった。
それが毎日のように送り届けられるのだ。
ガーネットの周囲のものは一様にその「ヴァランタン」に好意的になってゆき、そして彼の登場を心待ちにし始めた。
もとより大臣たち国務卿は諸手を上げて大賛成なのである。
リンドブルム公のお墨付き、しかも国庫に莫大な資産を惜しげもなく寄付してくれるお大尽。
こんな夢のような話はない。
その代償が女王の真心の踏籍であることを、誰もが失念していた。
次第に高まってゆくアレクサンドリアのお祭り気分と反比例して、ガーネットの心は沈んでゆくのだった。
そんなとき、リンドブルムから知らせがもたらされた。
噂の渦中の人物、ヴァランタン・アルカンが、アレクサンドリアにやってくるというのだ。
婚儀の打ち合わせのために。 |