蒼穹をわたる風

小さな船は、尾翼をパタパタ言わせながら、何とか海を渡り終えた。
飛空艇さえあれば、アレクサンドリアからは黒魔導士の村の方がリンドブルムよりよほど近い。
数刻で谷を埋め尽くす森に辿り着いたジタンとガーネットは、そこから徒歩で村に向かった。
ちょうど白い太陽が中天にさしかかっていた。
うっそうと茂る濃い緑の下では、今もたまに霧の名残りの魔獣が現れる。が、数々の経験を積んだおかげで、彼らは二人だけでも安心して広野を渡ることができた。だいいち、大抵の戦闘は、素早いジタンの一撃で終わるのだ。
ましてや真昼間の道行である。
事もなく彼らは目的地に到着し、懐かしい人々の歓迎を受けたのだった。
いや、事もなく、とは言えないかもしれない。
彼らが村に足を踏み入れるや、ダダダっと砂埃を巻き上げながら足音たかく走り寄って来た人物のことを考えるなら。
「ボクの小鳥ちゃん!会いたかったよ〜!!」
彼は両手を広げてガーネットに近寄るなり、彼女を抱き上げてくるくると回った。
背景に薔薇と光と点描を書き込みたくなる。
外見だけは、そんな耽美な雰囲気の似合う男、クジャの登場である。
「…あんまりべたべた触るなよ」
ジタンが睨んでも蛙の面になんとやらで、彼は涼しい顔でガーネットを抱き締めた。
「久しぶりの再会を喜んで何が悪い?それにボクは縁結びの立役者なんだよ?」
などとうそぶきながら、一向にガーネットから手を離そうとしない。
「こんなに柔らかくて抱き心地のいい女の子を独り占めしてる男の顔が見てみたいよ、まったく」
あてつけにしては赤裸々に過ぎる発言に、ガーネットは首まで赤くする。
それから彼女は決まりの悪そうな表情になって、遠慮がちに身じろぎをした。
「ああ、ごめんよ、小鳥ちゃん。つい喜びが抑えきれなくて。ほんとなら再会のキスくらいしたいところなんだけど」
と言い終わるや否や背後から飛んできた拳を、ひらりと頭を下げてかわす。
「ちっ」
クジャの背後で苦々しく舌打ちをするのは、当然ミコトである。
「お前ら…全然進歩がねえのな」
ジタンの嘆きに、
「失敬な!」「失礼な!」
声を合わせて反応するクジャとミコト。
これもまた見慣れた風景だ。
気が合うのか合わないのか。つまるところこの二人は、「喧嘩するほど仲がいい」兄妹なのだろう。
「ところで」
ミコトがいち早く現実に立ち返り、来訪者に向き直った。
「こんな時期外れにいきなりここへ来るなんて、どうしたの?」
二人がこの村を訪れる日は決まっていた。
彼らの親友が、空に還って行った日。
彼の面影を色褪せさせないために。そして、彼が全存在をかけて教えてくれたことを反芻するために、年に一回、日を決めて彼らはこの地を訪れることにしていたのだ。それはともに旅した仲間たちの集う日でもあった。
だからこの予定外の訪問に、ミコトは少々面食らっていたのだ。
「うん…まあ、何て言うか、報告、みたいな」
柄にもなく照れまくるジタンを、奇異なものでも見るような目つきでクジャとミコトが眺める。
「つまり」クジャが口を開きかける。
「ああ…世話になったお礼というか、何と言うか…」
先回りされてはかなわない。自分の口から彼らにここに来た目的を告げるべく、ジタンは必死に言葉をしぼり出した。…照れくささと闘いながら。
「やっと、正式に、その…結婚するんで」
ミコトが大きく目を見開く。
クジャは一瞬口元をほころばせ、それからすぐにガーネットの手を取った。
「それでここに来たんだね。分かってるよ、ガーネット姫。ボクと一夜のアバンチュールを楽しみ…」
彼が最後まで語れなかったのは言うまでもない。
「ビビには、伝えたの?」
ミコトが静かに目を上げた。
「ミコト?」
その澄んだ双眸がわずかに濡れているのに気づいて、ジタンは彼女の顔を覗き込む。
「どうしたんだ?」
ジタンの優しい問いかけに、ミコトはちょっとはにかんで顔を逸らした。
「嬉しいの」
「ミコト…」
ガーネットも彼女に歩み寄る。
「こんな方法もあったのよね。なぜテラの民は、自分たちの純粋性を守ることに汲々としていたのかしら。テラとガイアの魂は一つの流れになろうとしていたのだもの、放って置きさえすれば、こうしてともに生きていけたんだわ。共存することを拒むことはなかったのに」
「ガイアの魂は若かった。だからテラの魂を飲み込んでしまう可能性が高かった。テラの民は畏れていたんだ。ガイアを」
足元に転がったクジャがその体勢のままで言葉を挟む。
それから上半身だけ起こすと、赤くはれた頬をさすった。
「君たちにもし子供が生まれたら…状況は変わるよ。テラの民の心配は杞憂に終る。ミコトの言うように、本当の意味での共存が始まると思う」
「二つの世界をつなぐ、掛け橋になる命だもの」
クジャの言葉をミコトが継いだ。
ガーネットは傍らに立つジタンの大きな手の中に、自分の手を滑り込ませた。
ジタンの手が、しっかりとそのたおやかな白い手を握り締める。
その温もりに力を得たように、ガーネットが呟いた。
「テラとか、ガイアとか関係なく、命って、そう言うものだと思うわ」
ぽつりと。
「だって、どんな夫婦だってまるっきり別の人間なんですもの。例え同じ種族だったとしても」
その二つの存在が、見事に調和する不思議。
遡れば殆ど総ての生命がその中に収斂するのだ。
これほどの神秘はないではないか。
どんな科学も文明も、その不可思議の中の断片に過ぎない。
「で、ご出産のご予定は?」
その場の雰囲気をぶち壊しにする一言を吐いて、またもやクジャは逃げ惑う羽目になった。
追っ駆けっこを楽しんでいるとしか思えない二人を放って、ジタンとガーネットはあの小さな塚に向かった。