リンドブルム狂詩曲■第2幕■(3)
タンタラス団の次回公演は1月15日。アレクサンドリアでの御前公演である。
それを聞いて、ジタンは早くも及び腰になっていた。
「俺はここで留守を守ってるよ。城に行く準備もあるし」
何とか理由をこじつけようとするが、
「何の準備があるて言うのん」
瞬く間にルビィに一蹴される。
これがブランクやマーカス相手なら「うるせえ」の一言で済ませられるのだが、ルビィだとそうもいかない。
女の子だから。
「身一つで済むじゃねえか。このご時世で人手が足りねえんだ。お前も手伝えよ」
「そうっすよ。一宿一飯の恩義ってやつっす」
ブランクに続いてマーカスまで調子に乗っている。
むっとしてジタンが厭味の一つでも返そうとした矢先、バクーが部屋に入ってきた。
「ちょうどいい、ジタン、お前、プリマベスタの機関部に行って、シナの手伝いをしろ。あいつ一人じゃてんてこ舞いだ。改修したついでにエンジンを最新型に変えたんでな」
鶴の一声である。バクーに言われれば仕方ない。それに、確かに最新型のエンジンをシナとともに扱えるのは魅力的だった。
「わかったよ」
しぶしぶジタンは立ち上がった。
その背後で仲間たちがなにやら意味ありげな視線を交わしていることに、ジタンは気づかない。
バクーも実は、一枚かんでいたのだが…それもむろん、ジタンの知るところではなかった。
足の速い日が彼方の地平線に沈もうとしている。その日の仕事を終え、タンタラスの一団(といっても計画に加担している者だけだが)は、「ルビィの部屋」に集まって密談を始めた。
アジトの下の部屋は、ルビィの専用室兼応接室になっているのだ。
何しろタンタラスの紅一点である。さすがに野郎どもと一緒に寝泊りはさせられない。大雑把なバクーだが、そういうところはなかなか神経細やかなのだ。
密談の中身は言うまでもなく、『ジタン×ガーネット感動の再会大作戦』実施計画、である。
「やっぱ、やらせるとしたら主役だな」
「だけど、ジタンは絶対ひき受けないずら」
「正攻法でいけばな。主役が急病で代役が必要になれば、主役をはれるのはジタンしかいなくなる」
「そういえば、ジタンってほかの役の台詞まで覚えてしまうて言うてたしな」
「ああ、実際それで急場をしのいだことが何度もあるし」
「それならジタンも警戒はしないずら」
置いてけぼり状態のマーカスが、飛び交う言葉の後を追って、顔を動かす。合間に何か言いたそうにするのだが、口をさしはさむ隙がない。
「問題は、あいつは絶対姫に気づかれないように演じるだろうってことだ。たとえば、マントを深くかぶったままでやり過ごすとか」
「それはありそうやな」
「でもそうなると意味がないずら。姫君に気がついてもらうために計画してるずら?」
「あの〜」
「なんやの、マーカス。言いたいことがあるならさっさと言えばええやん」
「ルビィの姉さんは、本当にこれでいいんっすか?」
一瞬、しんとなる室内。
マーカスは自分が地雷を踏んでしまったことに気づいて、さっと青ざめる。
彼としては、ルビィがジタンに想いを寄せていることを斟酌しての、気遣いの言葉のつもりだったのだが…室内の凍りつき具合を見ると、どうやらかなりまずいことを口走ってしまったらしい。
「何言うてんの、このどアホ。そんないらんこと心配せんでもええわ」
その場の空気を払拭するようにルビィは明るく言うと、手に持った台本でマーカスの頭を一発ぺしっと叩いた。
「このルビィさんが中途半端で諦めると思うてるの?敵に塩を贈るくらいの度量があってなんぼのもんやんか」
「そうなんっすか…?」
頭をさすりながら心配そうにルビーを見上げるマーカスに、ルビーはニッと笑って見せた。
「そうや。あたりまえやないの。うちを誰と思ってるんや」
「そうずら、マーカスは心配性すぎるずら〜」
もともとあんまり深くは考えない性質のシナが合いの手を入れる。
「ああ、もうええわ、今夜はこのくらいにしとこ。解散や、解散。もうすぐジタンも帰ってくるやろし」
「…そうだな」
さっきから急に押し黙ったブランクは、低い声でルビーの提案に同意を示し、そのまま部屋を出て行った。
「ブランクの兄貴、怒ってるんっすかね…?」
ブランクを傷つけることが一番怖いマーカスは、どきどきしながらシナに尋ねる。
「ブランクはいつもあんな感じずら。マーカスは心配性すぎるずら〜」
「…そうっすよね」内心シナに聞いたのが大間違いだったと思いつつ、マーカスは引きつった笑いを浮かべた。
「どうでもいいけど、あんたらも出てってくれへん?それともうちと一緒に寝たいって?」
底冷えのするドスの利いた声が二人の背中に浴びせられる。
ぶんぶんと首を横に振って、彼らは慌てて立ち去った。
二つの足音が遠退いていったのを確認して、ルビーはベッドに腰をおろした。
実を言えば、さっきのマーカスの言葉はかなり堪えていたのだ。確かにジタンを想う気持ちは強い。でも、だからこそガーネット姫の気持ちもわかるのである。
性分とはいえ損な役回りだ。
苦笑いするしかなくて、ルビィはそのままベッドに突っ伏した。
と、そのとき、ドアの開く音がした。
がばっと起き上がり、ドアの方を覗いて見る。
いつの間にか部屋に入ってきて、ベッドから一番遠い壁に寄りかかっている人影があった。
部屋の中はまだ明かりをつけていないせいで薄暗かったが、誰何しなくともそれが誰だかルビィにはすぐわかった。
「なんや、ブランクか」
「悪かったな、俺で」ブランクは壁から身を起こす。
「…喧嘩しにわざわざ戻ってきたん?」
ブランクが相手だと、どうしてもこんな突っかかるような言い方になってしまう。
「誰がお前なんかと喧嘩するかよ。…ただ…その…な」
「なんやのん、いらつくわー。はっきり喋れへんの?」
いつになく歯切れの悪いブランクの喋りに、ルビィはまたもや突っかかる。
「だから!…なんだ、…つまり…お前が…その…マーカスに先を越されちまって…だな…」
「ブランク…言ってることが、うちにはちーっとも判らへんねんけど」
ひょっとしたら汗を拭ってるのかもしれない。そんな気配を漂わせながら、少し間を置いて、ブランクは言った。
「お前が…辛いんじゃねえかって、思ってさ。…無理してねえか?」
部屋の中は随分暗くなっていた。半地下になっているこの部屋には明かり採りの窓が一つあるだけだ。そこから漏れる月の光が、薄蒼く二人の影を浮かび上がらせていた。
「ふん…気味悪いわ、ブランクがそんな優しいこと言うなんて」
ルビィが俯いたまま小さく呟く。
素っ気無い言い方だが、そこに今までのような揶揄はない。
「たまには俺だって――素直になるんだよ」
ブランクもまたぶっきらぼうに言い放つと、ルビィの傍に歩み寄った。
「たまにはお前も素直になれよ。強がんなよ…」
「素直になったら、泣かなあかんやろ。そんなみっともないことようせんわ」
暗がりでその表情はよく見えない。だがブランクの耳に届く彼女の声は、半分笑っているようで、半分泣いているように聞こえた。そう思っても、彼女に語れる言葉をブランクは持ち合わせなかったのだが…。
「わかってんのや」
ふうっと、深い溜め息をつくと、ルビィは顔を上げて窓の向こうに覗く星月夜を眺めた。
「ジタンはあのお姫さんに一度でも会ったら、もうここには戻ってきいへん。もとからうちの入り込む隙間なんてなかったけど、それが決定的になってしまう。ようわかってんのや。せやけど、お姫さんの気持ちも痛いほど判るねん。それから、ジタンを幸せにできるのが誰かってこともな。残念なことに、それはうちやない…。神様は不公平やなあ。うちの方がずーっと前から、ジタンを知ってるのに」
「で、それでいいのか、ルビィは」
「よくないって言うたかて、どないもならへんやろ」
ルビィは涙を見せなかった。ブランクに明るく笑ってみせる。それが、ルビィなのだ。
「それにな、今回初めて思ったねんけどな」
何かに思い当たったように、ルビィは忍び笑いを洩らしながら、ブランクの方へ頭をずらした。
「もしブランクがうちのこと好きやって言ってきたら、うちはちょっと迷うと思う。そう思ったとき、けっこう吹っ切れたんや。きっとな、あのお姫さんなら、迷わへん。どんな相手が出てきて、誰がお姫さんを想っても、あの人はジタンを想いつづけるやろうなって、なんか、そんな気がするんや。変やろ?そんなよく知ってるわけでもないのにな」
「ああ。でも、分かる気がするな」
ブランクは肯定した。彼自身も、そこまでガーネットのことを知っているわけではない。だが、つかの間共に行動したお姫様は、純粋で一途だった。そしてジタンとお姫様は、お互いの絆をお互いに信じているように見えた。他の誰も入り込めない、強い強い絆を感じた。だから、ブランクは今回のこの作戦にも荷担したのである。ジタンのため、というよりは、あの繋がりを大切にしたいから、かもしれなかった。
「確かにあのお姫さんは迷わねえだろうな。…!」
と口にして、ブランクは思い当たる。ついさっき、ルビィが言った言葉…。
「え…?お前、さっき…何か言ったよな?」
「ん?そうやったかなあ」
「とぼけんなよ」
「あんたがよく聞いてないからいけないんや」
ブランクにあっかんべーをくれて、ルビィは声を立てて笑った。
「何だよ!わかった!もう金輪際お前に優しくなんかしてやらねー!」
「どうぞ御勝手に。今までだって優しかったことなんかあらへんくせに」
「今日は優しかったじゃねーかよ」
「今日だけね、今日だけ。きっと明日は雪が降るわ」
「は、残念でした!リンドブルムに雪は降らねーんだよ!」
「そっちこそ残念やな。明日はうちらはアレクサンドリアにいんねん」
べー、と舌を出してブランクを挑発するルビィ。返す言葉がないブランク。でも、なぜかどちらともなく笑い始めて、しまいには二人とも腹を抱えて笑っていた。何がそんなに楽しいのか、二人とも全然判らなかったのだけれど。
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