春にそめし恋歌(4)


フラットレイはこの時15歳。後々シドとも浅からぬ関わりをもつことになるフライヤは、12歳になったばかりだった。
二人とも年齢より少し大人びて見えるのは、ネズミ族特有の外見ゆえかもしれない。
フラットレイの館に呼ばれたシドは、そこで今回の顛末を耳にすることができた。
彼らを囲んでいた悪人軍団は、例の「タンタラス団」の名を騙った奴らだったのだ。そうではないかと薄々考えてはいたものの、実際にそれが明らかになると、シドはこの地に来て早々の自分の僥倖を感謝せずにはいられなかった。労せずして標的を見つけることができたのだから。
フライヤの淹れてくれたブルメシア特産のハーブティーを啜りながら、シドはフラットレイの語るブルメシアの状況に耳を傾けていた。
「彼らタンタラス団は、このブルメシアの城下町で傍若無人に振舞っています。誰も手をつけられないのです。警邏の者も及び腰です。先日、彼らの仲間を取り締まった警邏隊の隊士が川で水死体となって見つかりました。タンタラス団が手を下した証拠は何もありません。だが、因果関係は誰の目にも明らかだ。警邏隊を統轄する長官は現在原因不明の病に臥しています。そしてブルメシア軍総司令官は、完全にリンドブルムの息がかかっていて、傀儡と化している。ブルメシアはいまや骨抜き状態なのです」
「リンドブルムの息――というと?」
「現大公シド9世のことです。彼がこの状態の黒幕だと巷では専らの噂ですよ」
シドはもう少しでお茶を噴き出すところだった。
「何の根拠があって…」
「さあ。僕はそう思っていないから分からないな」
あっけらかんとして、少年は笑った。
「それで君は、なぜあんな盛り場にいたんだ?」
「兄の密命を受けたんです」
「兄?」
「フラットレイ様のお兄様は近衛隊の長官でいらっしゃるのです」
部屋に入ってきたフライヤが、後を引き継いで説明する。少年が身内のことについては語りたがらないのを慮ってのことだろう。テーブルにお湯を載せた盆を置く少女を、フラットレイは感謝の意を浮べた目で見上げる。
「近衛隊は王宮の警護を担当しています。ですから、城下の治安の悪化には頭を痛めているのですが、管轄が違うため手が出せません。そのうえ、長官の懇意になさっている警邏隊の長官までもが何者かによって命危うい目に遭わせられて…。切羽詰って長官は弟君であるフラットレイ様に、タンタラスの本拠地を探し出し、殲滅せよとの密命を下されたのです」
シドは呆気に取られる。
その兄は何を考えているのだ?目の前にいるのは、いくら腕が立つとはいえ、まだわずか15歳の少年に過ぎないのだ。そんな子供に凶悪な無法者のアジトを潰せとは、いくらなんでも無茶苦茶な命令ではないか?
シドの当惑はしっかり顔に書いてあったのだろう、フライヤはちょっと微笑んでシドから目を外した。
「ご心配には及びません。フラットレイ様はブルメシア一の剣士ですから。だから、兄上様もフラットレイ様にお願いされたのだと思います」
それから彼女はふと遠い目になって、呟いた。
「それを、私が考えもなく邪魔してしまいました…」
どういう意味か分からずシドはフラットレイのほうに視線を移す。
フラットレイは端からシドのほうなど見ていなかった。困ったような顔つきで、席を立ってフライヤの肩を叩く。
「君のせいで絡まれたわけではないよ」
「初々しい会話は誠に結構だが…」こほん、と、咳払いを一つして、シドは立ち上がった。
「いずれにしても君達はあのタンタラス団と敵対してしまった。俺も一蓮托生と言えない事もないが、しかし君達よりはあの無法者たちに近づきやすい。そこでだ、一つ、案があるのだが…」
フライヤの肩に手を置いたまま、フラットレイは目をまるくして客人の方を見やった。
「もしかして、彼奴らの仲間に成りすまして隠れ家を探そうとしていらっしゃるのですか?」
先読みされてシドは苦笑いを浮べる。またもや見せ場を奪われてしまった感じだ。
「そうだ。俺が潜入する。だが、いざという時のために、君達――そうだな、できれば君の兄上とその配下の手助けが欲しい。繋ぎ役を買ってくれるか?」
フラットレイはシドの目前に姿勢を正して佇立した。
感極まったような顔で、少年は自分より少し背の高い人間を見上げる。
「ありがとうございます。助かります。実は、僕もそれをあなたにお願いしようと思っていたのです。応援の件は任せてください」
「連絡役にこのお嬢さんを借りていっていいかい?」
「フライヤを?…それはお断りします。この子を危険な目には遭わせられない。僕はこの子のお父上からこの子のことをくれぐれも頼まれていますから」
フラットレイはフライヤの腕をつかんで引き寄せた。
しかし、フライヤはフラットレイの手を振り解くと、シドのほうへ駆け寄ってきた。
「私は、あなたとともに行きます」
「フライヤ!何を…」
驚くフラットレイ。その彼の方を振り返り、フライヤは決意の漲る声で告げた。
「お役に立ちたいのです!私はフラットレイ様の足を引っ張ってばかり。いつまでもそんな私ではいたくないのです。大丈夫、この方も剣の腕は確かでいらっしゃいます。私の身の心配はいりません」
「しかし…」
「変装させてゆく」
二人のやりとりを、シドが遮る。
「この子とて顔はあいつらに見られているが、少年の形をさせれば、人間にはネズミ族の区別はつかぬ。――失礼な言い方であれば、謝るが、君達から見れば人間の区別は余りつかぬのと同じことだ。この子は十分に役に立つ。先ほどの争いの最中でも、常に冷静だった。男の手が緩んだと見るや、すぐに君に槍を投げ渡すなど、ふつうの少女にはできないぞ。俺が責任を持ってこの子を君のところへ返す。返した時が、奴らのアジトを発見した時だ。――ということで、だな。腹が減ったんだが…何か所望してもよいか?」
言いたいだけ言ってしまうと、シドは話を逸らした。
上手い遣り口だとフラットレイは感心する。自分が今目の前にしている男は、こうやって煙に巻きながら人心をとても上手くコントロールできる人物なのだ。それこそ、一介の旅人などではないだろう。いずれ名のある人物なのだろうと、彼は思った。だから、シドに託す気になったのだった。
「わかりました。すぐに、用意させましょう。あなたの必要なものを何でもご所望ください」
打てば響くような少年の賢さに、シドのほうも感嘆を禁じえない。
自分が話を逸らしたのをこの子は見破っていて、しかもこれから先の潜入にはいろいろと物要りであることも読んでいる。この年でたいしたものだ。――と。
作戦開始は、翌日の朝。
それから3人は夜っぴて計画を練ったのだった。