春にそめし恋歌(6)

ブルメシアの街を更に北に上った山中に、タンタラス団の隠れ家はあった。
想像していたよりもずっと簡素な掘っ立て小屋で、いかにも急ごしらえのアジトだった。
どうやらここは、影の黒幕の総本山ではないらしい。
だが、そこにたむろする眼付き悪い有象無象から察するに、ブルメシアの騒ぎの元であることは確かなようだった。
ここを潰せば、とりあえずの収拾はつくだろう。
まだ寝た振りを続けるフライヤを肩から下ろして、シドは案内をした男に話し掛ける。
「この少年をどこに運べばいい?」
「そこに置いてゆけ。後は俺が小屋にぶち込んでおく。お前はまずボスにご挨拶だ」
男はフライヤの襟首をつかむと乱暴に抱え上げ、シドのほうを見て顎をしゃくった。
「ボスの部屋はそこだ」
本当ならフライヤが連れ去られる場所が分からなくなるようなことは避けたかったが、ここはおとなしくいうことを聞いていた方がいいようだ。そう判断したシドは、言われるがままにボスとやらのいる部屋の扉を叩いた。
中に入れという応えに促されて、シドはドアを開ける。
中にいたのは、実際のバクーには似ても似つかぬ、でっぷりと肥えた男だった。
「お前か、ザックスというのは」
シドは無言でうなずく。
「タンタラス団に入りたいそうだが…」
「ああ、ブルメシアの街で好き放題ができるっていうからな」
いささか皮肉交じりのシドの言葉だが、偽バクーはそれを鼻で笑い飛ばした。
「ブルメシアだけじゃねえ。ここにはいれば、そのうちリンドブルムでも好き勝手できるようになるさ」
「へえ、そりゃまた威勢のいい話だな。リンドブルムに伝でもあるのか」
「お前、その話も知らずにここへきたのか?」
訝しげな視線を感じて、一瞬ひやりとするが、表情には出さずにシドはただ肩をすくめた。
「ああ。俺は流れ者なんでね。行きがかり上タンタラスの下っ端と町でやりあっちまったが、その後ここの噂を聞いて仲間入りしたくなった、ってだけだからな」
「ふん、まあいい。俺たちの後ろにゃあ、リンドブルム大公様がついてらっしゃるんだ」
「大公!?」
演技にしては出来すぎの上ずった声で、シドは復唱する。
「そいつぁ、すげえや。なら、こんな盗賊団なんかやめちまって、私設軍にでもなりゃいいじゃねえか」
もっともな突っ込みに、偽バクーは言葉を詰まらせた。
「そ…そんなことぁどうでもいい。お前のことだがな、このタンタラス団に加わるにはちょっとした儀式が必要だ」
「儀式」
「ああ。試験といってもいい。お前の課題は、これよ」
偽バクーが傍に控えていた手下に目配せをすると、彼はすっと部屋を出て行った。
「何だ。もったいぶらずに早くいえ」
「お前、俺を誰だと思ってるんだ!口の利き方に気をつけろ!」
シドの横柄な物言いに切れた偽バクーが凄みの聞いた声で怒鳴る。
だがシドは一向怯えた風もなく、天上を向いて耳の穴を掻いた。人を馬鹿にしまくったその態度が、ついに偽バクーの怒りに火をつけたようだ。彼は椅子に立てかけていた剣を取ると、いきなりシドの目の前につきたてた。
でぶでぶだが動きは素早い。
シドは目を丸くして、ひゅう、と口笛を吹いた。
「あんた、すごいな。さすがに頭だけはある。ただのデブかと思ってたが、結構やるじゃねえか」
偽バクーは面食らった。自分が本気になって脅しをかけた人間は、ここまでやればたいてい腰を抜かすか仰天して彼に平伏したものだ。ここは、彼の勢力の本拠地の真っ只中なのである。その頭から睨まれて平気でいるものなどいはしなかった。…今までは。
相手の男を見直すというよりは、畏怖に近い感覚を覚えて偽バクーは剣を収める。
「なかなか肝の据わった男のようだな。使い前はありそうだ」
辛うじて体面を保つためにそれだけを喉の奥から搾り出すと、バクーは椅子に戻った。ここはこのザックスという男とへたにやりあわない方が得策だと踏んだのだ。
二人が手下の報告を待っていたところに、転がるようにして駆け込んできた男がいた。
「た、大変だ!頭!」
ここを案内してくれ、先ほどフライヤを連れて行った男だ。
彼は顔面蒼白になり、震える声で頭に伝えた。
「あ、あの小僧が、逃げ出しやがった!」
「何ぃ!?」
偽バクーも思わず腰を浮かす。
「何をぼさっとしてる、後を追わねえか!」
「追ってはもうかけてある、だけど頭、あの小僧恐ろしく身が軽いんだ!後ろのがけを軽々と登って行きやがった。あそこは俺たちじゃあ登れねえ…。手が出せねえ!どうすればいい!?」
このアジトの背面のがけは、かなりの急峻である。なるほど、人間には登れないだろう。
このタイミングで逃げ出し、しかもそのルートを通って逃亡することにしたフライヤの賢さと判断力に、シドは感嘆せずにはおれなかった。
偽バクーは苦虫を噛み潰したような顔で憮然として唇をかんでいたが、ふと、目の前にボーっとつったている長身の男のことを思い出した。
「おい、お前。ザックス」
「は?」
「お前の儀式だ。あの小僧を」
「捕まえろ、ってか」
「いや、最初からの計画どおりだ。あいつを殺せ」
さも当たり前のことのように、彼は言い捨てる。
「な、そんなことをしたら、フラットレイってガキをおびき寄せられなくなるぞ!」
「あのガキなら放っておいても向こうからやってくるさ。あの小僧をお前に連れてこさせたのは、ここであいつを殺すためだ」
手下の男にシドが持ちかけたのは、もっと穏便な揉め事の起こし方だったのだが。
どうやらこの頭には、それは物足りなかったらしい。
「…何が目的だ」
「ブルメシアを滅茶苦茶にすることさ」
面白そうに偽バクーは笑った。
ぞっとするほど忌まわしい笑顔だった。
「…わかった。俺があいつに追いついて、あいつを殺せばいいんだな」
「その通りだ」
「で、殺したことは俺の申告でいいのか?」
「死体をもってこい。…そうだな、重ければ首だけでもいい」
平然とそういうことを口にするこいつの神経を疑いたくなる。シドは嫌悪の情を露にした目で偽バクーを見下ろした。
「わかった。そうしよう」
次に来る時は、フライヤの死体ではなく、ブルメシアの近衛連隊と一緒だよ。
と、言いたかったがぐっと堪えて、シドは早々にそのアジトを後にした。
運はついてる。
願ってもない展開だったし、それにあのタンタラスの親玉を懲らしめるのに全く躊躇はいらないことも判明した。
後は仕上げだけだった。