summer snow-1-
最近ジタンの様子がおかしい。
城を空けるのは今に始まったことではないが、どうも落ち着きがないのだ。
突然何を思ったか花言葉を尋ねてきたり、やたら天気を気にしたり。この間は薔薇の香りを漂わせて帰ってきた。
おかしい。
ニブチンのガーネットだって、これには気付かないわけがない。
そのうえ彼の姿を見つけてガーネットが声をかけると、びくっと尻尾の毛を逆立てて、逃げ出したりするのである。
すごく、おかしい。
今まで彼がそんな素振りを見せたことがないだけに、ガーネットは気が気ではなかった。
こういうとき、すぐに問いただせば楽になるのだが、ガーネットにはそれが出来なかった。
怖かったのだ。
ジタンと出会って、お互いの想いを確かめあってからもう二年も経つ。そんなにいつまでも彼の心をつなぎとめておける自信が、ガーネットには全くなかった。
再会した当時はお互いの存在に餓(かつ)えていた。傍にいて欲しくてならなかった。だから、理由もなくやみくもに彼の心を信じることができた。
だが、その渇望が満たされてしまった今、彼の心に倦怠が生じ始めても不思議はない。
その心の隙間に入り込んでくる女性だっていておかしくないのだ。
だから、怖かった。きけなかった。
ジタンの様子が変わる前なら、彼の目を見ていればよかった。
心をそのまま映す窓のような正直な彼の目。
そこに自分への熱く溢れる想いを見つけ出すのは簡単だった。
それが証となって彼女を支えてくれていた。
だが、最近彼は妙によそよそしくて、ちゃんと視線を合わせようとしないことすらあるのだ。
自分の足元がぐらついている。心もとない寂寥感を抱いて、彼女は悶々と日々を過ごしていた。
そんなある日の午後だった。
政務を終えて私室に帰る途中、中庭に差し掛かったときだ。
侍女たちが小さな噴水のかたわらで、休憩をとっていた。
他愛のない世間話に夢中になっているらしく、彼女たちは通りかかった主に気がつかない。それゆえ、きくともなしに彼女たちの話がガーネットの耳に届いてしまった。
――ねえ、わたし、大変なものを見てしまったの。
――なあに?
――ジタン様がね、アレクサンドリア城下の商家で、女性と仲睦まじく話を…。
草を踏みしだく細い足音に気付いて、その方向に顔を向けた侍女は絶句した。
――ガ、ガーネット女王陛下…!
ガーネットの蒼白な面に表情はない。
血の気を失った唇が微かに動いて、ぎこちない言葉を紡いだ。
「今、なんと言ったの?もう一度、はっきりと言って。そして…私に、詳しい事情を話してちょうだい」
おそれおののいて、侍女は平身低頭した。
「あなたを責めているのではないわ。私は本当の事を詳しく知りたいだけなの。知っていることを教えて」
もういちど、彼女は繰り返した。
その声音にも表情はなかった。
謎は解けた。
ジタンの不審な行動は、全てそれが原因だったのだ。
ガーネットの危惧していたことが、本当になってしまった。
その夜、ジタンは城に戻らなかった。
翌朝早く、ガーネットはそっと城を抜け出した。
兵士の目を盗む手立てはジタン直伝である。白いフードを目深に被り、足音を忍ばせて門をくぐる。彼女とジタンしか知らないところに隠しておいた小舟を操り、アレクサンドリアの城下町に向かった。
侍女から聞き出した商家は、町外れの草地の中に少しはなれて建っていた。
それほど大きくない屋敷だった。おそらく、別宅として使っているものなのだろう。
屋敷の周囲に背の低い木立が並んでいた。その木立ち越しに、薔薇の木に囲まれた小さな庭が見えた。
ちょうど屋敷から人が出てきたところだった。
その人影がはっきりする位置までそっと近寄って、ガーネットは息を呑んだ。
見紛う事のない柔らな金髪。
それは髪と同じ色の尻尾をもった、彼女のよく知る逞しい青年だったのだ。
彼は十六、七くらいの少女をその腕に抱いていた。そのまま庭をわたり、薔薇の中に埋れるように設えてある白い鞦韆に腰を下ろした。少女を抱いたまま、彼は優しい瞳で彼女を見つめ、その額に唇を押し当てた。そして、ぎゅっと抱きしめた。
それは恋人の抱擁だった。そんな抱きしめ方だった。
嬉しそうに、花のように少女が笑う。
美しい少女。
見事な――それはまるで一幅の美しい絵だった。
天地が裂けて、この世の終わりが来たと思った。
足元の大地が崩れ落ちる。
立っていられなくて、ガーネットはその場に座り込んだ。
不思議に涙はこぼれなかった。
乾いた風が、心の中を吹き過ぎてゆく。
もう、生きている意味がない。
茫然と、ガーネットは思っていた。