summer snow
-3-

「どうして、そんなことを言うの?あなたは、私なんかより、あのこの方が好きなんじゃないの?」
まだ気持ちの整理も頭の整理もついていない。
ガーネットは支離滅裂だと思いながら、それでもジタンにきかずにはいられなかった。
「あの子は、そんなんじゃないんだ」
「嘘よ!だって、キスしてたわ」
ガーネットが叫び終わらないうちにジタンは彼女の額に唇を押し当てた。
「こんな風に、ここに、だろ?」
返す言葉がない。仕方なく、彼女はうなずいた。
「あの子は、そんなんじゃないんだ」
全く同じ言葉をジタンは自分で復唱する。
「じゃあ、じゃあどんな子なの?あなたとどういう関係なの?」
言ってくれなけば身を投げて死ぬわと言わんばかりの勢いである。
ジタンは、今の今まで彼女に黙っていた苦労が水泡に帰す音を虚しく聞いた。
「誰にも言わないって、約束できるか?」
「絶対に言わないわ!」
「スタイナーがらみだけど…ベアトリクスに洩らさないって、誓えるか?」
「え…?」
ガーネットの顔が驚愕に歪む。
「あ、お前またよからぬ想像しただろう。違うからな。そんなんじゃないんだ」
ジタンがガーネットの妄想を打ち消す。
「…わかったわ」

夕日の差し込むガーネットの私室で、二人は窓辺に並んで腰掛けた。
そして静かに、ジタンは語り始めた。
その少女の話を。

つい先年アレクサンドリアを襲った悲劇。
あの破壊の只中で、幾人もの人々が命を落とした。
あの少女の両親も、戦火にまかれて死んでいった。
少女も、瓦礫の下敷きになって、虫の息だった。それを、復興に奔走していたスタイナーが救出したのだ。
梁に挟まれた少女の足は、もう使い物にならなかった。
何とか助け出したものの、目の前で両親を失い、足の自由も失った少女は、何ヶ月も泣き暮らした。
スタイナーはそれを放っておけなかった。
30年近く前、彼もまた、目の前で母をなくしたから。
弟も、妹も、燃え上がる炎に包まれていった。独り助かったスタイナーは、為すすべなく茫然とそれを見つめるしかなかった。
5歳の少年は、最後に母が自分に精一杯伝えてくれた言葉を胸に刻みつけた。
生きなさい。
お前は、生きなさい。
涙を流すことも忘れた少年は、その後アレクサンドリア国王の目にとまり、騎士として名を馳せることになる。だが、スタイナーは、勇名を轟かせても昔のことを忘れなかった。
戦がどれほど人々の心を痛めつけるものか、彼は身をもって知っていた。だから、少女を捨て置けなかったのだ。
懇意にしていた商人に頼み込んで、妾宅として使っていたらしい小さな屋敷を借りた。そこに少女を呼び、誰にも黙って彼女の面倒を見ていたのだ。
生きるのである。
少女にスタイナーは繰り返し語りつづけた。
生きたくても生き延びられなかった命がたくさんあるのである。そなたのご両親もそうなのである。
修辞一つ知らぬ無骨な武人の語る朴訥な言葉は、次第に少女の心を溶かしていった。
だが、少女がようやく柔らかな微笑を浮かべられるようになった頃、彼女の体は悪化の兆しを見せ始めた。
両足が壊死を始めた。
切断しなければ命が危ないと診断され、結局少女は両足を失った。
だが、それでも壊死はとまらなかった。
もって、後数ヶ月だろう。
医師はスタイナーに言った。
少女はそれを悟ったらしかった。
ある日、スタイナーに言ったのだ。
いままでありがとう、おじさま。あのね、最後のお願いがあるの。
きいてくれる?
と。
スタイナーはもちろん大きく肯いた。
あのね、いつかお城で見た王子様に会いたいの。
金色の髪と、金色の尻尾のはえた、とても綺麗な王子様。
それが誰のことなのか、悲しいことにスタイナーにはすぐ分かった。
彼をここに呼べば、彼の敬愛する女王陛下がどんなに心お騒がせになることか。スタイナーは逡巡する。
だが、目の前の少女は、余命幾許もないのである。
彼は決断した。
男の友情という奴に賭けてみる事にしたのだ。
ジタンに頼み込む。
女王陛下と、ベアトリクスには秘密にして、自分を助けてくれぬかと。
ジタンは、すぐに了承した。
自分に出来ることがあるのなら。
最後の数ヶ月、少女に、夢を与えてあげられるなら、と。
少女の顔は輝いた。
どんな苦痛に見舞われても、ジタンが傍にいれば、彼女はいつも穏やかな表情で、そして幸せそうだった。
だから二人で足繁く少女の許に通ったのだ。

二人とも、愛する女性にはひた隠しにしたままで。