アルサーンスの空の下で                  
 
  第三章  
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 白い衣に包まれた胸元が、規則的に波打っている。確かな動きにも関わらず、力強さは感じない。それよりも、まるで生気のない蒼ざめた肌に、視線が行ってしまうからだろうか。不思議なほど、それは不自然であった。動きを止めている方が、まだ正しく思える。そんな、少女の息だった。
「これ以上は待てぬな」
 淡々とした声で、セシルアが言った。
「ディオ・ラスター」
「は、はい」
「お前は、心眼の能力もあるのか?」
「いえ、ほとんどその力は。心眼者にとって必要な意識抵抗を突破する力が、私には」
「ならば、眠っている者、意識を失っている者はどうだ?」
「それは――確かにそういう場合は、抵抗が少ないですから多少は……でも」
 ディオの目が、ローディアを見る。
「彼女は今、祈りの魔法で守られています。彼女の意識は無抵抗でも、その力が私の接触を退けるでしょう。ていうか、そもそもこの結界がある限り」
「結界は、私が破壊する」
「破壊……って、どうやって?」
「こちら側にも『陰』の魔法をかけ、この強力な『陽』の魔法を挟み込むのだ。その上で、一箇所だけ切れ目を作り、そこを攻撃する。反動のほとんどは内部に封じ込められ、行き場のないエネルギーが、自らを滅ぼすだろう」
 なるほど、と感心してから、重大なことに気付く。ディオが口にするより早く、副署長が声を上げる。
「しかし、それでは彼女を守っている祈りの魔法も消えてしまうことになります。そうなれば」
「もちろんそうだ。そのことを予め自覚してもらわなければ困る。特に、ディオ・ラスターにはな」
「お、俺? いや、私が?」
「ぐずぐずしている暇はないぞ。結界を突破したら、直ぐに彼女を心眼するのだ」
「ちょっと待って下さい」
 ディオの声が、一段強くなる。
「祈りの魔法による保護がなくなれば、彼女は一体どうなるか。それを分かった上で結界を破ると? そんな無茶なこと」
「では、どうする? このまま眺めていても結果は同じだぞ」
 無機質な声で、セシルアが続ける。
「祈りの魔法に無限の効力はない。切れたらそれまでだ。仮に他の聖使徒が引き継いだとしても、彼女の運命は変わらぬだろう。ただ、事態がほんの少し、先に伸びるだけだ」
 ディオは沈黙し、表情を曇らせた。
 言っていることは、正しかった。治癒魔法の知識はないが、少女の状態がひどく危ういことは、十分に感じていた。何よりベルナード聖使徒自身が、常々そう漏らしていた。今の今まで生きてくれたことに、神の奇跡を感じると、静かに微笑んでいた姿を思い出す。
 いずれ、間違いなく、ローディアの命は尽きるだろう。だが、今がその時ではない。眠ったままであろうが、ただ息をするだけの存在であろうが、彼女は生きている。その命を危険に晒す権利は、誰にもないはずだ。少なくとも、自分達には。
「できません」
 呻くように、ディオは言った。
「私には、できません」
「そうか」
 セシルアの眉が寄せられる。
「なら、お前にもう用はない。署に帰り、通常勤務に戻れ」
「…………」
「ベッツ・グスタム、バジル・セオドルートは周辺の聞き込み調査を。フラー副署長は、今からコードアの町まで出向いてくれ」
「コードアの町――ですか?」
「聖使徒の臨時要請だ。返事が来るのを悠長に待っている余裕はない。直接行って、聖使徒を連れてきて欲しい。なんとか彼女の命を繋ぎ止めてもらわねばならぬ」
 そのセシルアの言葉に、誰もが目を丸くした。ディオが、驚きを口にする。
「では、では署長は彼女を助けることに? 無理は止めて、彼女を」
「誤解してもらっては困る」
 腕を組み、右手の人差し指を二度動かして、セシルアが言った。
「私の目的は、先ほどから一貫している。すなわち、彼女から情報を聞き出すことだ。しかしお前は、できないと言った。ならば、別の者にやってもらうしかない。他の町の心眼者に、後日頼むこととなるだろう。当然、その時まで、彼女には生きていてもらう必要がある。それだけだ」
 ディオは唇を噛んだ。ちょっとでも気持ちが通じたなどと思ったことを、腹立たしく感じる。その感情を押え込むように、声を殺してディオは呟いた。
「そう……ですか。分かりま――」
「では、解散」
 ディオの言葉を最後まで待たず、セシルアは短く言い放った。踵を返す背に、みなが敬礼する。無言で見送り、自分達も部屋を後にする。
 誰も。
 その時、ローディアを振り返らなかった。

 

 
 
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