この、やはりパイチ色をした、形だけは厳しいガントレットは、普段、装着が認められていない。聖務官たる者、みなそれなりに強い魔力を有しているわけだが、さらに力を増幅させ、魔法弾として発射させるこの武器は、署長の許可なしに使うことは許されないのだ。ちなみにレベルは全部で五段階あり、数が大きいほどその破壊力が増す。例えば対象が人の場合、レベル一で気絶。レベル二で中程度の傷害。レベル三ともなると、狙いさえ確実なら、対象者の命を絶つことができる。今セットされているレベル四の弾なら、原型を止めないくらいにまで粉砕することが可能だ。たとえ相手がダルダでも、ばらばらにしてしまうだろう。
まさか、こんなのを使う破目になるとはなあ。
心の中で、溜息をつく。
聖務官となって早一年、この間、ディオは一度だけガントレットを使ったことがある。相手は同じダルダ。ここよりもう少し北に棲む一匹のダルダが、民家の庭に現れたという事件があった。その時は、ただ驚かして追い返せばいいだけだったので、全員、レベル二にセットして挑んだ。今とは二段階、威力が違う。この違いが、過去の経験をなかったことにするほど、大きいのだ。
レベルが高ければ高いほど、それをコントロールする力も多大となる。理論上では、一段階違っただけで、およそ十倍の制御力が必要になるとされている。巨大な力を秘めた魔法弾を的確に相手にぶつけるという行為は、物理法則下で、石を投げたり、矢を射たりするより、遥かに難しいのだ。そしてその難しさが心理的負担となり、悪循環を起こす。魔法は、いわば精神エネルギーだ。その精神が迷ってしまっては、可能なことも不可能になってしまう。
万が一、制御に失敗したら。暗闇の中で、すぐ側に仲間がいる状態で、目標を見誤ってしまったら。
ディオは再びセシルアの方を向いた。改めて、彼女との距離、位置関係を確認する。そして念のため、後ろを振り返る。ダルダと戦うとしたら、目の前の森から出てきた瞬間となるため、背後の墓場まで下がることはあり得ないのだが。一応、そこで動き回った場合障害となる、墓石の並びを記憶する。
「風が――出てきたな」
唐突に、セシルアが呟いた。
「目に頼るのはよせ。雲がかかるかもしれない」
その声に、ディオは空を見上げた。
綿を引き千切ったような雲が、ぽつりぽつりと空に浮かんでいるのが、薄闇の中でも見て取れる。それらが揃って東に流れていく。今は綺麗な満月が、こちらを見てくれているが。あれが雲にすっぽりと隠れてしまえば、視覚だけでの行動は難しくなる。
なんだか、厄介なことになったな。
ディオの表情が、空よりも翳る。
山に入った奴ら、大丈夫か――
「――な」
という一言を、なぜかディオは後ろを向きながら呟いた。別に音が聞こえたわけではない。匂いなり、感触なり、少なくとも五感に感じるものは、何もなかった。ただ、何かを感じた。ただ、背後にそれを感じた。そして、振り返った。
「うわっ!」
そう叫んだ声が、口の周りだけで鳴る。それよりも激しい音が、声の広がりを封じる。ディオの全身を縛る。
目の前で、ダルダが砕けた。悲鳴はなかった。断末魔を上げることも許されず、ダルダの体は四方に散った。千切れた肉片が、ディオの頬を打ち、体を打つ。生暖かい感触、むせるような匂い、何より視界を染める赤い血が、容赦なくディオを叩きのめす。
よろよろと三歩、ディオは後ろに下がった。尻餅をつく。そこに、ガントレットを翳したセシルアの、鋭い声が飛ぶ。
「ぼやっとするな! まだいるぞ!」
分かって――る!
片膝を立て、ディオは前方を見据えた。
姿は見えない。だが、声は聞こえる。低く、威嚇するような唸り声。かなり近いはずだが、どんなに目を凝らしても見出すことができない。墓石の陰か――と、一瞬思ったが、直ぐにそれを否定する。せいぜい高さ一メートルほどの墓では、あの巨体を隠すことなどできない。
と、言うか。
ディオは眉を寄せ、目を細めた。
なんで、こっち側にいるんだ? 山じゃなく、この墓地の方に?
闇が翳る。淡く輪郭を残していた墓が、そのわずかな色までもなくす。まるで、黒い絵の具で塗り潰したかのように、闇が一様となる。視界の隅で、のっぺりとした黒が揺らぐ。
反射的に、ディオは体を左に動かした。闇を引き裂いて出てきたものに、左手の甲を晒す。
「ワルド――」
一気に魔力をガントレットに流し込む。二倍、三倍、瞬く間に膨れた気が、堪えきれないように光となって溢れる。数十メートル先までも、明るく照らす。
「ラス!」
一直線に飛んだ魔法弾が、目の前のターゲットを貫く。
「な、何?」
光の弾が、ターゲットもろとも姿を消した。と、伸びやかな軌跡が、遥か上空に刻まれる。そのまま空へと、駆け上がっていく。
「弾かれ――た? というか、ダルダはどこだ? どこに?」
「ディオ!」
「後ろか――」
振り向いたディオの目が、大きく見開かれる。再び雲の合間から顔を覗かせた月が、そこに聳えるように立つダルダの姿をくっきりと映し出す。剥き出した牙と、振り上げた両腕の爪が、鈍く輝く。