アルサーンスの空の下で                  
 
  第六章  
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「ダルダとの戦闘の時、俺は襲われる瞬間まで、影の気を感じなかった。完全に、気配を消して潜んでいたから」
「うむ。私もその瞬間まで、とらえることができなかった」
「あの現場でも、そうだったんです。奴は気配を消して、そこに潜んでいた。一部始終を、ただ見ていた。ファルスの町の聖使徒が殺されるのを、ただ――」
「だが……それは一体何のために?」
 自問するかのようなセシルアの呟きに、ディオは小さく首を横に振った。
「分かりません」
「結局」
 溜息交じりにベッツが言う。
「何も分からないってことか」
「そうでもないよ」
 バジルが優しく言う。
「犯人が誰であるかは分からなかったが、新たな糸口が見つかった。あの墓の一件から察するに、ベルナード聖使徒様には何か秘密がある。それを探れば、真相に繋がる道が見えてくるかもしれない」
「まあ、そこから当るのが妥当でしょうな」
 マーチェスが続く。
「影が何者であるか分からない以上、我々は別の線から追うしかありません。聖使徒様、及びその周辺の全てを、徹底的に洗い直すしか」
「となると、今は動かさない方がいいかもしれませんな」
 フラー副署長の言葉に、セシルアが怪訝な顔を向ける。
「何のことだ?」
「ローディアの搬送ですよ」
 副署長は右手で軽く口ひげを撫でた。
「今は見張りもついていますし、一応新しく結界も張ってありますから、まず安全です。しかし、そこから出すとなると。もしかしたら先ほどの影が、何らかの接触を計ってくるかもしれません。どうみても、友好的な相手ではなさそうですからね。魔力も強大だ。さらにその扱いも、卓越している。ディオの特心眼でも読み取れぬほど、何よりあの現場で、ドーレ聖使徒にも気付かれぬほど、気を消す技まで備えているとなると。ここは、一度本部にこれまでの経緯を報告し、その上で、次の手を考えるべきでしょう。ローディアの方は、とにかくどなたか聖使徒様にいらして頂き、アルサーンスで治療を続けて」
「いや、待て」
 セシルアが、副署長の言葉を止めるべく、右手を上げた。端麗な顔に、薄く笑みが浮かぶ。
「それならそれで、かえって好都合だ」
「と、言いますと?」
「こちらから探し出す手間が省けるという意味だ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 ディオが立ち上がる。
「それって、もしかして、彼女を囮にするってことですか? いくら何でも、それは」
「守ればいいだろう?」
 冷えた目で、セシルアがディオを見返す。
「守りきれば」
「――ですが」
「後、二人つける」
 ディオから視線を外し、毅然とした声でセシルアが言った。
「ベッツ・グスタム。マーチェス・バズウ。二人はディオ・ラスターと共に、コルタナ村までローディアの搬送にあたれ。残りは、今一度ベルナード聖使徒の身辺を洗うように。以上」
 …………って。
 硬い靴音を響かせて、扉の向こうに消えるセシルアの背を見つめながら、ディオは呻いた。
 絶対服従、ってことですか? 部下の意見など必要ないと、そう――。
 ぽんと肩を小突かれ、ディオは我に返った。ベッツが片目を瞑る。
「まあ、宮仕えなんて、こんなもんよ」
 その声に、なお口元を歪めたディオに、ベッツが苦笑を返した。
「言われたとおり、見事、守りきってやろうぜ。なっ」
 しかし、ディオの苦虫を噛み潰したかのような顔は、しばらく変わらなかった。


 セシルアは署長室に戻ると、明かりもつけないまま身を椅子に沈めた。何をするでもなく、薄闇の中の天井を見つめる。その目が徐々に、険しくなる。
『ディオの特心眼でも読み取れぬほど、何よりあの現場で、ドーレ聖使徒にも気付かれぬほど、気を消す技まで備えている』
 胸に木霊するフラー副署長の言葉に、呟きを返す。
「そんな奴は、そんな相手は――」
 ふっくらとした唇を噛む。椅子から身を起こし、デスクの上に置かれた制帽に手を伸ばす。
 迷って。かなり、迷って。
 セシルアは、ビヤンテ区国への直通回線を開いた。生え出た帽子の尾に、396とコードナンバーを告げる。バラザクス、総司令部に繋ぐ。
「こちら、セシルア・フェルバール。エルドラ―ト元帥閣下に、至急繋いでくれ」
『申し訳ありません。元帥閣下はただ今、重要な会議に出席中で、お出になることができません』
 無機質な女性の声に、セシルアの目が細る。記憶にある、声の主の貧相な顔立ちを思い浮かべながら、強く問い返す。
「会議? こんな時間に?」
『元帥閣下がお忙しいのは、フェルバール殿もよく御承知のはず』
 声が、急に感情を持つ。その嫌味な口調に、セシルアは小さく息を吐いた。
「そうか。では、お戻り次第、こちらに連絡をお願いする」
『用件をおっしゃって頂ければ、伝言を致しますが?』
 セシルアが、ふっと笑う。
「これは、重要機密だ。そのような話を、一介の秘書官にできるとお思いか?」
 憤然と、制帽が息を吐くのを面白そうに眺めながら、セシルアは回線を切った。とたん、表情が沈む。
 どういうことなんだ? これは。
 重苦しくそう呻くと、セシルアは再び椅子に身を沈めた。

 

 
 
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  第六章・3