アルサーンスの空の下で                  
 
  第七章  
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 がらりとコンパートメントの扉が開く。細い目の、質素な見なりの男がそこに立つ。しかし彼は、聖務官の制服を見ると、慌てて扉を閉め去っていった。
 これで六人目。
 心の中で、ディオがカウントする。
 旅は、三日目に入っていた。襲撃される危険を考え、全行程を馬車で行く案も一度は検討されたが。時間的なこと、何よりローディアへの負担が大きいことを理由に、結局それは却下された。当初の予定通り、列車での旅が続く。アルサーンスからゴストマへ。ゴストマからニーベランへ。特に問題なく、快適に進んできた。しかし。
 再び扉が開く。七人目の客は一人の老人。少し腰の曲がったその男が、舌打ちと溜息を同時に漏らして扉を閉める。ディオが、小さく吐息をつく。
 ティアスタ国のみならず、マジェリア大陸の隅々までを網羅する列車は、広く一般人にも利用が許されていた。圧縮した熱炎系魔法を動力としているため、基本的にはこれも聖会の所有物であるが。転移魔法陣と違い、切符を買う金さえあれば、名前を申し出たり、旅の理由を告げたりすることもなく、誰でも自由に使うことができた。もちろん、主要な都市や国境の町などでは、出入りに際し、身分証を提示する義務があったが。国内の、小さな村や町を行き来する分には、何の制約もなかった。
 ただし列車には、区間によって等級があった。上級車と下級車。それぞれ専用の列車を走らせた方が、面倒が少ないようにディオなどは思うのだが。実際には、車両ごとに等級が分かれる形となっていた。例えばこの列車の場合、先頭の動力車の次、一両目から三両目までが上級車に設定されている。ここに乗るためには、その後ろに続く四両の下級車の、およそ三倍の値段がつけられた切符を買わなければならない。当然、上級車に乗れるのは、それだけの金額を払える者に限られる。お陰で王都ティアスタ、さらには国境を超えビヤンテ区国まで伸びるこのアルディア線でも、こうしてゆったりと座っていくことができるのだ。
 いや、ゆったりっていう気分じゃ――ないよな。
 そう心の内で呟き、首を振ったところに、またがらがらと扉の開く音が響いた。
「ディオ、交代の時間だ」
 頭の中で八人目とカウントしたのを、七に戻す。現れたベッツに、「はい」と答えながら立ち上がる。
「何だ、ディオ。寝てないのか?」
「そのつもりだったんですけどね。ここ、客が多くて」
「ん?」
「すぐに分かります」
 肩をすくめ、ディオはそのコンパートメントを後にした。
 ディオ達が乗り込んだのは、列車の三両目だった。警備をしやすくするため、一両、丸ごと押え込んだ。この車両には、ディオの他にベッツとマーチェス、そしてあのローディアしかいない。彼女は今、結界魔法を施した二つ前のコンパートメントで眠っている。次の目的地、サラドットの町に到着するのは、明日の未明。今夜は交代で見張りをしながら、列車での夜を過ごすこととなる。
 深夜の移動ということで、実は一両目が寝台車であったのだが。全員で横になってしまうわけにはいかなかったので、ディオ達はこの車両を選んだ。六人掛けの、向い合わせの椅子を前に引き出せば、それなりに快適なベッドとなる。コンパートメント、すなわち個室式なので、外とも適度に遮断されている。順に仮眠をとるだけなら、これで十分だ。ただしそれは、二両目に当てはまることで、残念ながら、ディオ達の乗る三両目にその快適さはなかった。
 通路に出て、右を見る。車両と車両を隔てる扉越しに、四両目が見える。ひどく込み合う車内。一番手前の男は、ほとんど扉に張りつくような格好で立っている。
 ディオが七人目までカウントしたのは、この四両目の客だった。乗り込む際にこそ、乗務員に切符の等級を確かめられはしたが。その後は車掌が二度、見まわりにきた時にチェックしただけで、実質正しく乗っているかどうかを監視する者はなかった。つまり、次に車掌が現れるまで、下級車の席に座ろうが、上級車の席に座ろうが、咎める者はいないというわけだ。
 目の前にある空席の山に誘われて、四両目から次々と客が訪れる。もし、そこに座っているのがただの一般人なら、何食わぬ顔で隣りに腰掛け、十分でも二十分でも眠りを貪っていったのだろうが。彼らにとっては不幸なことに、三両目を占有していたのは聖務官だった。すごすごと戻っていく四両目の乗客達に、いささか気の毒な気持ちを覚えながらも、やはりここは二両目を押えるべきだったと、ディオは後悔した。
 空のコンパートメントを一つ過ぎ、二つ目の前で止まる。扉に向って手を伸ばす。指先が取っ手をつかむ前に、結界がその進行を阻む。
「フラッタ・ナウト」
「ドメル・ナウト」
 ディオの呪文に答えるように、中から声が響いた。結界が解除され、ようやくディオの手が目的を達する。
「お疲れです」
「ああ」
 部屋から出てきたマーチェスの代わりに、素早く中に入る。そして、
「ドメル・ナウト」
「フラッタ・ナウト」
 再び、外と内から呪文を施し、無事、交代を終える。思わず、ディオの唇からほっと安堵の息が漏れる。
 ディオ達は、三両目を押えた上で、その中央のコンパートメントにローディアを運んだ。普通に彼女を守るだけなら、部屋の外に見張りを一人ばかり立たせておけばよいのだが。敵は魔力の持ち主、しかも、かなりの使い手である以上、それだけでは不十分だった。まず必要なのが結界。ただし、単なる結界では簡単に破られてしまう。一番強力とされる異空結界ですら、あの影の前では頼りにならない。
 よってディオ達は、結界に鍵をつけることにした。術者が決めた言葉を呪文に組み込む鍵結界。いわば、暗証番号のようなものだ。それを、部屋の外と内の両方からかける。鍵結界自体は、それほど堅固なものではない。しかし、このように場の両面から施した場合、内側の術者が結界と一体化することになる。無理にこじ開けようとすれば、結界は内にいる者の魔力を吸い取り、抵抗するのだ。その全てが尽きるまで、その命が果てるまで。結界は、術者の意志に関係なくその力を貪り、鉄壁と化す。たとえ、あの影といえども、聖務官一人の命をかけた壁に、そうそう穴を開けることなどできない。
 この結界の中にいる以上、ローディアは安全だ。唯一心配だったのは、一時的に結界を解く交代時であったが。二度の入れ替わりは、問題なく行うことができた。サラドットの町までの残る行程は、このままディオが務める。
 これでとりあえず、サラドットまでは大丈夫だな。
 ディオは座席に腰を掛けながら、対面の椅子に横たわる少女を見た。

 
 
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  第七章・1