アルサーンスの空の下で                  
 
  第十章  
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 結局自分は、彼に勝つことができない。この気持ちがある限り、彼には勝てない。
 セシルアは、意識的に抑揚を押え、言葉を紡いだ。
「確かにそのお陰で、エルダ・リテーストという娘の名に辿りつくことができました。でも、あれはやり過ぎです。危うく私は、ダルダに殺されるところでした」
「君――が?」
 元帥の唇に、また笑みが戻る。
「まさか、君がダルダごときにやられるなど……でも、そう言われても文句は言えないな。君が動いていることを、諜報部員に伝えてはいなかった。かち合う恐れがあることを、見落としていた。署長だからと言って、その椅子にふんぞり返り、署員を顎で使うような輩ではないことを。君がそういう人間ではないことを、よく分かっていたのに――私のミスだ。すまない」
 素直な謝罪に、セシルアは思わず表情を崩した。そのまま、柔らかな声を出す。
「それで、結局エルダ・リテーストはどうなったのですか? ローディアの正常なる脳の記憶、つまり健常な脳細胞を移植された彼女の体の方は」
「多分今頃、君の部下が接触を計っているのではないかな?」
「私の、部下?」
「だけでは太刀打ちできないだろうから、こちらも諜報部員を手配したが」
「ちょっと待って下さい」
 セシルアの顔が、また厳しくなる。
「太刀打ち、というのは、どういう?」
「大聖会が、エルダの存在を知ってしまった」
「えっ?」
「ローディアの遺体をニーベランの聖使徒と共に調べたのは、迂闊だったな。彼の口から、事が大聖会に知られてしまった。もちろん、すでに打つべき手は打ってある。彼女を速やかに保護すること、そしてもう一つ、まあ、こっちの方はあまり――セシルア?」
 突然、背を向けたセシルアに、元帥は驚きの声を上げた。
「どこへ行く?」
「決まっています」
 振り向いたセシルアの表情が、険しく尖る。
「闇部が動いているのでしょう? 今すぐアルサーンスに、部下のところに戻らなければ」
「しかし、君はもう、アルサーンスの署長ではない」
 元帥の言葉が、扉に向おうとしたセシルアの足を止める。
「それは……祈りの魔法を使用した、そのためですか?」
「そうだ」
「では、私は……大聖会のオルデアに配属されるのですか?」
「まさか」
 元帥はそう言うと、セシルアの側まで歩み寄った。
「これほどまでに優秀な人材を、むざむざ大聖会などに取られてたまるか」
「優秀な、人材?」
 セシルアの、少し肉厚な唇が、自嘲めいた笑みを浮かべる。と、その唇が塞がれる。
 強く抱きすくめられて、セシルアは息を止めた。そのまま、落ちる。そして、昇る。理性というたがを外し、体に感じる刺激だけを捉え、そこに浸る。
「握り潰すのに、苦労した」
 熱い吐息が、唇から耳元に移る。
「目撃者がニーベランの聖使徒だけだったので、何とか押え込むことに成功したが。しばらくは、目立たぬようにしている方がいい。当分、秘書官を務めてもらうぞ」
「……秘書官――それは、フェルの?」
「いや」
 ふいっと、元帥の気配が去る。腰と背に回された腕が、するりと離れる。
「そこに空きはない。クレードル卿を知っているだろう? バラザクス最高齢の将軍を。君には、彼の秘書官になってもらう」
「そう――ですか」
 セシルアは、息を吐いた。それで、体の芯に残るほてりを全て振り払う。一歩下がり、元帥を見据える。
「それで、いつから私は任務にあたるのでしょうか?」
「いつからでも構わぬが、少し休みたいというなら、そのように取り計らうが?」
「では、お言葉に甘えまして、休暇を頂きたく思います。アルサーンスにて、しばし休養致したいと思いますので」
「セシルア?」
「止めても無駄です。私の性格は、よく御存知のはず。それに」
 半歩間合いを詰めてきた元帥に、右手を翳し、セシルアは押し止めた。
「私に、同じ手は通用しません」
「……セシルア」
「ご心配なく。閣下の足元をすくうようなことがないよう、全力を尽くしますので。万が一の際には、切り捨てて頂いて結構」
 そう言い放つと、セシルアは踵を返した。扉に手をかけ、振り向く。
「それと、バラザクス総司令部内の転移魔方陣を使わせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
 子供のようにむくれた顔が、セシルアを見返す。
「好きに……したまえ」
「ありがとうございます」
 艶然とした笑みと共に、軽やかに言うと、セシルアはその部屋を後にした。

 

 
 
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  第十章・3