三
「さあ、どうぞ」
その声に勧められるまま、ユーリとフレディックは素朴な木の器を手にした。やけに空気が堅くなる。取り囲む人々の視線を、痛く感じる。たまらず二人は顔を見合わせた。が、互いの瞳の中にあったのは、諦めの色のみだった。
ユーリは前を向いた。やたら力強く、長老が頷く。
ええい、ままよ。
ユーリは器の中のものを口に押し込んだ。その大きさに苦労しながら、恐る恐る噛む。味は悪くない。香辛料の効果もあって、思ったほど臭みはない。だが、くにゅくにゅとした噛みごたえが、目を瞑っていてもその形をまざまざと脳裏に浮かび上がらせるので、なかなか喉を通らない。やっとの思いで、最初の一口を呑み込む。ごくりと大きな音が、自分の喉元以外からも聞こえてくる。どうやら隣りのフレディックも、無事、事を為し遂げたようだ。
場が、一気に和らぐ。主賓である二人が口をつけたのを合図に、ようやくみなに料理が配られる。かなり大きな鍋であるにも関わらず、瞬く間に雫一つ残さず、それはさらえられた。これが、彼らにとってどれほどのご馳走であるのか。子供達が端的にそれを表していた。先を争うように器を掲げ、料理を入れてもらうと脇目も振らず無心で頬張る。もの凄い速さでそれを平らげると、名残惜しそうに空の器を舐める。
キャノマンの民が出してくれたのは、彼らの貴重な家畜である、羊を丸々一頭煮込んだ料理だった。特別な日に、あるいは特別な人に対してのみ振舞われる料理。リーマの赤ん坊を救ったユーリ達は、その特別な人として歓迎されたのだ。
急ぎの旅であるからと、いったんは断った。だが、民の宝である子供を救ってもらいながら、礼もせず返したとあっては先祖に申し訳がたたぬと、長老はねばった。その気持ちを無下にもできず、ユーリ達は一晩、彼らと共に止まることにしたのだ。
宴のメインディッシュとなる羊の選定。儀式的な要素を含んだ屠殺。肉という点では、あのハクドヌンという巨鳥でも良さそうにユーリなどは思ったのだが、どうやら硬くて、とても食用にはならないらしい。しかし、深い藍色の光沢を持った羽は高い値がつくとのことで、羊を女達の手に任せた後、男達はそちらの仕事に従事しながら、夜を待った。
夕闇が迫る頃から、辺りが賑やかになる。篝火が焚かれ、その光の元に人々が集まる。大鍋を囲むように、ぐるりと草地に座す。娘達が互いの顔や手に赤と白の塗料を塗り、笑い声を立てる。一方、男達の飾りは、鮮やかなエメラルド色の鳥の羽根だ。なんでも、キアマという雄鳥の羽根らしい。それを、両の耳に挟み込んで宴に備える。いずれも若い男ばかりであるのを考えると、飾り立てることが許されているのは、どうやら未婚者だけのようだ。ひょっとして、自分達にもその羽根を渡されるのではと案じたが、そうはならなかった。その代りに、彼らには別の試練が与えられた。
ユーリは器の中を見た。見るだけでは、中身は減らない。軽くスプーンでつつく。もちろん、それでも減らない。
ユーリ達の器に盛られたのは、羊の目と脳の部分であった。キャノマンの民にとって、これらは最も珍重される部位であり、それを振舞うことは、最高級のもてなしを意味する。その気持ちが分かっていたからこそ、何とか一口、ユーリはそれに答えた。だが、どうにもこうにも、その後が続かない。
隣りのフレディックを見る。困惑しきっているであろうと思ったその顔が、意外にも晴れやかだ。
フレディックは、不思議そうな目を向けているユーリに気付くと、軽く目配せをした。そして、素早く自分の器の中にあるものを、近くにいた子供の持つ器に一匙すくい入れた。
ユーリは慌てて前を見た。長老は、横を向いて話している。大人達は早々に食事を終えると、カンダンという酒を飲むのに夢中になっていた。食事前、二人にもこの酒が振舞われたが、やたら強く、クセのある香りで、こちらもかなり苦労した。
再び傍らのフレディックを見る。いつの間にか、彼の周りの密度が増している。どうやら先ほどの行為を、しっかり子供達が見ていたらしい。長老の様子を伺いながら、フレディックは急いで子供達に器の中のものを配った。迷うことなく、ユーリもそれに倣う。器をすっかり綺麗にして、ほっと前を向いた途端、長老と目があった。
ごくんと唾を飲み込む。少し上目遣いで、顔色を覗き込む。長老の顔は、気持ち良さそうな酔いに包まれたままだ。
大丈夫、ばれてない。
ユーリとフレディックは、互いに満面の笑みを浮かべて顔を見交わすと、揃って空の器を地面に置いた。長老が、満足げに頷く。深い皺が、顔一面を覆う。
「それでは、あちらの方へ」
今度は何が始まるんだろう。
期待より、不安の方で胸をいっぱいにしながら、ユーリ達は立ち上がった。長老に先導され、場を移す。隊列を挟んで、草原の逆側に出る。