蒼き騎士の伝説 第二巻                  
 
  第十四章 流浪の民(3)  
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 リーマの右腕が、振り下ろされた。その腕が、弾ける音を産む。まろい玉の音が幾つも連なり、波を作る。大地の鼓動を刻むリズム。駆け抜ける風の吐息。三つの音が絡み合い、楽となってリーマを包む。
 リーマの指の先、足の先、流れる黒髪の一本一本に至るまで、意志が宿る。楽の音に込められた魂を、その全てで受ける。そして魂は、リーマの体の中でさらに高められ、再び外に放たれる。しなる四肢が柔らかく、あるいは激しく動くたびに、与えられた舞台という空間が満たされていく。命の限りとばかりに煌く瞳が、その力で捩じ伏せるように見る者を貫く。
 息を呑んだまま、それを吐く機会を失っていたユーリの前で、音が消えた。最初と同じポーズで、リーマが止まる。だが、空気に緩みはない。その緊張の上を滑るように、朗々とした声が響く。

 かの国の春をかぞえよう
 甘く香る花に、頬を寄せた日のことを

 歌っているのは、老婆だった。歌というよりは謡、朗読に近い。堂々と、年を感じさせない、豊かな声だ。楽士の奏でる音と同じく、これも確かな技術の賜物であろう。誰もがこのように、言葉をその極限まで表現しきることなどできない。

 かの国の夏をかぞえよう
 若草を手折る音に、戯れた日のことを

 老婆の声に合わせて、リーマの鈴が鳴る。先ほどまでの激しい踊りとは違い、大きな動きはない。無駄の一切を省いたその舞は、ユーリに東洋的な印象を与えた。
 
 かの国の秋をかぞえよう
 黄金の大樹に、約を刻んだ日のことを

 繊細な指の動き。豊かな感情を表す瞳。それら一つ一つが歌詞の意を、一段と強く、聴く者の心に届ける。

 かの国の冬をかぞえよう
 見渡す限りの雪原に、しんと埋もれた日のことを
 私の命の半身が、風となった日のことを

 楽の音が、静かに奏でられる。寂寥とした響きが、胸を熱くする。宴の曲として相応しいものであるかどうかは、はなはだ疑問だ。だが、純粋に楽として問われたなら、これは文句なしの名曲であろう。逆に考えれば、このような種の曲を宴の席で親しむほど、彼らの音楽は深いといえる。そしてそれは、リーマの踊りにも当てはまった。これほど美しく、哀しく、心の高みへと誘う舞を、ユーリは見たことがなかった。
 楽が止む。再びリーマがポーズを取る。朗々とした声が、また響く。
 最初……。
 ユーリは何が起こっているのか分からなかった。同じ曲、同じ舞。耳に、目に、先刻と同じ時が流れゆく。が、ユーリの脳は、一つだけ異なる部分に集中していた。その解析に、全力を注ぐ。
 さっきと歌詞が違う。それ自体はいい。前のが一番、そして今は二番だ。ただ、言葉が違う。でも、これもそう問題ではない。知らないものではない。
 ユーリは少し身を乗り出した。
 これは、カルタスの第一言語として学んだ言葉だ。文章の流れによって、多様な語尾変化とアクセントの違いが生じる言葉で、習得にかなりの苦労を要した。それだけに、いったん声に出した時の美しさは格別で、まるで妙なる調べに耳を傾けるかのような気持ちになった。しかし今、自分の心は強く乱されている。その要因は何か。それは――。

 呪われし子よ、呪われし者達よ
 汝らに、永劫の災いあれ

 汝らの血によって汚された海で、もがき続けるがよい
 汝らの肉で腐敗した地で、這い続けるがよい
 汝らの骨で卑しめられた山で、さまよい続けるがよい

 呪われし子よ、呪われし者達よ
 その業に相応しい死を、わたしは望む
 永遠に終わることのない死を、わたしは望む
 お前達に、望む

 ユーリは震えた。心の臓に鋭い楔が打ち込まれる。楽と舞の美しさが、より言葉を残酷に響かせる。目の前の景色が、薄衣を一枚被せたかのように翳る。
 音が遠のく。全ての感覚が、その意味だけに侵されていく。占められていく。
「ユーリ?」
 囁くようなフレディックの声に、ユーリはようやく世界を取り戻した。歌は終わっていた。楽の音も、もうない。婉然と微笑みながら、リーマが人々の喝采に応えている。フレディックが、また囁く。
「素晴らしかったですね」
「そう……だね」
 ユーリはそう言うだけで、やっとだった。酷く、疲れを感じる。体ではなく気の疲労。まともに何かを思考することができない。
 その後、フレディックとニ言ばかり言葉を交わしたことも、舞台から下りたリーマが、真っ先に自分の元へ駆け寄ったことも、長老に、今宵のもてなしに対する礼を述べたことも。そして、今日の寝床として宛がわれた、幌付きの馬車に戻ってきたことすら、ユーリは意識の外で行った。
 ユーリの胸の内で、呪いは続く。

 相応しい死を、永遠に終わることのない死を
 わたしは望む
 お前達に望む

 

 
 
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  第十四章(3)・3