蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十一章 氷壁の乙女(3)  
             
 
 

「結構きついぞ」
「そうですか?」
 さらりとした口調でミクが言う。
「少し、運動能力が落ちたのではありませんか? それとも、体重が増えたのか。中年太りにしては、早過ぎるようですけど」
「……おっ……」
 そのまま絶句するテッドを尻目に、ミクはユーリに囁いた。
「幅を小さく取って、できるだけ揺れを少なくする方がいいみたいですね」
「うん、そうだね」
「おい、ミク。人を年より――」
「さっさとそちらを外して下さい。ロープを回収します」
 どこまでも無視を構えるミクに、今一度悪態をつくと、テッドはがしりとロープが銜え込んでいる部分を見た。先端の鉤を外すのは無理と判断し、ミクに向かって叫ぶ。
「こっちで外すのは無理だ。ロープを切ってもいいんだが、それに銃を使うのは」
「そうですね。変なところに当たって、この空洞が崩れたら大変です。ロープは諦めましょう。銃だけ、こちらで回収します」
「分かった、じゃあ、今度はこっちから」
 テッドはそう言うと、ユーリの銃を使って、再び横穴と柱の間にロープを渡した。空洞の壁に、鉤の食い込む音が響く。その間に、ミクはテッドの銃を固定されていた岩から外し、さらに銃身から収納ケースごとロープを切り離した。
「こっちはいつでもいいぜ」
 ロープの一方を、レンダムと一緒に引っ張りながら、テッドが叫ぶ。
「念のため、軽い方から来てくれ」
「では、先に行きます」
 そうユーリに言い残すと、ミクは細いロープに手をかけた。テッドの失敗を生かし、体の揺れをできるだけ押さえながら進む。とはいえ、あまり時間をかけ過ぎても、負担がかかる。小刻みに、少し速めのテンポを心がけながら、ミクはその手を運んだ。
「よし、次、ユーリ」
 無事、渡りきったミクが微笑を返すのを見やりながら、ユーリはロープをつかんだ。指示通り、幅を小さく取りながら、手を出す。軽快に、だが慎重に、極細のロープを伝う。
 待ち構えるテッドが、すぐ目の前に迫る。その懐に飛び込まんと、右手を心持ち大きく振り出す。
 風……。
 ユーリの手が止まる。振り出した右手が、空をつかみ、そのまま下がる。左手だけでぶら下がる。
 また、風が……。
「ユーリ!」
 そう叫ぶ声が、ミクのものであることをぼんやりと理解した時、すでに体は、テッドの伸ばした腕に抱えられていた。
「何、ぼけっとしてんだ!」
 もっともの怒りに、ごめんと呟く。
「ユーリ……」
「ごめん」
 軽く、その細い眉を寄せたミクにも、謝罪する。しかしミクは、小さく首を横に振り、顔の緊張を緩めることなく言葉を発した。
「あなたが感じたものは、これですか?」
 そう言いながら、ミクは右手を柱に添わせた。指先に微かな刺激を感じ、さらに表情を険しくする。
「この感覚……覚えがあります。王家の墓で、結界の前に立った時の、あの感じに似ています」
「そうなのか?」
 テッドの手が、柱を撫でる。見た目で予想し得る以外の感触は、伝わってこない。
「やっぱり俺にはさっぱりだ。ユーリ、お前も、結界とやらを感じるのか? それで、いきなりぼけっと」
「違う」
「違う?」
 両の掌を柱に当て、俯き加減でユーリは呟いた。
「僕が感じたのは、もっと、別の……もっと……」
「もっと?」
 そう問いかけた琥珀色の瞳が、大きく見開かれる。
 ユーリの手の先で、岩がほんのりと光っていた。光は穏やかな波紋を作り、岩を半透明に変えていく。表面が緩やかに揺れ、ユーリの手がそこに浸される。腕、肩、体の全てを、岩が包み込むように呑んでいく。
「……ユ……」
「ユーリ!」
 ミクの声に背を押され、テッドは岩に手を伸ばした。堅い岩盤から当然の反発を受け、痛みに顔を歪める。その半透明の岩の中に、ユーリの姿が薄っすらと映る。
 柱全体が、淡く発光を始める。光に侵食された部分が、次々と透けていく。その深部まで、露にしていく。
「ユーリ……」
 柱の中心に、ユーリの姿があった。ゆっくりと、その体が降下する。水の中に沈み行くかのように、黒髪が柔らかくうねり、天に向かって靡く。
 無言のまま、ミクは動いた。テッドが続く。レンダムも従う。ゆったりと柱の中で落下を続ける、ユーリの姿をその目で捉えながら、ごつごつした柱の表面を懸命に伝い下りる。その柱の光が、さらに増す。

 
 
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  第二十一章(3)・3