蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(1)  
             
 
 

 

 リブラは必ず攻を取る。
 仕掛けた罠がそうさせたとも言えるし、リブラ自身の性格も、少なからずその決断に影響したであろう。しかし、それらよりも大きな理由がリブラ側にあることを、シオはあらかじめ計算に入れていた。それは、士気だ。
 地を知り、天を知り、綿密な策を講じ、十分な兵を用意する。だがそれだけでは、必勝を期することはできない。人に心というものがある以上、その心に鋼の強さを持たせなければ、戦士として十分とは言えない。
 キーナス軍とフィシュメル軍、両軍を比較して士気が高いのは後者であろう。覚えのない裏切り者の札をかけられ、問答無用で宣戦布告をされた。兵士の怒りは大きい。加えて、王女ウルリクを人質に取るやり方も、火に油を注ぐ結果となった。
 一方、キーナス側は、ポルフィスの事件そのものを、まだ消化しきれていなかった。ラグルとフィシュメル、両者を秤にかけた場合、圧倒的にラグルに対する信頼度は落ちる。そのラグルの言を鵜呑みにすることから始まる戦いの名目は、感情的に弱い。確かに、フィシュメル王の書簡という、証拠の品はあった。ガーダが用意したものなれば、微塵の疑いも与えぬものであったろうが。それでもなお、まだ腑に落ちないというのが、キーナスの本音であろう。
 しかも、事が明るみになった時点で、フィシュメル側は正式に事実無根を表明し、対話の場を持つよう申請した。にも関わらず、それを無視しての強引な侵攻。兵士の戸惑いはもちろん、指揮官の迷いも大きい。アルフリート王のこの決断が、どうしても自分の知る王と合致しない。誰もがそんな思いを胸に抱いているであろう。そして、リブラも、例外ではない。
 だが、彼には、他の将軍とは違う、もう一つの思いがあった。彼の指揮下にある一部の兵士達も同じだ。彼らは、ポルフィスの惨状を目の当たりにしている。老いも若きも皆殺しにされ、炭となるまで焼かれた町を、その目で見ている。無抵抗な罪なき同胞の無残な死。その瞬間、彼らが振り上げる剣に、報復という魔術がかけられたのだ。
 ファルドバス山のラグルを蹴散らしたところで、それが治まるはずはない。五十を奪われれば、百を返す。百を奪われれば、千を返す。復讐とはそういうものだ。真の敵がフィシュメルであるとするなら、それを前にして指をくわえる必要などどこにもない。リブラ軍の士気は高い。その士気が、彼らを前へ動かす。そしてそれを、シオは利用したのだ。
 東の砦から出たリブラ軍に合わせ、シオはわざと、自ら率いる先陣の歩みを速めた。そして、ターロア橋のたもとで構える。砦から南に少しばかり下がると、街道に沿って川が流れているのだ。その川、メラン川を挟む形で、リブラ軍を迎え撃つ。数と機動力に勝る相手に対して、最も有効な場所。と、それはリブラも思うことである。自軍の利を生かせぬこの場所を、選ぶはずはない。
 シオは決戦の地を、さらに南に下がった中州と決めていた。いや、正確には、その場所をリブラ軍が選ぶよう、仕向けることが狙いであった。川を挟んで、じりじりと睨み合いの時を費やし、中州に向かわせる。その動きを読みながら本隊を動かし、最終的にはその途中で、諦めさせる策であった。
 前半は、順調に運んだ。橋を間にし、リブラ軍に睨みを利かす。もしあっさり南へ下がるようであれば、そのまま東の砦を落とすそぶりを見せる。敵も同様、じわじわと南に下りながら、不用意にこちらが橋から離れる機会を待つ。取って返し、一気に攻める気配を覗かせる。
 それに対し、シオは軍を二つに分けた。二千の兵を橋に残し、残る三千を率いてリブラ軍の歩調に合わせる。少ない兵をさらに分けることは愚策であるが、中州に回り込まれるのを避けるため、という当然の理由がある今は、正当な策だ。この動きに、リブラ軍が一つの決断を下す。
 六日続いた膠着状態の欝憤を晴らすかのように、リブラの軍は駆けた。歩兵、弓兵をその場に残し、騎兵八千余りが一気に南下する。懸命に、追いすがる。徐々に広がる川幅の向こうに、その後姿を捉えながら、シオの軍も走る。だが、馬の足と人の足では、あまりにも速度に違いがある。彼らに追いつけたのは、やはり同じ馬の足だけ。軍の半数が、それで消えた。しかも、深い闇に包まれた中州に到着したのは、シオの予測より早い、三日後の深夜であった。
 互いの岸で、陣を構える。明々と灯された火が、夜明けを待つ。その時まで、もう後わずかだ。

 
 
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