蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十二章 魔術(1)  
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 <魔術>

      一  

 蝋燭の炎が、明るくシオの横顔を照らす。華やかに、頬が輝く。が、それはごく表面の、皮一枚のことであった。
 炎が揺らめくと同時に、影が落ちる。内側に隠れていた、濃い疲労の色が浮き出てくる。本来のものより、幾分薄まった淡紅色の唇が、きつく結ばれる。ここ数日、ほとんど閉じられたことのない眼を、かっと見開く。
 シオは独り、露営用の天幕の中にいた。小さな丸椅子から立ち上がり、素朴な木の机に両手をつき、少し腰をかがめた姿勢で、その上の地図を見つめていた。キーナスとの国境、グルビア山脈を大きく迂回する、北の街道に沿って視線を走らせる。
 昔、ここには砦があった。フィシュメルとキーナスが、まだ互いに争っていた頃に。しかし今、それは形のみ残されているに過ぎない。国境を守る兵士は、そこから二日ばかり歩き続けたところにある、アラポリの町に配備されていた。もっともその数は少なく、とてもキーナス軍を迎え撃つことはできない。さらに町の作りも、その目的にそぐわないため、早々にフィシュメルはこの町を諦めた。住人を、街道から外れた近隣の村々にいったん避難させ、兵はヒュールの砦まで引き上げた。
 皮肉なことに、このヒュールの砦は、フィシュメルが作ったものではなかった。今より八百年ほど昔、キーナスがこの大陸において最大の領地を手にしたガラトーワ治世の時代、国境は、ここにあった。つまりは、キーナスの手によって、この砦は作られたのだ。
 街道の西に位置する砦は、背に高く険しい山を配した高台にあった。先のアラポリ町から続く道は、この山と東に連なるグルビア山脈に挟まれ、細くなっていた。歩兵隊ならまだしも、騎兵隊には不利な戦場となる。本来の機動力は生かせず、しかも砦からの攻撃に関しては無防備だ。強引に抜ける策もあるであろうが、狭い道の先を塞がれてしまえば、それも叶わない。ここを抜けたければ、砦を落とすしかない。
 しかし、この場所に限って言えば、事はそう単純ではなかった。ただがむしゃらに、前へ攻めることはできないのだ。
 ヒュールの砦は二つあった。西の砦のちょうど正面。街道を挟んだ対面の山に、もう一つ砦があるのだ。こちらはフィシュメル国、自らが築いたもので、この地からキーナスを追い出した年に、より堅固な守りとするため建てられた。どちらかの砦を攻めれば、どちらかの砦に背を向けることになる。つまり、守る側としては、この二つの砦に兵を配するのが一番である。しかし――。
 シオは、その東の砦から西の砦に目を転じた。
 彼は、東の砦を捨てた。理由はこうだ。目的が、キーナス軍を壊滅させることにあるなら、両砦を可能な限りの兵で満たし、挟み撃ちにすればいい。だが、今回の使命は、できるだけ両者の衝突を遅らせることにある。まだ、ぶつかるわけにはいかない。シオは、この地を決戦の場所に選ばなかった。ここは単なる通過点。しかし、そのことを相手に気づかせるわけにはいかない。罠とは知らず、兵を先に進めさせなければならない。いや、罠と知りつつも、そこに向かわせる必要がある。
 シオはそのために、王都カロイドレーンからの援軍を足止めした。そうやって、東の砦を空にする理由を作った。長い友好の時が、ヒュールの砦の警備をも薄くさせていたことは、キーナス軍とて周知の事実だ。国境の兵をそれに加えたところで、たかがしれている。一つの砦を守るだけで精一杯の兵力を、二つに分けるのは、逆にキーナスにとって好都合となる。一気に一つを落とせば、後は時間の問題だ。キーナスの兵力を持ってすれば、数日とかからず砦は落とされてしまうだろう。
 それを避けるために、フィシュメルの兵は西の砦に集結した。と、見せかけ、キーナス軍を待った。予定通り、キーナス軍は、無人となった東の砦に入った。その機を逃さず、シオは止めていた援軍を進める。無論、それはすぐに、キーナス軍の察知するところとなる。
 キーナス軍は、二者択一を迫られた。東の砦にこもり、守に徹するか。それとも、敢えて一戦を取るか。
 シオは、間違いなくキーナス軍は攻を取ると読んだ。そして、その通りとなった。

 

 
 
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