蒼き騎士の伝説 第三巻                  
 
  第二十六章 新たなる旅立ち  
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 短い波長の声が、三人の鼓膜を突いた。
「まるで、物見遊山にでも行くような雰囲気ね。まあ、長い旅だから、そのくらいでちょうどいいのかもしれないけど」
「サナ……え〜、ピュルマ殿……」
「あなたにそう呼ばれると、何だか気持ちが悪いわ」
 すげない口調で、サナが答える。
「前にも言ったけど、わたしに気遣いは結構よ。名前も呼び捨ててくれて構わないわ。こっちもそうさせてもらうから。それより、もう間もなく出航よ。港を離れたら、一度、わたしの私室の方に来てちょうだい。この船旅の間にやっておいて欲しいことを、指示するから。じゃあ」
 言いたいことだけ早口で述べると、サナは踵を返した。と、そこで止まる。
 勢い良く甲板を駆け回っていたティトが、すぐ目の前に立っていた。愛嬌のある丸い目で、サナを見上げ言葉を放つ。
「お前、部屋に戻るのか?」
「ええ、そうよ」
「では、おいらが送っていく」
「……えっ?」
「旦那との約束だから、おいらが守ってやる」
「約……束……?」
「そうだ」
 ティトの小さな鼻が、得意そうに上向きとなる。
「本当はおいら、旦那の側にいるつもりだった。船に乗ってみたかったけど、海を見てみたかったけど。おいらは旦那の側にずっといるって、助けてもらった時に、そう決めた。でも、旦那がおいらに頼んだんだ。私の代わりに行っておくれと。私の代わりにご婦人方を守るようにと」
「ご婦人方って」
 顎をしゃくりながら、テッドが囁く。
「ひょっとして、サナとお前さん?」
「の、ようですね」
 ミクの細い眉が引き上がる。
「余計なお世話といいたいところですが、ティトの気持ちを推し量っての方便ですから、致し方ありま――」
「余計なお世話よ」
 強い目で、ティトを見下ろしながらサナが言った。
「わたしは確かに女だけど、別にあなたに守ってもらう必要はないわ」
「……おい、サナ……」
 大きく目を見開き、固まってしまったティトを横目で見やりながら、テッドが声を出す。
「お前さん。子供相手にそんな向きに――って、お前さんもまだ子供か」
 その言葉に、軽くサナは不満の意を口元に施した。
「一つ言っておきたいことがあるのだけど。女であること、足が不自由であること。それは認めるけど、わたしは子供ではないわ。あなたのお国ではどうだか知らないけど、少なくともキーナスで、わたしぐらいの歳の者を子供扱いするのは、礼を欠く行為となるわよ。増してやユジュールの国々の中には、女性の扱いに、いろいろと細かな決まりのあるところが多いわ。その辺りも、よく勉強しておくことね」
「そうだ! ご婦人の扱いは、難しいのだ」
 固まっていたティトの目が、くるりと動く。
「ご婦人は大切にしなければならない、優しくしなければならない。だからおいらは、お前を部屋まで送っていく」
「って、鳴いてるぜ。お前さんの理屈だと、ティトの申し出は、礼に適った正しい行為ってことになる。だったら、大人しくそれに従うのが、逆にそっちの礼儀だろうが」
「それは違うわ」
 腕を組み、してやったりと笑うテッドに対し、サナはぴしゃりと言い放った。
「礼を、形だけで捉えるとそうなるでしょうね。でも、本来礼節は、その心が重要であり、またその役割は、社会生活の秩序を保つことにあるわ。男性が女性を守る形を良しとする理由の一つに、力の強い者が弱い者を助けるというのがあると思うけど。でもこれって、場合によっては当てはまらないこともあるでしょう? この世には、弱い男もいるし、強い女もいる」
「いる。確かにいる。俺の記憶が正しければ、すぐ側に一人」
「テッド」
 押し殺すようなミクの声に、テッドは肩を竦めた。
「腕力に限らなければ、目の前にも、もう一人」
「とにかく」
 きゅっと眉を寄せながら、サナが言った。
「その場合、形だけの礼なんて意味がないわ。わたしとティトの関係もそう。彼の気持ちはありがたいけど、こんな小さな肩を借りるわけにはいかないわ。だから――」
 すっと、サナは右手を前に出した。腕を組んだまま、テッドがそれを見つめる。
「……ん?」
「今この場所で、一番腕力がありそうなのは、テッド、あなたでしょ? 本来、ティトより先に、あなたが彼の言葉を言うべきだったのよ」
「……って、つまり……俺が悪いってか?」
「今頃、気がついたの?」
「ふっ」
「ははっ」
「笑うな! 二人とも!」
 見事にやりこめられたテッドを見て、ミクとユーリが再び吹き出す。それをぽかんと見ていたティトが、高い声で囀る。
「ええと、おいらは――おいらは――」
「ありがとう、ティト」
 声に軽やかな音色を含ませて、サナが言った。
「あなたにそんないい加減なことを教えたのは、あのレンツァのドラ息子ね。戻ったら、一言注意してやらなくっちゃ。でも、それまでは」
 サナは、右手をテッドに預けると、そこに重心のほとんどを委ねた。その上で、左手をティトの肩に添える。
「部屋まで、送って頂ける?」
 ティトの目が輝く。柔らかな風が、そこに吹き込む。
「あっ」
 穏やかに甲板が揺れるのを受けて、ユーリは小さな声を上げた。透き通る風に乗って、高らかに鐘の音が響く。出航の合図を示す調べが、街全体から響いてくる。
 力強い掛け声と共に、錨が上げられた。海から吹く風が、船を強く煽り、押し戻す。舵を切る。縦帆をたくみに操り、その力を外に向ける。船がゆっくりと岸から離れる。
 マストトップに立つ一人の船乗りが、鐘の音に答えるように角笛を吹いた。一回、二回、そしてもう一回。
 そう言えば――。
 徐々に遠ざかる港を見つめながら、ユーリは思った。汽笛を三回鳴らすのは、帆船時代からの慣わしだと聞いたことがある。一つ目は、海の女神への誓い。定められし海の掟に従うという意思の表れ。二つ目は、天空の神に捧げる呼びかけ。風に恵まれるよう、航海の無事を祈るもの。そして三つ目は、恋人に、家族に、最後の別れを告げるため。もちろん、これは地球における話である。
 三度目の角笛が、名残惜しげに響き続ける。港の鐘が、一心不乱にその音に答える。不思議と心に力が湧く。必ず戻ってくるという、決意が漲る。
 何かがはためくような音を耳にして、ユーリは顔を上げた。畳まれていた横帆が、いっせに広げられる。祈りを聞き入れた天が、確かな風をそこに送る。白い翼が、大気をはらむ。

 フルミア歴一三五二年、宇宙歴元年。
 晩秋の澄んだ空の下、伝説は緩やかに、新たな時に向かって動き出した。

 

第一部、完。第二部・第四巻に続く。

 
 
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  第二十六章・3