蒼き騎士の伝説 第四巻                  
 
  第三章 誇りの在り処(3)  
             
 
 

「女や子供も戦士とは、勇ましい部族だな」
 男の目が、ミクの上で止まる。
「気に入った」
 ミクの眉が鋭く跳ね上がるのを見て、男は髭の下から白い歯を見せた。
「お前らなら、やれそうだ」
「やるとは、何を?」
 冷ややかな視線と同じ質の声で、ミクが尋ねる。とたん、男の表情が変わる。
「驚いたな。俺達の言葉を話すとは。ますます気に入った」
 その言葉の意味を、ユーリは即座に理解することができなかった。しかし、続くサナの一言で、それを知る。
「そうよ、わたし達はロナ族でも、カジュレ族でもない。あなた達の、敵ではない」
 そうか。確か、彼らの言語は、ドル族の言葉……。
 ユーリは、興味深げにサナを見つめる盗賊を見やりながら思った。
 シュイーラ国では、主に五つの言語が使われていた。ダンデマル族、ロナ族、ソン族、そしてベラノマ、カジュレ族の言葉。実際使われている言葉は、これよりさらに多く、部族の数に比例していた。その中に、もちろんドル族の言葉もある。しかし、彼らの住む南西部で、今、それは使われていない。この地域の主たる部族は、カジュレ族。ドル族と、彼らとの間には長年の確執があった。
 人を卑しめる方法はいくつもあるが、その一つに、相手の持つ独自の文化を否定することがあげられる。習慣的な行事、食べる物、着る物、信じるもの、そして言語。カジュレ族は、ドル族から言葉を取り上げようとした。町の長であるロナ族に働きかけ、公用語以外の使用を禁じたのだ。ドル族は当然反発し、自らの誇りに基づき砂漠に散った。この地の盗賊とは、そういうドル族、もしくは、ドル族と同じような運命を辿った部族によって、構成されているのだ。
「敵ではないなら、味方と考えていいのだな」
 サナの言葉を受け、そう切り返してきた男の目に、またぎらついた光が宿る。その反応に、ミクが警戒を強めて言う。
「質問に答えて下さい。あなた達は、私達に何を求めているのです?」
 男の目が、細められる。
「今、答えただろう。味方になるかと聞いている」
「味方――に?」
「なあに、簡単なことだ。荷の運搬を頼みたい。ここより北、ソオルカナドの町に、デグラン十頭分の荷物がある。それを、ハラトーマまで運びたいのだ。我らでは、街に入れぬからな」
「そういうことなら、私達ではなく、彼らに頼めばいいでしょう。シャグ族の者に」
「ロナ族の犬に、大事な荷を任せられるか!」
 強い口調で男は吐き捨てた。それが、激しい苛立ちに繋がる。
「さあ、どうする? 早く決めろ! 引き受けるなら、命は助けてやる」
「つまり、断れば、命はないと」
「そういうことだ。もちろん、失敗も裏切りも許さない。荷物が届かなければ、その時点で人質は死ぬ」
「人質?」
「小さな子供に、砂漠の旅はきつかろう?」
 男の視線が、自分達の方に向けられたのを見て、サナはティトを抱き締めた。その前に被さるように、テッドが一歩出る。
 男の目をきつく見返し、ミクが言った。
「その荷とは、何です?」
「武器だ」
 研ぎ澄まされた言葉が突きつけられる。
「ハラトーマの同志に渡す、武器だ」
 声に、悲痛な色が滲む。その色が、ミクの脳裏に情景を映し出す。
 まるで別人かと思うほど、穏やかな顔をした盗賊の男。枯れ木のような体をした、老いた母親に手を添える姿。痩せこけた、小さな兄弟達の世話に追われる姿。貧しさゆえの友の死に、仲間の死に、血の涙を流す姿。争いに敗れ、傷付いた同胞の肩を抱き、砂嵐の真っ只中、天に向って呪いの言葉を吐く姿。
 もう、待てない。
 慟哭が、ミクの心に直接響く。
 もう耐えられない。もう我慢はできない。
 我らのものを取り返せ。失ったものを奪い返せ。
 受けた苦痛を、死を、奴らに返せ!
「ミク――」
 囁くようなユーリの声に、ミクは我に返った。すぐ側で、支えるように立つユーリの顔を見る。その黒い瞳が湛える憂いに、ミクは、自分の脳裏を過ぎった情景が想像ではないことを知った。この盗賊の思念が、嘘偽りのない彼の真実が、その思いの強さと共に自分に流れこんできたことを知った。
「答えろ!」
 男の声が、哀しいほど強く荒れる。
「ハラトーマまで荷を運ぶか。それとも、ここに捨て置かれるか。どちらにするか、今すぐ決めろ!」
 ミクの口元が、苦しげに歪む。と、すっとその前に、ユーリが立つ。
「引き受けることは、できない」
 静かで、それでいて毅然とした輪郭の声が続く。
「君達のために、そして、君達の同志のために、それはできない」
「なっ」
 男の目が、怒りで吊り上がる。
「ふざけるな!」
 ざくりと男の足が砂を食む。余りにも激しい感情が、彼から判断力を奪う。腰にあるものも忘れ、思いに任せて、男は拳を振り翳した。ユーリの右頬目掛け、それを打ち下ろす。
「――ユーリ」
 ユーリは微動だにしなかった。避けることも、撥ね退けることもできたはずだが、彼は男の怒りをそのまま受け止めた。大きく上体が揺れ、右足が半歩後ろに下がったが、倒れることなく姿勢を保つ。背けた横顔に、黒髪が被さる。
「それでは、何も変わらない」
 低く紡がれた声と同時に、ユーリの口端から、つらっと鮮血が流れた。それを拭うことなく、ゆっくりと顔を戻す。男を、正面から見据える。
「君達がそうであったように、それでは、人の気持ちを変えることはできない」
 漆黒の瞳が、強く輝く。その光が、再び振り上げられた男の拳を縛る。男の怒りが、行き場を失い、宙に散る。
「くそっ!」
 砂に向って毒づく。
「くそっ!」
 空に向ってわめく。
「勝手に、するがいい!」
 最後の言葉を、まるで自身に向って吐くかのように叫ぶと、男は仲間を振り返った。
「引き上げるぞ。武器と積荷、それからデグラン三十頭、残らず引いていけ!」
「三十頭?」
 仲間の一人がそう声を上げる。
「デグランは全部で――」
「一頭は……この男に免じて残す」
 盗賊の顔が、わずかだけ傾き輪郭を見せる。
「その、愚かさ加減に免じてな」
 砂埃が舞う。遠く風が、足音を運ぶ。一頭だけ取り残されたデグランが、所作なさそうに一つ首を振った。おもむろに、テッドが声を出す。

 
 
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